1. ユース時代とユースキャリア
秋元陽太のサッカー選手としてのキャリアは、幼少期から始まり、横浜F・マリノスの育成組織で培われた。
1.1. 出生と幼少期
秋元陽太は1987年7月11日に東京都町田市で生まれた。幼少期は地元のサッカークラブであるCYDフットボールクラブで活動した。
1.2. ユースクラブでの活動
2000年から2002年にかけては、横浜フリューゲルスジュニアユースの流れを汲む横浜F・マリノスジュニアユース菅田に所属した。このジュニアユース組織は2002年を最後に消滅したため、秋元は同組織出身で最初で最後のトップチーム昇格選手となった。
2003年から2005年までは横浜F・マリノスユースに所属し、野津田高等学校に通学しながらサッカーに打ち込んだ。ユース時代には目覚ましい成績を収めている。
- 2005年には高円宮杯U-18サッカーリーグ プリンスリーグ関東で優勝。
- 同年に開催された日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会では準優勝に輝いた。
2. プロクラブキャリア
秋元陽太は、そのプロサッカー選手としてのキャリアを通じて、複数のクラブを渡り歩き、それぞれのチームで重要な役割を果たした。
2.1. 横浜F・マリノス (2006-2011)
2006年、秋元はユース組織から横浜F・マリノスのトップチームに昇格した。しかし、同年10月のJサテライトリーグ、甲府戦で前十字靭帯と内側側副靭帯を断裂する重傷を負った。この負傷により長期離脱を余儀なくされ、2007年に開催されるU-20ワールドカップのメンバー入りを逃した。
2008年7月、J1リーグ第16節の新潟戦において、榎本哲也に代わってJリーグ初出場を果たした。しかし、その後も榎本や1期先輩の飯倉大樹の壁に阻まれ、レギュラーポジションを掴むことはできなかった。横浜F・マリノスに在籍した6年間での公式戦出場はわずか7試合に留まった。
2.2. 愛媛FC (2012-2013)
2012年、秋元はJ2の愛媛FCへ完全移籍した。移籍後はその俊敏性、的確な状況判断、そして高いキック精度を武器に、川北裕介や萩原達郎を抑えて正ゴールキーパーの座を獲得した。低迷するチームにあって、闘志溢れるプレーで奮戦し、チームに大きく貢献した。この期間にリーグ戦83試合に出場した。
2.3. 湘南ベルマーレ (2014-2015)
2014年、秋元は2年連続のオファーを受け、湘南ベルマーレへ完全移籍した。同年はリーグ戦42試合中23試合を無失点に抑える堅守でチームの快進撃を支え、J2リーグ優勝とJ1リーグ昇格を果たす立役者となった。
2015年には、プロ入り後初めて背番号1を着用した。初めて正ゴールキーパーとして迎えるJ1の舞台では、一時は苦しむ場面もあったものの、徐々に安定感を取り戻した。気迫のこもった守備で相手の決定機を阻み、勝ち点をもたらす活躍を見せ、クラブ改称後初となるJ1残留に大きく貢献した。

2.4. FC東京 (2016)
湘南ベルマーレからの契約延長オファーや複数のクラブからの獲得オファーが飛び交う中、GK権田修一の穴埋めを図るFC東京の要請に応じ、2016年に同クラブへ完全移籍した。
シーズン序盤はプレーに迷いが生じ、失点を重ねる悪循環に陥った。終盤には安定感を見せたものの、通年でのセーブ率はリーグ下位に留まった。しかし、同年末にはJリーグフェアプレー個人賞を受賞し、スポーツマンシップの模範として評価された。シーズン終了後、J2降格を喫し、秋元の退団で正ゴールキーパーの補強をポイントとしていた古巣湘南からオファーを受け、わずか1年でFC東京を退団した。
2.5. 湘南ベルマーレ復帰 (2017-2021)
2017年、秋元は湘南ベルマーレに復帰した。開幕からスタメン出場し、湘南のJ2リーグ優勝と1年でのJ1リーグ復帰に大きく貢献した。特筆すべきは、第7節の東京ヴェルディ戦で右手小指を骨折したにもかかわらず、その事実を対外的に伏せ、小指と薬指をテーピングで固定し、ゴールキーパーグローブを4本指仕様に縫い直して試合に出場し続けたことである。このエピソードは、彼の不屈の闘志とチームへの献身を象徴している。
2018年には、Jリーグカップ優勝に大きく貢献した。2019年も引き続き守護神として試合に出場していたが、チームの敗戦が続き、シーズン終盤には富居大樹にポジションを譲った。
2.6. レンタル移籍 (2020-2021)
秋元はキャリアの終盤に2度のレンタル移籍を経験した。
- FC町田ゼルビア (2020)**
2020年、地元東京都町田市を本拠地とするFC町田ゼルビアへ期限付き移籍した。開幕スタメンを勝ち取り、レギュラーに定着したが、シーズン途中で若手の福井光輝にポジションを奪われ、控えに回った。このシーズンは29試合に出場した。
- 愛媛FC (2021)**
2021年、古巣である愛媛FCへ期限付き移籍した。昨シーズンのレギュラーであった岡本昌弘を抑えて開幕スタメンの座を奪取し、以降もレギュラーとしてプレーを続けた。しかし、7月4日に行われたJ2リーグ第21節のブラウブリッツ秋田戦以降はメンバーから外れた。その後、9月14日に左膝骨軟骨損傷で離脱していたことが発表された。最終的に2021年シーズンの出場は、負傷離脱前の20試合に留まった。
3. ユース日本代表キャリア
秋元陽太は、各年代の日本ユース代表チームに選出され、国際大会での経験を積んだ。
- U-15日本代表** (2002年)
- U-16日本代表** (2003年)
- 豊田国際ユースサッカー大会 - 優勝
- 国際TOTOユースカップ
- U-17日本代表** (2004年)
- サニックス杯国際ユースサッカー大会 - 準優勝
- Ten Brinke Tournament
- U-18日本代表** (2005年)
- スロバキアカップ
- リスボン国際トーナメント
- 国際ユースサッカーin新潟
- SBSカップ - 準優勝
- 仙台カップ - 準優勝
- AFCユース選手権2006 (予選)
- U-19日本代表** (2006年)
- カタール国際ユーストーナメント - 優勝
4. 引退
秋元陽太は、2021年12月20日にプロサッカー選手としての現役引退を表明した。最後のシーズンは愛媛FCでプレーし、負傷による離脱も経験したが、最後までチームに貢献しようと奮闘した。
5. プレー統計
秋元陽太のプロキャリアにおけるクラブレベルおよび国際クラブ大会でのシーズンごとの出場記録と成績を以下に示す。
5.1. クラブ統計
クラブ | シーズン | リーグ | リーグ戦 | 天皇杯 | Jリーグカップ | その他 | 合計 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |||
横浜F・マリノス | 2006 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2007 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
2008 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | ||
2009 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | ||
2010 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | ||
2011 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | ||
愛媛FC | 2012 | J2 | 42 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 43 | 0 |
2013 | 41 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 41 | 0 | ||
湘南ベルマーレ | 2014 | 42 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 43 | 0 | |
2015 | J1 | 34 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 36 | 0 | |
FC東京 | 2016 | J1 | 34 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 41 | 0 |
湘南ベルマーレ | 2017 | J2 | 42 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 42 | 0 |
2018 | J1 | 34 | 0 | 1 | 0 | 8 | 0 | 0 | 0 | 43 | 0 | |
2019 | 30 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 31 | 0 | ||
FC町田ゼルビア | 2020 | J2 | 29 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 29 | 0 |
愛媛FC | 2021 | J2 | 20 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 20 | 0 |
通算 | 319 | 0 | 11 | 0 | 15 | 0 | 1 | 0 | 346 | 0 |
5.2. 国際クラブ大会統計
クラブ | シーズン | 大会 | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|---|
FC東京 | 2016 | AFCチャンピオンズリーグ | 8 | 0 |
6. 栄誉と実績
秋元陽太がプロサッカー選手として獲得した主なタイトルと個人賞は以下の通りである。
6.1. クラブタイトル
- 横浜F・マリノスユース**
- 高円宮杯 JFA U-18サッカープリンスリーグ関東: 1回 (2005年)
- 湘南ベルマーレ**
- Jリーグカップ: 1回 (2018年)
- J2リーグ: 2回 (2014年, 2017年)
6.2. ユース日本代表タイトル
- U-16日本代表**
- 豊田国際ユースサッカー大会: 1回 (2003年)
- U-18日本代表**
- 国際ユースサッカーin新潟: 1回 (2005年)
- U-19日本代表**
- カタール国際ユーストーナメント: 1回 (2006年)
6.3. 個人タイトル
- Jリーグフェアプレー個人賞: 2回 (2016年, 2018年)
- J2リーグ・月間MVP: 1回 (2017年6月)
7. 私生活とエピソード
- 愛称は「アキ」。
- 太田宏介は幼馴染である。
- 2012年に入籍した。
- 2017年に負傷した右手小指は、その後のテーピングなどの影響もあり、2022年現在も歪んだままである。これは、彼の現役時代の並々ならぬプロ意識と闘志を物語るエピソードとして知られている。
8. その他の活動
秋元陽太は、プロサッカー選手以外の活動も行っている。
- テレビドラマ「オールドルーキー」第1話(2022年6月26日、TBS)にサッカー監修として参加し、ドラマのリアリティ向上に貢献した。
9. 評価とレガシー
秋元陽太は、その粘り強いプレーと精神力で、日本サッカー界に確かな足跡を残した。特に、ゴールキーパーとしての優れた判断力と、困難な状況でもチームを鼓舞する闘志溢れる姿は、多くのファンや関係者から高く評価された。
負傷を隠してプレーを続けたエピソードは、彼のプロフェッショナリズムと責任感の強さを示すものであり、若手選手にとっての模範となるだろう。また、Jリーグフェアプレー個人賞を複数回受賞したことは、彼のプレーが単なる技術や身体能力だけでなく、サッカーというスポーツが持つ倫理的な価値を体現していたことを示している。
湘南ベルマーレでの2度のJ2リーグ優勝とJ1リーグ残留、そしてJリーグカップ優勝への貢献は、彼がチームの成功に不可欠な守護神であったことを証明している。秋元陽太のキャリアは、逆境に立ち向かい、最後まで諦めない精神の重要性を教えてくれる、感動的なレガシーとして記憶されるだろう。