1. 生涯と背景
清成哲也の出生地や囲碁との出会い、そしてプロ棋士を目指して修業に励んだ幼少期から青年期にかけての背景を記述する。
1.1. 出生と幼少期
清成哲也は1961年(昭和36年)11月27日に宮崎県延岡市で生まれた。アマチュアの強豪であった父の影響を受け、4、5歳頃に囲碁を覚えた。
1.2. 修業と育成
中学校2年生の時、同郷の倉橋正蔵八段の内弟子となり、関西棋院の院生となった。この時期にプロ棋士となるための本格的な修業を積んだ。
2. プロ棋士としての経歴
清成哲也のプロ入り後の昇段記録、主要な棋戦での実績、獲得した賞、そして特筆すべき記録について詳細に述べる。
2.1. 入段および昇段記録
清成哲也は1976年にプロ入り(入段)した。その後、順調に昇段を重ね、1986年には九段に昇段した。入段から九段昇段までにかかった期間は10年3ヶ月であり、これは関西棋院史上最速の昇段記録である。かつては日本棋院を含めても最短の昇段記録であった。
彼の昇段記録は以下の通りである。
段位 | 昇段年 |
---|---|
初段 | 1976年 |
二段 | 1977年 |
三段 | 1977年 |
四段 | 1978年 |
五段 | 1979年 |
六段 | 1980年 |
七段 | 1982年 |
八段 | 1983年 |
九段 | 1986年 |
2.2. 主要な棋戦成績
清成哲也は様々なプロ囲碁棋戦で顕著な成績を収めている。
2.2.1. タイトル獲得
- 関西棋院第一位決定戦: 1992年、2004年
2.2.2. 準優勝
- 新人王戦: 1980年(決勝で宮沢吾朗に0-2で敗れる)
- NHK杯テレビ囲碁トーナメント: 1995年(決勝で小林覚に敗れる)
- 棋聖戦九段戦: 1990年、1998年
- 全段争覇戦: 1982年(本田邦久、中村秀仁を破り決勝に進出するも、淡路修三に敗れ準優勝)
2.2.3. その他の棋戦参加
- 棋聖戦七段戦: 1982年(優勝)
- 棋聖戦リーグ: 2009年(1期参加)
- 日中囲碁交流: 1981年(3勝6敗)
- アマ十傑プロ対抗戦
- 1977年: 玉山光雄(向先)に敗れる
- 1979年: 平田博則(向先)に敗れる
- 最高棋士決定戦: 1982年(1回戦で林海峰に敗れる)
- テレビ囲碁アジア選手権戦: 1996年(1回戦で馬暁春に敗れる)
2.3. 受賞歴
清成哲也はキャリアを通じて以下の賞を受賞している。
- 関西棋院最優秀棋士賞(1回)
- 道元賞(3回)
- 山野賞(1回)
- 関西棋院新人賞(1回)
2.4. 主要な記録
- 通算1000勝: 2021年達成
- 入段から九段昇段までの最速記録: 10年3ヶ月(関西棋院史上最速)
3. 棋風と哲学
清成哲也が自称する「亀さん流」の棋風、その特徴である忍耐強さと終盤力、そして彼の囲碁観を象徴する名言について解説する。
3.1. 棋風
清成哲也の棋風は、彼自身が「亀さん流」と称している。これは、焦らずに手厚い手を選び、正確なヨセで細かい勝負を制するという、「急がない打ち方」に由来する。特に忍耐強さと正確な終盤操作が特徴である。
3.2. 名言
清成哲也は、自身の囲碁やキャリアに対する見解を反映した発言を残している。「若い頃は半目勝負には必ず勝っていた」と語ったことがある。
4. その他の活動
清成哲也は競技プレイ以外の活動にも貢献している。
4.1. 講演と指導
1992年にはNHK囲碁講座の講師を務め、囲碁の普及と教育に尽力した。
4.2. 団体での活動
彼は関西棋院の理事を務めるなど、囲碁組織内での要職を歴任した。また、藤沢秀行の研究会に参加し、1982年以降の中国訪問にも参加している。
5. 家族
清成哲也の長男である清成真央もまた、関西棋院に所属するプロ囲碁棋士である。清成哲也は大阪に在住している。
6. 著作
清成哲也は執筆活動を通じて囲碁界に貢献している。
6.1. 書籍
- 『清成哲也の実戦に役立つ格言上達法』日本放送出版協会、1993年
7. 評価
清成哲也のキャリアと囲碁界への貢献について、その評価を以下に述べる。
7.1. 業績に対する評価
清成哲也は、入段から九段までの最速昇段記録という輝かしい記録を打ち立て、その才能を早期に開花させた。関西棋院第一位決定戦での2度の優勝や、NHK杯テレビ囲碁トーナメント、新人王戦での準優勝など、主要な棋戦で安定した成績を残し、トップ棋士としての地位を確立した。また、2021年には通算1000勝を達成し、長きにわたる現役生活での実績を示した。彼の「亀さん流」と呼ばれる棋風は、その忍耐強さと正確な終盤力で多くの棋士から評価されている。囲碁の指導や組織運営にも携わり、競技者としてだけでなく、囲碁界全体の発展にも貢献した。