1. 概要
森慎二は、西武ライオンズのエース級中継ぎ投手として活躍し、特に最優秀中継ぎ投手を2度獲得するなど、チームの勝利の方程式を支えた。その後、ポスティングシステムを利用してMLB挑戦を試みるも負傷により公式戦登板は叶わず、日本人選手としては初のケースとなった。帰国後は独立リーグの石川ミリオンスターズで選手兼任投手コーチ、そして監督としてチームをリーグ優勝やグランドチャンピオンシップ優勝に導き、独立リーグの発展に大きく貢献した。晩年は古巣の西武ライオンズにコーチとして復帰したが、2017年に敗血症により42歳の若さで急逝。その死は野球界に大きな衝撃を与え、多くの関係者やファンによって追悼された。
2. 経歴
森慎二は、山口県の高校を卒業後、社会人野球で実績を積んでプロ入りした。プロ入り後は西武ライオンズで投手として活躍し、メジャーリーグ挑戦を経て、独立リーグで選手兼任コーチ、そして監督を務めた。晩年は西武ライオンズのコーチとして後進の指導にあたった。
2.1. プロ入り前
森慎二は山口県立岩国工業高等学校を卒業後、社会人野球の新日鐵光に入団した。その後、新日鐵グループ野球部の再編に伴い、新日鐵君津へ転籍した。1996年には第67回都市対抗野球大会で優秀選手賞を受賞するなど活躍を見せた。同年に行われたドラフト会議において、西武ライオンズから2位指名を受け入団。同期入団には後に主力打者となる和田一浩がいた。
2.2. 西武時代
プロ1年目の1997年シーズンは、先発としてプロ初登板を果たしたものの、結果を残せず中継ぎに転向した。後半戦には石井貴に代わって抑えに抜擢され、38試合に登板して6勝2敗9セーブを記録し、チームのリーグ優勝に貢献した。また、日本シリーズにも登板した。
1998年シーズンは、開幕からストッパーとして期待されたが不振に陥り、同じく先発で不調だった西口文也との配置転換で先発登板も経験した。中継ぎと谷間のローテーションを埋めながら徐々に調子を取り戻し、52試合に登板して8勝8敗5セーブ(先発では9試合で2勝3敗、防御率3.68)の成績を残し、チームのリーグ連覇に貢献した。
1999年シーズンは、谷間の先発や中継ぎで起用されたが投球にムラが目立ち、5勝8敗と成績を落とした。
2000年シーズンは、開幕から好調を維持し、ストッパーとして完全に定着。自己最高の23セーブを挙げ、防御率も1点台を記録する安定感を見せた。
2001年シーズンは不調に陥り、クローザーの座を豊田清に譲った。登板は28試合にとどまり、1セーブしか挙げられなかった。
2002年シーズンは、ストッパーの豊田清に繋ぐセットアッパーとして自己最多の71試合に登板。その活躍が評価され、最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得し、4年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。
2003年シーズンも前年に引き続き最優秀中継ぎ投手を獲得し、2年連続でのタイトル受賞は日本プロ野球史上最長タイ記録となった。森から豊田への継投は、当時の西武ライオンズの「勝利の方程式」として確立された。彼の投球スタイルは、球速のある荒れ球気味のストレートと、大きく落差のあるフォークボールが武器であった。高い奪三振率を誇り、毎年投球回数を大きく上回る奪三振数を記録した。
2004年シーズンは、3年連続となるオールスターゲームに出場した。しかし、シーズンでは豊田清の故障離脱時に抑えを任されることもあったが、自身も故障や不調に見舞われ、登板は34試合にとどまった。0勝4敗4セーブ、防御率も4.59と安定感を欠き、プロ入り後初の未勝利に終わった。同年9月24日、大阪ドームで行われた大阪近鉄バファローズとの試合は、近鉄にとって球団最後の本拠地での試合であり、西武との対戦もこれが最後だった。森は延長11回に登板するも、星野おさむにサヨナラタイムリーヒットを打たれ、敗戦投手となった。近鉄が3日後の球団最終戦でも敗れたため、森は近鉄相手の最後の敗戦投手となった。
2005年シーズンは48試合に登板し、2勝2敗5セーブ17ホールドの成績を残した。このシーズンも豊田清の故障離脱に伴い代役の抑えを務めることがあったが、防御率は4点台と安定感を欠いた。シーズンオフ、ユニフォームの背ネームを「S.MORI」としていた森は、ポスティングシステムを利用してMLB挑戦を表明。タンパベイ・デビルレイズと2年契約を結んだ。
2.3. MLB挑戦と負傷
タンパベイ・デビルレイズへ移籍した1年目の2006年シーズンは、右肩痛の影響で調整が遅れた。移籍後初登板となったオープン戦で3球目を投げた際に右肩を抱えたままうずくまり、そのまま交代となった。診断の結果、右肩の脱臼と判明し、全治1年を要する重傷と診断された。
2007年1月19日、森はメジャーリーグでの出場がないままデビルレイズからメジャー契約を解除された。その後マイナー契約を結んだが、同年6月11日にはその契約も解除されたことが球団の公式ページで発表された。彼はその後、国内(西武ドームや新日鐵君津球場など)でリハビリを続けながらメジャー復帰を目指したが、最終的に断念した。森は、ポスティングシステムを利用してメジャー球団から入札を受けてメジャー契約を結んだ日本人選手としては、メジャーリーグの公式戦に出場できなかった初めての例となり、さらにマイナーリーグの公式戦にも一度も登板することがなかった。
2.4. 独立リーグ・石川時代と監督業
2009年シーズンには、BCリーグの石川ミリオンスターズに選手兼任投手コーチとして就任した。当初はコーチ専任での発表であったが、肩の回復が進み現役復帰の目処が立ったため、選手兼任となった。しかし、この年の公式戦での登板はなかった。2010年からは選手としての現役を一旦引退し、金森栄治の後任として石川ミリオンスターズの監督に就任した。
監督としては、在任した5シーズン全てで北陸地区(前期または後期)の優勝を達成した。具体的には、BCリーグチャンピオンシップで3度(2010年、2011年、2013年)の優勝を経験し、さらに独立リーグ全体の頂点を決めるグランドチャンピオンシップでも2度(2011年、2013年)の優勝を勝ち取るなど、優れた手腕を発揮した。
公式戦ではないものの、2012年9月10日と11日に行われた米独立リーグ・ノース・アメリカン・リーグ所属のマウイ・イカイカとの国際交流戦で登板した。さらに翌2013年6月7日には、兼任監督として現役復帰することが正式に発表された。
2014年10月11日、森は石川ミリオンスターズの監督を退任することが発表された。
2.5. 西武コーチ時代
2015年シーズンより、古巣である埼玉西武ライオンズの二軍投手コーチに就任した。そして、2016年5月6日からは同球団の一軍投手コーチ(ブルペン担当)に昇格し、チームの投手陣を指導した。
3. 死去
2017年6月25日、福岡ソフトバンクホークス戦の試合前に体調不良を訴え、福岡市内の病院に入院した。同年6月27日には、球団から森が病気療養のため休養することが発表され、西武のシニアディレクターである渡辺久信は、森の病状について「まだ病状は不明であり、復帰の見通しはわからない」と発言した。
翌6月28日、入院先の病院で死去した。42歳没。死因は溶連菌の感染による敗血症(壊死性筋膜炎)であった。
森の訃報は、沖縄セルラースタジアム那覇で行われていた対千葉ロッテマリーンズ戦の試合前に辻発彦監督へ伝えられ、西武の選手たちにはロッテ戦の試合終了後に伝えられたという。
q=福岡市|position=left
4. 死後の影響と追悼
森慎二の死去は、彼が深く関わった野球界、特に埼玉西武ライオンズと石川ミリオンスターズに大きな悲しみと影響を与えた。多くの追悼活動が実施され、彼の功績と人柄を偲ぶ声が寄せられた。
4.1. 影響と追悼活動
森慎二の死去を受け、2017年6月30日に行われた対オリックス・バファローズ第9回戦(メットライフドーム)では、彼の死を悼み球団旗に代わり弔旗が掲げられた。また、試合開始に先立って黙祷が行われ、両チームの選手が喪章を着用した。ドームに直結する獅子ビルには献花台が設置され、多くのファンが訪れて故人を偲んだ。さらに、三塁側ベンチと森が常駐していたブルペンには森のユニフォームが掲げられ、その存在感を示した。同年8月に西武球団が掲示したポスターには、「しンジさんと闘う」(原文ママ)という隠しメッセージが仕込まれており、ファンの間で話題となった。
q=金沢市民野球場|position=right
2017年9月2日、森がBCリーグ時代に在籍した石川ミリオンスターズの対富山GRNサンダーバーズ戦が、金沢市民野球場で「ありがとう森慎二さん 3,400人の集い」と題して開催された。「3,400人」という数字は、森が石川で背負った背番号34にちなんだものである。この追悼試合では、石川ミリオンスターズの全選手が森の背番号34を着用してプレーした。試合終了後、石川ミリオンスターズ球団は森の背番号34を永久欠番とすることを発表し、彼の功績を永く称えることとなった。
5. 詳細情報
5.1. 通算成績
森慎二の日本プロ野球(NPB)および独立リーグにおける年度別投手成績と通算記録を以下に示す。
年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 奪 三 振 | 与 四 球 | 与 死 球 | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997 | 西武 | 38 | 3 | 0 | 0 | 0 | 6 | 2 | 9 | -- | .750 | 251 | 57.2 | 61 | 4 | 61 | 20 | 3 | 24 | 21 | 3.28 | 1.40 |
1998 | 52 | 9 | 1 | 0 | 0 | 8 | 8 | 5 | -- | .500 | 490 | 111.0 | 112 | 9 | 110 | 55 | 3 | 53 | 47 | 3.81 | 1.50 | |
1999 | 41 | 13 | 0 | 0 | 0 | 5 | 8 | 0 | -- | .385 | 505 | 113.1 | 116 | 11 | 128 | 54 | 4 | 62 | 58 | 4.61 | 1.50 | |
2000 | 58 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 6 | 23 | -- | .455 | 299 | 78.2 | 51 | 6 | 101 | 20 | 2 | 16 | 16 | 1.83 | 0.90 | |
2001 | 28 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 4 | 1 | -- | .556 | 194 | 46.0 | 38 | 9 | 52 | 16 | 0 | 21 | 20 | 3.91 | 1.17 | |
2002 | 71 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 7 | 1 | -- | .462 | 327 | 78.1 | 61 | 4 | 102 | 29 | 5 | 25 | 18 | 2.07 | 1.15 | |
2003 | 61 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 3 | 2 | -- | .700 | 287 | 70.0 | 55 | 6 | 92 | 22 | 1 | 19 | 18 | 2.31 | 1.10 | |
2004 | 34 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 4 | -- | .000 | 235 | 49.0 | 50 | 5 | 49 | 38 | 1 | 35 | 25 | 4.59 | 1.80 | |
2005 | 48 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 5 | 17 | .500 | 214 | 49.0 | 44 | 5 | 60 | 19 | 0 | 24 | 23 | 4.22 | 1.29 | |
NPB通算:9年 | 431 | 27 | 1 | 0 | 0 | 44 | 44 | 50 | 17 | .500 | 2802 | 653.0 | 588 | 59 | 755 | 273 | 19 | 279 | 246 | 3.39 | 1.32 |
- 各年度の太字はリーグ最高
年 度 | 球 団 | 登 板 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | 完 投 | 勝 率 | 投 球 回 | 打 者 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 奪 三 振 | 与 四 球 | 与 死 球 | 失 点 | 自 責 点 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 策 | 防 御 率 | W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013 | 石川 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 5.1 | 27 | 7 | 0 | 6 | 2 | 1 | 6 | 4 | 0 | 1 | 0 | 6.75 | 1.69 |
2014 | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 14.2 | 65 | 19 | 1 | 13 | 6 | 3 | 6 | 4 | 1 | 1 | 0 | 2.63 | 1.70 | |
独立リーグ通算:2年 | 23 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 20.0 | 92 | 26 | 1 | 19 | 8 | 4 | 12 | 8 | 1 | 2 | 0 | 3.60 | 1.70 |
5.2. タイトルと記録
5.2.1. NPB
- 最優秀中継ぎ投手:2回 (2002年、2003年)
- 2年連続での獲得は、岩瀬仁紀、藤川球児、久保田智之、攝津正、浅尾拓也、山口鉄也、佐藤達也、福原忍、宮西尚生、清水昇と同回数でタイ記録である。
; 初記録
- 初登板・初先発登板:1997年4月27日、対日本ハムファイターズ6回戦(西武ライオンズ球場)、3回3失点
- 初奪三振:同上、1回表に片岡篤史から
- 初勝利:1997年6月27日、対近鉄バファローズ13回戦(西武ライオンズ球場)、3回表1死に2番手で救援登板、3回1/3を3失点
- 初セーブ:1997年8月13日、対福岡ダイエーホークス17回戦(福岡ドーム)、8回裏2死に4番手で救援登板・完了、1回2/3を無失点
- 初先発勝利:1998年5月24日、対近鉄バファローズ10回戦(西武ドーム)、6回無失点
- 初完投:1998年6月13日、対近鉄バファローズ11回戦(大阪ドーム)、8回4失点で敗戦投手
- 初ホールド:2005年4月3日、対東北楽天ゴールデンイーグルス3回戦(フルキャストスタジアム宮城)、8回裏に3番手で救援登板、1回無失点
; その他の記録
- オールスターゲーム出場:5回(1998年、2000年、2002年 - 2004年)
5.3. 背番号
- 19(1997年 - 2002年)
- 11(2003年 - 2005年)
- 34(2009年 - 2014年)
- 石川ミリオンスターズの永久欠番(2017年9月2日制定)
- 89(2015年 - 2017年)
6. 外部リンク
- [https://npb.jp/bis/players/91293884.html 個人年度別成績 森慎二 - NPB.jp 日本野球機構]
- [https://www.mlb.com/player/shinji-mori-492887 シンジ・モリ - MLB.com]
- [https://www.baseball-reference.com/players/m/mori--001shi.shtml Shinji Mori Minor & Independent Leagues Statistics]