1. 生い立ち
遠藤幸雄の幼少期から体操競技との出会い、そして教育に至るまでの経緯は、彼の競技人生の基盤を築いた重要な時期である。
1.1. 出生と幼少期
遠藤幸雄は1937年1月18日に秋田県秋田市広面字谷内佐渡の薬局を営む家庭に生まれた。彼が広面小学校3年生の時、母親が結核のため死去。その後、中学1年生の冬からは養護施設である感恩講で育った。

1.2. 教育
遠藤は広面小学校を卒業後、久保田中学校、秋田県立秋田工業高等学校に進学した。高校卒業後、東京教育大学(現在の筑波大学)に進み、1959年に卒業した。大学卒業後は日本大学の体育助手として勤務した。
1.3. 体操との出会い
遠藤が体操競技と出会ったのは、久保田中学校2年生の時であった。担任の先生の勧めで体操部に入部し、すぐにその才能を開花させた。市内大会では数々の表彰台に上がり、同じ秋田県出身の体操選手である小野喬を目標として競技に打ち込んだ。
2. 体操選手としてのキャリア
遠藤幸雄は、日本の体操競技界において数々の歴史的な偉業を成し遂げた。オリンピックでの団体総合3連覇、日本人初の個人総合金メダル獲得、そして世界選手権での輝かしい成績は、彼を日本体操界の伝説的存在とした。
2.1. オリンピック
遠藤幸雄は3度の夏季オリンピックに出場し、団体総合で全て金メダルを獲得した。また、個人総合および種目別でも複数のメダルを獲得し、その実力を世界に示した。
2.1.1. 団体総合
遠藤は日本男子体操チームの一員として、以下のオリンピックで団体総合の金メダルを獲得した。
- 1960年ローマオリンピック:日本男子体操チームにとって初の団体総合金メダル獲得に貢献した。
- 1964年東京オリンピック:地元開催のオリンピックで、日本チームの団体総合金メダル連覇に貢献。
- 1968年メキシコシティーオリンピック:日本チームの団体総合3連覇を達成し、この大会では日本選手団の旗手も務めた。
2.1.2. 個人総合
1964年の東京オリンピックでは、遠藤は日本選手として初めて個人総合の金メダルを獲得するという歴史的快挙を成し遂げた。最終種目のあん馬を前に、遠藤は2位のボリス・シャハリン(ソビエト連邦、ローマオリンピック個人総合金メダリスト)に対して絶対的な優位を築いていたが、日本悲願の個人総合優勝がかかる重圧の中、演技中に落下寸前のミスを連発し、会場を凍りつかせた。しかし、長い協議の末に9.10の得点をマークし、ソビエト連邦からの執拗な採点に対する抗議も覆らず、見事に金メダルを獲得した。この快挙を心から喜んだ小野喬は、個人的に遠藤にトロフィーを贈り、遠藤はこのトロフィーを「永遠の記念品」と称した。
2.1.3. 種目別
オリンピックにおける種目別での遠藤の成績は以下の通りである。
- 1964年東京オリンピック:平行棒で金メダル、ゆかで銀メダルを獲得した。
- 1968年メキシコシティーオリンピック:跳馬で銀メダルを獲得した。
2.2. 世界選手権
遠藤幸雄は世界体操競技選手権にも出場し、団体総合および種目別で優れた成績を収めた。
2.2.1. 団体総合
遠藤は日本男子体操チームの一員として、以下の世界選手権で団体総合の金メダルを獲得した。

2.2.2. 個人総合
世界選手権における個人総合での遠藤の成績は以下の通りである。
- 1962年プラハ世界選手権:個人総合で銀メダルを獲得した。
- 1966年ドルトムント世界選手権:個人総合で7位に入賞した。
2.2.3. 種目別
世界選手権における種目別での遠藤の成績は以下の通りである。
- 1962年プラハ世界選手権:ゆかで金メダルを獲得した。また、つり輪と鉄棒で銀メダル、跳馬と平行棒で銅メダルを獲得し、計6個の個人メダルを手にした。
- 1966年ドルトムント世界選手権:ゆかと鉄棒で銀メダルを獲得した。跳馬では4位に入賞した。
2.3. 国内大会
遠藤幸雄は国内の主要な体操大会でも圧倒的な強さを見せ、数々の優勝記録を打ち立てた。
2.3.1. 全日本選手権
全日本体操競技選手権大会における遠藤の個人総合および種目別の優勝記録は以下の通りである。
- 1960年:種目別あん馬で優勝。
- 1962年:個人総合、ゆか、つり輪、跳馬、鉄棒で優勝。
- 1963年:個人総合、ゆか、つり輪、跳馬で優勝。
- 1964年:個人総合、ゆか、あん馬、跳馬、平行棒、鉄棒で優勝。
- 1965年:個人総合、ゆか、跳馬、鉄棒で優勝。
遠藤はこれらの活躍により、全日本選手権で4度の個人総合優勝を果たした。
2.3.2. NHK杯
NHK杯体操選手権における遠藤の個人総合優勝記録は以下の通りである。
- 1963年:個人総合で優勝。
- 1964年:個人総合で優勝。
- 1965年:個人総合で優勝。
- 1966年:個人総合で優勝。
3. 受賞歴
遠藤幸雄は、体操選手としての輝かしい功績に加え、引退後の指導者・教育者としての貢献も高く評価され、国内外から様々な栄典や表彰を受けた。
3.1. 国内の栄典
遠藤は日本政府から以下の栄典を授与された。
- 1996年:紫綬褒章を受章。
- 2008年:旭日中綬章を受章。
3.2. 国際的な栄典
1999年、遠藤は体操界における国際的な功績が認められ、国際体操殿堂入りを果たした。
また、1964年の東京オリンピック個人総合優勝の功績を基に、ドイツから第1回アテネオリンピックの優勝メダルが「最も高い成績を残した選手に」として託された。このメダルは後に秩父宮スポーツ博物館に寄贈されたが、その後盗難に遭い、現在も取り戻されていない。
4. 引退後
現役引退後の遠藤幸雄は、指導者、教育者、そして体操協会の役員として、日本の体操界の発展に多大な貢献をした。
4.1. 指導者・教育者として
遠藤は日本大学に就職し、体育助手としてキャリアをスタートさせた。引退後は日本大学文理学部の教授を務め、後進の育成に尽力した。また、1972年ミュンヘンオリンピックでは日本代表チームのチームリーダーを務めるなど、指導者としても活躍の場を広げた。さらに、セントラルスポーツの設立者の一人としても、日本のスポーツ振興に貢献した。
4.2. 体操協会役員として
遠藤は日本体操協会において、専務理事、副会長を歴任し、最終的には協会顧問を務めた。また、日本オリンピック委員会の理事も務めるなど、体操競技の普及と発展に尽力した。
5. 私生活
遠藤幸雄の私生活については、公にされている情報は限られているが、彼の家族、特に息子も体操選手として活躍している。
5.1. 家族
遠藤幸雄には妻と子供がおり、長男である遠藤幸一も父と同じく体操選手となった。幸一氏は現在、日本体操協会の常務理事を務めている。
6. 死去
遠藤幸雄は2009年3月25日、食道がんのため72歳で逝去した。彼は生前、自身が育った養護施設である感恩講への寄付を最期まで続けていた。
7. 評価
遠藤幸雄は、その生涯を通じて体操競技に情熱を注ぎ、選手としても指導者としても日本体操界に計り知れない功績を残した。
7.1. 功績と評価
体操選手としての遠藤の功績は計り知れない。彼は日本男子体操チームが初めてオリンピックと世界選手権で団体総合の金メダルを獲得した際の中心選手であり、特に1964年の東京オリンピックでの個人総合金メダルは、日本人として初の快挙であり、日本体操界の歴史に深く刻まれる偉業であった。彼の卓越した技術と精神力は、多くの後進の選手たちに影響を与えた。
引退後も、大学教授として教育に携わり、日本代表チームのコーチとして後進を指導した。また、日本体操協会や日本オリンピック委員会の要職を歴任し、体操競技の普及と発展に尽力した。彼の存在は、日本の体操が世界のトップレベルを維持する上で不可欠であったと評価されている。
7.2. 批判・論争
遠藤幸雄の言動や業績に関して、特筆すべき批判や論争は確認されていない。しかし、彼が1964年東京オリンピック個人総合優勝の功績により贈られた第1回アテネオリンピックの優勝メダルが盗難に遭い、現在も行方不明となっているという残念な出来事があった。これは遠藤自身の責任ではないが、彼の功績にまつわる一つの出来事として記録されている。
8. 影響
遠藤幸雄の活動は、後進の体操選手や日本体操界全体に多大な影響を与え、その後の発展の礎を築いた。
8.1. 後進への影響
遠藤の体操選手としての輝かしい実績、特に日本人初のオリンピック個人総合金メダル獲得は、多くの若い体操選手にとって大きな目標とインスピレーションとなった。彼の完璧な演技と、重圧の中でも結果を出す精神力は、後の世代の選手たちに大きな影響を与えた。
また、引退後に指導者として活躍した遠藤は、自身の経験と知識を惜しみなく後進に伝え、日本体操界の技術水準の向上に貢献した。彼が日本大学や日本代表チームで指導した選手たちの中から、多くの優秀な体操選手が育ち、日本体操の黄金時代を支える人材となった。遠藤の功績は、単なるメダル獲得に留まらず、日本体操界全体の発展に深く寄与したものである。
9. 外部リンク
- [https://www.ighof.com/inductees/1999_Yukio_Endo.php 国際体操殿堂(Yukio Endo)]
- [http://www.tokyo2016.or.jp/jp/olympics/2007/06/4.html 私の東京オリンピック 第4回 遠藤幸雄]
- [http://www.britishpathe.com/video/japanese-gymnasts-visit-budapest/query/Endo ブダペストでの演技映像]
- [http://www.gymnaflash.com/hb_end_a.htm Endo(アニメーション)]