1. 生い立ちと人物像
山岸智は、1983年5月3日に千葉県千葉市稲毛区で生まれた。身長は181 cm、体重は80 kgで、利き足は右足である。
1.1. 出生とユースキャリア
幼少期は「海浜イレブン」に所属し、千葉市立稲毛第二小学校でサッカーを始めた。1996年から1998年にはジェフユナイテッド市原Jrユース(千葉市立稲毛中学校)でプレーし、この頃は主にセンターフォワードとして起用された。中学3年次にはクラブユース選手権 (U-15)で優勝を経験している。
1999年から2001年にはジェフユナイテッド市原ユース(東京学館浦安高等学校)に所属。ユース時代にはフォワードの他、ボランチやウイングなど複数のポジションを経験し、2001年のJユースカップでは得点王に輝いた。
1.2. プレースタイルと長所
山岸は、左右のサイドやサイドバック・ウイングバックの差を問わず、アウトサイドであればどこでもこなせるユーティリティプレーヤーである。過去にはセンターフォワードやトップ下も経験しており、その高い適応力は彼の大きな強みであった。特に豊富な運動量と、オフ・ザ・ボールの動きからゴール前に飛び込むプレーが持ち味。また、サンフレッチェ広島所属時には「途切れない向上心」と評されるなど、常に自身の成長を追求する姿勢も特徴として挙げられた。
2. クラブキャリア
山岸智は、2002年にプロキャリアを開始し、引退までの19年間で日本の複数のクラブに所属し、そのキャリアはJリーグの各ディビジョンや地域リーグに及んだ。
2.1. ジェフユナイテッド市原・千葉
2002年、ユースからジェフユナイテッド市原のトップチームに昇格。2003年、当時のイビチャ・オシム監督から高く評価され、J1リーグ開幕戦の東京ヴェルディ1969戦で右ウイングとしてプロ初先発出場を果たした。その後は坂本將貴と右サイドの定位置を争う存在となる。2004年にはクラブ名がジェフユナイテッド市原・千葉へと変更された。
2005年には、左サイドを担っていた村井慎二の移籍に伴い、左サイドでの出場機会も増やし、両サイドでプレーできる選手として成長。2006年には先発メンバーに定着し、リーグ戦全試合に出場。自己最多の6得点を記録し、Jリーグカップでは5試合で4得点とゴールを量産し、クラブの2年連続優勝(2005年、2006年)に大きく貢献した。この年のリーグ戦でイエローカードを1枚も受けなかったことから、Jリーグフェアプレー個人賞を受賞している。
2007年末には川崎フロンターレからオファーを受け、ジェフ千葉からは残留要請があったものの、クラブフロントに対する不信感から移籍を決断した。移籍金は推定で2.50 億 JPYであった。
2.2. 川崎フロンターレ
2008年、川崎フロンターレへ移籍。移籍当初はサイドバックとして起用されたが、このポジションでは機能せず、リーグ戦29試合に出場したものの先発から外れることが多くなった。チームは2008年、2009年と2年連続でJ1リーグ2位の成績を収めた。
2009年にはサイドアタッカーへのコンバートを志願したが、当時サイドにはレナチーニョがおり、さらにルーキーの登里享平の台頭もあって、リーグ戦出場はわずか16試合に留まり、無得点に終わった。この時期にイビチャ・オシムが日本代表監督を退任したこともあり、山岸自身も代表から遠ざかることとなった。
2.3. サンフレッチェ広島
2010年、出場機会を求めてサンフレッチェ広島へ期限付き移籍。広島では負傷離脱期間を除いてレギュラーに定着し、3年ぶりの得点も記録した。2011年からは完全移籍となった。
2012年にはレギュラーとしてプレーしていたものの、5月から体調不良により欠場し、7月には右下肢血流障害と診断され離脱した。それ以降は、清水航平、朴亨鎮、柏好文らと左サイドのポジションを争い、ターンオーバーで起用された。広島での晩年は怪我が増え、出場機会が激減した。
しかし、広島ではチームの中心選手としてJ1リーグで3度の優勝(2012年、2013年、2015年)に貢献した。特に2015年には、ジェフ千葉時代から続く「リーグ戦でゴールした試合は29戦連続無敗(21勝8分)」という記録を達成した。2015年末に契約満了となり、広島を退団した。
2.4. 大分トリニータとVONDS市原
2016年、大分トリニータに完全移籍。プロ15年目にして初めてJ1以外のディビジョンに所属することとなった。大分の監督に就任した片野坂知宏は、サンフレッチェ広島のコーチ時代に山岸のプレーを見ており、その片野坂からのオファーが移籍の決め手となった。
大分では2016年と2017年の2年間、キャプテンを務めた。山口貴弘やシーズン途中に加入した山口真司らと左サイドバックのポジションを争いながら、2016年にはリーグ戦18試合に出場。同年末に開催されたJリーグアウォーズでは、MYアウォーズのJ3リーグ部門ベストイレブンに選出された。チームは2016年にJ3リーグで優勝し、J2リーグへの昇格を果たした。2017年にはJ2リーグで26試合に出場したが、同年限りで契約満了に伴い大分を退団。
2018年からは関東サッカーリーグ1部のVONDS市原に移籍し、2020年までプレーを続けた。

3. 代表キャリア
山岸智は、日本のユース代表からA代表まで、国際舞台での経験を持つ。
3.1. ユース代表
2003年11月、FIFAワールドユース選手権(現在のFIFA U-20ワールドカップ)に出場するU-20日本代表に選出された。この大会では2試合に出場し、チームはベスト8(準々決勝)に進出した。
3.2. A代表
2006年10月4日、ガーナとの親善試合でA代表デビューを飾った。これは当時日本代表監督に就任したばかりのイビチャ・オシムによって初選出されたものであった。
2007年にはAFCアジアカップ2007の日本代表メンバーに選出され、同大会で2試合に出場した。日本代表は同大会で4位の成績を収めた。
2006年から2008年までの間に、山岸は国際Aマッチ11試合に出場したが、得点は記録されなかった。
4. キャリア成績
山岸智のプロキャリアにおけるクラブおよび代表での出場記録と得点数を示す。
4.1. クラブ成績
山岸智のクラブにおけるリーグ戦、国内カップ戦、国際クラブ大会などの記録は以下の通りである。
年 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ出場 | リーグ得点 | Jリーグカップ出場 | Jリーグカップ得点 | 天皇杯出場 | 天皇杯得点 | ACL出場 | ACL得点 | その他公式戦出場 | その他公式戦得点 | 合計出場 | 合計得点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2002 | 市原/千葉 | 26 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | ||
2003 | 20 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | - | - | 23 | 2 | |||||
2004 | 16 | 12 | 4 | 3 | 0 | 0 | 0 | - | - | 15 | 4 | ||||
2005 | 30 | 2 | 7 | 0 | 1 | 0 | - | - | 38 | 2 | |||||
2006 | 34 | 6 | 10 | 5 | 1 | 0 | - | - | 45 | 11 | |||||
2007 | 34 | 6 | 5 | 1 | 1 | 0 | - | - | 40 | 7 | |||||
2008 | 川崎 | 8 | 29 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | - | - | 32 | 0 | |||
2009 | 16 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | - | 22 | 0 | ||||
2010 | 広島 | 16 | 24 | 3 | 2 | 2 | 1 | 0 | 6 | 0 | - | 33 | 5 | ||
2011 | 30 | 1 | 1 | 0 | 2 | 0 | - | - | 33 | 1 | |||||
2012 | 16 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | - | 19 | 3 | ||||
2013 | 26 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | 4 | 1 | 37 | 1 | |||
2014 | 15 | 2 | 4 | 0 | 1 | 0 | 5 | 1 | 1 | 0 | 26 | 3 | |||
2015 | 4 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | - | 1 | 0 | 8 | 1 | ||||
2016 | 大分 | J3 | 18 | 0 | - | 1 | 0 | - | - | 19 | 0 | ||||
2017 | J2 | 26 | 0 | - | 1 | 0 | - | - | 27 | 0 | |||||
2018 | V市原 | 14 | 関東1部 | 3 | 0 | - | 1 | 0 | 4 | 0 | |||||
2019 | 13 | 0 | - | - | - | - | 13 | 0 | |||||||
2020 | 3 | 1 | - | - | - | 0 | 0 | 3 | 1 | ||||||
総通算 | 334 | 29 | 41 | 8 | 14 | 0 | 22 | 2 | 6 | 0 | 417 | 39 |
- Jリーグ初出場: 2003年3月22日 J1 1st第1節 東京ヴェルディ1969戦(市原臨海)
- Jリーグ初得点: 同上
- その他の公式戦には、XEROX SUPER CUP(2013年1試合0得点、2014年1試合0得点)、FIFAクラブワールドカップ(2012年3試合1得点、2015年1試合0得点)、Jリーグチャンピオンシップ(2015年1試合0得点)、A3チャンピオンズカップ(2006年3試合0得点)が含まれる。
4.2. 代表成績
山岸智の日本代表チームにおける出場および得点統計は以下の通りである。
日本代表 | ||
---|---|---|
年 | 出場 | ゴール |
2006 | 3 | 0 |
2007 | 5 | 0 |
2008 | 3 | 0 |
合計 | 11 | 0 |
国際主要大会での出場記録は以下の通りである。
年 | 大会 | カテゴリ | 出場 | ゴール | チーム成績 | |
---|---|---|---|---|---|---|
先発 | 途中出場 | |||||
2003 | 2003 FIFAワールドユース選手権 | U-20 | 0 | 2 | 0 | 準々決勝 |
2006 | AFCアジアカップ2007 予選 | A代表 | 1 | 1 | 0 | 本大会出場 |
2007 | AFCアジアカップ2007 | A代表 | 2 | 0 | 0 | 4位 |
国際Aマッチの詳細は以下の通りである。
No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦国 | 結果 | 監督 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2006年10月4日 | 横浜 | 横浜国際総合競技場 | ガーナ | ●0-1 | オシム | キリンチャレンジカップ2006 |
2. | 2006年10月11日 | バンガロール | シュリー・カンティーラヴァ・スタジアム | インド | ○3-0 | オシム | AFCアジアカップ2007 予選大会 |
3. | 2006年11月15日 | 札幌 | 札幌ドーム | サウジアラビア | ○3-1 | オシム | AFCアジアカップ2007 予選大会 |
4. | 2007年6月1日 | 袋井 | エコパスタジアム | モンテネグロ | ○2-0 | オシム | キリンカップサッカー2007 |
5. | 2007年7月9日 | ハノイ | ミーディン国立競技場 | カタール | △1-1 | オシム | AFCアジアカップ2007 |
6. | 2007年7月28日 | パレンバン | ゲロラ・シュリーヴィジャヤ・スタジアム | 韓国 | ●0-0PK(5-6) | オシム | AFCアジアカップ2007 |
7. | 2007年9月11日 | クラーゲンフルト | ヴェルターゼー・シュターディオン | スイス | ○4-3 | オシム | 3大陸トーナメント |
8. | 2007年10月17日 | 大阪 | 大阪長居スタジアム | エジプト | ○4-1 | オシム | AFCアジア/アフリカチャレンジカップ2007 |
9. | 2008年1月26日 | 東京 | 国立競技場 | チリ | △0-0 | 岡田武史 | キリンチャレンジカップ2008 |
10. | 2008年2月17日 | 重慶 | 重慶市奥林匹克体育中心 | 朝鮮民主主義人民共和国 | △1-1 | 岡田武史 | 東アジアサッカー選手権2008 |
11. | 2008年3月26日 | リーファ | バーレーン・ナショナル・スタジアム | バーレーン | ●0-1 | 岡田武史 | 2010 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 |
5. タイトルと受賞歴
山岸智が選手キャリアを通じて獲得した団体および個人のタイトルと受賞歴を以下に示す。
5.1. クラブタイトル
- ジェフユナイテッド市原・千葉
- Jリーグカップ:2回(2005年、2006年)
- サンフレッチェ広島
- J1リーグ:3回(2012年、2013年、2015年)
- ゼロックススーパーカップ:2回(2013年、2014年)
- 大分トリニータ
- J3リーグ:1回(2016年)
5.2. 個人タイトル
- Jユースカップ得点王:1回(2001年)
- Jリーグ フェアプレー個人賞:1回(2006年)
- J3リーグMYアウォーズ ベストイレブン:1回(2016年)
6. 引退
2021年1月21日、山岸智はプロサッカー選手としての現役引退を発表した。「19年間本当にありがとうございました!」とコメントし、長く続いた自身のキャリアに幕を閉じた。