1. 個人情報
1.1. 出生と背景
杉浦恭平は、Kyohei Sugiura英語、스기우라 쿄헤이スギウラ・キョウヘイ韓国語として知られ、1989年1月11日に静岡県浜松市で生まれた日本国籍のプロサッカー選手である。愛称は「きょんぺー」。身長は177 cm、体重は70 kgで、血液型はA型。利き足は右足である。現在の所属クラブはツエーゲン金沢で、背番号は11を背負っている。
1.2. 学歴
杉浦は静岡学園高等学校でサッカーを学び、後のプロキャリアの基盤を築いた。高校時代には國吉貴博と共にプレーし、チームの主力として活躍。特に背番号10を背負って出場した第85回全国高等学校サッカー選手権大会では、チームをベスト8に導くなど、その才能を全国に示した。
2. 選手経歴
2.1. 初期キャリア
高校時代に第85回全国高等学校サッカー選手権大会で8強入りを果たすなど、その才能が高く評価された杉浦恭平は、2007年に川崎フロンターレに加入し、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせた。
2.2. クラブ経歴
杉浦恭平は、これまでのキャリアで複数のJリーグクラブに所属し、それぞれのチームで異なる役割を担ってきた。
2.2.1. 川崎フロンターレ
2007年に川崎フロンターレに加入。Jリーグでの初出場は2008年3月30日、J1リーグ第3節のジェフユナイテッド市原・千葉戦(等々力陸上競技場)であった。しかし、川崎フロンターレでの出場機会は限られており、2008年にリーグ戦1試合、2009年に天皇杯1試合の出場に留まった。2010年からは愛媛FCへ期限付き移籍し、経験を積んだ後、2012年に川崎に復帰したが、この年も天皇杯1試合の出場に留まり、翌2013年にはヴィッセル神戸へ期限付き移籍することとなった。
2.2.2. 愛媛FC
2010年、出場機会を求めて川崎フロンターレから愛媛FCへ期限付き移籍した。この移籍が杉浦のキャリアにおいて転機となり、2010年にはリーグ戦35試合に出場し3得点を記録、チーム最多タイの出場数を誇った。Jリーグでの初ゴールは、2010年4月29日のJ2リーグ第9節、アビスパ福岡戦(ニンジニアスタジアム)で記録された。2011年も期限付き移籍期間を延長して愛媛FCに在籍し、背番号10を背負って25試合に出場し2得点を挙げた。
2.2.3. ヴィッセル神戸
2013年、川崎フロンターレからヴィッセル神戸へ期限付き移籍。安達亮監督からの信頼を得て、J2リーグ戦で25試合に出場し4得点を記録するなど、チームの主力として活躍した。この活躍が評価され、2014年にはヴィッセル神戸へ完全移籍したが、この年は前年とは打って変わってリーグ戦での出場は5試合に留まり、出場機会が減少した。
2.2.4. ベガルタ仙台
2015年、さらなる出場機会を求めてヴィッセル神戸からベガルタ仙台へ完全移籍した。リーグ開幕戦で移籍後初出場を飾ったものの、その後は出場機会に恵まれず、2015年はリーグ戦3試合、2016年はリーグ戦1試合の出場に留まり、出場試合数を減らす結果となった。
2.2.5. ツエーゲン金沢
2017年より、J2リーグのツエーゲン金沢へ完全移籍した。ツエーゲン金沢では主力選手として定着し、長年にわたりチームに貢献している。2017年には37試合出場2得点、2018年には39試合出場3得点を記録するなど、移籍初年度から安定した出場を続けている。特に2020年には41試合出場8得点、2023年には39試合出場9得点とキャリアハイの成績を収め、チームの攻撃を牽引した。2024年からはJ3リーグでプレーしており、この年も35試合出場5得点とチームの重要な選手として活躍している。
2.3. 代表歴
杉浦恭平は、各年代の日本代表チームに選出され、国際舞台での経験も積んでいる。2007年にはU-18日本代表に選出され、SBSカップ国際ユースサッカー大会に参加した。
3. 通算成績
3.1. クラブ別成績
クラブ成績 | リーグ | カップ | リーグカップ | アジア | 合計 | ||||||||
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シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |
日本 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | アジア | 合計 | ||||||||
2007 | 川崎 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
2008 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 1 | 0 | ||||
2009 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | |||
2010 | 愛媛 | J2 | 35 | 3 | 0 | 0 | - | - | 35 | 3 | |||
2011 | 25 | 2 | 1 | 0 | - | - | 26 | 2 | |||||
2012 | 川崎 | J1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | - | 1 | 0 | ||
2013 | 神戸 | J2 | 25 | 4 | 1 | 0 | - | - | 26 | 4 | |||
2014 | J1 | 5 | 0 | 1 | 0 | 6 | 1 | - | 12 | 1 | |||
2015 | 仙台 | 3 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | - | 8 | 0 | |||
2016 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | - | 4 | 0 | ||||
2017 | 金沢 | J2 | 37 | 2 | 2 | 0 | - | - | 39 | 2 | |||
2018 | 39 | 3 | 2 | 0 | - | - | 41 | 3 | |||||
2019 | 24 | 5 | 2 | 0 | - | - | 26 | 5 | |||||
2020 | 41 | 8 | - | - | - | 41 | 8 | ||||||
2021 | 39 | 2 | 1 | 0 | - | - | 40 | 2 | |||||
2022 | 37 | 7 | 1 | 0 | - | - | 38 | 7 | |||||
2023 | 39 | 9 | 1 | 0 | - | - | 40 | 9 | |||||
2024 | J3 | 35 | 5 | 1 | 0 | 1 | 0 | - | 37 | 5 | |||
2025 | |||||||||||||
J1通算 | 10 | 0 | 4 | 0 | 13 | 1 | 0 | 0 | 27 | 1 | |||
J2通算 | 341 | 45 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 352 | 47 | |||
J3通算 | 35 | 5 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 37 | 5 | |||
総通算 | 386 | 50 | 16 | 0 | 14 | 1 | 0 | 0 | 416 | 53 |
3.2. 個人記録
杉浦恭平が達成した特筆すべき個人記録は以下の通りである。
- Jリーグ初出場: 2008年3月30日 J1第3節 対 ジェフユナイテッド市原・千葉戦(等々力陸上競技場)
- Jリーグ初ゴール: 2010年4月29日 J2第9節 対 アビスパ福岡戦(ニンジニアスタジアム)
- 令和初ゴール: 2019年5月3日、J2リーグ第12節のアビスパ福岡戦において、ツエーゲン金沢の選手として、全カテゴリーを通してJリーグの主幹試合における令和初の得点を記録した。
4. 個人史とエピソード
4.1. 出来事・逸話
杉浦恭平のキャリアには、いくつかの注目すべき出来事やエピソードがある。
- 怪我とドーピング誤認定の件**: 2007年5月、杉浦は上顎骨骨折と三叉神経麻痺という重傷を負い、即座の手術が必要な状態であった。しかし、当時我那覇和樹選手が経験したのと同様に、治療のための薬物が誤ってドーピング違反と認定される可能性があったため、Jリーグから要求されたTUE(治療目的使用に係る除外措置)の許可が下りるまで手術開始を延期せざるを得ない状況に置かれた。杉浦の潔白は後に証明されたが、この一件はスポーツ界におけるドーピング検査の運用と選手の権利保護の重要性を示す事例となった。
- 結婚**: 2012年1月11日、自身の誕生日に入籍した。