1. 生涯
文正植の生涯は、選手としての輝かしいキャリアと、その後の指導者としての貢献によって特徴づけられる。
1.1. 幼少期と初期のキャリア
文正植は日本統治下朝鮮のソウルで1930年6月23日に生まれた。学生時代からサッカーに打ち込み、培材高等学校では既にその才能を開花させていた。
1.2. 選手キャリア
文正植はフォワードとして活躍し、その得点能力とリーダーシップで知られた。
1.2.1. クラブでの活動
選手として、文正植は複数の国内クラブに所属し、主要な大会で優勝を経験した。
- ROK Army HID**: 1954年に大統領杯全国サッカー大会で優勝。
- ROK Army CIC**: 1958年から1961年まで所属。1959年に全国選手権大会で優勝し、大統領杯全国サッカー大会では1959年と1961年に優勝を飾った。
- 第一毛織**: 1962年から1965年まで所属。1963年に大統領杯全国サッカー大会で優勝し、1964年には韓国実業サッカーリーグ(春季)で優勝を果たした。
1.2.2. 代表チームでの活動
1958年から1962年まで韓国代表の主力選手として活躍した。この期間に代表キャップ34試合に出場し、8得点を記録している。
- AFCアジアカップ**: 1960年AFCアジアカップでは韓国代表の一員として優勝に貢献した。
- アジア競技大会**: 1958年アジア競技大会(東京)と1962年アジア競技大会(ジャカルタ)のサッカー競技で連続して銀メダルを獲得した。
- FIFAワールドカップ予選**: 1962 FIFAワールドカップ・アジア予選の4試合に出場した。
1.3. 監督キャリア
選手引退後、文正植は指導者の道に進み、国内外の様々なクラブや代表チームで監督を務め、多くの成功を収めた。
1.3.1. クラブ監督としての活動
- 韓国自動車保険**: 1973年から1981年まで監督を務め、1976年に大統領杯全国サッカー大会で優勝、1978年と1980年には韓国実業サッカーリーグ(秋季)で優勝に導いた。
- 現代ホランイ(現蔚山現代FC)**: 1984年から1986年まで初代監督を務めた。
- 大分FC(現大分トリニータ)**: 1994年に監督に就任し、1995年九州サッカーリーグで優勝。同年には全国地域サッカーリーグ決勝大会で準優勝し、チームをJFL昇格へと導いた。1996年シーズン終了後、健康上の理由により退任した。
1.3.2. 代表チーム監督としての活動
- 韓国男子代表**: 1973年、1976年、そして1984年から1985年にかけて監督を務めた。
- 韓国女子代表**: 1991年から1992年にかけて監督を務め、女子サッカーの育成にも貢献した。
2. 主な業績と受賞
文正植は選手および監督として数々のタイトルを獲得し、個人賞も受賞した。
2.1. 選手部門
2.1.1. クラブでの受賞
クラブ | 大会 | 年 |
---|---|---|
ROK Army HID | 大統領杯全国サッカー大会 | 1954 |
ROK Army CIC | 全国選手権大会 | 1959 |
ROK Army CIC | 大統領杯全国サッカー大会 | 1959, 1961 |
第一毛織 | 韓国実業サッカーリーグ(春季) | 1964 |
第一毛織 | 大統領杯全国サッカー大会 | 1963 |
2.1.2. 国際大会での受賞
代表チーム | 大会 | 成績 | 年 |
---|---|---|---|
韓国代表 | AFCアジアカップ | 優勝 | 1960 |
韓国代表 | アジア競技大会 | 銀メダル | 1958, 1962 |
2.1.3. 個人受賞
- KASA最優秀韓国サッカー選手: 1960
2.2. 監督部門
2.2.1. クラブでの受賞
クラブ | 大会 | 年 |
---|---|---|
韓国自動車保険 | 韓国実業サッカーリーグ(秋季) | 1978, 1980 |
韓国自動車保険 | 大統領杯全国サッカー大会 | 1976 |
大分FC | 九州サッカーリーグ | 1995 |
2.2.2. 個人受賞
- 韓国実業サッカーリーグ(秋季)最優秀監督: 1978
- 大統領杯全国サッカー大会最優秀監督: 1976
3. 引退後の活動と逝去
3.1. 引退後の活動
大分FCの監督を退任し韓国に帰国した後、文正植は大韓サッカー協会の副会長を務めるなど、サッカー界の要職に就き、韓国サッカーの発展に尽力した。また、1997年1月には、大分FCで果たした功績に対して別府市より感謝状が贈られた。
3.2. 逝去
文正植は2006年12月25日にソウルで逝去した。享年76歳。彼の死は、長きにわたり韓国サッカー界に貢献した偉大な人物の喪失として惜しまれた。
4. 評価と影響
4.1. 韓国サッカー界への貢献
文正植は、選手として韓国代表の黄金期を支え、AFCアジアカップ優勝やアジア競技大会銀メダル獲得に貢献した。その卓越した技術とリーダーシップは、多くの後輩選手に影響を与えた。
監督としては、韓国自動車保険や蔚山現代といった国内クラブでチームを成功に導き、特に蔚山現代では初代監督としてクラブの基礎を築いた。また、男子代表と女子代表の両方で監督を務め、それぞれの代表チームの強化に貢献した。特に女子サッカーの発展にも尽力し、その基盤作りに貢献したことは特筆される。
さらに、日本の大分FCの監督として、チームをJFL昇格に導くなど、国際的な舞台でも手腕を発揮した。これは、韓国人指導者が他国のリーグで成功を収めた初期の例であり、日韓サッカー交流においても重要な役割を果たした。監督業引退後も大韓サッカー協会副会長として、行政面から韓国サッカーの発展に寄与し、その生涯を通じて多方面から韓国サッカー界に貢献した人物として高く評価されている。