1. 個人情報と経歴
廣長優志の生い立ち、学歴、そしてプロサッカー選手としてのキャリア全体を網羅する。
1.1. 生い立ちと学歴
廣長優志は1975年7月25日に大阪府枚方市で生まれた。小学校1年生の時に地元の枚方FCでサッカーを始め、サッカー選手としての道を歩み始めた。その後、神奈川県の桐蔭学園高等学校に進学し、1年生からサッカー部のレギュラーとして活躍した。
1.2. プロ入り前の経歴
桐蔭学園高校在学中、廣長はサッカー選手として頭角を現した。特に2年生の時にはドイツ遠征でその才能を発揮し、ブンデスリーガの強豪クラブであるVfBシュトゥットガルトから、年俸2000.00 万 JPYにも上る獲得オファーを受けた。廣長自身はシュトゥットガルトへの入団に前向きであったが、当時の桐蔭学園高校サッカー部監督であった李国秀のもとにオファーが来ていたヴェルディ川崎への入団を決断した。
1.3. クラブキャリア
廣長優志はプロサッカー選手として複数のクラブに所属し、それぞれのチームで異なる役割を担った。
1.3.1. ヴェルディ川崎 / 東京ヴェルディ
廣長は高校卒業後の1994年にヴェルディ川崎(後に東京ヴェルディへ改称)に加入した。入団初年度から守備的ミッドフィールダーやセンターバックとして出場機会を掴み、チームの主力選手として活躍した。この年、クラブはJ1リーグとJリーグカップの二冠を達成し、廣長もその快挙に貢献した。
1999年6月、ガンバ大阪への期限付き移籍から復帰したヴェルディ川崎では、本来の守備的ポジションに加え、フォワードとしても起用された。これは小学校時代以来のストライカーとしてのプレーであり、彼の多才さを示すものであった。しかし、2001年には出場機会が減少し、新たな挑戦の場を求めることとなった。
1.3.2. ガンバ大阪
1998年から1999年途中まで、廣長は地元のクラブであるガンバ大阪へ期限付き移籍した。この期間中、彼は多くの試合に出場し、チームの重要な選手として貢献した。
1.3.3. 横浜FC
2002年、廣長はJ2リーグに所属する横浜FCへ移籍した。ここでは守備的ミッドフィールダーとして多くの試合に出場し、チームの中盤を支える役割を担った。
1.3.4. セレッソ大阪
2003年、廣長はセレッソ大阪へ移籍し、再びJ1リーグの舞台でプレーすることになった。しかし、同年秋の試合中に腓骨を骨折する大怪我を負った。この怪我は深刻で、翌2004年シーズンは公式戦に出場することなく、シーズン終了をもって現役を引退することとなった。
1.4. 代表キャリア
廣長は1996年7月にアトランタオリンピックに出場するU-23サッカー日本代表に選出された。彼はこの大会のアジア予選突破にも貢献している。
アトランタオリンピック本大会では、守備的ミッドフィールダーとして2試合に出場した。日本は2勝を挙げたものの、惜しくもグループリーグで敗退した。特に、初戦でブラジルに勝利した試合は、日本では「マイアミの奇跡」(マイアミの奇跡日本語)として語り継がれる歴史的な一戦となった。
2. プレースタイルとポジション
廣長優志は主に守備的ミッドフィールダー(ボランチ日本語)やセンターバックとしてプレーし、その堅実な守備と高い危機察知能力でチームに貢献した。ヴェルディ川崎在籍時には、全盛期の柱谷哲二や守備の要であったペレイラといった名選手たちとポジションを争いながら、ストッパーやボランチとして多くの出場機会を得た。
また、1999年にヴェルディ川崎に復帰した際には、枚方FC時代以来となるストライカーとして起用されるなど、そのキャリアを通じて複数のポジションをこなせるユーティリティ性も持ち合わせていた。
3. 個人成績
廣長優志のクラブチームおよび代表チームにおける公式戦出場記録と得点記録は以下の通りである。
クラブ成績 | リーグ | カップ | リーグカップ | 合計 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |
日本 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | 合計 | |||||||
1994 | V川崎 | J1 | 18 | 1 | 3 | 0 | 2 | 0 | 23 | 1 | |
1995 | 9 | 0 | - | 2 | 0 | 11 | 0 | ||||
1996 | 8 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 12 | 0 | |||
1997 | 18 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 24 | 0 | |||
1998 | G大阪 | J1 | 26 | 3 | 2 | 0 | 1 | 1 | 29 | 4 | |
1999 | 7 | 1 | 4 | 0 | - | 11 | 1 | ||||
V川崎 | J1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | ||
2000 | 24 | 2 | 3 | 1 | 2 | 0 | 29 | 3 | |||
2001 | 東京V | J1 | 9 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 11 | 0 | |
2002 | 横浜FC | J2 | 32 | 5 | - | 3 | 0 | 35 | 5 | ||
2003 | C大阪 | J1 | 19 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 22 | 0 | |
2004 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
J1リーグ通算 | 143 | 7 | 26 | 1 | 8 | 1 | 177 | 9 | |||
J2リーグ通算 | 32 | 5 | - | 3 | 0 | 35 | 5 | ||||
総通算 | 175 | 12 | 26 | 1 | 11 | 1 | 212 | 14 |
その他の公式戦
- 1997年スーパーカップ:1試合0得点
4. 引退後
現役引退後の廣長優志は、サッカー指導者としての新たなキャリアを築いている。
4.1. 指導歴
2004年に現役を引退した後、廣長はしばらくサッカーから離れた生活を送っていた。しかし、2009年からは地元である大阪府枚方市や京都府などで、プロサッカー選手育成を目的としたサッカースクール「Escolinha De CRAQUE(EDC)」を立ち上げた。廣長は現在、このスクールの代表兼専任コーチとして、後進の指導に尽力している。
5. エピソード
- 桐蔭学園高校時代の同級生には、後にサッカー日本代表で活躍する森岡隆三や、元プロ野球選手の高橋由伸がいる。
- ヴェルディ川崎では、チームの全盛期を支えた柱谷哲二や守備の要であったペレイラといった選手たちとポジションを争い、主にストッパーや守備的ミッドフィールダーとしてプレーした。
- 1999年にヴェルディ川崎に復帰した際には、小学校時代に所属していた枚方FC以来となるストライカーとしてプレーした経験を持つ。