1. 概要
浜崎昌弘は、1940年に大阪府で生まれ、明治大学を経て八幡製鉄サッカー部(後の新日本製鐵サッカー部)で活躍した日本の元サッカー選手である。俊敏な動きと正確なキックを武器に、1964年には天皇杯優勝に貢献。日本サッカーリーグでは通算100試合に出場した。サッカー日本代表としても、1966年のアジア競技大会で国際Aマッチデビューを果たし、通算2試合に出場。1968年のメキシコシティーオリンピックでは銅メダルを獲得したチームの一員として貢献し、このチームは2018年に日本サッカー殿堂入りを果たした。2011年に71歳で死去。
2. 生涯
浜崎昌弘の生涯は、サッカー選手としての輝かしいキャリアと、その背景にある家族や教育に支えられたものであった。
2.1. 出生と家族
浜崎昌弘は1940年3月14日に大阪府で生まれた。彼の身長は178 cm、体重は68 kgであった。父の浜崎都雄は、関西蹴球協会および大阪蹴球協会の常任理事を務めるなど、日本のサッカー界に深く関わっていた。
2.2. 学歴
浜崎は大阪府立勝山高等学校でサッカーを始め、その後明治大学に進学し、1959年から1962年まで在籍した。大学での経験が、彼の選手としての基盤を築いた。
3. 選手経歴
浜崎昌弘は、クラブと日本代表の両方でゴールキーパーとして活躍し、その俊敏な動きと正確なキックで知られた。
3.1. クラブ経歴
明治大学を卒業後、浜崎は八幡製鉄サッカー部に入部した。このクラブは後に新日本製鐵サッカー部と改称された。彼は俊敏な動きと正確なキックが持ち味のゴールキーパーとして活躍し、クラブの主力選手として貢献した。八幡製鉄は1964年の天皇杯で優勝を果たし、浜崎もこの栄光の一員となった。
1965年には、八幡製鉄は新たに創設された日本サッカーリーグ(JSL)に加入した。浜崎は1972年に現役を引退するまで、JSLで通算100試合に出場した。
3.2. 代表経歴
浜崎は日本代表に選出され、国際舞台でも活躍した。
彼の日本代表としての初出場は、1960年9月9日にアルマアタで行われたカイラート戦(国際親善試合)であった。国際Aマッチデビューは、1966年12月16日にバンコクで行われた1966年アジア競技大会のシンガポール代表戦であった。この大会で彼は2試合に出場した。
1968年10月には、1968年メキシコシティーオリンピックの日本代表メンバーに選出された。彼は横山謙三に次ぐ控えゴールキーパーであったため、大会での試合出場はなかったものの、チームの一員として銅メダル獲得に貢献した。
4. 主な功績と受賞
浜崎昌弘は、そのキャリアを通じてクラブと日本代表の両方で重要な功績を残し、数々の栄誉に輝いた。
4.1. クラブでの受賞
- 1964年 天皇杯優勝(八幡製鉄サッカー部)
4.2. 代表での受賞
- 1968年メキシコシティーオリンピック 銅メダル
- 日本サッカー殿堂入り(2018年、1968年メキシコシティーオリンピック日本代表チームの一員として)
5. 個人成績
浜崎昌弘のクラブおよび代表での公式な試合記録と統計を以下に示す。
5.1. クラブでの個人成績
浜崎はJSLで通算100試合に出場し、ゴールキーパーとして得点記録はなかった。
日本 | リーグ戦 | - | 天皇杯 | 期間通算 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年 | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
1965 | 八幡 | JSL | 0 | - | ||||||||
1966 | 0 | - | ||||||||||
1967 | 0 | - | - | |||||||||
1968 | 0 | - | ||||||||||
1969 | 0 | - | ||||||||||
1970 | 新日鐵 | JSL | 0 | - | - | |||||||
1971 | 0 | - | ||||||||||
1972 | JSL1部 | 0 | - | |||||||||
総通算 | 100 | 0 | - |
5.2. 代表での個人成績
浜崎は国際Aマッチに2試合出場し、得点はなかった。非Aマッチを含めると、日本代表として通算17試合に出場している。
日本代表 | ||
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
1966 | 2 | 0 |
合計 | 2 | 0 |
年 | 国際Aマッチ出場 | 国際Aマッチ得点 | その他試合出場 | その他試合得点 | 総出場 | 総得点 |
---|---|---|---|---|---|---|
1960 | 0 | 0 | 6 | 0 | 6 | 0 |
1961 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1962 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1963 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1964 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 |
1965 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1966 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 |
1967 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 |
1968 | 0 | 0 | 5 | 0 | 5 | 0 |
1969 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 |
通算 | 2 | 0 | 15 | 0 | 17 | 0 |
国際Aマッチの出場試合は以下の通り。
No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1. | 1966年12月16日 | バンコク | シンガポール | ○5-1 | 長沼健 | アジア大会 | |
2. | 1966年12月19日 | バンコク | シンガポール | ○2-0 | アジア大会 |
6. 死去
浜崎昌弘は2011年10月10日に福岡県北九州市の病院で、腸内静脈瘤破裂のため71歳で死去した。