1. 概要
石末龍治(いしずえ りゅうじ)は、1964年7月22日に兵庫県伊丹市で生まれた日本の元サッカー選手であり、現在はアルビレックス新潟のGKコーチを務めています。選手時代はゴールキーパーとして、横浜フリューゲルス(旧全日空横浜サッカークラブ)とヴィッセル神戸で活躍しました。特に横浜フリューゲルス時代には、森敦彦などの陰に隠れながらも、出場機会を得た際には好セーブを連発し、「控え最強のGK」と称されました。1993年の天皇杯決勝では横浜フリューゲルスを優勝に導き、ヴィッセル神戸では旧JFLからJリーグへの昇格に貢献しました。現役引退後はヴィッセル神戸で長年にわたり指導者を務め、若手選手の育成に尽力しました。
2. 生い立ちと教育
石末龍治は、兵庫県伊丹市に生まれました。幼少期からサッカーに親しみ、その才能を育んでいきました。
2.1. 幼少期と高校時代
石末龍治は兵庫県伊丹市で生まれ育ちました。高校時代には兵庫県立伊丹北高等学校でサッカー部に所属し、3年生の時に兵庫県選抜に選出されました。この選抜チームは兵庫県初の優勝に貢献し、石末は当時同校の和田昌裕、永島昭浩と共に「兵庫・高校三羽がらす」として注目を集めました。
2.2. 大学時代
高校卒業後、石末龍治は東海大学に進学し、引き続きサッカー部に所属して選手としての技術を磨きました。
3. 選手キャリア
石末龍治は、全日空サッカークラブ(後の横浜フリューゲルス)でプロキャリアをスタートさせ、ヴィッセル神戸を経て、1998年に現役を引退しました。
3.1. 全日空 (横浜フリューゲルス) 時代
石末は東海大学を卒業後、1987年に全日空横浜サッカークラブ(後に横浜フリューゲルスへ改称)に入団しました。当初は出場機会が限られていましたが、1989-90シーズンにはレギュラーゴールキーパーとして多くの試合に出場しました。しかし、1990-91シーズンには新加入の真田雅則や、1992年以降は森敦彦にレギュラーを奪われる形となりました。それでも、森の不調や出場停止によって試合に出場する際には、好セーブを連発し、他チームの選手やサポーターからは「控え最強のGK」と高く評価されました。1993年には、天皇杯決勝で出場停止の森に代わって先発出場し、安定したプレーでクラブ初の主要タイトル獲得に大きく貢献しました。この決勝戦は、石末にとってそのシーズン唯一の公式戦出場でした。
3.2. ヴィッセル神戸 時代
1995年、石末は地元である旧JFL所属のヴィッセル神戸へ移籍しました。ヴィッセル神戸ではレギュラーゴールキーパーとして活躍し、翌年にはJFL2位となり、Jリーグ昇格に貢献しました。奇しくも、石末がヴィッセル神戸に移籍した1995年の5月には永島昭浩が、7月には和田昌裕もヴィッセル神戸に入団しており、高校時代の「三羽がらす」が13年ぶりに同じチームで再会することとなりました。しかし、1998年には前田信弘が加入したことで再び出場機会が減少しました。
3.3. 選手引退
石末龍治は1998年シーズン限りでプロサッカー選手としての現役を引退しました。引退後もヴィッセル神戸に残り、コーチやアカデミースタッフとして後進の育成に携わりました。
4. クラブ成績
石末龍治のプロ選手時代における各クラブでのリーグ戦、カップ戦、リーグカップなどの公式戦出場記録および得点記録は以下の通りです。
クラブ成績 | リーグ戦 | カップ戦 | リーグカップ | 合計 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
日本 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | 合計 | ||||||
1987-88 | 全日空横浜 | JSL2部 | ||||||||
1988-89 | JSL1部 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 | |
1989-90 | 20 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 20 | 0 | ||
1990-91 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
1991-92 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | ||
1992 | 横浜フリューゲルス | J | - | 0 | 0 | 5 | 0 | 5 | 0 | |
1993 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | ||
1994 | 7 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 9 | 0 | ||
1995 | ヴィッセル神戸 | 旧JFL | 23 | 0 | 3 | 0 | - | 26 | 0 | |
1996 | 30 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 33 | 0 | ||
1997 | J | 28 | 0 | 2 | 0 | 5 | 0 | 35 | 0 | |
1998 | 13 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | 19 | 0 | ||
総通算 | 137 | 0 | 11 | 0 | 16 | 0 | 164 | 0 |
- Jリーグ初出場 - 1994年6月8日 対ヴェルディ川崎戦(国立競技場)
その他の公式戦
- 1991年 コニカカップ 2試合0得点
- 1998年 J1参入決定戦 1試合0得点
5. 指導者キャリア
石末龍治は、選手引退後もサッカー界に留まり、主にGKコーチとして後進の育成に尽力しています。
5.1. ヴィッセル神戸での指導歴
1999年に現役を引退した石末は、そのままヴィッセル神戸に残り、指導者の道を歩み始めました。1999年から2001年まで普及コーチを務め、その間、2000年から2006年まではJFAナショナルトレセンコーチも兼任しました。その後も、2002年から2003年にはユースコーチ、2004年から2005年にはジュニアユース監督を歴任しました。2006年から2007年にはU21 GKコーチ、2008年には育成アドバイザーとしてクラブの育成部門を支えました。2009年から2015年までU18 GKコーチを務め、2010年から2016年まで兵庫県サッカー協会GKプロジェクトチーフを兼任しました。2016年にはU18 GKコーチ兼アカデミーダイレクターとなり、2017年から2018年1月まではアカデミーダイレクターとして、ヴィッセル神戸のアカデミー全体の統括に携わりました。
5.2. その他の指導歴
ヴィッセル神戸を離れた後も、石末はサッカー指導者としての活動を続けています。2019年には三田松聖高等学校のアドバイザーに就任しました。そして2020年からはアルビレックス新潟のトップチームGKコーチを務め、2025年からは同クラブのU-18 GKコーチに就任することが決定しています。
6. 著名なエピソードと逸話
石末龍治のキャリアには、記憶に残るいくつかのエピソードがあります。
- 1998年J1参入決定戦での神懸りなセーブ**: 1998年のJ1ファーストステージで、コンサドーレ札幌相手に痛恨のミスを犯し、それが原因でレギュラーから外されてしまいました。しかし、同年11月26日に行われたJ1参入決定戦(相手は再びコンサドーレ札幌)では、神懸りなセーブを連発し、チームをJ2降格の危機から救いました。この活躍は、彼の強い精神力と高い実力を示すものでした。
- 漫画『キャプテン翼』への登場**: 横浜フリューゲルス時代には、人気漫画『キャプテン翼』に名前だけが登場するという逸話があります。作中では、若島津健にレギュラーの座を奪われるという形で描かれました。
7. 評価と影響
石末龍治は、その選手としての能力と指導者としての貢献により、日本サッカー界に多大な影響を与えました。
7.1. 肯定的な評価
石末龍治は、横浜フリューゲルス時代にレギュラーの座を奪われることが多かったにもかかわらず、出場する試合では常に好パフォーマンスを発揮し、その安定感のあるプレーは高い評価を得ていました。特に「控え最強のGK」という異名は、彼の質の高さを象徴しています。1993年の天皇杯優勝やヴィッセル神戸のJリーグ昇格への貢献は、彼の選手としての実績を明確に示しています。
7.2. 日本サッカー界への影響
石末龍治は、選手引退後、長年にわたりヴィッセル神戸の育成部門で指導者として活動し、多くの若手ゴールキーパーの育成に携わりました。JFAナショナルトレセンコーチや兵庫県サッカー協会GKプロジェクトチーフを兼任した経験は、日本サッカーのGK育成システム全体への貢献を示しています。彼の経験と知識は、現在のアルビレックス新潟での指導活動にも生かされており、日本サッカー、特にゴールキーパーのレベル向上に重要な役割を果たしています。また、高校時代からプロまで「三羽がらす」として活躍した同期の選手たちと共に、各クラブの歴史においても重要な存在として語り継がれています。