1. 幼少期と背景
岸田裕樹の出生地と家族構成、そしてプロ入り前の学生時代におけるサッカー経歴を詳述する。
1.1. 出生と家族
岸田裕樹は1981年6月7日、兵庫県伊丹市で生まれた。彼の兄である岸田茂樹もサッカー選手として知られている。
1.2. ユース・アマチュア時代
少年時代は地元のサッカークラブである伊丹南SCに所属し、その後、伊丹市立南中学校でプレーした。高等部からは関西学院高等部に進学し、1997年から1999年までサッカー部で活動。2000年から2003年までの大学時代は、関西学院大学サッカー部に所属し、その才能を磨いた。
2. プロクラブ経歴
プロ入り後のヴィッセル神戸、YKK AP、ファジアーノ岡山での各クラブにおける詳細な経歴を記述する。
2.1. ヴィッセル神戸
岸田裕樹は2004年にJ1のヴィッセル神戸に加入し、プロとしての第一歩を踏み出した。この最初の在籍期間では、リーグ戦での出場機会はなかったものの、Jリーグカップに1試合出場した。
その後、2007年に再びヴィッセル神戸へ復帰。2007年から2009年まで在籍し、J1リーグで通算21試合に出場した。この期間中、リーグカップでは8試合、天皇杯では3試合に出場している。
2.2. YKK AP
2005年から2006年の2年間は、JFLのYKK AP(現在のカターレ富山)でプレーした。ここではフォワードとして主力となり、2005年には28試合に出場し13得点、2006年には31試合に出場し20得点と、高い得点能力を発揮した。特に2006年にはチームのJFL年間3位に貢献し、天皇杯でも3試合に出場し2得点を記録した。
2.3. ファジアーノ岡山
ヴィッセル神戸を退団後、2010年にJ2のファジアーノ岡山FCへ移籍。ファジアーノ岡山では2シーズンにわたりプレーし、2010年にはリーグ戦で33試合に出場し5得点を挙げ、天皇杯にも1試合出場した。2011年にはリーグ戦30試合に出場し3得点を記録、天皇杯には2試合出場した。2011年シーズン終了後、ファジアーノ岡山を退団し、現役を引退した。
3. クラブ成績
シーズン | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 (出場) | リーグ戦 (得点) | 天皇杯 (出場) | 天皇杯 (得点) | リーグカップ (出場) | リーグカップ (得点) | 通算 (出場) | 通算 (得点) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
日本 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | 合計 | |||||||
2004 | 神戸 | 22 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 |
2005 | YKK AP | 9 | JFL | 28 | 13 | 0 | 0 | - | 28 | 13 | |
2006 | 31 | 20 | 3 | 2 | - | 34 | 22 | ||||
2007 | 神戸 | 16 | J1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 9 | 0 |
2008 | 神戸 | 27 | J1 | 9 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 13 | 0 |
2009 | 神戸 | 27 | J1 | 7 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 |
2010 | 岡山 | 9 | J2 | 33 | 5 | 1 | 0 | - | 34 | 5 | |
2011 | 30 | 3 | 2 | 0 | - | 32 | 3 | ||||
2012 | 関学クラブ | 14 | 関西2部 | - | |||||||
総通算 | 143 | 41 | 9 | 2 | 8 | 0 | 160 | 43 |
4. タイトル・表彰
- 2005年 JFL 新人王
5. 引退後のキャリア
プロ選手引退後、岸田裕樹はサッカー界での活動を続けている。2012年からはヴィッセル神戸のアカデミー事業本部スタッフとして、若手選手の育成に尽力している。また、2012年には関西サッカーリーグ2部に所属する関学クラブで選手として登録され、プレーを続けていた時期もある。
6. 関連項目
- ヴィッセル神戸の選手一覧
- ファジアーノ岡山の選手一覧
7. 外部リンク
- [https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=7749 Jリーグデータサイト]