1. 経歴
田口昌徳は、少年野球から大学野球を経てプロ入りし、日本ハムファイターズ、福岡ダイエーホークス、福岡ソフトバンクホークスで捕手として活躍しました。引退後はコーチやスカウトとして後進の指導・育成に尽力し、野球界で多様な役割を歴任しています。
1.1. プロ入り前
プロ野球選手になるまでのアマチュア時代の経歴を詳述します。
1.1.1. 少年野球・高校時代
小学2年生の時にソフトボールを始め、小学4年生から本格的に野球を始めました。茨城県立藤代紫水高等学校では1年生からレギュラー捕手となり、2年秋には県大会で優勝を果たします。しかし、関東大会では初戦で敗退し、甲子園への出場は叶いませんでした。高校通算では38本塁打を記録しています。
1.1.2. 大学時代
高校卒業後は駒澤大学へ進学し、2学年先輩の捕手であった関川浩一の後を受けて、3年生からは正捕手として活躍しました。1学年先輩で主将の若田部健一や竹下潤らともバッテリーを組みました。4年春には、同期の鶴田泰や2学年下の河原純一、また投手であった高木浩之らの活躍もあり、大学選手権で優勝を経験しています。また、2学年後輩には本間満がいました。東都大学リーグでは通算49試合に出場し、130打数37安打、打率.285、8本塁打、26打点の成績を残し、ベストナインを2度受賞しました。
1992年度ドラフト会議において、北海道日本ハムファイターズから4位指名を受け、入団しました。
1.2. プロ野球選手時代
プロ野球選手としての活動期間と主要な出来事を扱います。
1.2.1. 日本ハムファイターズ時代
プロ3年目の1995年シーズンには、新しく監督に就任した上田利治からリード面を高く評価され、抜擢される形で次第に出場試合数を増やしていきました。1995年オフにそれまで不動の正捕手であった田村藤夫が千葉ロッテマリーンズへ移籍したため、1996年シーズンには正捕手として101試合に出場し、チームの2位躍進に貢献しました。しかし、長年の課題であった打撃力と盗塁阻止率がなかなか向上しませんでした。その結果、1998年シーズンには東京ヤクルトスワローズから移籍してきた野口寿浩が台頭すると、次第に控えに回ることが多くなりました。
1.2.2. 福岡ダイエー/ソフトバンクホークス時代
2002年シーズン途中、林孝哉とのトレードで福岡ダイエーホークスへ移籍しました。正捕手の城島健司が怪我で戦線離脱した際や、アテネオリンピックなどで城島がチームを離れる際には、捕手としてその穴を埋め、チームに貢献しました。
2003年には、城島健司が捕手として全試合フルイニング出場を果たしたため、田口はそのシーズンを通して捕手としての出場はありませんでした。この年はわずか10試合の出場にとどまり、うち3試合では一塁手の守備に就きました。
また、明るい性格でベンチに控えていることが多かったため、同じくベンチに回ることが多くなった鳥越裕介とともに、チームのムードメーカーとなりました。そのユニークなキャラクターを生かして地元のテレビ番組にも数多く出演し、かつてのプロ野球界の爆笑男であるギャオス内藤にキャラクターや顔つき、喋り方がそっくりであると話題になりました。
一軍の捕手としては城島の圧倒的な存在感があったため、酷評されることも少なくありませんでしたが、二軍でマスクをかぶった際には、若手投手に対して硬軟自在な指示を出し、若手投手の育成に大きく貢献しました。2005年シーズン限りで現役を引退しました。
1.2.3. 現役引退
2005年シーズンをもってプロ野球選手としてのキャリアを終え、現役を引退しました。同年11月6日には、福岡Yahoo!JAPANドームで開催された「ホークスファン感謝の集い」において、引退セレモニーが執り行われました。
1.3. 引退後の活動
選手引退後に野球界で務めた様々な役職と活動について説明します。
1.3.1. 球団スタッフ・二軍コーチ
2006年からは福岡ソフトバンクホークスのチームスタッフ(管理部・育成担当)に就任しました。その後、2009年から2010年までは、二軍バッテリーコーチを務めました。
1.3.2. スカウト活動
2011年からは福岡ソフトバンクホークスのスカウトに就任し、若手選手の才能発掘と獲得に貢献しました。
1.3.3. 一軍バッテリーコーチ
2014年11月10日、2015年シーズンからは東北楽天ゴールデンイーグルスの一軍バッテリーコーチに就任することが発表されました。しかし、2015年シーズン限りで退団しています。
2016年シーズンからは埼玉西武ライオンズの一軍バッテリーコーチに就任しました。同年10月1日には、自身の申し出により退団が了承されました。
2017年シーズンは千葉ロッテマリーンズの一軍バッテリーコーチに就任しました。しかし、同年10月11日に翌年のコーチ契約を行わないことを通告されました。
1.3.4. 大学・ジュニアアカデミーコーチ
2019年6月には、西南学院大学野球部のバッテリーコーチに就任しました。
2020年4月からは、岡山県にある環太平洋大学硬式野球部のヘッドコーチとして、大学野球の指導に携わりました。
2023年からは、ホークスジュニアアカデミーでコーチを務めています。
2. 人物・エピソード
田口昌徳の人柄、知られているエピソード、および特徴について説明します。
2.1. 特徴・主なエピソード
- 珍プレー大賞:** ダイエー移籍後の2002年6月29日に行われた近鉄戦で、誤ってマウンド上の渡辺正和投手のユニフォームを着て試合に出場するという珍プレーを演じました。このプレーが評価され、その年の日本テレビの『勇者のスタジアム・プロ野球好珍プレー』では、珍プレー大賞(MVU)に選ばれました。
- ヒーローインタビュー:** 同年7月9日の西武戦で、ホークス時代としては最初で最後のヒーローインタビューに立ちました。その際、インタビュアーのアナウンサーからマイクを奪い取り、「田口です!」と自己紹介をして観客を沸かせました。
- 捕手としての目標:** 2003年のダイエー春季キャンプでは、恒例の「声出し」で「1試合でも多く捕手で試合に出る」という目標を立てました。一方で、正捕手であった城島健司は「全試合フルイニング出場」を目標に掲げていました。結果として城島が宣言通りに捕手として日本プロ野球史上2人目となる全試合フルイニング出場を果たしたため、田口はそのシーズン中、捕手として試合に出ることはありませんでした。この年、田口が初めて捕手としてマスクをかぶったのは、長嶋ジャパンの壮行試合として行われた日本代表対日本選抜の試合でした(日本代表監督は王貞治)。
- 日本一祝勝会でのシャワー:** 2003年の日本一祝勝会では、「よう見とけ!これがホントの顔面シャワーじゃ!」と叫びながらチームメイトにビールを浴びせました。この様子はフジテレビの『すぽると!』で生中継されており、キャスターの三宅正治からツッコまれる場面もありました。
- テレビ番組出演:** 2003年の日本一を記念して、チームメイトとともに『関口宏の東京フレンドパークII』に「お笑い隊長」として出演しました。しかし、アトラクションに夢中になるあまり、司会の渡辺正行に「面白いことをやっていない」と突っ込まれてしまいました。さらに番組の最後に行われたダーツのルーレットでは、残念ながら「たわし」を当ててしまう結果となりました。
- 後輩からの評価:** 後輩の加藤領健は、球団への入団発表時に「目標は田口さんのようなムードメーカー」だと語っていました。
- 後輩への配慮:** 2006年7月、二軍の打撃練習でバッティングピッチャーを務めていた際、投げた球が井手正太郎の顔面に直撃し、鼻骨骨折を負わせてしまいました。田口は非常に大きな責任を感じ、井手が病院から帰ってくるまでユニフォームも着替えずに待ち続け、その後数日間も「大丈夫か?」と声をかけ続けました。井手本人は、田口の気遣いに恐縮しきりだったといいます。
2.2. 歌唱力と引退セレモニー
田口昌徳は歌唱力がかなり高いことで知られています。
- プロ野球オールスタースポーツフェスティバルでの歌唱:** プロ野球オールスタースポーツフェスティバルに出場した際、他の球団の選手たちがヒット曲を真面目に歌い上げる中、田口はホルスタインの着ぐるみを着て登場しました。そして、桂雀三郎とまんぷくブラザーズの『ヨーデル食べ放題』を熱唱し、会場のファンを爆笑させました。
- 引退セレモニーでのパフォーマンス:** 2005年11月6日、福岡Yahoo!JAPANドームで開催された「ホークスファン感謝の集い」で引退セレモニーが行われました。その際、田口自身が「福岡に来てから一度しかお立ち台に立っていないのが心残り」と述べたため、球団側が急遽お立ち台を準備しました。お立ち台に上がった田口は、ホークスの球団歌である「いざゆけ若鷹軍団」を熱唱。その後、山口百恵の引退コンサートのパロディーとして、キャッチャーミットとマイクをホームベースの上に置くというパフォーマンスでグラウンドを去り、ファンに深い印象を残しました。
3. 詳細情報
田口昌徳のプロ野球選手としての詳細な記録と情報を提供します。
3.1. 年度別成績
年度 | 球団 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 盗塁死 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 | 長打率 | OPS | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1994 | 日本ハム | 25 | 45 | 44 | 1 | 7 | 0 | 0 | 0 | 7 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 17 | 2 | .159 | .159 | .159 | .318 |
1995 | 82 | 220 | 200 | 15 | 40 | 6 | 0 | 5 | 61 | 13 | 0 | 1 | 4 | 1 | 14 | 1 | 1 | 68 | 10 | .200 | .255 | .305 | .560 | |
1996 | 101 | 327 | 286 | 22 | 60 | 12 | 0 | 5 | 87 | 22 | 0 | 2 | 13 | 0 | 17 | 0 | 11 | 92 | 6 | .210 | .280 | .304 | .584 | |
1997 | 81 | 212 | 188 | 8 | 37 | 5 | 0 | 4 | 54 | 20 | 0 | 1 | 9 | 1 | 12 | 0 | 2 | 52 | 4 | .197 | .251 | .287 | .538 | |
1998 | 60 | 139 | 118 | 7 | 24 | 2 | 0 | 1 | 29 | 12 | 0 | 1 | 12 | 0 | 7 | 0 | 2 | 29 | 4 | .203 | .260 | .246 | .506 | |
1999 | 52 | 52 | 42 | 2 | 4 | 1 | 0 | 1 | 8 | 5 | 0 | 0 | 4 | 0 | 4 | 0 | 2 | 13 | 0 | .095 | .208 | .190 | .399 | |
2000 | 19 | 14 | 11 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | .091 | .231 | .091 | .322 | |
2001 | 31 | 71 | 60 | 8 | 12 | 2 | 0 | 0 | 14 | 3 | 1 | 0 | 6 | 0 | 4 | 0 | 1 | 20 | 1 | .200 | .262 | .233 | .495 | |
2002 | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
ダイエー ソフトバンク | 35 | 102 | 87 | 10 | 20 | 4 | 0 | 1 | 27 | 7 | 1 | 0 | 8 | 0 | 4 | 0 | 3 | 15 | 3 | .230 | .287 | .310 | .598 | |
'02計 | 39 | 103 | 88 | 10 | 20 | 4 | 0 | 1 | 27 | 7 | 1 | 0 | 8 | 0 | 4 | 0 | 3 | 16 | 3 | .227 | .284 | .307 | .591 | |
2003 | 10 | 13 | 10 | 2 | 2 | 1 | 0 | 1 | 6 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 1 | .200 | .385 | .600 | .985 | |
2004 | 28 | 77 | 67 | 6 | 15 | 6 | 0 | 0 | 21 | 6 | 0 | 0 | 7 | 0 | 1 | 0 | 2 | 23 | 2 | .224 | .257 | .313 | .571 | |
2005 | 6 | 12 | 10 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .200 | .200 | .200 | .400 | |
通算:12年 | 534 | 1285 | 1124 | 82 | 224 | 39 | 0 | 18 | 317 | 94 | 2 | 5 | 67 | 2 | 67 | 1 | 25 | 338 | 33 | .199 | .259 | .282 | .541 |
- 各年度の太字はリーグ最高
- ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更
年度 | 捕手 | 一塁手 | ||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 捕逸 | 企図数 | 許盗塁 | 盗塁刺 | 盗塁阻止率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | ||
1994 | 23 | 68 | 7 | 2 | 2 | .974 | 1 | 9 | 5 | 4 | .444 | - | ||||||
1995 | 57 | 261 | 20 | 5 | 4 | .983 | 2 | 37 | 25 | 12 | .324 | - | ||||||
1996 | 100 | 560 | 43 | 5 | 9 | .992 | 4 | 81 | 60 | 21 | .259 | - | ||||||
1997 | 80 | 322 | 43 | 5 | 11 | .986 | 5 | 73 | 49 | 24 | .329 | - | ||||||
1998 | 60 | 218 | 12 | 1 | 0 | .991 | 1 | 31 | 24 | 7 | .226 | - | ||||||
1999 | 51 | 119 | 12 | 1 | 0 | .992 | 0 | 13 | 8 | 5 | .385 | - | ||||||
2000 | 19 | 26 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | 1 | 6 | 5 | 1 | .167 | - | ||||||
2001 | 31 | 147 | 10 | 1 | 2 | .994 | 1 | 9 | 7 | 2 | .222 | - | ||||||
2002 | 38 | 190 | 5 | 0 | 0 | 1.000 | 0 | 1 | 1 | 0 | .000 | - | ||||||
2003 | - | 3 | 3 | 0 | 0 | 1 | 1.000 | |||||||||||
2004 | 23 | 125 | 9 | 0 | 1 | 1.000 | 1 | 13 | 8 | 5 | .385 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1.000 | |
2005 | 6 | 30 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | 0 | 4 | 3 | 1 | .250 | - | ||||||
通算 | 488 | 2066 | 165 | 21 | 33 | .991 | 18 | 277 | 195 | 82 | .296 | 4 | 5 | 0 | 0 | 2 | 1.000 |
3.2. 記録
; 初記録
- 初出場:1994年6月24日、対オリックス・ブルーウェーブ13回戦(東京ドーム)、9回表に捕手として出場
- 初安打:1994年6月26日、対オリックス・ブルーウェーブ15回戦(東京ドーム)、7回裏に山中潔の代打として出場、野村貴仁から安打
- 初先発出場:1994年7月3日、対千葉ロッテマリーンズ13回戦(東京ドーム)、9番・捕手として先発出場
- 初打点:1994年9月18日、対近鉄バファローズ25回戦(藤井寺球場)、8回表に酒井弘樹から2点適時打
- 初本塁打:1995年5月6日、対近鉄バファローズ7回戦(藤井寺球場)、1回表に小池秀郎から2ラン本塁打
- 初盗塁:2001年5月12日、対オリックス・ブルーウェーブ11回戦(東京ドーム)、4回裏に二盗(投手:加藤伸一、捕手:日高剛)
; その他の記録
- プロ初盗塁が出場425試合目 ※パ・リーグ野手最遅記録
3.3. 背番号
- 31(1993年 - 2002年途中)
- 57(2002年途中 - 2003年)
- 22(2004年 - 2005年)
- 96(2006年 - 2008年)
- 72(2009年 - 2010年)
- 88(2015年)
- 82(2016年)
- 86(2017年)