1. 概要
石神良訓(石神 良訓いしがみ よしのり日本語、1957年11月4日生まれ)は、静岡県出身の元サッカー選手であり、現在はサッカー指導者として活動しています。選手時代は主にディフェンダーとして活躍し、ヤマハ発動機サッカー部(現 ジュビロ磐田)で日本サッカーリーグの優勝や天皇杯制覇に貢献しました。また、日本サッカー日本代表としても国際Aマッチ12試合に出場し、ワールドカップ・メキシコ大会予選やアジア競技大会で活躍しました。引退後はジュビロ磐田の育成部門で指導者として若手選手の育成に尽力しました。
2. 初期生い立ちと背景
2.1. 出生地と幼少期
石神良訓は1957年11月4日に静岡県で生まれました。身長は178 cm、体重は70 kgでした。
2.2. 高校時代
石神は静岡工業高校に所属し、同校のサッカー部で活躍しました。高校時代には、吉田弘と共に全国高等学校サッカー選手権大会で準優勝という輝かしい功績を残しました。
3. 経歴
3.1. クラブキャリア
高校卒業後の1976年、石神は当時静岡県リーグ1部に所属していたヤマハ発動機サッカー部に入部しました。彼は身体能力を活かした屈強なストッパーとして守備陣を支え、チームの躍進に貢献しました。ヤマハ発動機サッカー部は、1977年には地域リーグへ、そして1979年にはJSL2部へと昇格しました。その後、1980年にはJSL1部に昇格し、チームの主力選手として活躍しました。
在籍中、石神はチームの主要な成功に貢献しました。1982年には天皇杯全日本サッカー選手権大会を制覇し、さらに1987-88シーズンにはJSLのリーグチャンピオンに輝きました。彼は選手として2度、JSLのベストイレブンに選出されるなど、その実力は高く評価されました。石神は1990年に現役を引退しました。
3.2. クラブ成績
石神良訓のクラブキャリアにおけるリーグ戦、カップ戦の成績は以下の通りです。
シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | JSLカップ出場 | JSLカップ得点 | 天皇杯出場 | 天皇杯得点 | 合計出場 | 合計得点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1976 | ヤマハ発動機 | 静岡県1部 | - | |||||||
1977 | 東海 | - | ||||||||
1978 | - | - | ||||||||
1979 | JSL2部 | - | ||||||||
1980 | JSL1部 | 9 | 1 | 9 | 1 | |||||
1981 | 17 | 4 | 17 | 4 | ||||||
1982 | JSL2部 | 18 | 1 | 18 | 1 | |||||
1983 | JSL1部 | 18 | 1 | 18 | 1 | |||||
1984 | 18 | 1 | 18 | 1 | ||||||
1985 | 22 | 0 | 22 | 0 | ||||||
1986-87 | 21 | 0 | 21 | 0 | ||||||
1987-88 | 21 | 2 | 21 | 2 | ||||||
1988-89 | 21 | 0 | 21 | 0 | ||||||
1989-90 | 11 | 0 | 5 | 0 | 16 | 0 | ||||
総通算 | 158 | 9 | 5 | 0 | 0 | 0 | 163 | 9 |
3.3. 代表キャリア
石神良訓は、日本サッカー日本代表として国際舞台でも活躍しました。
1984年に日本代表に初選出され、同年9月30日に韓国代表との親善試合で代表デビューを果たしました。当時の森孝慈監督は、加藤久とセンターバックのコンビを組める人材を探しており、石神の能力を高く評価しました。彼はその期待に応え、レギュラーの座を掴みました。
石神は1986 FIFAワールドカップ・メキシコ大会予選に出場し、日本代表の最終予選進出に大きく貢献しました。また、1986年のアジア競技大会にも参加するなど、1986年までに国際Aマッチ12試合に出場しました。
3.3.1. 代表戦詳細
石神良訓の国際Aマッチ出場記録は以下の通りです。
No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1. | 1984年09月30日 | ソウル | サッカー大韓民国代表 | ○2-1 | 森孝慈 | 日韓定期戦 | |
2. | 1985年02月23日 | シンガポール | サッカーシンガポール代表 | ○3-1 | ワールドカップ予選 | ||
3. | 1985年03月21日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | サッカー朝鮮民主主義人民共和国代表 | ○1-0 | ワールドカップ予選 | |
4. | 1985年04月30日 | 平壌 | サッカー朝鮮民主主義人民共和国代表 | △0-0 | ワールドカップ予選 | ||
5. | 1985年05月18日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | サッカーシンガポール代表 | ○5-0 | ワールドカップ予選 | |
6. | 1985年06月04日 | 愛知県 | 名古屋市瑞穂公園陸上競技場 | サッカーマレーシア代表 | ○3-0 | キリンカップ | |
7. | 1985年09月22日 | 香港 | サッカー香港代表 | ○2-1 | ワールドカップ予選 | ||
8. | 1985年10月26日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | サッカー大韓民国代表 | ●1-2 | ワールドカップ予選 | |
9. | 1985年11月03日 | ソウル | サッカー大韓民国代表 | ●0-1 | ワールドカップ予選 | ||
10. | 1986年07月25日 | クアラルンプール | サッカーシリア代表 | ○2-1 | 石井義信 | ムルデカ大会 | |
11. | 1986年09月22日 | 大田 | サッカーイラン代表 | ●0-2 | アジア大会 | ||
12. | 1986年09月24日 | 大田 | サッカークウェート代表 | ●0-2 | アジア大会 |
3.4. 代表成績
石神良訓の年代別国際Aマッチ出場数と得点記録は以下の通りです。
年代 | 出場 | 得点 |
---|---|---|
1984 | 1 | 0 |
1985 | 8 | 0 |
1986 | 3 | 0 |
総計 | 12 | 0 |
3.5. 指導者キャリア
選手引退後、石神良訓は指導者の道に進みました。彼はジュビロ磐田の育成部門で重要な役割を担い、特に育成センターの育成統括を務め、2009年まで若手選手の育成に尽力しました。
4. 私生活
石神良訓の甥には、同じくサッカー選手である石神幸征がいます。