1. 概要
白井裕人(白井 裕人しらい ゆうと日本語、Yuto Shiraiシライ ユウト英語、시라이 유토シライ ユウト韓国語、Yuto Shiraiシライ ユウトベトナム語、Yuto Shiraiシライ ユウトマレー語)は、1988年6月19日生まれの日本のプロサッカー選手である。千葉県柏市出身で、ゴールキーパー(GK)としてJリーグのツエーゲン金沢に所属している。
白井選手は、そのプロキャリアを通じて、複数のクラブで熾烈なポジション争いを経験しながらも、堅実なプレーと地道な努力でチームに貢献し続けてきた。特に、松本山雅FCでのJ2リーグ昇格への貢献や、ツエーゲン金沢で長らく守護神としてゴールを守り続けた経緯は、彼のプロフェッショナルとしての粘り強さと、チームのために尽力する姿勢を象徴している。華やかな記録よりも、日々の練習と試合における確かな貢献を重視する視点から、彼のキャリアは多くの人々に示唆を与えるものとして評価される。
2. 生涯と背景
白井裕人は1988年6月19日、千葉県柏市に生まれた。身長は184 cm、体重は78 kgで、血液型はA型である。利き足は右足。サッカーのポジションはゴールキーパーを務める。
2.1. ユース・大学時代
白井は、プロサッカー選手となる以前からサッカーに打ち込んでいた。ユース時代は、柏イーグルスTOR'82に所属し、その後、流通経済大学柏高校でプレーした。
高校卒業後の2007年から2010年にかけては、流通経済大学サッカー部に所属し、大学サッカー界で経験を積んだ。この期間中の2008年には、社会人サッカーリーグの関東サッカーリーグ1部に所属するクラブ・ドラゴンズでもプレーし、大学の活動と並行して実戦経験を重ねた。
3. プロ経歴
白井裕人のプロサッカー選手としてのキャリアは、2011年に松本山雅FCに加入したことから始まった。その後、ツエーゲン金沢へ移籍し、一貫してゴールキーパーとしての地位を確立すべく奮闘してきた。
3.1. 松本山雅FC時代
白井は2011年にJFLの松本山雅FCに加入し、プロとしての第一歩を踏み出した。この初年度に19試合に出場し、チームのJ2リーグ昇格に大きく貢献した。これは、彼のキャリアにおける重要な転換点であり、チームの目標達成に貢献したことによって、彼の存在感を示した。
J2昇格後も、彼は野澤洋輔とレギュラーポジションを巡って激しい競争を繰り広げながら、試合に出場し続けた。しかし、2014年からは村山智彦が正ゴールキーパーの座を確立したため、白井の出場機会は大幅に減少した。この時期は、彼のキャリアにおける試練の時であったが、彼は忍耐強く練習を続け、次の機会を待ち続けた。
3.2. ツエーゲン金沢時代
2017年、白井はツエーゲン金沢に完全移籍。新天地でのスタートは、彼のプロキャリアにおいて新たな章を開いた。金沢では、彼はすぐにチームの守護神としての地位を確立し、原田欽庸から正ゴールキーパーの座を奪取した。彼の安定したパフォーマンスは、チームに確かな安心感をもたらした。
その後も、白井は激しいポジション争いに晒されることとなる。2018年にはガンバ大阪から田尻健が、2019年には湘南ベルマーレから後藤雅明が、さらに2020年にはFC琉球から石井綾といった実力派のゴールキーパーが次々と加入した。しかし、白井はこれらの選手との激しい競争を勝ち抜き、長年にわたってチームのゴールを守り続けた。これは、彼の精神的な強さと、常に自身の能力を高め続ける姿勢が評価された結果である。
しかし、2021年シーズンには、再び後藤雅明が湘南から完全移籍で金沢に復帰すると、白井はレギュラーの座を奪われ、シーズン中の出場はわずか5試合に留まった。この時期は、彼のキャリアにおいて再び困難な局面であったが、彼はそれでもチームのために献身的な姿勢を崩すことはなかった。
2022年シーズンには背番号を1に変更。前年にレギュラーを務めた後藤が移籍したため、白井は再び開幕戦の先発に抜擢された。これは、彼がどれほど信頼され、チームにとって不可欠な存在であるかを示すものであった。白井は、常に与えられた役割を全うし、チームの勝利に貢献することを使命としている。
4. 個人成績
白井裕人のプロキャリアにおける各クラブでの個人成績は以下の通り。
Jリーグ初出場は、2012年8月12日のJ2リーグ第28節、カターレ富山戦(富山)であった。
クラブ成績 | リーグ戦 | カップ戦 | リーグカップ | 通算 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
シーズン | 所属クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |
日本 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | 通算 | |||||||
2007 | 流経大 | - | JFL | 2 | 0 | - | 0 | 0 | 2 | 0 | |
2008 | ドラゴンズ | 1 | 関東1部 | 11 | 0 | - | - | 11 | 0 | ||
2011 | 松本 | JFL | 19 | 0 | 4 | 0 | - | 23 | 0 | ||
2012 | J2 | 14 | 0 | 1 | 0 | - | 15 | 0 | |||
2013 | J2 | 27 | 0 | 0 | 0 | - | 27 | 0 | |||
2014 | J2 | 0 | 0 | 1 | 0 | - | 1 | 0 | |||
2015 | J1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | ||
2016 | J2 | 1 | 0 | 1 | 0 | - | 2 | 0 | |||
2017 | 金沢 | J2 | 42 | 0 | 2 | 0 | - | 44 | 0 | ||
2018 | J2 | 33 | 0 | 1 | 0 | - | 34 | 0 | |||
2019 | J2 | 39 | 0 | 0 | 0 | - | 39 | 0 | |||
2020 | J2 | 36 | 0 | - | - | 36 | 0 | ||||
2021 | J2 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 6 | 0 | ||
2022 | J2 | 41 | 0 | 0 | 0 | - | 41 | 0 | |||
2023 | J2 | 37 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 38 | 0 | ||
2024 | J3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
2025 | J3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
J1通算 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | |||
J2通算 | 275 | 0 | 5 | 0 | 8 | 0 | 288 | 0 | |||
J3通算 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
JFL通算 | 21 | 0 | 4 | 0 | 4 | 0 | 29 | 0 | |||
関東1部通算 | 11 | 0 | - | - | 11 | 0 | |||||
その他通算 | - | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |||||
総通算 | 308 | 0 | 10 | 0 | 12 | 0 | 330 | 0 |
5. プレースタイル
白井裕人のプレースタイルに関する詳細な記述は限られているものの、長年にわたるプロキャリアと、数々の激しいポジション争いを勝ち抜いてきた経緯から、彼のゴールキーパーとしての特徴を推察することができる。
彼は、派手さはないが、堅実なセービング能力と安定したゴールキーピングが持ち味であると考えられる。特に、チームメイトに安心感をもたらす存在として、冷静な判断力と確実なプレーでゴールを守ることに長けている。継続的な努力を惜しまない姿勢は、彼が「守護神」として信頼を勝ち得てきた理由であり、チームの守備における基盤を支える重要な役割を果たしてきた。彼のプレーは、個の輝きだけでなく、チーム全体の安定に貢献する職人的な側面が強い。
6. タイトル・栄誉
白井裕人に関する個人のタイトルや栄誉の記録は、現在のところ確認されていない。
しかし、彼のキャリアにおける特筆すべき功績として、2011年に所属していた松本山雅FCがJ2リーグへ昇格した際の貢献が挙げられる。彼はこの重要なチームの目標達成に選手として参加し、その一員としてチームの歴史的な成功に寄与した。
7. 関連項目
- 千葉県出身の人物一覧
- 松本山雅FCの選手一覧
- ツエーゲン金沢の選手一覧