1. 選手経歴
高橋建の野球選手としてのキャリアは、アマチュア時代からプロ入り、広島東洋カープでの長きにわたる活躍、メジャーリーグへの挑戦、そして古巣広島への復帰と引退に至るまで、多岐にわたる。
1.1. プロ入り前
高橋建はプロ野球選手となる以前から、野球に深い関わりを持ってきた。
1.1.1. 小・中・高校時代
神奈川県横浜市で育った高橋建は、小学4年生の時に野球を始めた。横浜高校では一塁手兼外野手としてプレーした。この時期、軟式野球では投手も務めていた。
1.1.2. 大学・社会人野球時代
東都大学野球の拓殖大学に進学した高橋は、大学時代は2部リーグで野手として通算17本塁打を放つなど、打者としての才能も示していた。大学4年からは投手として頭角を現し始めた。
その後、トヨタ自動車に入社。1年目の都市対抗野球では2試合に先発登板し、以降の2年間は補強選手としてプレー、1994年の都市対抗野球では決勝戦にも登板した。
1994年度ドラフト会議では広島東洋カープから4位指名を受けて入団した。実は、トヨタ自動車入社後の1993年のドラフト会議では8球団からオファーがあり、1位・2位指名候補として名前が挙がっていたが、会社の慰留により残留を決断していた。翌年、チームの不振により評価が下がり、プロ入りが難しいと覚悟した時期もあったが、1994年11月13日に広島から獲得の意向を伝えられ、順位や金額に関係なく、素直に嬉しかったと語り、プロ入りを決断した。
1.2. 広島東洋カープ時代(1995年 - 2008年)
高橋建はプロ入り後、広島東洋カープで長くプレーし、チームの主力投手の一人として活躍した。
1.2.1. プロ入り初期と先発転向
1995年、プロ入り1年目の高橋は中継ぎを中心に先発としても起用され、39試合に登板し4勝4敗、防御率3.90の成績を残した。
1996年7月28日にはウエスタン・リーグでノーヒットノーランを達成する。同年は1軍でも24試合に登板し2勝に留まった。
1997年 は34試合に登板するも、防御率が4点台後半と安定感を欠いた。この年、チームはAクラス入りを果たしたが、高橋が広島でAクラスを経験したのはこの年が最後であり、次のAクラス入りは2013年まで待つこととなった。
1998年 は41試合に登板し3勝8敗の成績ながら、防御率3.83と4年ぶりに3点台を記録した。
1999年からは左の先発投手不足の状況から先発登板の機会が増え、中継ぎ中心の起用は続いたものの、36試合登板のうち13試合で先発を務めた。この年も勝利数は3勝に留まった。
2000年 は5勝9敗と負け越したものの、自己最多の50試合に登板し、オールスターゲームに初選出された。また、シーズン終盤には抑えとしても活躍を見せた。
2001年 からは本格的に先発に転向し、開幕から左腕先発ローテーションの一員として定着。自身初の2桁勝利(10勝8敗)を達成し、オールスターゲームにも2年連続で選出された。
1.2.2. 主要シーズンと怪我
2002年、8月28日にはその年日本一となる読売ジャイアンツを相手に、173球を投げて1-0での完封勝利を挙げる見せ場があったものの、9勝に留まり2年連続の2桁勝利を逃した。さらに、リーグ最多となる14敗を記録した。
2003年 は開幕から8連勝を達成し、最速149 km/hのストレートと鋭いシュートを武器に、防御率も1点台前半を記録した。前半戦で不調だった黒田博樹や佐々岡真司、扁桃腺炎で戦線離脱した長谷川昌幸の穴を埋める活躍を見せ、「左腕エース」と呼ばれた。しかし、後半戦は1勝止まりとなり、投手タイトルや2年ぶりの2桁勝利を逃し、2年連続で9勝に終わった。
2004年 は前年の活躍から一転し、18試合で3勝10敗、防御率5.53と投球内容が悪化した。オフにはFA権を取得し、巨人、阪神、MLBのトロント・ブルージェイズが獲得に動いたが、権利を行使せずに広島に残留した。
2005年 は開幕から先発ローテーションの一角を担っていたものの、膝の故障により思うような投球ができず、14試合の登板でプロ入り後初となる1軍での未勝利に終わった。8月10日の精密検査で「左ひざ大腿骨滑車面軟骨損傷」と診断され、同月26日に左ひざの手術を受けた。一時は引退も考えたが、現役続行を希望し、オフには前年の半額となる年俸で契約更改した。
1.2.3. リリーフ登板と最終期の活躍
2006年 はプロ入り後初めて先発登板がなく、中継ぎに専念。膝の故障が癒えたことで、防御率は4点台ながらも年間を通して左腕中継ぎとして活躍し、自己最高の54試合に登板し15ホールドを記録した。
2007年 は開幕1軍を逃したが、ジャレッド・フェルナンデスの故障により先発に復帰した。5月17日の倉敷マスカットスタジアムでの対阪神戦で、2004年6月以来1072日ぶりの先発勝利を挙げた。往年の球威で押すスタイルから、コントロールと変化球、特にシュートを有効に使った投球スタイルに変化し、安定した投球を見せた。長年苦手としていた夏場も特に問題なく乗り越え、22試合に登板し、規定投球回には達しなかったものの5勝を挙げた。
2008年4月19日の対巨人戦では、わずか102球で完封勝利を達成。これは大野豊に次ぐ球団史上2位の高齢完封記録であるとともに、対巨人戦での最年長完封記録となった。5月3日の対横浜戦でも6回を無失点と好投し、さらに横浜のエース三浦大輔から7年ぶりとなる先制の2ラン本塁打を放ち、このホームランが流れを引き寄せ広島が勝利した。前半戦で6勝4敗、防御率3.03(選出時)の活躍を見せ、ファン投票によって初めて2008年のオールスターゲームに選出された。監督推薦だった2003年以来4度目の選出であり、39歳2ヶ月でのファン投票による選出は投手としての最年長記録、39歳以上での初選出は史上3人目の快挙であった。しかし、9月には疲労により1軍登録を抹消された。最終的に規定投球回には到達しなかったものの、8勝5敗、防御率3.50の成績を残した。11月10日にメジャーリーグへの移籍を視野に入れ、FA権を行使した。
1.3. メジャーリーグ挑戦(2009年)
長年の夢であったメジャーリーグ挑戦を果たすため、高橋建は2009年に新たな一歩を踏み出した。
1.3.1. トロント・ブルージェイズ傘下時代
2009年2月2日、ピーター・グリーンバーグが代表を務めるPEG社と業務提携しているGSEグループの中西剛を代理人とし、トロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだ。スプリングトレーニングに招待選手として参加したが、ビザ取得に追われて十分な練習期間に恵まれないまま3月1日のオープン戦に初登板。その2イニング目でのスクイズの打球処理の際に、以前にも痛めた右脹脛を負傷した。その後マイナーで調整を進めたが、3月30日にブルージェイズから解雇された。
1.3.2. ニューヨーク・メッツでのメジャーデビュー
2009年3月30日、ニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ。メッツ所属時には管進吾が通訳兼パーソナルトレーナーを務めた。その後、メッツ傘下AAA級のバッファローで6試合に登板し、11回2/3イニングを投げて防御率0.77の好成績を記録。4月26日、メジャーリーグに初昇格を果たした。5月2日のフィラデルフィア・フィリーズ戦で2番手としてメジャー初登板を果たし、オリバー・ペレスに代わって3回途中に登板した。40歳でのメジャーデビューは、第二次世界大戦以降ではサチェル・ペイジの42歳、ディオメデス・オリーボの41歳に次ぐ史上3位の高齢記録となった。6月22日、マイナーのAAA級バッファローに降格。8月24日にメジャーに再昇格した。このシーズンは3年ぶりに先発登板がなく、中継ぎとして28試合に登板し、防御率2.96の快投を見せたものの、10月20日にはメッツから契約を解除された。
1.4. 広島復帰と引退(2010年)
メジャーリーグ挑戦後、高橋建は再び広島東洋カープのユニフォームに袖を通し、そのキャリアに終止符を打った。
2009年12月21日、広島東洋カープに2年ぶりに復帰することが決定した。背番号は再び22を着用。翌春のキャンプでは、長女の誕生日でもあったキャンプ2日目からブルペンで初投げをするなど、先発ローテーション入りへの強い意気込みを見せた。
2010年 は主に中継ぎとして起用され、4月16日、17日の対中日戦(マツダスタジアム)では、2日連続で勝利投手となった。40歳代の投手が2日連続で勝利投手になるのは史上初の快挙である。しかし、5月以降は成績が悪化し、6月21日に1軍登録から抹消された。2軍でも首痛などに悩まされ調整が進まず、9月8日に現役引退を表明した。
引退試合となった9月29日の対横浜戦(マツダスタジアム)では、長女と二女をバッテリーに、高橋自身が打者を務める始球式を行った。そして8点をリードした8回表に最終登板すると、ホセ・カスティーヨを空振り三振に仕留め、打者1人のみで降板した。試合終了後には引退セレモニーが執り行われた。
2. プレースタイル
高橋建のプレースタイルは、投手としての多彩な能力と、投手ながらも光る打撃センスが特徴であった。
2.1. 投球スタイル
高橋建の武器は、最速150 km/h(1999年7月14日に記録)の直球と多彩な変化球であった。
入団当初は足を高く振り上げる独特の投球フォームが特徴で、奪三振も取れる速球派であったが、制球力に難があった。このため、2000年からは足をあまり高く上げない通常の投球フォームに変更した。
中日ドラゴンズとの相性が良く、ナゴヤドームでは特に良い投球をすることが多かった。一方、阪神タイガースには弱く、10年目の2004年シーズンまでは甲子園球場で勝利を挙げたことがなかった。
小学校・中学校時代には軟式野球で投手を務めていた経歴もある。
2.2. 打撃能力
大学時代は外野手だったという経緯もあり、高橋は投手でありながら打撃も得意としていた。2003年3月29日の開幕カードの対ヤクルトスワローズ2回戦では、自ら均衡を破るタイムリー三塁打を放っている。また、2軍での通算打率は3割を超えており、1軍戦では通算3本塁打を放っている。なお、プロ初本塁打は、7年目の2001年4月8日に斎藤雅樹から放った右越えソロホームランであり、広島の投手による本塁打としては1999年の広池浩司以来の記録であった。
3. 引退後の活動
プロ野球選手を引退した後も、高橋建は野球界内外で多岐にわたる活動を展開している。
3.1. 野球解説者としての活動
2011年 から2015年まで、中国放送(RCC)とデイリースポーツ新聞広島支社で野球解説者を務めた。この間、TBSテレビ系列のプロ野球中継(『S☆1 BASEBALL』、RCCテレビでは『RCCカープナイター/RCCカープデーゲーム中継』名義)や、TBSテレビ・BS-TBSの『MLBスタジアム』、RCCラジオの『RCCカープナイター/RCCカープデーゲーム中継』などに出演した。
また、2011年秋からは、JR西日本広島支社のイメージキャラクターを担当し、山陽新幹線「東京行くなら新幹線」キャンペーンのCMや、J-WESTカードのポスターなどに登場した。2015年5月16日には、東海道新幹線・山陽新幹線の片道利用と連動した広島球団主催のファン招待イベント「貸切片道新幹線『常車魂~RED RIDING~』」にサプライズゲストとして参加した。
3.2. コーチ歴
2015年11月7日、阪神タイガースの二軍投手コーチに就任することが球団から発表された。広島時代のチームメイトであり、同年10月に阪神の1軍監督に就任した金本知憲と野球観を共有することによる就任であった。この就任により、阪神の2016年コーチングスタッフがすべて確定した。
2021年からは二軍育成コーチに配置転換されたが、シーズン終了後の11月2日に阪神からの退団が発表された。しかし、同15日には古巣の広島東洋カープに投手コーチとして復帰することが発表され、2022年からは広島の二軍投手コーチを務めている。
4. 人物・エピソード
高橋建は「建さん」という愛称で親しまれている。
トヨタ自動車に入社後、1993年のドラフト会議では日本代表にも選ばれ、8球団からオファーを受け1位・2位指名候補として名前が挙がった。しかし、会社の慰留により残留した。翌年は所属チームの不振から評価が下がり、「上位指名できない」との連絡が相次ぎ、本人も「プロ入りできないと覚悟した時期もあった」と語っている。しかし、1994年11月13日に広島から獲得の意向が伝えられると、「順位も金額も関係ない。素直に嬉しかった」とプロ入りを決断した。
巨人戦では、2000年9月(東京ドーム)に高橋由伸にサヨナラ本塁打となる通算100号本塁打を打たれ、2002年6月(札幌ドーム)には同じく高橋由伸に球団通算7500号本塁打を打たれるなど、重要な節目のホームランを献上する皮肉な巡り合わせがあった。
5. 受賞・表彰
高橋建は選手およびコーチキャリアにおいて、以下の賞を受賞し、表彰されている。
- ベスト・ファーザー イエローリボン賞 in 「プロ野球部門」(2010年)
6. 通算成績
6.1. 投手成績
年度 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 無四球 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 打者 | 投球回 | 被安打 | 被本塁打 | 与四球 | 敬遠 | 与死球 | 奪三振 | 暴投 | ボーク | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1995 | 広島 | 39 | 6 | 0 | 0 | 0 | 4 | 4 | 0 | -- | .500 | 393 | 90.0 | 85 | 12 | 45 | 3 | 0 | 54 | 1 | 1 | 44 | 39 | 3.90 | 1.44 |
1996 | 24 | 4 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 1 | -- | .667 | 233 | 52.2 | 57 | 4 | 20 | 1 | 1 | 40 | 4 | 0 | 33 | 29 | 4.96 | 1.46 | |
1997 | 34 | 4 | 0 | 0 | 0 | 3 | 4 | 0 | -- | .429 | 282 | 62.0 | 69 | 8 | 34 | 1 | 0 | 35 | 3 | 0 | 37 | 33 | 4.79 | 1.66 | |
1998 | 41 | 9 | 0 | 0 | 0 | 3 | 8 | 0 | -- | .273 | 431 | 101.0 | 92 | 10 | 46 | 2 | 2 | 76 | 5 | 1 | 45 | 43 | 3.83 | 1.37 | |
1999 | 36 | 13 | 2 | 1 | 0 | 3 | 7 | 0 | -- | .300 | 448 | 102.0 | 102 | 21 | 40 | 3 | 2 | 90 | 9 | 0 | 64 | 53 | 4.68 | 1.39 | |
2000 | 50 | 10 | 2 | 1 | 0 | 5 | 9 | 4 | -- | .357 | 482 | 112.1 | 89 | 13 | 57 | 7 | 3 | 88 | 6 | 0 | 56 | 49 | 3.93 | 1.30 | |
2001 | 30 | 25 | 5 | 1 | 0 | 10 | 8 | 0 | -- | .556 | 736 | 173.0 | 165 | 23 | 60 | 6 | 8 | 132 | 6 | 0 | 89 | 82 | 4.27 | 1.30 | |
2002 | 26 | 25 | 6 | 3 | 0 | 9 | 14 | 0 | -- | .391 | 758 | 173.1 | 197 | 22 | 38 | 4 | 3 | 142 | 2 | 0 | 92 | 74 | 3.84 | 1.36 | |
2003 | 24 | 24 | 6 | 1 | 3 | 9 | 8 | 0 | -- | .529 | 706 | 167.0 | 174 | 26 | 36 | 2 | 8 | 127 | 2 | 0 | 76 | 68 | 3.66 | 1.26 | |
2004 | 18 | 17 | 0 | 0 | 0 | 3 | 10 | 0 | -- | .231 | 428 | 96.0 | 122 | 24 | 24 | 0 | 2 | 66 | 0 | 1 | 66 | 59 | 5.53 | 1.52 | |
2005 | 14 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | .000 | 133 | 26.2 | 43 | 7 | 9 | 1 | 1 | 14 | 1 | 0 | 28 | 28 | 9.45 | 1.95 | |
2006 | 54 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | 15 | .400 | 201 | 46.0 | 46 | 9 | 16 | 2 | 1 | 40 | 0 | 0 | 27 | 24 | 4.70 | 1.35 | |
2007 | 22 | 20 | 0 | 0 | 0 | 5 | 4 | 0 | 0 | .556 | 481 | 112.0 | 116 | 18 | 36 | 1 | 5 | 74 | 3 | 0 | 54 | 46 | 3.70 | 1.36 | |
2008 | 21 | 20 | 1 | 1 | 0 | 8 | 5 | 0 | 0 | .615 | 503 | 115.2 | 124 | 11 | 42 | 2 | 5 | 71 | 1 | 0 | 50 | 45 | 3.50 | 1.44 | |
2009 | NYM | 28 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 116 | 27.1 | 23 | 2 | 14 | 1 | 2 | 23 | 2 | 1 | 9 | 9 | 2.96 | 1.35 |
2010 | 広島 | 26 | 1 | 0 | 0 | 0 | 4 | 5 | 0 | 8 | .444 | 144 | 30.0 | 37 | 8 | 19 | 2 | 0 | 17 | 0 | 0 | 32 | 31 | 9.30 | 1.87 |
NPB:15年 | 459 | 182 | 22 | 8 | 3 | 70 | 92 | 5 | 23 | .432 | 6359 | 1459.2 | 1518 | 216 | 522 | 37 | 41 | 1066 | 43 | 3 | 793 | 703 | 4.33 | 1.40 | |
MLB:1年 | 28 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 116 | 27.1 | 23 | 2 | 14 | 1 | 2 | 23 | 2 | 1 | 9 | 9 | 2.96 | 1.35 |
6.2. 守備成績
年度 | 球団 | 投手(P) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | ||
1995 | 広島 | 39 | 4 | 22 | 1 | 1 | .963 |
1996 | 24 | 5 | 9 | 1 | 1 | .933 | |
1997 | 34 | 7 | 10 | 1 | 2 | .944 | |
1998 | 41 | 6 | 23 | 1 | 0 | .967 | |
1999 | 36 | 8 | 15 | 0 | 0 | 1.000 | |
2000 | 50 | 6 | 24 | 2 | 1 | .938 | |
2001 | 30 | 13 | 26 | 3 | 3 | .929 | |
2002 | 26 | 11 | 31 | 4 | 2 | .913 | |
2003 | 24 | 8 | 31 | 2 | 3 | .951 | |
2004 | 18 | 5 | 22 | 1 | 4 | .964 | |
2005 | 14 | 0 | 5 | 1 | 1 | .833 | |
2006 | 54 | 1 | 8 | 0 | 1 | 1.000 | |
2007 | 22 | 4 | 19 | 1 | 2 | .958 | |
2008 | 21 | 7 | 22 | 0 | 1 | 1.000 | |
2009 | NYM | 28 | 1 | 6 | 0 | 2 | 1.000 |
2010 | 広島 | 26 | 0 | 7 | 0 | 1 | 1.000 |
NPB | 459 | 85 | 274 | 18 | 23 | .952 | |
MLB | 28 | 1 | 6 | 0 | 2 | 1.000 |
7. 主な記録・節目の記録
高橋建がプロキャリアにおいて達成した主な記録と節目の記録は以下の通りである。
7.1. 初記録
; 投手記録
- 初登板:1995年4月8日、対横浜ベイスターズ2回戦(広島市民球場)、6回表に2番手で救援登板、1回2/3を2安打無失点
- 初奪三振:同上、7回表に佐伯貴弘から
- 初先発:1995年4月16日、対ヤクルトスワローズ3回戦(広島市民球場)、4回4安打4失点で敗戦投手
- 初勝利:1995年4月20日、対中日ドラゴンズ3回戦(長良川球場)、2回表に2番手で救援登板、6回無失点
- 初セーブ:1996年9月29日、対横浜ベイスターズ25回戦(広島市民球場)、7回表に3番手で救援登板・完了、3回無失点
- 初先発勝利:1996年10月6日、対横浜ベイスターズ26回戦(広島市民球場)、5回2/3イニングを3失点
- 初完投勝利・初完封勝利:1999年8月1日、対読売ジャイアンツ18回戦(広島市民球場)
- 初ホールド:2006年4月19日、対横浜ベイスターズ2回戦(広島市民球場)、6回表に2番手で救援登板、2回無失点
; 打撃記録
- 初安打:1996年6月14日、対中日ドラゴンズ10回戦(広島市民球場)、2回裏に山本昌から右前安打
- 初打点:1999年9月29日、対阪神タイガース25回戦(広島市民球場)、1回裏にカート・ミラーから一塁適時内野安打
- 初本塁打:2001年4月8日、対読売ジャイアンツ3回戦(広島市民球場)、3回裏に斎藤雅樹から右越ソロ
7.2. 節目の達成記録
- 1000投球回:2003年8月20日、対ヤクルトスワローズ20回戦(広島市民球場)、1回表にアレックス・ラミレスを三塁ゴロで2死目を取り達成 ※史上293人目
- 1000奪三振:2008年5月9日、対東京ヤクルトスワローズ4回戦(明治神宮野球場)、2回裏に村中恭兵から ※史上121人目
7.3. その他の記録
- オールスターゲーム出場:4回(2000年、2001年、2003年、2008年)
8. 背番号
高橋建が選手およびコーチとして着用した背番号の変遷は以下の通りである。
- 22(1995年 - 2008年、2010年)
- 36(2009年)
- 72(2016年 - 2021年)
- 87(2022年 - )
9. 外部リンク
- [https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=t/takahke01 Baseball-Reference.com]
- [https://npb.jp/bis/players/61863880.html NPB.jp 日本野球機構]