1. 経歴
広野耕一は、奈良県に生まれ育ち、学生時代からゴールキーパーとしての才能を発揮した。プロ入り前はアマチュアチームでプレーしながらアルバイトをするなど、苦労を重ねてプロの道に進んだ。
1.1. 出身と背景
広野耕一は1980年4月16日に奈良県北葛城郡で生まれた。身長は181 cm、体重は76 kgで、利き足は右足である。愛称は「ヒロ」。
1.2. 学歴とユース経歴
広野は上牧町立上牧小学校でサッカーを始め、上牧まきのはスポーツ少年団に所属した。その後、上牧町立上牧中学校を経て、1996年から1998年まで奈良育英高校でプレーした。高校時代には2年次と3年次に全国高校選手権に出場し、特に3年次には大会No.1GKと評価されるほど注目を集めた。高校卒業後、1999年から2002年まで愛知学院大学に進学し、サッカー選手としての基礎を築いた。ユース時代にはU-15関西選抜やU-22東海学生選抜にも選出されている。
1.3. プロ入り前の活動
大学卒業後、広野は地元奈良県のスポーツジムでアルバイトをしながら、関西サッカーリーグに所属するアマチュアチームの高田FCでプレーを続けた。この期間もプロ入りを目指し、厳しい環境下で練習に励んだ。
2. 主な活動と実績
広野耕一は、プロ選手として名古屋グランパスと横浜FCに所属し、限られた出場機会の中で印象的な活躍を見せた。特に、重要な試合でのセーブやクリーンシートは、彼のプロとしての価値を証明するものであった。
2.1. プロキャリア
広野は、2003年4月に大学関係者の紹介で名古屋グランパスエイトのテストに合格し、プロ入りを果たした。長年、日本代表の楢﨑正剛や川島永嗣といった他のゴールキーパーの厚い壁に阻まれ、チームの第3GKとして過ごす期間が長かった。しかし、彼はその間も地道な努力を続け、与えられたチャンスを最大限に活かした。
2.1.1. 名古屋グランパス
名古屋グランパスでの広野は、主に控えゴールキーパーとしてチームを支えた。彼のプロとしての公式戦初出場は、2004年9月4日のナビスコカップ準々決勝、鹿島アントラーズ戦であった。この試合の後半44分に、GK川島永嗣の退場処分に伴い急遽出場。直後に相手のフェルナンドが蹴ったPKを見事に止め、チームの2-1での勝利に貢献した。
2007年からは名古屋に復帰。2009年シーズンには、再び重要な局面で出場機会を得た。同年7月29日のナビスコカップ準々決勝第2戦、FC東京戦(瑞穂)では、日本代表に招集されていた楢﨑と、第1戦で5失点を喫し不調に陥っていた西村弘司に代わって公式戦初先発を果たした。第1戦の5失点が響き準決勝進出は叶わなかったものの、この試合では1失点に抑え、チームは2-1で勝利を収めた。
さらに、リーグ戦でも怪我で離脱した楢﨑に代わり、2009年8月30日のアルビレックス新潟戦(瑞穂)でリーグ戦初出場を飾った。この試合では最後までゴールを許さず、1-0での完封勝利に貢献した。また、AFCチャンピオンズリーグ2009では、ノックアウトステージの3試合に出場した。しかし、準決勝第1戦のアル・イテハド戦で6失点を喫して以降、楢﨑の復帰もあり出場機会は再び減少した。広野は2009年シーズンをもって現役を引退した。
2.1.2. 横浜FC
2006年シーズンには、横浜FCへ期限付き移籍した。この期間、試合出場機会はなかったものの、チームがJ1昇格を達成する瞬間に立ち会い、その経験を共有した。これは、彼のキャリアにおいて貴重な経験となった。
2.2. 主要出場記録
広野耕一のプロキャリアにおける主要な出場記録を以下の表に示す。
| シーズン | クラブ | リーグ | リーグ戦 | 天皇杯 | リーグカップ | AFC | 合計 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2003 | 高田 | 関西 | - | - | |||||||||||||
| 2003 | 名古屋 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | ||||||
| 2004 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | - | 1 | 0 | ||||||||
| 2005 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | ||||||||
| 2006 | 横浜FC | J2 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | |||||||
| 2007 | 名古屋 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | ||||||
| 2008 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | ||||||||
| 2009 | J1 | 6 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 11 | 0 | ||||||
| J1通算 | 6 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 12 | 0 | |||||||
| J2通算 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | |||||||||
| 関西リーグ通算 | - | - | - | ||||||||||||||
| 総通算 | 6 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 12 | 0 | |||||||
2.3. 特筆すべき試合と功績
広野耕一のキャリアにおいて、特に記憶されるべき試合と功績は以下の通りである。
- 2004年 ナビスコカップ準々決勝でのPKストップ**: 2004年9月4日のナビスコカップ準々決勝、鹿島アントラーズ戦において、GK川島永嗣の退場により急遽出場。直後のPKを止めるという劇的な活躍を見せ、チームの勝利に大きく貢献した。これは彼のプロとしての公式戦初出場であり、その印象的なパフォーマンスは、長年の努力が実を結んだ瞬間であった。
- 2006年 横浜FCでのJ1昇格経験**: 期限付き移籍で所属した横浜FCでは試合出場はなかったものの、チームがJ1へ昇格するという歴史的な瞬間を経験した。これは、彼がチームの一員として、その成功を分かち合った貴重な功績である。
- 2009年 ナビスコカップ準々決勝での初先発と勝利への貢献**: 2009年7月29日のナビスコカップ準々決勝第2戦、FC東京戦で公式戦初先発を果たし、1失点に抑えてチームの2-1の勝利に貢献した。
- 2009年 J1リーグ初出場と完封勝利**: 2009年8月30日のJ1リーグ第24節、アルビレックス新潟戦でリーグ戦初出場。この試合を1-0の完封勝利で終え、チームの勝利に貢献した。
3. 指導者としての経歴
現役引退後、広野耕一は2010年から名古屋グランパスの育成普及部スクールコーチに就任し、指導者としての新たなキャリアをスタートさせた。彼は自身の経験を活かし、若手選手の育成に尽力している。
4. 関連項目
- 名古屋グランパスエイトの選手一覧
- 横浜FCの選手一覧