1. 概要
鈴木明子(すずき あきこ、1985年3月28日生まれ)は、日本のプロフィギュアスケーターであり、現在は振付師としても活躍している。愛知県豊橋市出身。6歳でスケートを始め、ジュニア時代から頭角を現したものの、大学進学後に摂食障害に苦しみ、一時競技活動を中断する逆境を経験した。しかし、彼女はその困難を乗り越えて競技に復帰し、日本を代表するフィギュアスケート選手へと成長した。
競技キャリアにおいては、2000年代から2010年代にかけて女子シングルで顕著な成績を収めた。特に、20代半ばから国際大会での躍進を見せ、「遅咲きの選手」として知られる。2010年バンクーバーオリンピックと2014年ソチオリンピックでは2大会連続で8位入賞を果たし、2012年世界フィギュアスケート選手権では銅メダルを獲得、ISUグランプリファイナルでは2011年に銀メダル、2009年と2012年に銅メダルを獲得している。また、2013年の全日本選手権では悲願の初優勝を飾り、競技人生の集大成を飾った。
引退後は、フィギュアスケートの振付師、解説者、アイスショー出演、メディア出演など、多岐にわたる分野で活動している。彼女の経験、特に摂食障害を克服し、諦めずに夢を追い続けた姿勢は、多くの人々に勇気と希望を与え、その人間的な成長と社会への影響は高く評価されている。
2. 人物
鈴木明子の個人的な背景や私生活は、彼女の競技キャリアと同様に、困難を乗り越える強い意志と人間的な魅力に満ちている。
2.1. 生い立ちと教育

鈴木明子は1985年3月28日に愛知県豊橋市で生まれた。幼少期は豊橋市立花田小学校に通った。フィギュアスケートは6歳の時に始めた。名古屋経済大学高蔵中学校・高等学校を経て、東北福祉大学総合福祉学部社会福祉学科を卒業している。初期の指導は荻野正子コーチのもとで行われ、ノービス時代からその才能を発揮した。中学1年生の頃からは、ジャンプ指導に定評のある長久保裕コーチが仙台市で開催していた夏合宿に毎年参加するようになり、高校に進学してジュニアGPシリーズに出場するようになってからは、夏休み期間中を仙台で過ごし、長久保コーチの指導を受けるようになった。
2.2. 摂食障害と克服
大学進学を機に、鈴木は大きな試練に直面した。2003年春に東北福祉大学に進学し、長久保コーチの自宅に下宿して指導を受けるようになったが、初めて親元を離れるなどの環境の変化がストレスとなり、摂食障害(拒食症)を発症した。健康を害し、体重は32 kgまで激減。ジャンプを跳ぶこともできない状態となり、2003-2004シーズンは全ての競技会を欠場せざるを得なかった。この時期について、彼女は「幽霊みたい」と形容されるほどだったという。
しかし、鈴木は諦めなかった。2004年世界フィギュアスケート選手権における荒川静香の優勝に触発され、競技への復帰を決意。失った体重を取り戻すのに1年を要したものの、2004-2005シーズンから競技会に復帰した。この苦難の道のりは、彼女のその後の競技生活における粘り強さと精神的な強さの礎となった。
2.3. 家族関係と私生活
鈴木明子は2016年6月に自身の出演番組で小学校時代の同級生との婚約を発表し、翌2017年2月1日に結婚したことを公表した。しかし、2018年9月には離婚している。
彼女の趣味は読書とヨガであり、特技は書道と料理である。女性シンガーのMetisの楽曲を好み、練習中に聴くこともある。Metisとは誕生日が同じであるなど親交が深く、鈴木がMetisのプロモーションビデオに出演したこともある。また、レッドブルを愛飲しており、疲労時や勝負どころで飲むことがあるという。
2018年3月には、トルコ・イスタンブール日本人会の親善大使に就任し、国際的な活動にも携わっている。彼女の温厚で親しみやすい人柄は、こうした公的な場でも多くの人々に良い印象を与えている。
3. 競技キャリア
鈴木明子のフィギュアスケート競技キャリアは、摂食障害からの復帰という逆境を乗り越え、20代後半で世界トップレベルに到達した「遅咲き」の物語である。
3.1. ジュニア時代とシニア初期
鈴木明子は6歳でスケートを始め、名古屋の荻野正子コーチの指導のもと、ノービス時代からその才能を顕示した。小学6年生からは長久保裕コーチの夏合宿に参加し、ジャンプ技術の向上に努めた。1997-1998シーズンには、初開催された全日本フィギュアスケートノービス選手権大会のAクラスで3位に入賞した。
高校に進学後の2000-2001シーズンには、全日本フィギュアスケートジュニア選手権で2位、全日本選手権で4位という成績を残し、その実力を示した。2001-2002シーズンにはジュニア特別強化選手に指定され、ジュニアGP・SBC杯で優勝、ジュニアGPファイナルでは3位を獲得するなどの国際的な実績を積み上げた。この頃には、彼女の代名詞ともなる定評のある表現力とスケーティング技術が身についていた。2002-2003シーズンからはジュニア特別強化選手兼シニア強化選手となり、ムラドストトロフィージュニアクラスで1位となる。
しかし、2003年春に東北福祉大学へ進学し、長久保裕コーチの自宅に下宿するようになってからの環境の変化が原因で摂食障害を発症し、2003-2004シーズンは全ての競技会を欠場せざるを得ない状況に陥った。この困難を乗り越え、2004-2005シーズンに競技会に復帰。一時は強化指定を解除されたものの、翌シーズンには再指定されるなど、着実に復調の兆しを見せた。2006-2007シーズンにはユニバーシアード冬季大会で優勝し、国際舞台での存在感を示した。
大学卒業後の2007年4月、鈴木は長久保裕コーチのいる名古屋の邦和スポーツランドに拠点を移し、同施設の運営会社の契約社員として活動を続けた。2007-2008シーズンにはゴールデンスピンで優勝し、全日本選手権でも5位に入賞した。
2008-2009シーズンには、ネーベルホルン杯で3位、フィンランディア杯で優勝を果たす。そして、開催国枠で初出場したNHK杯では銀メダルを獲得し、シニアのグランプリシリーズで初めて表彰台に上がった。全日本選手権では4位となり、惜しくも世界選手権の代表は逃したものの、7シーズンぶりに四大陸選手権に出場し8位に入った。この時期は、彼女が国際舞台で本格的な躍進を始めるための足がかりを築いたと言える。
3.2. 躍進期 (2008年 - 2010年)

24歳で迎えた2009-2010シーズンは、鈴木明子の競技キャリアにおける大きな転換点となった。2009年中国杯で、自身初のグランプリシリーズ優勝を飾り、その勢いのまま初出場となったISUグランプリファイナルでは銅メダルを獲得した。
国内大会では、全日本選手権で自身初の表彰台となる2位に入賞し、2010年バンクーバーオリンピックの代表に選出された。これは、長年の努力が実を結んだ瞬間であった。
2010年1月に全州で開催された四大陸選手権では銀メダルを獲得。この大会のSPでは、スピン、ステップ、スパイラルといった全ての要素で最高評価のレベル4を獲得するなど、技術面での完成度の高さを見せつけた。
そして、2010年2月のバンクーバーオリンピック本番では、SPで11位と出遅れたものの、フリースケーティングで7位の演技を披露し、総合8位入賞を果たした。オリンピック後には、現役引退を発表した中野友加里に代わり、自身初の世界選手権(トリノ大会)に出場。SPで20位と大きく出遅れたものの、フリーで巻き返し、総合11位という結果を残した。
3.3. 全盛期と世界選手権メダル獲得 (2011年 - 2013年)

2011年から2013年にかけては、鈴木明子の選手としての最盛期であった。2010-2011シーズンは、開幕戦のフィンランディア杯で優勝。グランプリシリーズでは中国杯とロシア杯でともに銀メダルを獲得し、2年連続でISUグランプリファイナルに進出したが、4位に留まった。全日本選手権では4位に終わり、惜しくも世界選手権代表を逃すも、四大陸選手権には3年連続で出場し、7位となった。
2011-2012シーズンは、再びグランプリシリーズで躍進を見せた。スケートカナダで銀メダル、NHK杯ではSPで自身初の3回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させ、SPとトータルスコアで当時の自己ベストを記録し、2年ぶりのグランプリシリーズ優勝を果たした。この結果、3年連続のグランプリファイナル進出を決め、同大会では銀メダルを獲得した。全日本選手権では浅田真央に次ぐ2位となり、2年ぶり2回目の世界選手権代表に選出された。
2012年3月の世界選手権(フランス・ニース)では、SPで5位と出遅れたものの、フリースケーティングで2位の好演を見せ、総合3位で銅メダルを獲得。27歳での世界選手権メダル獲得は、日本女子シングル史上最年長記録という快挙であった。さらに、初出場となった世界国別対抗戦では、SPでパーソナルベストを更新し2位、フリーも2位となり、女子シングルでは総合1位を獲得。日本代表の総合優勝に大きく貢献した。
2012-2013シーズンは、スケートカナダとNHK杯でともにSPが5位発進と不調ながらも、フリーでの好演技により両大会で2位に入り、4年連続でグランプリファイナルに進出した。グランプリファイナルではフリーで2度のジャンプ転倒があり、総合3位に留まった。全日本選手権ではSPで首位に立つも、フリーでジャンプのミスや回転不足が重なり、総合4位に終わった。
地元日本・大阪で開催された四大陸選手権では、トータルスコアでパーソナルベストを更新し総合2位に入賞。この大会では浅田真央、村上佳菜子とともに日本女子が表彰台を独占する快挙を達成した。しかし、世界選手権ではSPで7位と出遅れ、フリーでもミスが重なり総合12位と振るわなかった。それでも、2013年世界国別対抗戦では、女子シングルで再び1位を獲得し、チーム日本の総合3位入賞に貢献。この大会で記録したフリースケーティング133.02点と合計199.58点は、鈴木自身のパーソナルベストスコアである。
3.4. 全日本選手権優勝と引退シーズン (2013年 - 2014年)
2013-2014シーズンは、鈴木明子にとって競技生活の集大成となるシーズンであった。このシーズンから、井上智子をスポーツトレーナーとして迎え、体幹トレーニングを強化するなど、身体面からのアプローチも取り入れた。フィンランディア杯、スケートカナダで銀メダル、NHK杯では銅メダルを獲得したが、ISUグランプリファイナル進出は惜しくも叶わなかった。
しかし、2013年12月に開催された全日本選手権で、彼女の長年の夢が実現する。SPでは2位発進だったが、フリースケーティングではGOE(出来栄え点)でマイナス評価が一つも付かない完璧な演技を披露し、悲願の初優勝を飾った。28歳での全日本選手権優勝および冬季オリンピック代表選出は、女子シングルの史上最年長記録となり、その「遅咲き」のキャリアを象徴する偉業となった。
2014年ソチオリンピックでは、両足小指の魚の目の痛みに悩まされながらも、団体戦のフリースケーティングに出場し4位、日本代表としては総合5位に貢献した。個人戦の女子シングルではSPで8位、フリーでも転倒があり8位に留まったものの、これで2大会連続のオリンピック8位入賞を達成。これは女子フィギュアスケート日本代表選手としては史上5人目となる快挙であり、その粘り強さと精神的な強さを改めて示した。
そして、キャリア最後の大会となった2014年3月の世界選手権(さいたま市)では、SPで自身初の70点台(71.02点)を記録し4位発進。フリーではジャンプのミスや回転不足が重なり、総合6位に終わった。それでも、29歳での世界選手権入賞(8位以内)は、日本女子シングル史上最年長記録である。この大会をもって、鈴木明子はフィギュアスケート競技生活からの引退を発表した。
4. 引退後の活動
競技生活引退後、鈴木明子はフィギュアスケートの世界で多岐にわたる活動を展開している。
4.1. 振付師として
2014年の引退後、鈴木は長年のコーチであった長久保裕とともに、愛知県の邦和スポーツランドスケートクラブで指導にあたりながら、振付師としての活動を開始した。彼女は、自身が指導を受けたシェイ=リーン・ボーンやパスカーレ・カメレンゴといった振付師たちから大きな影響を受け、振付の道へ進むきっかけとなったと語っている。
2015-2016シーズンには、本郷理華選手のショートプログラム「インカンテーション(シルク・ドゥ・ソレイユ『キダム』より)」の振付を担当し、振付師デビューを果たした。前シーズンに本郷選手へのアドバイスがロシア杯優勝に繋がったことが、振付師としてのキャリアを始めるきっかけとなったという。
以来、彼女は多くの選手の振付を手がけている。主な担当選手とそのプログラムは以下の通りである。
- 青木祐奈
- 千葉百音
- 江川マリア
- 本郷理華
- 岩野桃亜
- 鍵山優真
- イム・ウンス(林恩秀)
- 松田悠良
- 中塩美悠
- 三原舞依
- 永井優香
- 中井亜実
- 仁田谷凜
- 坂本花織
- シン・ジア(申智兒)
- 佐藤駿
- 白岩優奈
- 住吉りをん
- 髙木謠
- 坪井達弥
- 和田薫子
- 山本草太
- 山下真瑚
- 横井ゆは菜
また、鈴木は2010年から2019年まで毎年開催されていたアイスショー「ファンタジー・オン・アイス」の主要キャストメンバーを務め、その卓越した表現力で観客を魅了し続けた。2022年には、同ショーの名古屋公演でライブ放送の解説も務めている。2025年1月5日から放送が開始されるアニメ「メダリスト」では、フィギュアスケートの振付を担当し、モーションキャプチャも用いてリアリティのある演技を追求している。
4.2. メディア出演と公的活動
鈴木明子は競技引退後も、フィギュアスケート解説者として、また様々なメディアを通じて広く活動している。
テレビでは、NHK総合・ラジオ第1の「第62回NHK紅白歌合戦」(2011年12月31日)でゲスト審査員を務めたり、CBC・TBSの「ゴゴスマ -GO GO!Smile!-」では月曜レギュラー(2014年10月-)として出演している。その他、NHK総合の「NEWS WEB」(2015年4月-2016年3月)で水曜レギュラーのネットナビゲーター、NHK Eテレの「ハートネットTV」(2017年4月)にゲスト出演。2018年平昌オリンピック(TBS)では現地リポーター、RKB毎日放送の「まちプリ」(2021年3月-9月)では月曜コメンテーターを務めた。2022年北京オリンピックでは解説者として出演し、その専門的な視点と分かりやすい解説で好評を博した。
ラジオでは、NHKラジオ第1の「まんまる」(2024年4月-)で月曜パートナーを務めている。
また、2017年7月4日には日本オリンピック委員会のアスリート委員に選出されるなど、公的な役割も担っている。2010年2月には、女性シンガーMetisの「キミに出会えてよかった」のミュージック・ビデオに出演し、「女優デビュー」も果たしている。
5. スケーティングスタイルと技術
鈴木明子のスケーティングスタイルと技術的な特徴は、その卓越したエッジワークと豊かな表現力に集約される。彼女の氷上の滑りは群を抜いて巧みであると評価されている。
ジャンプにおいては、主にループとサルコウを得意としていた。しかし、ルッツとフリップはやや苦手としており、特にルッツでは、時折エッジエラーの判定を受けることがあった。このような技術的な課題を抱えながらも、彼女は持ち前の高い表現力と安定したスケーティング技術でカバーし、国際大会で数々の好成績を収めた。特に、音楽の解釈や振り付けの細部にわたる表現力は、彼女の大きな強みであり、多くの観客を魅了した。
6. 使用プログラム
鈴木明子が選手時代に競技会やエキシビションで使用したプログラムは、彼女の表現力の豊かさを示す多様な楽曲で構成されている。
6.1. 競技プログラム
鈴木明子がショートプログラムとフリースケーティングで使用した楽曲とその詳細をシーズンごとに示す。
シーズン | ショートプログラム | フリースケーティング |
---|---|---|
2013-2014 | 愛の讃歌 {{small|作曲:マルグリット・モノー 演奏:古澤巌、編曲:平沼有梨 振付:マッシモ・スカリ}} | ミュージカル『オペラ座の怪人』より {{small|作曲:アンドルー・ロイド・ウェバー 振付:パスカーレ・カメレンゴ}} |
2012-2013 | BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY {{small|(映画『キル・ビル』より) 作曲:布袋寅泰 振付:アンジェリカ・クリロワ}} | O (オー) {{small|(シルク・ドゥ・ソレイユより) 作曲:ブノワ・ジュトラ 振付:パスカーレ・カメレンゴ}} |
2011-2012 | ハンガリアンラプソディー {{small|作曲:フランツ・リスト 演奏:エドウィン・マートン 振付:アンジェリカ・クリロワ}} | こうもり序曲 {{small|作曲:ヨハン・シュトラウス2世 振付:パスカーレ・カメレンゴ}} |
2010-2011 | ジェラシー {{small|作曲:ヤコブ・ゲーゼ 振付:宮本賢二}} | 屋根の上のバイオリン弾き {{small|作曲:ジェリー・ボック 振付:パスカーレ・カメレンゴ}} |
2009-2010 | アンダルシア、ファイヤーダンス {{small|(『リバーダンス』より) 作曲:ビル・ウィーラン 振付:宮本賢二}} | ウエストサイドストーリー {{small|作曲:レナード・バーンスタイン 振付:シェイ=リーン・ボーン}} |
2008-2009 | ラ・カンパネッラ {{small|作曲:フランツ・リスト 振付:宮本賢二}} | 黒い瞳 {{small|演奏:ロビー・ラカトシュ 振付:本郷裕子、佐藤紀子}} |
2007-2008 | ファイヤーダンス {{small|(『リバーダンス』より) 作曲:ビル・ウィーラン 振付:阿部奈々美}} | 映画『タイタニック』より {{small|作曲:ジェームズ・ホーナー 振付:阿部奈々美}} |
2006-2007 | 月光 {{small|作曲:[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン]] 振付:阿部奈々美}} | It's A Beautiful Day {{small|ボーカル:サラ・ブライトマン}} |
2005-2006 | ボレロ・ファンタジー {{small|演奏:The Planets 振付:阿部奈々美}} | |
2004-2005 | 歌劇『サロメ』より {{small|作曲:リヒャルト・シュトラウス}} | |
2003-2004 | レッド・ヴァイオリン | |
2002-2003 | 序奏とロンド・カプリチオーソ {{small|作曲:カミーユ・サン=サーンス}} | |
2001-2002 | ピアノ協奏曲第1番 {{small|作曲:フレデリック・ショパン}} | ロミオとジュリエット {{small|作曲:ウィリアム・ウォルトン、ニーノ・ロータ、セルゲイ・プロコフィエフ}} |
2000-2001 | スパニッシュ・フォーク・ミュージック | レッド・ヴァイオリン |
6.2. エキシビションプログラム
エキシビション(ガラ)で披露されたプログラムの楽曲とその詳細をシーズンごとに示す。
シーズン | エキシビション |
---|---|
2017-2018 | O {{small|(シルク・ドゥ・ソレイユより) 作曲:ブノワ・ジュトラ 振付:パスカーレ・カメレンゴ}} |
2013-2014 | Love Dance {{small|(シルク・ドゥ・ソレイユ KÀより) 作曲:ルネ・デュプレ}} |
2012-2013 | 映画『シェルブールの雨傘』より {{small|作曲:ミシェル・ルグラン 振付:マッシモ・スカリ}} |
2011-2012 | 映画『ラヴェンダーの咲く庭で』より {{small|作曲:ナイジェル・ヘス 振付:宮本賢二}} 映画『バーレスク』より You Haven't Seen the Last of Me Show Me How You Burlesque {{small|振付:アンジェリカ・クリロワ}} |
2010-2011 | Bellezza {{small|作曲:Wibi Soerjadi 振付:鈴木明子}} アイス・クイーン {{small|作曲:Paul Dinletir 振付:坂上美紀、JANSU}} テネシーワルツ {{small|作曲:ピー・ウィー・キング 振付:鈴木明子}} |
2009-2010 | カリブ {{small|作曲:ミッシェル・カミロ 振付:宮本賢二}} |
2008-2009 | リベルタンゴ {{small|作曲:アストル・ピアソラ 振付:宮本賢二}} |
2007-2008 | 映画『タイタニック』より {{small|作曲:ジェームズ・ホーナー}} |
2006-2007 | ノクターン {{small|歌:シークレット・ガーデン 作曲:ロルフ・ラヴランド}} |
7. 主な戦績と詳細な結果
鈴木明子のフィギュアスケート選手としての競技成績を総合的に提示する。

7.1. 大会別成績一覧
キャリアを通じて出場した主要な国際大会および国内大会の成績を一覧表で示す。
7.1.1. シニア国際大会
シニアカテゴリでの主要な国際大会における総合順位を示す。
大会/年 | 2004-05 | 2005-06 | 2006-07 | 2007-08 | 2008-09 | 2009-10 | 2010-11 | 2011-12 | 2012-13 | 2013-14 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
冬季オリンピック | 8 | 8 | ||||||||
世界選手権 | 11 | 3 | 12 | 6 | ||||||
四大陸選手権 | 8 | 2 | 7 | 2 | ||||||
GPファイナル | 3 | 4 | 2 | 3 | ||||||
GP中国杯 | 1 | 2 | ||||||||
GPロステレコム杯 | 2 | |||||||||
GPNHK杯 | 2 | 1 | 2 | 3 | ||||||
GPスケートカナダ | 5 | 2 | 2 | 2 | ||||||
フィンランディア杯 | 1 | 1 | 2 | |||||||
ネーベルホルン杯 | 3 | |||||||||
チャレンジカップ | 1 | |||||||||
ゴールデンスピン | 7 | 1 | ||||||||
トリグラフトロフィー | 1 | |||||||||
ウィンターゲームズNZ | 1 | |||||||||
ユニバーシアード | 8 | 1 |
7.1.2. 国内大会
全日本選手権を含む国内の主要大会における成績を示す。
大会/年 | 1998-99 | 1999-00 | 2000-01 | 2001-02 | 2002-03 | 2003-04 | 2004-05 | 2005-06 | 2006-07 | 2007-08 | 2008-09 | 2009-10 | 2010-11 | 2011-12 | 2012-13 | 2013-14 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
全日本選手権 | 4 | 4 | 9 | 12 | 12 | 10 | 5 | 4 | 2 | 4 | 2 | 4 | 1 | |||
全日本Jr.選手権 | 3 | 5 | 2 | 5 | 5 |
7.1.3. ジュニア国際大会
ジュニアカテゴリで出場した国際大会の成績を示す。
大会/年 | 1998-99 | 1999-00 | 2000-01 | 2001-02 | 2002-03 |
---|---|---|---|---|---|
世界Jr.選手権 | 7 | ||||
JGPファイナル | 3 | ||||
JGP北京 | 5 | ||||
JGPアリゾナ | 1 | ||||
JGPSBC杯 | 1 | ||||
JGPチェコスケート | 3 | ||||
JGPピルエッテン | 8 | ||||
JGPウクライナ記念 | 6 | ||||
JGPサルコウ杯 | 7 | ||||
ムラドストトロフィー | 1 J | 1 J | |||
トリグラフトロフィー | 2 J |
7.1.4. 団体戦
オリンピックや世界国別対抗戦などの団体戦における成績と、チームへの貢献について詳述する。
大会/年 | 2011-12 | 2012-13 | 2013-14 |
---|---|---|---|
冬季オリンピック | 5th T | ||
世界国別対抗戦 | 1st T 1st P | 3rd T 1st P | |
ジャパンオープン | 3rd T 3rd P | 1st T 3rd P |
注:Tはチーム順位、Pは個人順位を示す。
7.2. シーズン別詳細結果
各シーズンにおける具体的な大会名、開催日、最終順位、ショートプログラムとフリースケーティングの得点および順位といった詳細な結果を一覧で提供する。
2013-14シーズン | ||||
---|---|---|---|---|
日付 | イベント | ショートプログラム (SP) | フリースケーティング (FS) | 合計 |
2014年3月24日-30日 | 2014年世界選手権 | 4 71.02 | 8 122.70 | 6 193.72 |
2014年2月19日-20日 | 2014年ソチオリンピック | 8 60.97 | 8 125.35 | 8 186.32 |
2014年2月6日-9日 | 2014年ソチオリンピック 団体戦 | - | 4 112.33 | 5 (チーム) |
2013年12月20日-23日 | 2013-14年全日本選手権 | 2 70.19 | 1 144.99 | 1 215.18 |
2013年11月8日-10日 | 2013年NHK杯 | 2 66.03 | 4 113.29 | 3 179.32 |
2013年10月25日-27日 | 2013年スケートカナダ | 2 65.76 | 2 127.99 | 2 193.75 |
2013年10月4日-6日 | 2013年フィンランディア杯 | 2 64.57 | 3 115.97 | 2 180.54 |
2012-13シーズン | ||||
日付 | イベント | SP | FS | 合計 |
2013年4月11日-14日 | 2013年世界国別対抗戦 | 2 66.56 | 1 133.02 | 3 (チーム) 1 (個人) 199.58 (個人) |
2013年3月10日-17日 | 2013年世界選手権 | 7 61.17 | 13 103.42 | 12 164.59 |
2013年2月8日-11日 | 2013年四大陸選手権 | 2 65.65 | 2 124.43 | 2 190.08 |
2012年12月20日-23日 | 2012-13年全日本選手権 | 1 65.09 | 5 114.94 | 4 180.03 |
2012年12月6日-9日 | 2012-13年グランプリファイナル | 3 65.00 | 3 115.77 | 3 180.77 |
2012年11月23日-25日 | 2012年NHK杯 | 5 58.60 | 1 126.62 | 2 185.22 |
2012年10月26日-28日 | 2012年スケートカナダ | 5 55.12 | 1 120.04 | 2 175.16 |
2012年10月6日 | 2012年ジャパンオープン | - | 3 110.07 | 1 (チーム) |
2011-12シーズン | ||||
日付 | イベント | SP | FS | 合計 |
2012年4月18日-22日 | 2012年世界国別対抗戦 | 2 67.51 | 2 120.28 | 1 (チーム) 1 (個人) 187.79 (個人) |
2012年3月26日-4月1日 | 2012年世界選手権 | 5 59.38 | 2 121.30 | 3 180.68 |
2011年12月23日-25日 | 2011-12年全日本選手権 | 3 59.60 | 1 119.67 | 2 179.27 |
2011年12月8日-11日 | 2011-12年グランプリファイナル | 2 61.30 | 3 118.46 | 2 179.76 |
2011年11月11日-13日 | 2011年NHK杯 | 1 66.55 | 2 119.43 | 1 185.98 |
2011年10月27日-30日 | 2011年スケートカナダ | 4 52.82 | 1 119.44 | 2 172.26 |
2011年10月1日 | 2011年ジャパンオープン | - | 3 112.46 | 3 (チーム) |
2010-11シーズン | ||||
日付 | イベント | SP | FS | 合計 |
2011年4月7日-10日 | 2011年トリグラフトロフィー | 1 57.15 | 2 90.83 | 1 147.98 |
2011年2月15日-20日 | 2011年四大陸選手権 | 6 57.64 | 7 104.95 | 7 162.59 |
2010年12月23日-26日 | 2010-11年全日本選手権 | 7 56.86 | 4 119.10 | 4 175.96 |
2010年12月9日-12日 | 2010-11年グランプリファイナル | 4 58.26 | 5 115.46 | 4 173.72 |
2010年11月19日-21日 | 2010年ロステレコム杯 | 1 57.43 | 2 115.31 | 2 172.74 |
2010年11月5日-7日 | 2010年中国杯 | 2 57.97 | 2 104.89 | 2 162.86 |
2010年10月8日-10日 | 2010年フィンランディア杯 | 2 57.74 | 1 108.83 | 1 166.57 |
2009-10シーズン | ||||
日付 | イベント | SP | FS | 合計 |
2010年3月22日-28日 | 2010年世界選手権 | 20 48.36 | 7 111.68 | 11 160.04 |
2010年2月12日-28日 | 2010年バンクーバーオリンピック | 11 61.02 | 7 120.42 | 8 181.44 |
2010年1月25日-31日 | 2010年四大陸選手権 | 1 58.88 | 2 114.84 | 2 173.72 |
2009年12月25日-27日 | 2009-10年全日本選手権 | 4 67.84 | 2 128.06 | 2 195.90 |
2009年12月3日-6日 | 2009-10年グランプリファイナル | 5 57.54 | 3 116.46 | 3 174.00 |
2009年11月19日-22日 | 2009年スケートカナダ | 8 53.10 | 5 94.62 | 5 147.72 |
2009年10月29日-11月1日 | 2009年中国杯 | 4 59.52 | 1 117.14 | 1 176.66 |
2009年8月27日-30日 | 2009年ウィンターゲームズ ニュージーランド | 1 59.33 | 1 99.77 | 1 159.10 |
2008-09シーズン | ||||
日付 | イベント | SP | FS | 合計 |
2009年2月2日-8日 | 2009年四大陸選手権 | 9 55.40 | 8 104.96 | 8 160.36 |
2008年12月25日-27日 | 2008-09年全日本選手権 | 6 57.02 | 3 116.96 | 4 173.98 |
2008年11月27日-30日 | 2008年NHK杯 | 4 55.56 | 2 112.08 | 2 167.64 |
2008年10月9日-12日 | 2008年フィンランディア杯 | 1 58.40 | 1 112.28 | 1 170.68 |
2008年9月25日-28日 | 2008年ネーベルホルン杯 | 3 55.02 | 3 91.91 | 3 146.93 |
2007-08シーズン | ||||
日付 | イベント | SP | FS | 合計 |
2008年3月6日-9日 | 2008年チャレンジカップ | 1 53.70 | 1 98.32 | 1 152.02 |
2007年12月26日-28日 | 2007-08年全日本選手権 | 5 58.66 | 5 101.27 | 5 159.93 |
2007年11月8日-11日 | 2007年ゴールデンスピン | 1 55.62 | 1 101.28 | 1 156.90 |
2006-07シーズン | ||||
日付 | イベント | SP | FS | 合計 |
2007年1月17日-27日 | 2007年ユニバーシアード冬季競技大会 | 1 50.40 | 1 97.84 | 1 148.24 |
2006年12月27日-29日 | 2006-07年全日本選手権 | 11 48.72 | 9 96.50 | 10 145.22 |
2005-06シーズン | ||||
日付 | イベント | SP | FS | 合計 |
2005年12月23日-25日 | 2005-06年全日本選手権 | 12 45.34 | 15 71.84 | 12 117.18 |
2005年11月10日-13日 | 2005年ゴールデンスピン | 3 41.69 | 7 69.23 | 7 110.92 |
2004-05シーズン | ||||
日付 | イベント | SP | FS | 合計 |
2005年1月12日-22日 | 2005年ユニバーシアード冬季競技大会 | 7 | 8 | 8 |
2004年12月24日-26日 | 2004-05年全日本選手権 | 13 42.02 | 13 71.84 | 12 113.86 |
2002-03シーズン | ||||
日付 | イベント | SP | FS | 合計 |
2003年3月13日-15日 | 2003年ムラドストトロフィー ジュニアクラス | 1 | 1 | 1 |
2002年12月19日-22日 | 2002-03年全日本選手権 | 6 | 9 | 9 |
2002年11月23日-24日 | 第71回全日本フィギュアスケートジュニア選手権 | 2 | 5 | 5 |
2002年10月17日-20日 | ISUジュニアグランプリ 北京 | 4 | 5 | 5 |
2002年9月19日-22日 | ISUジュニアグランプリ アリゾナ | 1 | 1 | 1 |
8. 受賞歴
鈴木明子のフィギュアスケートキャリアにおいて、国内外で獲得した主な賞や栄誉、表彰は以下の通りである。
- 2007年1月31日:仙台市より「杜の都・市民金メダル」を受賞。
- 2014年5月13日:豊橋市より「スポーツ特別賞」を受賞。これは彼女にとって5度目の受賞となる。
9. 著書
鈴木明子自身が執筆または監修した書籍や出版物には、以下のものがある。
- 『ひとつひとつ。少しずつ。』(KADOKAWA/中経出版、2014年4月9日) ISBN 9784046002976
- 『壁はきっと越えられる -夢をかなえる晩成力』(プレジデント社、2014年8月29日) ISBN 9784833420990
- 『笑顔が未来をつくる-私のスケート人生』(岩波書店、2015年9月18日) ISBN 9784000222976
- 『「等身大」で生きる-スケートで学んだチャンスのつかみ方』(NHK出版、2015年12月9日) ISBN 9784140884751
- 『プロのフィギュア観戦術』(PHP研究所、2015年12月16日) ISBN 9784569827360
10. 外部リンク
- [https://suzukiakiko.com/ 鈴木明子公式サイト]
- [https://ameblo.jp/suzuki-akko/ 鈴木明子オフィシャルブログ「shantiな日々」]
- [https://www.isuresults.com/bios/isufs00004484.htm ISU公式プロフィール](英語)
- [https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Akiko_Suzuki Wikimedia Commons]
- [https://twitter.com/Mariakko2010 鈴木明子公式Xアカウント]
- [https://www.olympedia.org/athletes/119934 鈴木明子 - Olympedia](英語)
- [http://www.howasportsland.com/ 邦和スポーツランド]
- [http://straightbody.jp/ ストレートボディ]
- [https://www.oricon.co.jp/news/72666/full/ バンクーバー五輪・女子フィギュア鈴木明子選手が金メダル応援ソングで"女優デビュー"|ORICON NEWS]
- [https://www.oricon.co.jp/news/2353272/full/ 鈴木明子、アニメ『メダリスト』フィギュアスケート振付担当 PV公開で「モーションキャプチャーを用い」|ORICON NEWS]