1. 生涯とユースキャリア
昌子源は、幼少期からプロ選手になるまで、様々な経験を通じてサッカー選手としての基礎と技術を培ってきた。
1.1. 幼少期およびサッカー開始
昌子源は1992年12月11日に兵庫県神戸市北区で生まれた。彼が2歳の時、故郷の神戸市で阪神・淡路大震災が発生した。昌子は当時を振り返り「父や母から話を聞き、自分なりにも調べた。忘れてはならない」と語っている。
2歳の頃からサッカーを始め、当初はフォワードとしてプレーしていた。小学4年生の時には、6年生との試合でのパフォーマンスが評価され、地元のユースクラブであるフレスカ神戸U-12に加入し、本格的にサッカーの道を歩み始めた。
1.2. ユース代表チームでのキャリア
中学生になると、ガンバ大阪ジュニアユースに入団。当時のチームメイトには後の日本代表選手となる宇佐美貴史や大森晃太郎らがいた。中学1年生の間は彼らと共にプレーしたが、中学2年生になる頃に膝を負傷し、満足にプレーできない日々が続いた。この怪我により、中学3年生の途中でG大阪ジュニアユースを退団し、一時サッカーから離れる空白期間があった。
その後、昌子の父がJFAのB級ライセンス受講者を対象としたインストラクターを務めていた縁で、進路が決まっていなかった昌子に米子北高等学校サッカー部コーチの中村真吾が練習参加を提案。当初サッカーを続ける意思はなかったものの、練習参加がきっかけとなり米子北高校へ進学し、新たなスタートを切った。高校3年生に上がる頃にはU-19日本代表候補に招集され、神戸合宿に参加。ヴィッセル神戸との練習試合に出場するも、目立った活躍を見せられず、この時は代表候補から落選した。
1.3. ポジション変更と成長
米子北高校入学後、昌子は大型フォワードとして期待されていたが、試合に出られない日々が続いていた。高校1年生の夏、JFLのガイナーレ鳥取との練習試合中、味方ディフェンダーが負傷した際に、当時の監督であった城市から急遽センターバックへのコンバートを命じられた。
当初、昌子はこのポジション変更に強い不満を抱いていた。「最初は本当に嫌だった。FWをやらせてくれよとずっと思っていた。でも、監督やコーチからは『絶対にFWはやらせない』と言われて、高校2年にあがる時には、CBを真剣にやらないと試合に出られなくなると思って、取り組むようになった」と当時の心境を語っている。この心境の変化を機に、昌子は次第にレギュラーとして定着し、経験を積むごとにセンターバックとしての才能を開花させていった。自身の武器であったフィジカルとキックにさらに磨きをかけ、後のプロキャリアを支える守備者としての基盤を築き上げた。
2. クラブキャリア
昌子源は、これまでのキャリアで複数のプロサッカークラブに所属し、それぞれのチームで重要な役割を果たしてきた。
2.1. 鹿島アントラーズ (2011年-2018年)
2011年、昌子は柴崎岳、梅鉢貴秀、土居聖真らと共に鹿島アントラーズに入団した。ルーキーシーズンは、当時の主力ディフェンダーであった岩政大樹、青木剛、伊野波雅彦らとの競争が激しく、出場機会は限られた。しかし、同年10月12日の天皇杯2回戦・対筑波大学戦で鹿島アントラーズでの公式戦デビューを果たした。
2012年シーズンも主力との競争が続いたが、同年11月3日に開催されたJリーグカップ決勝の対清水エスパルス戦で左サイドバックとして先発出場し、チームの2-1での勝利に貢献、自身キャリア初のタイトルを獲得した。このシーズン、公式戦18試合に出場し1得点を記録した。
2013年シーズンは、前年同様に出場機会が限定され、さらに6月にはトレーニング中に半月板を損傷し、約4ヶ月の長期離脱を余儀なくされたため、シーズンを通してわずか5試合の出場にとどまった。
2014年シーズンは、開幕戦の対ヴァンフォーレ甲府戦で先発出場し、ヘディングでシーズン初得点を記録。この試合でチームは4-0と快勝した。このシーズンは自身初のJリーグ全試合出場を果たし、センターバックとしてのポジションを確固たるものにした。シーズンを通して公式戦40試合に出場し2得点を記録し、この年のJリーグ優秀選手賞に選出された。
2015年シーズンにはAFCチャンピオンズリーグデビューを飾った。しかし、この年の3月には左手を骨折し、一時戦線離脱を強いられた。3月22日の対名古屋グランパス戦で復帰してからは、再びチームの主力として定着。Jリーグカップ決勝では、相手チームの強力なフォワードであるパトリックを封じ込めるなど、チームの優勝に大きく貢献した。このシーズンは公式戦38試合に出場し3得点を記録した。
2016年シーズン、鹿島アントラーズはJ1のファーストステージで優勝を果たし、昌子もその中心選手として貢献した。この頃、クラブとの契約を更新している。同年12月3日のJリーグチャンピオンシップ決勝では、浦和レッドダイヤモンズを破りJ1年間優勝を達成。昌子はディフェンスラインを統率し、チームの勝利に貢献した。開催国代表として出場したFIFAクラブワールドカップでは、レアル・マドリードとの決勝戦で世界屈指の攻撃陣を相手に堂々たるプレーを見せ、チームの準優勝に貢献。昌子と植田直通のセンターバックコンビは国内外のメディアから高く評価された。さらに、この年チームは天皇杯も制し、国内二冠を達成した。シーズンを通して公式戦45試合に出場し2得点を記録し、この年のJリーグベストイレブンに初選出された。
2017年シーズンは、開幕戦のFUJI XEROX SUPER CUPで浦和レッズを破り、チームはタイトルを獲得。4月30日の対サガン鳥栖戦では、PKを与えてしまったものの、その後決勝点となる得点を挙げ、カシマサッカースタジアムでの公式戦通算800得点目を決めた。このシーズン中、ヴェルダー・ブレーメンからの関心が報じられたが、昌子は「興味で終わるかもしれない」とコメントし、鹿島でのプレーを続けた。同年5月14日の対ヴィッセル神戸戦で初めてキャプテンマークを巻き、その後もシーズン中に複数回主将を務めた。天皇杯準々決勝の対ヴィッセル神戸戦では、延長戦の末1-1でPK戦にもつれ込み、自身はPKを成功させたものの、チームはPK戦の末に敗退した。J1リーグでは最終的に川崎フロンターレに次ぐ2位に終わった。このシーズンも公式戦46試合に出場し2得点を記録し、2年連続でJリーグベストイレブンに選出された。昌子はこのシーズン終了後、「優勝に導ける選手になりたい」とコメントし、来季への決意を語った。

2018年シーズンは、鹿島アントラーズの主将としてチームを牽引した。開幕2試合でクリーンシートに貢献したが、その後ふくらはぎの負傷で2試合を欠場。復帰直後の対川崎フロンターレ戦では退場処分を受けた。2018 FIFAワールドカップでの活躍により、夏には欧州クラブから巨額のオファーが寄せられたが、昌子は鹿島でAFCチャンピオンズリーグ優勝を目指すことを目標に、これらのオファーを断って残留した。しかし、7月25日の対セレッソ大阪戦で左足首を負傷し、約3ヶ月の長期離脱を余儀なくされた。10月14日のJリーグカップ準決勝2ndレグで復帰するも、チームは敗退した。10月24日のAFCチャンピオンズリーグ準決勝2ndレグ、対水原三星ブルーウィングス戦では主将としてチームを率い、合計スコア3-3(アウェイゴール差)でクラブ史上初のACL決勝進出に貢献。11月10日のACL決勝2ndレグ、対ペルセポリスFC戦では主将としてチームを率い、合計スコア2-0で勝利し、クラブ初のACLタイトル獲得を果たした。この試合後、大岩剛監督から「お前を主将にして良かった」と声をかけられたという。11月24日の対ベガルタ仙台戦でシーズン初得点を記録。同年開催されたFIFAクラブワールドカップでは2試合に出場したが、チームは4位に終わった。このシーズン、公式戦30試合に出場し1得点を記録した。
2.2. トゥールーズFC (2019年-2020年)
2018年11月、鹿島アントラーズからの移籍の噂が報じられ、リーグ・アンのトゥールーズFCが昌子の獲得に興味を示しているとされた。そして、2018年12月29日、昌子はトゥールーズFCへ完全移籍することが発表された。移籍金は€300.00 万 EURで、3年契約を締結し、クラブ史上初の日本人選手となった。トゥールーズ加入に際し、昌子は「トゥールーズでベストを尽くし、できるだけ早くフランス語を学ぶ」と語った。
2019年1月19日、対ニーム・オリンピック戦で先発フル出場し、クリーンシートでの1-0勝利に貢献し、トゥールーズでのデビューを飾った。続く対アンジェSCO戦でもクリーンシートを達成し、0-0の引き分けに終わった。加入後、昌子はセンターバックとしてすぐにレギュラーに定着した。アラン・カサノヴァ監督は昌子の獲得を「非常に良い補強」と評価しつつも、さらなる成長を期待した。昌子はチームの残留に貢献し、2018-19シーズンは公式戦20試合に出場した。
しかし、2019-20シーズンは困難なものとなった。プレシーズンマッチの対ノリッジ・シティ戦でハムストリングを負傷し、約1ヶ月の離脱。9月25日の対アンジェSCO戦で復帰し、シーズン初のリーグ戦先発出場を果たしたが、右足首を捻挫しわずか45分で途中交代した。これがこのシーズン唯一の出場となった。当初は3週間程度の離脱とされていたが、負傷は長引き、結局シーズンを通してトゥールーズでプレーすることはなかった。この長期離脱の背景には、現地のメディカルスタッフとのコミュニケーション不足があったと後に昌子自身が語っている。昌子はフランスでの生活に馴染めず、クラブを離れたいという意向を示した。2020年1月下旬には、トゥールーズがガンバ大阪からの獲得オファーを受け入れたと報じられた。彼は後に「トゥールーズでは道に迷っていたが、去るのは難しい決断だった」とコメントしている。
2.3. ガンバ大阪 (2020年-2022年)
2020年2月4日、ガンバ大阪は昌子源を完全移籍で獲得したことを発表した。報道によると、移籍金は€85.00 万 EURで、5年契約を締結したとされる。ガンバ大阪は昌子がジュニアユース時代を過ごしたクラブであり、復帰に際して昌子は「ガンバ大阪に戻ってきました。ジュニアユースでお世話になり、その後は違うチームでライバルとして戦ってきましたが、今回戻ってこられることを感謝しています。ここで結果を残すことだけを考えていますし、チームを優勝に導く、引っ張っていくということをやりに来たので、それができるように精一杯頑張ります」とコメントし、古巣への貢献を誓った。
しかし、ガンバ大阪加入後も昌子は足首の負傷からの回復に時間を要し、最初の5ヶ月間は出場できなかった。幸いにも、COVID-19パンデミックによるリーグ戦中断が回復のための追加時間となり、7月にシーズンが再開されるまでリハビリに専念することができた。怪我から回復した昌子は、2020年8月5日のルヴァンカップの対大分トリニータ戦でガンバ大阪デビューを果たし、フル出場で2-1の勝利に貢献した。8月8日のJ1リーグ・対横浜FC戦でリーグ戦デビューを果たしてからは、すぐに主力センターバックとして定着し、約2ヶ月間安定したパフォーマンスを見せた。
10月14日の対横浜F・マリノス戦では、試合中に足首を負傷するも、そのままプレーを続けた。試合は1-1の引き分けに終わり、昌子はその後約1ヶ月間の離脱を余儀なくされた。負傷離脱中であったが、この年の10月にはJリーグの月間ベストディフェンシブプレーヤーに選出された。11月14日の対ベガルタ仙台戦で復帰し、チームは4-0で敗れたものの、その後ガンバ大阪はJ1リーグで2位という好成績でシーズンを終えた。この2020年シーズン、昌子は公式戦19試合に出場した。
2022年、ワールドカップイヤーにもかかわらず、昌子は日本代表に招集されなかった。このシーズン、5月21日のセレッソ大阪との大阪ダービーでは、チームメイトのレアンドロ・ペレイラとピッチ上で口論となり、試合を中断させてしまう場面があった。試合は1-3で敗戦し、シュート2本、後半はシュート0本と、内容・スコアともに完敗を喫した。試合後には、一部のガンバ大阪サポーターグループがスタンド前方で選手に対して威嚇行為や侮辱行為を行い、物が投げつけられ負傷者が出るといった問題が発生した。クラブは違反行為を行ったサポーターグループのメンバー全員を無期限入場禁止とするなどの処分を下し、クラブの管理問題に巻き込まれる形となった。
2.4. 鹿島アントラーズ復帰 (2023年)
2022年12月8日、昌子は鹿島アントラーズへ完全移籍で復帰することが発表された。5年ぶりの古巣復帰となった2023年シーズンは、開幕前の負傷で出遅れた上、若手の関川郁万がレギュラーとして台頭したため、出場機会が限られた。J1リーグでは21試合に出場したが、プレータイムはわずか644分にとどまった。
2.5. FC町田ゼルビア (2024年-)
2023年12月25日、昌子源はFC町田ゼルビアへ完全移籍することが発表された。現在もFC町田ゼルビアに所属し、チームに貢献している。
3. 日本代表キャリア
昌子源は、世代別代表から成人代表まで、日本代表として数々の国際舞台で活躍してきた。
3.1. 成人代表チームでのデビュー
2014年10月1日、昌子はハビエル・アギーレ監督によって初めて日本代表に選出された。しかし、発表直後の10月5日のJ1リーグ・対ガンバ大阪戦で負傷し、代表招集を辞退せざるを得なくなった。その2ヶ月後、AFCアジアカップ2015(オーストラリア開催)の代表メンバーに選出されたが、大会期間中は出場機会がなく、ベンチで過ごした。
2015年3月31日、JALチャレンジカップの対ウズベキスタン代表戦で先発フル出場を果たし、5-1の勝利に貢献。この試合が昌子の日本代表デビュー戦となった。さらに、1年後の2016年6月3日の対ブルガリア代表戦では、84分に途中出場し、7-2の大勝に貢献した。
3.2. 主要国際大会での活躍
2017年12月、昌子は自国開催のEAFF E-1サッカー選手権2017に招集された。12月9日の対朝鮮民主主義人民共和国代表戦では、自身初めて日本代表の主将を務め、1-0の勝利に貢献した。続く12月12日の対中国代表戦では、代表初得点となる決勝ゴールを挙げ、2-1の勝利を導いた。しかし、最終戦の対韓国代表戦では1-4で大敗を喫し、韓国が優勝を飾った。試合後、昌子は敗戦を振り返り、「今日は韓国が素晴らしかった。我々が学ぶべきことがたくさんあった。もちろんデュエルやボール奪取もそうだが、ブロックを組むのが速かった。今日は曖昧だった。情けない試合だった」と語った。
2018年5月、昌子は2018 FIFAワールドカップに向けた日本代表の予備登録メンバーに選出され、最終的に23人の本大会メンバーに選ばれた。W杯初戦の対コロンビア代表戦で先発フル出場し、チームの2-1の勝利に貢献した。これは、アジア勢としてワールドカップ史上初の南米勢に対する勝利であった。昌子はその後もW杯で2試合に先発出場したが、決勝トーナメント1回戦でベルギー代表に2-3で惜敗し、大会を終えた。大会直後、米スポーツメディアのフォックス・スポーツは、昌子をW杯アジアベストイレブンに選出した。
W杯後、昌子は一時代表から遠ざかっていたが、2019年3月の対コロンビア代表戦で代表復帰を果たし、この試合は0-1で敗れた。3ヶ月後の同年6月には、対トリニダード・トバゴ代表戦と対エルサルバドル代表戦の2試合に連続で先発出場し、エルサルバドル戦では主将を務めるなど、2試合連続でクリーンシートに貢献した。
4. プレースタイル
昌子源は、強靭なフィジカルと高い守備能力を兼ね備えたセンターバックである。足元の技術も高く、スピードを活かした広範囲のカバーリングと的確なポジショニングに長けている。
特に、キャリアを重ねるごとに1対1の対人守備の強さ、激しさ、そして泥臭さが大きく向上した。その代表例として、2015年のJリーグカップ決勝では、当時のガンバ大阪の強力なフォワードであるパトリックを空中戦、地上戦ともに完璧に封じ込めたパフォーマンスは高く評価された。
また、ヘディングの強さも彼の大きな武器である。高校時代には元日本代表ディフェンダーの秋田豊や、鹿島アントラーズの練習参加時には岩政大樹から直接指導を受けるなど、ヘディング技術には並々ならぬ自信を持っている。
さらに、昌子の特徴として、ロングキックの質の高さが挙げられる。安定した正確なフィードは、守備から攻撃への素早い切り替えにおいて重要な役割を果たす。高い跳躍力を活かした空中戦の強さ、そして広い守備範囲も彼の特長であり、現代サッカーにおいて求められる多角的なディフェンス能力を兼ね備えた選手と言える。
5. 個人生活
昌子源の家族関係や趣味など、公に知られている個人的な側面は以下の通りである。
昌子の父は姫路獨協大学サッカー部総監督を務める昌子力で、兵庫県サッカー協会の技術委員長も兼任している。また、彼の姉である昌子楓は、現在は実業家としても活動している。
昌子は2016年10月に一般女性と結婚し、2017年1月にその事実を発表した。私生活では、映画鑑賞が趣味であると公言しており、それがストレス解消になっていると語っている。好きな言葉は「いいときはみんなのおかげ」。
6. タイトルと栄誉
昌子源は、そのキャリアを通じて数多くのクラブタイトルを獲得し、個人としても栄誉に輝いている。
6.1. クラブ
- Jリーグカップ: 2011年、2012年、2015年(鹿島アントラーズ)
- スルガ銀行チャンピオンシップ: 2012年、2013年(鹿島アントラーズ)
- J1リーグ: 2016年(鹿島アントラーズ)
- J1・1stステージ: 2016年(鹿島アントラーズ)
- 天皇杯: 2016年(鹿島アントラーズ)
- FUJI XEROX SUPER CUP: 2017年(鹿島アントラーズ)
- AFCチャンピオンズリーグ: 2018年(鹿島アントラーズ)
6.2. 個人
- J1リーグベストイレブン: 2016年、2017年
- J1リーグ優秀選手賞: 2014年、2016年、2017年、2024年
- J1リーグMYアウォーズ ベストイレブン: 2016年
- 2018 FIFAワールドカップ アジアベストイレブン (Fox Sports選出)
7. 統計
7.1. クラブ
クラブ | シーズン | リーグ | ナショナルカップ | リーグカップ | 大陸別大会 | その他 (Jリーグチャンピオンシップ、FUJI XEROX SUPER CUP、FIFAクラブワールドカップ、スルガ銀行チャンピオンシップ) | 合計 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |||
鹿島アントラーズ | 2011 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 2 | 0 | ||
2012 | 9 | 0 | 4 | 1 | 5 | 0 | - | - | 18 | 1 | ||||
2013 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | - | 0 | 0 | 5 | 0 | |||
2014 | 34 | 2 | 0 | 0 | 6 | 0 | - | 0 | 0 | 40 | 2 | |||
2015 | 29 | 3 | 0 | 0 | 4 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 38 | 3 | ||
2016 | 34 | 1 | 4 | 0 | 2 | 1 | - | 5 | 0 | 45 | 2 | |||
2017 | 34 | 1 | 2 | 1 | 1 | 0 | 8 | 0 | 1 | 0 | 46 | 2 | ||
2018 | 16 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 9 | 0 | 2 | 0 | 30 | 1 | ||
小計 | 160 | 8 | 14 | 2 | 20 | 1 | 22 | 0 | 8 | 0 | 224 | 11 | ||
トゥールーズFC | 2018-19 | 18 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | - | - | 20 | 0 | |||
2019-20 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | 1 | 0 | ||||
小計 | 19 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 21 | 0 | ||
ガンバ大阪 | 2020 | 18 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | - | - | 19 | 0 | |||
2021 | 28 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 34 | 0 | ||
2022 | 25 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | - | - | 28 | 0 | ||||
小計 | 71 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 81 | 0 | ||
鹿島アントラーズ | 2023 | 21 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | - | - | 27 | 0 | |||
FC町田ゼルビア | 2024 | 33 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | - | - | 37 | 2 | |||
キャリア通算 | 304 | 9 | 24 | 3 | 27 | 1 | 27 | 0 | 8 | 0 | 390 | 13 |
7.2. 日本代表チーム
日本代表 | 年 | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
日本 | 2015 | 1 | 0 |
2016 | 1 | 0 | |
2017 | 8 | 1 | |
2018 | 5 | 0 | |
2019 | 3 | 0 | |
2021 | 2 | 0 | |
合計 | 20 | 1 |
:得点と結果は日本のゴール数を先に示す。
No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦国 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2017年12月12日 | 東京都調布市 | 味の素スタジアム | 中国ちゅうごく中国語 | 2-0 | 2-1 | EAFF E-1サッカー選手権2017 |
8. 関連項目
- 兵庫県出身の人物一覧
- 鹿島アントラーズの選手一覧
- ガンバ大阪の選手一覧
- FC町田ゼルビアの選手一覧
- サッカー日本代表出場選手