1. 概要
水原大樹は、1975年1月15日に奈良県平群町で生まれた日本の元サッカー選手である。ゴールキーパーとして、名古屋グランパスエイト、Honda FC、横浜FC、東京ヴェルディ1969、ギラヴァンツ北九州、カマタマーレ讃岐、ヴィアティン三重など、複数のクラブで活躍した。特に横浜FCとギラヴァンツ北九州ではレギュラーとしてチームのJ2リーグ昇格に貢献し、東京ヴェルディでは天皇杯優勝も経験している。
2. 生い立ちと教育
水原大樹は1975年1月15日に奈良県生駒郡平群町で生まれた。幼少期からサッカーに親しみ、地元の平群東FC、平群町立平群中学校でサッカーを続けた後、四日市中央工業高校に進学した。
2.1. 高校時代のサッカー活動
四日市中央工業高校時代には、全国高校サッカー選手権で優勝を果たすなど、輝かしい実績を残した。彼は「中西永輔、小倉隆史、中田一三」の「四中工三羽烏」と呼ばれた選手たちの1年後輩にあたる。1992年には全国高校サッカー選手権でベスト8に進出し、その活躍が認められ日本高校選抜にも選出された。
3. 選手経歴
水原大樹のプロサッカー選手としてのキャリアは、高校卒業後の名古屋グランパスエイトへの入団から始まり、複数のクラブを渡り歩きながら、各リーグで経験を積んだ。
3.1. プロ入りと初期キャリア
高校卒業後の1993年に名古屋グランパスに入団し、プロキャリアをスタートさせた。しかし、当時の名古屋グランパスでは伊藤裕二が絶対的な守護神として君臨しており、水原の出場機会はほとんどなかった。1995年3月25日のジュビロ磐田戦で途中出場によりJリーグデビューを果たしたが、これが1998年までの唯一の出場となった。
3.2. 主な所属クラブと活動
水原は名古屋グランパスでの出場機会の少なさから、新たな活躍の場を求めて移籍を繰り返した。
3.2.1. 名古屋グランパスエイト (1993-1998)
1993年から1998年まで名古屋グランパスエイトに所属したが、前述の通り伊藤裕二の存在により、リーグ戦での出場は1995年の1試合にとどまった。この期間、彼は主に控えゴールキーパーとしてチームを支え、JFLへの移籍を模索することになる。
3.2.2. 本田技研工業サッカー部 (1999)
1999年、水原はJFL所属の本田技研工業サッカー部へ移籍した。ここでは多くの試合に出場し、実戦経験を積むことができた。
3.2.3. 横浜FC (2000-2003)
2000年、水原は同じくJFLの横浜FCへ移籍した。移籍後は正ゴールキーパーとして活躍し、チームのJFL優勝に大きく貢献。この優勝により、横浜FCは2001年からJ2リーグへ昇格した。J2昇格後も引き続き絶対的な守護神としてゴールマウスを守り続けたが、2003年にはプロ1年目の菅野孝憲にポジションを奪われるようになった。
3.2.4. 東京ヴェルディ1969 (2004-2006)
2004年からはJ1リーグの東京ヴェルディ1969へ移籍した。2005年5月14日の柏レイソル戦では、出場停止の高木義成に代わってゴールマウスを守り、スーパーセーブを連発してチームの勝利に貢献。この試合は彼にとって10年ぶりのJ1リーグでの出場となった。しかし、ここでも高木義成が正ゴールキーパーとして君臨していたため、2006年までの3シーズンでほとんど出場機会に恵まれなかった。チームは第84回天皇杯を制覇し、ゼロックススーパーカップでも優勝したが、J2リーグへの降格を経験した。
3.2.5. ギラヴァンツ北九州 (2007-2011)
2007年、水原は地域リーグ所属のニューウェーブ北九州(後のギラヴァンツ北九州)へ入団した。移籍後は再び正ゴールキーパーを務め、2008年にはJFLへ、2010年にはJ2リーグへと、チームの連続昇格に大きく貢献した。2010年には4年ぶりにJリーグの舞台で好セーブを連発し、チームを最後尾から支えたが、チームは第3節の東京ヴェルディ戦で初勝利を挙げた後、最終第37節のロアッソ熊本戦までJリーグワースト記録となるリーグ戦33試合勝ち星なしと低迷し、結局最下位に沈んだ。2011年にはコンサドーレ札幌から移籍してきた佐藤優也にレギュラーを奪われ、出場機会なしに終わったほか、時久省吾が第2ゴールキーパーとして起用されることが多くなり、ベンチ外となる試合も少なくなかった。
3.2.6. カマタマーレ讃岐 (2012)
2012年は、Jリーグ昇格を目指すJFLのカマタマーレ讃岐へ期限付き移籍した。しかし、リーグ戦7試合の出場にとどまり、瀬口拓弥からポジションを奪うことはできなかった。シーズン終了後、レンタル期間満了により讃岐を退団。2012年11月27日には北九州との契約満了も発表された。
3.2.7. ヴィアティン三重 (2013)
2013年2月8日に一度は現役引退を発表したが、同年5月7日に三重県リーグ所属のヴィアティン桑名(現・ヴィアティン三重)へ入団し、現役復帰を果たした。このシーズンをヴィアティン桑名で過ごしたが、シーズン終了後に契約満了により退団した。
3.3. 引退と復帰
水原は2013年2月8日に一度現役引退を発表したが、その約3ヶ月後の5月7日にはヴィアティン桑名への入団を発表し、現役復帰を果たした。この復帰は、彼のサッカーへの情熱を示すものとなった。
4. 個人成績
| クラブ成績 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | アジア | 合計 | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
| 日本 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | アジア | 合計 | |||||||
| 1993 | 名古屋 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | |
| 1994 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | |||
| 1995 | 1 | 0 | 0 | 0 | - | - | 1 | 0 | ||||
| 1996 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | |||
| 1997 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | |||
| 1998 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | |||
| 1999 | 本田技研 | JFL | 17 | 0 | 2 | 0 | - | - | 19 | 0 | ||
| 2000 | 横浜FC | JFL | 18 | 0 | 2 | 0 | - | - | 20 | 0 | ||
| 2001 | J2 | 42 | 0 | 4 | 0 | 3 | 0 | - | 49 | 0 | ||
| 2002 | 39 | 0 | 2 | 0 | - | - | 41 | 0 | ||||
| 2003 | 19 | 0 | 1 | 0 | - | - | 20 | 0 | ||||
| 2004 | 東京V | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | - | 1 | 0 | |
| 2005 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 1 | 0 | |||
| 2006 | J2 | 8 | 0 | 1 | 0 | - | 1 | 0 | 10 | 0 | ||
| 2007 | ニューウェーブ北九州 | 九州 | 20 | 0 | - | - | - | 20 | 0 | |||
| 2008 | JFL | 34 | 0 | 3 | 0 | - | - | 37 | 0 | |||
| 2009 | 34 | 0 | 1 | 0 | - | - | 35 | 0 | ||||
| 2010 | ギラヴァンツ北九州 | J2 | 33 | 0 | 2 | 0 | - | - | 35 | 0 | ||
| 2011 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | ||||
| 2012 | 讃岐 | JFL | 7 | 0 | 1 | 0 | - | - | 8 | 0 | ||
| 2013 | 桑名 | 三重県2部 | 0 | 0 | - | - | - | 0 | 0 | |||
| 総通算 | 273 | 0 | 19 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 297 | 0 | ||
- Jリーグ初出場 - 1995年3月25日 サントリーシリーズ第3節 ジュビロ磐田戦
4.1. 国際試合
| シーズン | クラブ | 大会 | 出場 | 得点 |
|---|---|---|---|---|
| 2006 | 東京V | AFCチャンピオンズリーグ | 1 | 0 |
| 1996 | 名古屋 | アジアカップウィナーズカップ | 3 | 0 |
| 総通算 | 4 | 0 | ||
5. 受賞歴と栄誉
- 1991年:四日市中央工業高校 全国高校サッカー選手権優勝
- 1992年:四日市中央工業高校 全国高校サッカー選手権ベスト8・日本高校選抜選出
- 2005年:東京ヴェルディ1969 天皇杯優勝、ゼロックススーパーカップ優勝
- 2009年:JFL ベストイレブン
6. 関連クラブ
- 平群東FC
- 1987年 - 1989年 平群町立平群中学校
- 1990年 - 1992年 四日市中央工業高校
- 1993年 - 1998年 名古屋グランパス
- 1999年 本田技研工業サッカー部
- 2000年 - 2003年 横浜FC
- 2004年 - 2006年 東京ヴェルディ1969
- 2007年 - 2012年 ニューウェーブ北九州/ギラヴァンツ北九州
- 2012年 カマタマーレ讃岐 (期限付き移籍)
- 2013年 ヴィアティン桑名(現・ヴィアティン三重)
7. 外部リンク
- [https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=274 Jリーグ公式プロフィール]
- [http://blog.jplayers.jp/mizuhara/ 水原大樹オフィシャルブログ「水風呂 沸いてます!」@J PLAYERS BLOG](アーカイブ)