1. 幼少期と教育
陽岱鋼は1987年1月17日に台湾の台東県台東市で生まれた。小中学校時代は遊撃手としてナショナルチームに所属。中学卒業後、野球留学のため日本の福岡第一高等学校へ入学した。
高校時代は通算39本塁打を記録し、50メートル走5秒9、遠投110メートルの強肩を誇るその身体能力から、「高校No.1遊撃手」として注目を集めた。
2. プロ経歴
陽岱鋼は日本プロ野球の北海道日本ハムファイターズでキャリアをスタートさせ、その後読売ジャイアンツを経て、北米独立リーグやオーストラリアリーグでもプレーした。2024年からは日本の独立リーグに所属している。
2.1. 北海道日本ハムファイターズ時代

2005年10月3日の高校生ドラフト会議で、北海道日本ハムファイターズと福岡ソフトバンクホークスの1巡目で競合。抽選の結果、日本ハムが交渉権を獲得した。この時、一時的に「交渉権獲得球団は福岡ソフトバンク」と誤発表され混乱を招いた。陽自身は兄の陽耀勲と同じソフトバンクへの入団を熱望していたが、日本ハム側の熱心な交渉と、陽が初めて北海道を訪れた経験などから、最終的に日本ハム入りを決断した。台湾出身選手としては史上最高位の指名(ドラフト1巡目)であり、台湾で大きな話題となった。入団当初の背番号は24だった。
2006年はシーズン開幕前に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のチャイニーズタイペイ代表に選出された。シーズンは9月27日に一軍初昇格を果たすも、出場機会はなく、一軍出場はゼロに終わった。二軍では新人ながら91試合に出場し、打率.274、チーム最多の9本塁打、5盗塁を記録。8月にはイースタン・リーグ月間MVPを受賞したが、守備面ではリーグ最多の30失策を喫し、課題を残した。オフには第16回IBAFインターコンチネンタルカップと2006年アジア競技大会のチャイニーズタイペイ代表に選出され、インターコンチネンタルカップでは打率.267、2本塁打と活躍し銅メダル獲得に貢献、アジア競技大会では優勝を果たした。
2007年、春季キャンプは故障で出遅れたものの、シーズン序盤の打線不振を受け、4月19日に一軍に昇格。55試合に出場し打率.239に終わったが、遊撃手(26試合)、三塁手(21試合)、代打などで起用され、一軍経験を積んだ。二軍では打率.305の好成績を残した。
2008年、二軍で打率.342、8本塁打、7盗塁と打撃成績を向上させ、最高出塁率・最高長打率のタイトルを獲得。イースタン・リーグで首位打者争いを繰り広げ、打率2位となった。同年12月24日には台湾でモデル・タレントとして活動していた謝宛容と結婚した。
2009年6月頃、首脳陣の意向で外野手にコンバートされた(登録は内野手のまま)。一軍昇格後、8月21日のソフトバンク戦でプロ初の「1番・左翼手」で先発出場するも結果を出せず、二軍に降格。12月には登録名を「仲壽」から「岱鋼」に改名した。
2010年、開幕当初は外野の守備固めとしての出場が多かったが、一塁手の髙橋信二の故障離脱に伴い右翼手の稲葉篤紀が一塁を守る機会が増えたため、後半戦から右翼手のレギュラーに定着し、キャリア最多となる109試合に出場した。
2011年、初の開幕一軍および開幕戦先発出場を果たした。退団した森本稀哲に代わる2番打者を主に務め、6月下旬に田中賢介が骨折した後は1番打者としても出場。プロ入り後初めて規定打席に到達したが、持ち前の積極性からリーグ最多三振(中村剛也と同数)を喫し、課題となった。守備位置は俊足と強肩を生かした外野手(主に右翼手)での出場だった。

2012年、前年まで3年連続ゴールデングラブ賞を受賞していた糸井嘉男との間で、中堅手としての守備力に遜色がないと判断され、陽が中堅手へコンバートされる。この変更が奏功し、広い守備範囲が活かされ、自身初のゴールデングラブ賞をパ・リーグ外野手部門1位の得票で受賞した。打順は前半から中盤は6番が主だったが、田中賢介の負傷離脱後は1番で起用された。オールスターゲームにファン投票で初選出され、第1戦(7月20日)で史上2人目となる初打席先頭打者本塁打を記録。第3戦(7月23日)でも先制本塁打を含む3安打4打点の活躍でMVPに輝いた。8月8日には実兄の陽耀勲と一軍公式戦で初対戦し、ヒットを放った。この兄弟対決はこの年のクライマックスシリーズでも実現した。シーズンではリーグ唯一の全試合フルイニング出場を果たし、打率.287(リーグ7位)、7本塁打、55打点と自己最高の成績を残した。オフには年俸9200.00 万 JPYで契約更改し、背番号は1に変更された。
2013年1月14日、第3回WBC本戦のチャイニーズタイペイ代表に選出され、背番号1を背負った。自国開催で盛り上がる台湾で、3月3日のオランダ戦では2点本塁打を放つなど活躍し、1次ラウンドB組MVPを受賞。2次ラウンド進出に貢献した。シーズンでは6月12日にフルイニング出場は途切れたものの、2年連続で全試合出場・全試合先発出場を達成。8月22日の中田翔離脱後は3番打者としても起用され、9月18日の西武戦ではプロ初の4番も経験した。主に1番打者を務め、本塁打(18本)、打点(67)、盗塁(47)はいずれも自己最多。93得点で自身初のリーグ最多得点を記録し、47盗塁で自身および球団史上初の盗塁王を獲得した。台湾出身選手の打撃タイトル獲得は1994年の大豊泰昭以来19年ぶり。課題とされた三振の多さは変わらなかったが、78四死球を選び出塁率は.367と大幅に改善した。オフには年俸が倍以上となる2年総額4.00 億 JPYで契約更改した。11月には「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」のチャイニーズタイペイ代表に選出された。


2014年は開幕から主に1番打者を務めたが、6月9日の中日ドラゴンズ戦で本塁突入時に左膝を裂傷し登録を抹消され、2011年6月15日から続いていた連続試合出場は442試合でストップした。右肩痛や脚の故障がありながら、7月9日に復帰。復帰後は3番に定着し、68試合で打率.310、54打点を記録するなど好調を維持。打率.293(リーグ8位)、25本塁打(リーグ5位)、85打点(リーグ4位)という成績を残し、得点圏打率.379はリーグトップだった。ゴールデングラブ賞は史上1位タイとなる3年連続外野手部門1位の得票で受賞した。
2015年は開幕を3番で迎えるも、4月12日に右太ももの張りで出場選手登録を外れた。5月4日の楽天戦で一塁にヘッドスライディングした際に左手を負傷し、「左手舟状骨剥離骨折」と診断され、1か月半の離脱を余儀なくされた。故障が響き、86試合出場、打率.259、7本塁打、36打点、14盗塁と低迷した。オフには第1回WBSCプレミア12のチャイニーズタイペイ代表に選出された。
2016年は前年の故障から復調し、シーズンを通して一軍に帯同。前半戦では1番・3番打者としてスタメンに定着し、打率3割を記録した。しかし、右肋骨の亀裂骨折が判明した8月中旬以降は下位打線に回り、スタメンを外れ途中出場が続く。打撃の調子も下降したが、中堅の守備では痛みに耐えながら要所で好プレーを披露。9月21日のソフトバンクとの首位攻防戦では、代打で起用された後、中堅手として出場。9回裏二死二・三塁の場面で江川智晃が放った大飛球をフェンス際で好捕するなど、2度のビッグプレーでチームをサヨナラ負けの危機から救い、4年ぶりのリーグ優勝を大きく手繰り寄せた。レギュラーシーズンでは打率.293(リーグ8位)、2年ぶりの2桁本塁打となる14本を記録。盗塁はレギュラー定着後最少の5個にとどまった。中堅の守備では、2年ぶり4度目のゴールデングラブ賞を獲得したが、UZRが-10.0にとどまるなど守備力に評価が分かれた。ポストシーズンでは、ソフトバンクとのクライマックスシリーズ ファイナルステージから不振に陥り、広島東洋カープとの日本シリーズでは第3戦以降スタメンを外れ、代打・守備要員に回った。この年、国内フリーエージェント(FA)権を取得し、日本ハム球団は残留交渉を進めたが、年俸や若手選手主体のチーム構想などを巡って合意に至らなかった。陽は日本シリーズ終了後の11月7日に国内FA権の行使を表明し、日本ハムからの退団が事実上決定した。11月10日付でNPBから国内FA宣言選手として公示され、オリックス・バファローズ、東北楽天ゴールデンイーグルス、読売ジャイアンツの3球団が獲得に乗り出した。
2.2. 読売ジャイアンツ時代

2016年12月14日、読売ジャイアンツへの入団で合意したことを正式に発表した。背番号は2(巨人では背番号1は王貞治の永久欠番)。契約期間は5年で、推定年俸総額は15.00 億 JPYと報じられた。12月19日の入団記者会見には、日本だけでなく台湾メディアも多数出席し、台湾語の通訳が同席するなど、陽の故郷での注目度の高さが伺えた。日本の週刊誌では、陽がこれまで打率3割を超えた経験がないにもかかわらず巨額の契約が結ばれた背景には、台湾でのビジネス展開(「台湾マネー」)による収益性が加味されたものだと報じられた。
2017年の第4回WBCには、移籍1年目でシーズンに集中したいという理由から辞退した。レギュラーシーズンでは下半身のコンディション不良で開幕一軍を逃した。6月6日の西武戦から一軍に昇格し、8月には1番打者として打線を牽引したが、9月には不振に陥り、最終的に87試合出場、打率.264、9本塁打にとどまった。オフの10月11日には第1回アジア プロ野球チャンピオンシップのチャイニーズタイペイ代表に選出され、同大会で銅メダルを獲得した。
2018年は開幕から「1番・中堅手」として出場していたが、4月3日の中日ドラゴンズ戦で左手に死球を受け、左手甲の骨折と診断された。この怪我で2か月以上を棒に振り、復帰後もレギュラー定着には至らず、87試合出場で打率.245、10本塁打、37打点と前年同様不振に終わった。しかし、原辰徳監督からの信頼は厚く、監督就任会見では長野久義、坂本勇人とともに「中心、模範になってほしい」と名前を挙げられた。9月17日の中日戦では通算100号本塁打を達成し、「自分はホームランバッターじゃないので、100本塁打は褒めてあげたい」とコメントした。
2019年は丸佳浩の加入や亀井善行の好調により、先発出場は左投手の時が主となり、守備位置も中堅手ではなく右翼手での出場が増えた。代打の切り札である阿部慎之助と共に右の代打として、代打打率.394を記録した。7月に腰の張りで一時登録を外れた以外は一軍に帯同し、移籍3年目で初めて出場試合が100を超えたが、本塁打・打点は移籍後最少にとどまった。2019 WBSCプレミア12には選出されなかった。
2020年は自身初めて一塁手に挑戦するなど起用の幅を広げ、レギュラー奪還を目指したが、不振で約3か月間の二軍調整を余儀なくされ、出場機会は限られた。38試合出場、77打席はいずれも一軍デビュー以降で2番目に少ない数字となった。
2021年は7試合の出場で打率.143、0本塁打、0打点に終わり、二軍でも56試合出場で打率.238、6本塁打、22打点と低迷した。11月25日、自由契約となった。当初は巨人に残留を希望し、球団も契約更新の方針を示していたが、最終的に自身の意思を尊重し退団を決断した。
2.3. 北米独立リーグ時代
2022年2月23日、独立リーグのアメリカン・アソシエーションに所属するレイクカントリー・ドックハウンズに加入した。シーズン79試合に出場し、打率.260、9本塁打、35打点、7盗塁という成績を残した。シーズン終了後には、オーストラリアのウィンターリーグであるオーストラリアン・ベースボールリーグ(ABL)のブリスベン・バンディッツでプレーした。
2023年3月7日、アトランティックリーグのハイポイント・ロッカーズに入団することが発表された。開幕から不調で打率は.174まで落ち込んだが、5月27日に負傷者リスト入りした後、6月16日に復帰。復帰後は打撃好調で、最終的に98試合の出場で打率.271、10本塁打、58打点、OPS.793を記録した。
2.4. オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ時代
2024年2月4日、同年からイースタン・リーグに参加するオイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブに入団することが発表された。コーチ兼任の打診は断り、選手専任となった。背番号は1(この背番号は元々「サポーター背番号」として設定されていたが、陽の入団発表後に「10」に変更された)。同年は72試合に出場し、打率.232、1本塁打、13打点を記録した。
2024年シーズン終了後、「(トライアウトが)今年最後と聞いていたので、1回経験してみたい」と述べ、オイシックスに在籍したまま12球団合同トライアウトを受験した。
3. 国際大会経歴
陽岱鋼はチャイニーズタイペイ代表として多くの主要な国際大会に参加し、活躍を見せた。
- 2006年WBC:遊撃手のバックアップとして選出され、3打数0安打2三振の成績だった。
- 2006年インターコンチネンタルカップ:全試合に出場し、打率.267、2本塁打、9得点を記録。得点ではミチェル・エンリケス、ユリエスキ・グリエルと並び大会トップタイだった。
- 2006年アジア競技大会: 野球チャイニーズタイペイ代表に選出され、優勝を果たした。
- 2007年アジア野球選手権大会: 3塁手のバックアップとして選出され、1打数1安打を記録した。
- 2013年WBC:1次ラウンドB組MVPを受賞。1次ラウンドでは12打数4安打、1本塁打、4打点を記録し、チャイニーズタイペイの2次ラウンド進出に貢献した。
- 2015年プレミア12:17打数4安打、1本塁打、3打点を記録した。
- 2017年アジア プロ野球チャンピオンシップ:7打数2安打を記録した。
- 2018年MLB Japan All-Star Series:11月16日にMLBオールスターズとのエキシビションゲームで読売ジャイアンツのロースターに選出された。
4. 選手としての特徴
4.1. 打撃
日本ハム時代の2013年には中堅方向への本塁打が多かったが、陽自身は逆方向を意識していると述べている。
三振が多く、2011年のレギュラー定着以降、規定打席に到達したシーズンでは全て三振数が100を超えている。BB/Kのキャリアハイは2013年の「0.49」(2018年シーズン終了時点)である。また、日本ハム時代は「規定打席に到達した上での打率3割」を達成した経験がなかったため、巨人移籍直後の自主トレ(2017年1月)では、自身の課題として「3割を打たないといけない。打ったことがないので、打者として早く壁をクリアしたい」とコメントしていた。
4.2. 守備

日本ハム時代の2013年には、400イニング以上出場した中堅手としてリーグトップのUZR13.3を記録した。
日本ハムで一軍のレギュラー外野手に定着した時期には、当時の監督である栗山英樹から守備力に絶大な信頼と期待を寄せられていた。栗山は「岱鋼の守備力はセンターとしては、今、日本で一番でしょう。守備範囲が広いことに加え、打球への飛び出しが素晴らしく速い。糸井嘉男も速いけど、岱鋼の方が、もう半歩、反応が速いような気がします」と評価していた。
陽岱鋼の身体能力は高く、遠投110メートル、50メートル走5秒9という俊足と強肩を兼ね備えている。
5. 人物像と対外的なイメージ
5.1. 家族関係と生い立ち
陽岱鋼は台湾原住民のアミ族の出身である。既婚者であり、妻は台湾でモデルやタレントとして活動していた謝宛容である。陽の家族は台湾を拠点に生活しながら、プロ野球シーズン中にはたびたび来日し、陽の試合を応援しているという。
彼の家族には多くの野球関係者がいる。長兄の陽耀勲、次兄の陽品華(改名前は「陽耀華」)、叔父の陽介仁、従弟の張奕もプロ野球入りしている。陽介仁を除く3人には日本の球団への在籍経験がある。陽介仁も台湾でのプロ入り前に日本の社会人野球チームに在籍経験があるため、全員が日本でのプレー経験を持つ。日本球界では、耀勲が台湾風、耀華(改名前に在籍)と張奕が日本風の読み方で本名を登録名に使用していた。耀勲がソフトバンクに在籍していた時期には、パシフィック・リーグの一軍公式戦や2012年のクライマックスシリーズで、岱鋼と対戦したこともある。さらに、バスケットボール女子チャイニーズタイペイ代表選手の陽詩慧は実妹にあたる。いとこ以上の遠戚には台湾球界でプロ入りした陽森や陽建福などもいる。
2017年シーズンオフに兄の陽耀勲と金銭問題のトラブルが報じられ、絶縁したとされている。
5.2. 性格とエピソード
ヒーローインタビューなどでファンへ向けて発する「サンキューで~す!」という決め台詞は、お笑いタレント・藤森慎吾風の口調で知られている。
松井稼頭央とは年に1度は食事をする仲であり、日本ハム時代の2015年1月にはロサンゼルスで合同自主トレーニングを行った。
日本ハム時代の2011年に打席への登場曲に起用し始めたリンキン・パークの『Numb』は、日本ハムで自身の前に背番号1を付けていた新庄剛志の在籍時の登場曲でもある。2012年6月に行われた「選手プロデュースデー」では、ファン投票で選ばれた陽の登場曲として、新庄剛志が日本ハム時代に定番としていたドクター・ドレーの『The Next Episode』が選出された。この曲は2016年のクライマックスシリーズでも正式な登場曲として起用された。
理容組合北海道日本ハムファイターズ後援会が球団とコラボレーションして行う企画「ファイターズスタイル」の2007年度・初代モデルに選ばれた。
母国台湾では「国民的ヒーロー」と称されるほどの非常に高い人気を誇る。彼の日本での報道はほぼ全て中国語に翻訳され、伝えられている。また、日本ハム時代の同僚である大谷翔平が2021年シーズンのMLBで台湾出身の張育成と一塁上で「陽岱鋼は知っていますか?」と笑顔で談笑していたことが報じられ、日本でもその人気ぶりが改めて注目された。
6. 受賞と記録
6.1. タイトルと主な表彰
項目 | 回数 | 年度 |
---|---|---|
盗塁王 | 1回 | 2013年 |
ゴールデングラブ賞(外野手部門) | 4回 | 2012年、2013年、2014年、2016年 |
「ジョージア魂」賞 | 1回 | 2014年度第10回 |
札幌ドームMVP(野球部門) | 2回 | 2013年、2014年 |
オールスターゲームMVP | 1回 | 2012年第3戦 |
オールスターゲーム敢闘選手賞 | 3回 | 2012年第1戦、2014年第1戦、2014年第2戦 |
オールスターゲームBe a driver.賞 | 1回 | 2014年 |
ホームランダービー優勝 | 1回 | 2014年第2戦 |
WBC台中ラウンドMVP | 1回 | 2013年 |
6.2. 節目とその他の記録
- オールスターゲーム出場:3回(2012年、2013年、2014年)
記録 | 日付 | 対戦相手 | 達成内容 |
---|---|---|---|
初出場・初先発出場 | 2007年4月20日 | 福岡ソフトバンクホークス | 「7番・三塁手」として先発出場 |
初打席 | 2007年4月20日 | 神内靖(ソフトバンク) | 空振り三振 |
初安打 | 2007年4月25日 | 久保康友(千葉ロッテマリーンズ) | 右翼線二塁打 |
初打点 | 2007年4月29日 | 青山浩二(東北楽天ゴールデンイーグルス) | 左前適時打 |
初盗塁 | 2007年4月29日 | 投手:青山浩二(楽天)、捕手:嶋基宏(楽天) | |
初本塁打 | 2008年4月29日 | 成瀬善久(ロッテ) | 左越ソロ |
1000試合出場 | 2017年6月13日 | 福岡ソフトバンクホークス | 1番・中堅手として先発出場(史上484人目) |
1000安打 | 2017年8月16日 | 原樹理(東京ヤクルトスワローズ) | 左翼線適時打(史上288人目) |
100本塁打 | 2018年9月17日 | 祖父江大輔(中日) | 中越ソロ(史上288人目) |
4試合連続猛打賞 | 2013年6月29日 - 7月3日 | 日本ハム球団タイ記録 | |
3年連続ゴールデングラブ賞外野手部門・得票数1位での受賞 | 史上3人目 | ||
2試合連続初回先頭打者本塁打 | 2017年8月3日・4日 | 巨人球団史上5人目(6回目)。この期間中、巨人はNPB新記録となる6試合連続3本塁打以上を達成し、陽自身もその間にチーム最多の5本塁打を記録した。 | |
オールスターゲーム初打席初回先頭打者本塁打 | 2012年7月20日 | 杉内俊哉(読売ジャイアンツ) | 右中間越ソロ(史上2人目、1968年のアルト・ロペス以来)。初打席本塁打としては史上15人目(2007年の森野将彦以来)、初回先頭打者本塁打としては史上8人目(2001年の高橋由伸以来)であった。 |
6.3. 年度別打撃成績
年度 | 球団 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 盗塁死 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 敬遠 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 | 長打率 | OPS |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007 | 北海道日本ハムファイターズ | 55 | 116 | 109 | 12 | 26 | 8 | 2 | 0 | 38 | 10 | 3 | 2 | 4 | 0 | 2 | 0 | 1 | 30 | 0 | .239 | .259 | .349 | .608 |
2008 | 44 | 123 | 111 | 7 | 16 | 0 | 1 | 2 | 24 | 4 | 1 | 0 | 4 | 1 | 6 | 0 | 1 | 31 | 3 | .144 | .193 | .216 | .409 | |
2009 | 15 | 13 | 11 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | .182 | .250 | .182 | .432 | |
2010 | 109 | 281 | 253 | 35 | 62 | 12 | 3 | 2 | 86 | 31 | 8 | 1 | 10 | 2 | 12 | 0 | 4 | 70 | 4 | .245 | .288 | .340 | .628 | |
2011 | 141 | 603 | 537 | 66 | 147 | 23 | 4 | 6 | 196 | 36 | 19 | 2 | 38 | 1 | 22 | 0 | 5 | 134 | 5 | .274 | .308 | .365 | .673 | |
2012 | 144 | 599 | 533 | 71 | 153 | 28 | 5 | 7 | 212 | 55 | 17 | 6 | 18 | 5 | 37 | 1 | 6 | 123 | 10 | .287 | .337 | .398 | .735 | |
2013 | 144 | 658 | 574 | 93 | 162 | 27 | 2 | 18 | 247 | 67 | 47 | 10 | 4 | 2 | 69 | 2 | 9 | 142 | 9 | .282 | .367 | .430 | .797 | |
2014 | 125 | 540 | 471 | 77 | 138 | 18 | 1 | 25 | 233 | 85 | 20 | 6 | 9 | 3 | 45 | 0 | 12 | 108 | 10 | .293 | .367 | .495 | .862 | |
2015 | 86 | 381 | 352 | 47 | 91 | 10 | 2 | 7 | 126 | 36 | 14 | 2 | 2 | 2 | 21 | 1 | 4 | 93 | 4 | .259 | .306 | .358 | .664 | |
2016 | 130 | 555 | 495 | 66 | 145 | 24 | 1 | 14 | 213 | 61 | 5 | 6 | 7 | 1 | 42 | 1 | 10 | 121 | 10 | .293 | .359 | .430 | .790 | |
2017 | 読売ジャイアンツ | 87 | 381 | 330 | 46 | 87 | 18 | 1 | 9 | 134 | 33 | 4 | 2 | 2 | 1 | 41 | 0 | 7 | 80 | 6 | .264 | .356 | .406 | .762 |
2018 | 87 | 276 | 253 | 24 | 62 | 12 | 2 | 10 | 108 | 37 | 2 | 2 | 3 | 1 | 17 | 1 | 2 | 72 | 7 | .245 | .297 | .427 | .724 | |
2019 | 110 | 231 | 208 | 28 | 57 | 8 | 1 | 4 | 79 | 21 | 0 | 1 | 0 | 0 | 22 | 0 | 1 | 66 | 9 | .274 | .346 | .380 | .726 | |
2020 | 38 | 77 | 63 | 12 | 15 | 1 | 0 | 1 | 19 | 6 | 1 | 0 | 0 | 2 | 9 | 1 | 3 | 21 | 1 | .238 | .351 | .302 | .652 | |
2021 | 7 | 7 | 7 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .143 | .143 | .143 | .286 | |
通算:15年 | 1322 | 4841 | 4307 | 587 | 1164 | 189 | 25 | 105 | 1718 | 482 | 141 | 40 | 102 | 21 | 346 | 7 | 65 | 1096 | 78 | .270 | .332 | .399 | .731 |
6.4. 年度別守備成績
年度 | 球団 | 一塁 | 三塁 | 遊撃 | 外野 | ||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | ||
2007 | 北海道日本ハムファイターズ | - | 26 | 8 | 51 | 3 | 4 | .952 | 21 | 19 | 28 | 3 | 4 | .940 | - | ||||||||||
2008 | - | 17 | 11 | 27 | 3 | 3 | .927 | 25 | 24 | 47 | 6 | 11 | .922 | - | |||||||||||
2009 | - | - | - | 10 | 3 | 0 | 2 | 0 | .600 | ||||||||||||||||
2010 | - | - | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 96 | 127 | 3 | 1 | 0 | .992 | |||||||||||
2011 | - | - | - | 139 | 252 | 7 | 0 | 3 | 1.000 | ||||||||||||||||
2012 | - | - | - | 144 | 322 | 4 | 3 | 1 | .991 | ||||||||||||||||
2013 | - | - | - | 144 | 326 | 5 | 2 | 1 | .994 | ||||||||||||||||
2014 | - | - | - | 119 | 266 | 5 | 1 | 1 | .996 | ||||||||||||||||
2015 | - | - | - | 84 | 165 | 1 | 2 | 1 | .988 | ||||||||||||||||
2016 | - | - | - | 117 | 214 | 5 | 2 | 2 | .991 | ||||||||||||||||
2017 | 読売ジャイアンツ | - | - | - | 87 | 168 | 0 | 2 | 0 | .988 | |||||||||||||||
2018 | - | - | - | 73 | 119 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||||||||||||
2019 | - | - | - | 93 | 99 | 3 | 0 | 1 | 1.000 | ||||||||||||||||
2020 | 11 | 41 | 3 | 0 | 4 | 1.000 | - | - | 31 | 20 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |||||||||||
2021 | - | - | - | 3 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||||||||||||
通算 | 11 | 41 | 3 | 0 | 4 | 1.000 | 43 | 19 | 78 | 6 | 7 | .942 | 49 | 43 | 76 | 9 | 15 | .930 | 1140 | 2085 | 37 | 15 | 10 | .993 |
7. メディア出演
7.1. CM
- 日本**
- YOSHIMI 「札幌スープカリーせんべいカリカリまだある?」(2015年 - 2016年)
- 台湾**
- 黒松 「黒松沙士」(2013年)
- ニトリ(2015年 - 2018年)
- 三菱自動車工業(2017年)
- 動物愛護協会(2018年) - 野生象の保護を訴えるキャンペーン動画に出演
- 富士通ゼネラル(2016年12月 - )
7.2. PV
- A.F.R.O 『冬の贈り物』(2013年)
8. その他の情報
8.1. 背番号
- 24(2006年 - 2012年)
- 15(2006年WBC)
- 1(2013年 - 2016年、2022年 - )
- 2(2017年 - 2021年)
8.2. 登録名
陽岱鋼の「陽」という姓は台湾では「ヤン (YANG) 」と読まれるが、プロ入り前に既に日本風の読み「よう (YOH) 」に慣れていたため、登録名では一貫して日本風の読みを採用している。
- 陽 仲壽(よう ちょんそ、2006年 - 2009年)
- 陽 岱鋼(よう だいかん、2010年 - )
8.3. 登場曲
- 「Wannabe」スパイス・ガールズ (Spice Girlsスパイス・ガールズ英語)(2006年 - 2010年)
- 「Numb / Encore」リンキン・パーク (Linkin Parkリンキン・パーク英語) & ジェイ・Z (Jay Zジェイ・Z英語)(2011年 - 2018年途中、2019年 - 2021年)
- 「イッツ・マイ・ライフ」ボン・ジョヴィ (Bon Joviボン・ジョヴィ英語)(2011年、2014年)
- 「好きですサッポロ」森雄二とサザンクロス(2011年途中 - 閉幕)
- 「GO AWAY」2NE1 (2NE1トゥエニィワン韓国語)(2012年以前 - 2013年)
- 「ハレルヤ」BIGBANG (BIGBANGビッグバン韓国語)(2012年、2014年)
- 「The Next Episode feat. Snoop Dogg」ドクター・ドレー (Dr. Dreドクター・ドレー英語)(2012年6月16・17日、2016年)
- 「ピタカゲ (CROOKED) -JPN-」G-DRAGON (G-DRAGONG-DRAGON韓国語)(2014年)
- 「For the future」平井大(2013年 - 2014年)
- 「Scream」アッシャー (Usherアッシャー英語)(2013年 - 2014年)
- 「恋のラブ♥サンシャイン」ウェザーガールズ(2013年6月25日)
- 「Just A Dream」ネリー (Nellyネリー英語)(2014年 - 2015年)
- 「Fighter」A.F.R.O(2014年4月 - 同年終了)
- 「Slow & Easy」平井大(2015年 - 2019年途中)
- 「Try Everything」シャキーラ (Shakiraシャキーラ英語)(2016年)
- 「BIRDMAN」FIRE BALL(2016年)
- 「Life is Beautiful」平井大(2016年)
- 「愛燦燦」美空ひばり(2017年9月9日) ※1打席目
- 「津軽海峡冬景色」石川さゆり(2017年9月10日) ※1・2打席目
- 「Despacito ft. Justin Bieber」Luis Fonsiルイス・フォンシスペイン語, Daddy Yankeeダディー・ヤンキー英語(2018年 - 2019年途中)
- 「Stay The Night」James Bluntジェームス・ブラント英語(2018年途中)
- 「Princess 2.0」蕭敬騰 (蕭敬騰ジャム・シャオ中国語)(2018年途中 - 2019年途中)
- 「Shake Ya Tailfeather」ネリー (Nellyネリー英語), P. DiddyP. ディディ英語 & Murphy Leeマーフィー・リー英語(2019年途中 - 2021年)
- 「September」アース・ウィンド・アンド・ファイアー (Earth, Wind & Fireアース・ウィンド・アンド・ファイアー英語)(2019年9月27日)
- 「Dilemma ft. Kelly Rowland」ネリー (Nellyネリー英語)(2020年途中 - 2021年)