1. 概要
山村佑樹は、1990年8月1日に神奈川県川崎市で生まれた日本の元サッカー選手である。主にフォワードを務め、攻撃的ミッドフィールダーとしてもプレーした。幼少期にRubén Sosaルーベン・ソサスペイン語にちなんで「ルーベン」、大学時代には「スナイパー」という愛称で親しまれた。明治大学体育会サッカー部で活躍した後、2012年に水戸ホーリーホックに特別指定選手として登録され、同年中にプロ契約を締結。J2リーグで主力として活躍し、2018年からは栃木シティFC(当時の名称は栃木ウーヴァFC)に移籍し、関東サッカーリーグで目覚ましい記録を残した。2024年に現役を引退し、2025年からは栃木シティFCのU-18コーチとして指導者の道を歩んでいる。そのキャリアを通じて、J2リーグ月間ベストゴール賞や関東サッカーリーグ1部ベストイレブン、得点王など、個人としても高い評価を得た。
2. 初期生い立ちとアマチュア経歴
2.1. 出生および個人的背景
山村佑樹は1990年8月1日、神奈川県川崎市で生まれた。小学校1年生の時、7歳でサッカーを始めた。幼少期には横浜F・マリノスなどのジュニアユースからも誘いがあったが、中学校からはFC東京のユース組織に加入した。FC東京U-15時代には、丸山浩司コーチからウルグアイのフォワードであるRubén Sosaルーベン・ソサスペイン語にプレースタイルが似ていると指摘され、以来「ルーベン」という愛称で呼ばれるようになった。
2.2. ユースクラブ経歴
山村は四谷フットボールクラブでサッカーの基礎を築き、川崎フロンターレのサッカースクールにも通っていた。
2003年から2005年までFC東京U-15(2004年にFC東京U-15深川に改称)に所属し、2003年には日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会で優勝を経験した。
2006年から2008年まではFC東京U-18でプレーし、この間神奈川県立大師高等学校に在学していた。FC東京U-18時代は、同期の岩渕良太と2トップを組み、チームの攻撃を牽引した。また、三田啓貴、藤原広太朗、山崎侑輝、井上亮太、畑尾大翔、平野又三、六平光成、宮澤勇樹らも同期であった。
この期間には、2006年のイギョラカップ、2007年のサニックス杯国際ユースサッカー大会とJリーグユース選手権大会、2008年の関東プリンスリーグ、そして日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会で優勝を果たすなど、数々のタイトルを獲得した。
2.3. 大学経歴
2009年、山村は岩渕良太、三田啓貴と共に明治大学に進学し、明治大学体育会サッカー部に所属した。大学では関東大学サッカーリーグ戦1部で通算38試合に出場し、23得点を記録した。神川明彦監督からは、その多様な得点パターンが高く評価され、「スナイパー」と形容されるほどの決定力を見せた。
明治大学サッカー部では、2009年に東京都サッカートーナメントと全日本大学サッカー選手権大会で、さらに2010年には関東大学サッカーリーグ戦で優勝するなど、チームの成功に貢献した。
3. プロクラブ経歴
3.1. 水戸ホーリーホック
2012年8月、山村は明治大学在学中に水戸ホーリーホックの特別指定選手として登録された。登録後初の公式戦となったJ2リーグ第27節のモンテディオ山形戦で、早速デビューゴールを記録した。同年9月には、翌シーズンからの水戸ホーリーホックへの正式加入が発表された。
正式入団後の2013年シーズンは、経験豊富な鈴木隆行との2トップで多くの試合に出場し、時にはサイドハーフとしても起用され、チームの攻撃に貢献した。
しかし、2014年には開幕直前の練習試合で左アキレス腱断裂という大怪我を負い、長期離脱を余儀なくされた。同年9月に復帰を果たすと、J2リーグ第31節のアビスパ福岡戦で決勝点を挙げ、劇的な復帰を印象付けた。
2016年1月14日には、自動車運転中に交通事故に遭う(追突される)という出来事があったものの、幸いにも負傷はなかった。同年シーズンは出場機会こそ減少したが、同年11月6日のファジアーノ岡山戦で決めたゴールは、11月のJ2月間ベストゴール賞を受賞するほどの素晴らしいものであった。
2017年シーズン終了後、水戸ホーリーホックを退団した。
3.2. 栃木シティFC
2018年より、山村は栃木シティFC(当時の名称は栃木ウーヴァFC)に加入した。移籍初年度から主力として活躍し、同年シーズンには関東サッカーリーグ1部でベストイレブンに選出されるなど、その実力を示した。
栃木シティFCでは2024年までプレーを続け、長きにわたりチームの攻撃陣を牽引した。特に2023年には、関東サッカーリーグ1部で得点王のタイトルを獲得し、その決定力の健在ぶりを証明した。
4. 引退および指導者経歴
山村佑樹は2024年シーズンをもってプロサッカー選手としての現役を引退した。引退後は、これまでの経験を生かし、2025年から栃木シティFCのU-18コーチに就任し、若手選手の育成に携わることとなった。
5. 経歴統計
クラブパフォーマンス | リーグ | 天皇杯 | 総計 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |
日本 | |||||||||
2009 | 明治大学 | 関東大学リーグ1部 | 22 | 0 | 2 | 1 | 24 | 1 | |
2012 | 水戸 | J2 | 5 | 1 | - | - | 5 | 1 | |
2013 | 36 | 4 | 2 | 0 | 38 | 4 | |||
2014 | 10 | 2 | 0 | 0 | 10 | 2 | |||
2015 | 30 | 1 | 3 | 0 | 33 | 1 | |||
2016 | 16 | 2 | 2 | 1 | 18 | 3 | |||
2017 | 5 | 1 | 1 | 0 | 6 | 1 | |||
2018 | 栃木U / 栃木C | 関東1部 | 18 | 13 | - | - | 18 | 13 | |
2019 | 18 | 6 | 1 | 0 | 19 | 6 | |||
2020 | 7 | 3 | 0 | 0 | 7 | 3 | |||
2021 | 21 | 5 | 1 | 0 | 22 | 5 | |||
2022 | 10 | 5 | - | - | 10 | 5 | |||
2023 | 17 | 12 | 1 | 1 | 18 | 13 | |||
2024 | JFL | 4 | 1 | 0 | 0 | 4 | 1 | ||
総通算 | 197 | 56 | 13 | 3 | 210 | 62 |
- 2012年は特別指定選手として出場。
- 2012年8月5日:Jリーグ初出場・初得点 - J2第27節 vsモンテディオ山形 (ケーズデンキスタジアム水戸)
6. タイトル
6.1. クラブタイトル
- FC東京U-15 / FC東京U-15深川
- 日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会 (2003年)
- FC東京U-18
- イギョラカップ (2006年)
- サニックス杯国際ユースサッカー大会 (2007年)
- Jリーグユース選手権大会 (2007年)
- 関東プリンスリーグ (2008年)
- 日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会 (2008年)
- 明治大学体育会サッカー部
- 東京都サッカートーナメント (2009年)
- 全日本大学サッカー選手権大会 (2009年)
- 関東大学サッカーリーグ戦 (2010年)
6.2. 個人タイトル
- 関東サッカーリーグ1部 得点王 (2023年)
- 関東サッカーリーグ1部 ベストイレブン (2023年)