1. 経歴
桒田慎一朗は、幼少期からプロサッカー選手としてのキャリアを積み、引退後は指導者としてサッカーに携わっている。その経歴は、ユース時代での輝かしい成績、プロリーグでの活躍、そして度重なる負傷からの復帰という挑戦的な道のりを含んでいる。
1.1. 幼少期とユース時代
桒田慎一朗は1986年12月6日に広島県福山市奈良津町で生まれた。サッカーは地元の沼隈郡沼隈町(現・福山市)にある、ツネイシ・スポーツアクトが運営するFCバイエルン・ツネイシで始めた。彼が在籍していた当時、このスクールはサンフレッチェ広島と提携しており、「サンフレッチェみろくの里ジュニアユース」という名称であった。当初はFWとして活躍し、2期上には寄井憲がいた。
2002年、サンフレッチェ広島ユースに昇格。同期には前田俊介、佐藤昭大、髙萩洋次郎、髙柳一誠、森脇良太、藤井大輔、大屋翼、冨成慎司らがいた。ユース昇格後、FWからトップ下やボランチにコンバートされ、より多様な役割をこなせるようになった。2003年の2年次には試合経験を積んで急成長を遂げ、2004年の3年次にはトップ下としてチームの中心選手として活躍した。特にJFAプリンスリーグU-18中国ではMVPを獲得するほどの才能を見せた。同年にはユース年代の主要3大会すべてで決勝に進出し、そのうち2大会で優勝を果たすなど、チームの成功に大きく貢献した。
1.2. プロクラブキャリア
桒田は、サンフレッチェ広島でプロデビューを果たした後、ファジアーノ岡山、そしてタイのナコーンラーチャシーマーFCへと移籍し、プロサッカー選手としてのキャリアを築いた。
1.2.1. サンフレッチェ広島
2005年、桒田は広島県立吉田高等学校を卒業後、サンフレッチェ広島のトップチームに昇格した。彼はFCバイエルン・ツネイシから初のトップ昇格選手であり、同期にはユース時代からのチームメイトである前田、佐藤、髙柳、森脇のほか、入船和真、中尾真那、西河翔吾らがいた。同年にはナビスコカップでプロ初ゴールを記録するなど、順調なスタートを切った。
しかし、小野剛や望月一頼が監督を務めていた時期には、ほぼ毎試合ベンチ入りを果たしたものの、度重なる負傷によりなかなか試合出場機会を得ることができなかった。2006年のシーズン終盤には、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督にそのユーティリティー性が高く評価され、本来のミッドフィールダーだけでなくフォワードとしても出場する機会を得た。2008年にはXEROX SUPER CUPに先発出場し、同年10月にはJリーグでの初ゴールも記録した。
2009年シーズンでの更なる活躍が期待されていたが、リーグ戦開幕前の3月5日の練習中に左膝の前十字靭帯を断裂し、さらに内側側副靭帯も損傷する重傷を負い、長期離脱を余儀なくされた。復帰後もトップ下として試合に出場する機会はあったものの、負傷の影響もあり、なかなかチャンスをものにできず、2010年末にはチームの構想外となった。
1.2.2. ファジアーノ岡山
2011年、桒田はストヤノフと共にJ2リーグのファジアーノ岡山へ完全移籍した。岡山では主力選手としての活躍が期待されていたが、リーグ戦開幕前の2月21日の練習中に右膝の前十字靭帯を損傷し、再び長期離脱を強いられた。
この負傷からの復帰後は、主力選手としてチームに貢献する活躍を見せたものの、2013年シーズン終了後に契約満了によりファジアーノ岡山を退団することになった。
1.2.3. ナコーンラーチャシーマー
2014年、桒田は海外移籍を決断し、タイ・ディヴィジョン1リーグ(当時のタイ2部リーグ)に所属するナコーンラーチャシーマーFCへ移籍した。初の海外挑戦となったが、同クラブには1年間のみ在籍し、シーズン終了後に退団した。
1.3. ユース代表キャリア
桒田慎一朗は、ユース年代で日本の国家代表に選出され、国際大会での経験も積んでいる。
2005年にはU-20日本代表に選出され、ベトナム遠征で行われたAgri Bank Cupに参加した。
2007年にはU-22日本選抜の一員としてカタール国際ユーストーナメントに出場した。
2. プレースタイルとポジション
桒田慎一朗は、主にミッドフィールダーとしてプレーし、攻撃的なトップ下や守備的なボランチといった多様なポジションをこなせるユーティリティープレイヤーであった。また、FWとしても起用されるなど、攻撃面での貢献も期待された。利き足は右足である。
3. クラブ成績
桒田慎一朗のプロクラブにおける個人成績を以下に示す。
クラブ成績 | リーグ | カップ | リーグカップ | 大陸別 | その他 | 合計 | |||||||||
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シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |
日本 | |||||||||||||||
2003 | 広島ユース | - | - | - | 1 | 0 | - | - | - | - | 1 | 0 | |||
2005 | 広島 | J1 | 8 | 0 | 1 | 0 | 2 | 1 | - | - | - | - | 11 | 1 | |
2006 | 9 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | - | - | - | - | 13 | 0 | |||
2007 | 12 | 0 | 1 | 0 | 7 | 1 | - | - | - | - | 20 | 1 | |||
2008 | J2 | 14 | 1 | 2 | 0 | - | - | - | - | 1 | 0 | 17 | 1 | ||
2009 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | - | - | 0 | 0 | ||
2010 | 12 | 0 | 1 | 1 | 3 | 0 | 2 | 1 | - | - | 18 | 2 | |||
2011 | 岡山 | J2 | 2 | 0 | 0 | 0 | - | - | - | - | - | - | 2 | 0 | |
2012 | 21 | 0 | 0 | 0 | - | - | - | - | - | - | 21 | 0 | |||
2013 | 23 | 2 | 1 | 0 | - | - | - | - | - | - | 24 | 2 | |||
タイ | |||||||||||||||
2014 | ナコーンラーチャシーマー | Div1 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | |
総通算 | 101 | 3 | 15 | 2 | 8 | 1 | 2 | 1 | 1 | 0 | 127 | 7 |
4. タイトルと実績
桒田慎一朗は、選手キャリアを通じて個人タイトルを獲得し、ユース年代ではチームとして数々の栄誉に輝いた。
4.1. 個人
- JFAプリンスリーグU-18中国MVP(2004年)
4.2. クラブ
- アンダーカテゴリー**
- 日本クラブユース選手権:優勝(2004年)
- 高円宮杯全日本ユース選手権:3位(2003年)、優勝(2004年)
- Jユースカップ:優勝(2003年)、準優勝(2004年)
- 天皇杯:1回戦敗退(2003年)
- 国民体育大会広島県代表:1回戦敗退(2004年)
- トップチームでの初記録**
- 初ベンチ入り:2005年4月28日、J1第8節セレッソ大阪戦(長居スタジアム)
- 公式戦初出場:2005年5月28日、ナビスコカップ第4節東京ヴェルディ1969戦(国立競技場)。先発出場し、53分にベットと交代。
- Jリーグ初出場:2005年8月20日、J1第19節鹿島アントラーズ戦(カシマスタジアム)。76分に大木勉に代わって出場。
- 公式戦初得点:2005年6月4日、ナビスコカップ第5節ガンバ大阪戦(広島スタジアム)。先発フル出場し、11分に得点。
- Jリーグ初得点:2008年10月4日、J2第39節湘南ベルマーレ戦(広島ビッグアーチ)。60分に髙萩洋次郎に代わって出場し、66分に得点。
5. 引退後のキャリア
プロサッカー選手を引退した後は、サッカー指導者としての道を歩んでいる。現在、彼は故郷である広島県福山市のツネイシ・スポーツアクトに所属し、FCバイエルン常石(FCバイエルン・ツネイシ)のコーチを務めている。また、指導者としての活動と並行して、広島県東部サッカーリーグに所属する福山市職でも選手としてプレーを続けている。
6. 関連項目
- 広島県出身の人物一覧
- サンフレッチェ広島F.Cの育成組織
- サンフレッチェ広島F.Cの選手一覧
- ファジアーノ岡山FCの選手一覧
- 日本国外のリーグに所属する日本人サッカー選手一覧