1. 概要
興津大三(おきつ だいぞう、Daizo Okitsu英語、1974年6月15日生まれ)は、兵庫県出身の元サッカー選手であり、現役引退後はサッカークラブのスカウト、コーチ、ゼネラルマネージャー(GM)などを歴任した。現役時代は主にフォワードとしてプレーし、Jリーグの清水エスパルスやセレッソ大阪に所属した。引退後は清水エスパルスでスカウト統括やチーム編成を担当し、後にアーセナルサッカースクール市川のGMを務めるなど、サッカー界の発展に尽力した。
2. 幼少期・教育
興津大三のサッカーへの関わりは幼少期に始まり、学生時代を通じてその才能を育んだ。
2.1. 幼少期・学生時代
興津大三は1974年6月15日に兵庫県で生まれた。幼少期からサッカーに親しみ、西淡湊サッカー少年団に所属して競技を始めた。その後、南あわじ市立御原中学校(当時の名称は西淡町立御原中学校)で1987年から1989年まで、そして静岡市立清水商業高等学校(当時の名称は清水商業高校)で1990年から1992年までサッカー部に所属し、その才能を磨いた。清水商業高校は、数多くのプロサッカー選手を輩出する強豪校として知られている。
2.2. 大学時代
高校卒業後、1993年から1996年まで筑波大学に進学。大学時代もサッカー選手としての活動を続け、フォワードとして活躍した。この期間には、天皇杯にも出場し、3試合に出場して1得点を記録している。大学での経験は、彼の選手としての技術と戦術理解を深める上で重要な時期となった。
3. 選手経歴
興津大三のプロサッカー選手としてのキャリアは、1997年にJリーグの舞台で幕を開けた。
3.1. クラブ経歴
筑波大学を卒業した興津は、1997年にJ1リーグの清水エスパルスに入団。大学ナンバーワンルーキーとして大きな期待を集めた。入団初年度の1997年には、フォワードとしてリーグ戦17試合に出場し、1得点を記録した。しかし、1998年以降は出場機会が減少し、1998年にはリーグ戦出場なし、1999年もリーグ戦出場なしに終わった。
2000年にはセレッソ大阪へ移籍。このシーズンは主にミッドフィルダーとしてプレーし、リーグ戦12試合に出場したものの、得点には結びつかなかった。2000年シーズン終了をもって、興津は現役を引退した。身長は173 cm、体重は75 kgであった。
3.2. クラブ統計
興津大三のプロフェッショナルキャリアにおけるクラブごとの出場記録と得点統計は以下の通りである。
| クラブパフォーマンス | リーグ | 天皇杯 | リーグカップ | 通算 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
| 日本 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | 通算 | ||||||
| 1997 | 清水エスパルス | J1リーグ | 17 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 17 | 1 |
| 1998 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | ||
| 1999 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
| 2000 | セレッソ大阪 | 12 | 0 | 3 | 0 | 3 | 0 | 18 | 0 | |
| プロキャリア通算 | 29 | 1 | 4 | 0 | 4 | 0 | 37 | 1 | ||
注: 上記の表はプロフェッショナルクラブでの記録のみを示す。大学時代には天皇杯に3試合出場し1得点を記録している他、その他の公式戦として1999年に東海チャンピオンシップに1試合出場している。これらの記録を含めた総通算成績は、39試合出場2得点となる。
4. 引退後の経歴
選手引退後、興津大三はサッカー界で多岐にわたる役割を担い、その経験と知識を活かして指導者やクラブ運営に貢献した。
4.1. スカウト・チーム編成担当
現役引退後、興津は主に清水エスパルスの強化部でスカウト統括およびチーム編成を担当した。この職務は2013年まで務め、その間に数々の有望な若手選手の発掘と獲得に貢献した。彼が獲得に携わった主要な選手としては、後にブンデスリーガやプレミアリーグで活躍することになる岡崎慎司、藤本淳吾、大前元紀、本田拓也などが挙げられる。特に岡崎慎司については、入団当時は期待されなかったものの、興津の眼力と努力によりその才能が開花したと評価されている。
4.2. 指導者経歴
興津は、選手発掘や編成の他に、サッカー指導者としても活動している。2001年には滝川第二高校サッカー部のコーチを務めた。翌2002年には、古巣の清水エスパルスでサッカースクールのコーチとして、若年層の育成に携わった。
さらに、2017年には島田樟誠高等学校のサッカー部コーチを務め、高校生の指導に当たった。近年では、奈良県立山辺高等学校と提携しているボスコヴィラサッカーアカデミーで監督を務め、プロを目指す若手選手の育成に尽力している。
4.3. ゼネラルマネージャー (GM) 経歴
2014年には、イングランドのプレミアリーグに所属する強豪アーセナルFCが日本で公式に開設したアーセナルサッカースクール市川のGMに就任した。GMとしての興津は、スクールの創設段階から運営全般を統括し、アーセナルの哲学と育成メソッドを日本に導入する上で重要な役割を果たした。彼の指揮の下、アーセナルサッカースクール市川は日本におけるトップレベルの育成機関の一つとして評価されたが、興津は2016年に同職を退任した。
5. 評価・影響
興津大三は、選手としてはフォワードとしてそのキャリアをスタートさせ、Jリーグで活躍した。引退後は、クラブのスカウトやチーム編成、そして指導者やGMといった多角的なキャリアを築き、日本のサッカー界に幅広い貢献をしてきた。特に、清水エスパルスの強化部で岡崎慎司をはじめとする後の日本代表選手たちを発掘し、その才能を開花させた功績は特筆すべきものである。また、アーセナルFCの育成メソッドを日本に導入するなど、国際的な視点での貢献も果たした。彼のキャリアは、一人のサッカー選手が引退後も多岐にわたる形でサッカー界に関わり、発展に寄与できることを示す好例と言える。
6. 外部リンク
- [https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=1317 Jリーグ選手名鑑 興津大三]