1. 概要
髙橋尚成は、投手として読売ジャイアンツで5度のリーグ優勝、3度の日本シリーズ優勝に貢献した。個人ではNPBで最優秀防御率と最高勝率のタイトル、そしてベストナインを獲得している。また、MLBではニューヨーク・メッツ、ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム、ピッツバーグ・パイレーツ、シカゴ・カブスに所属した。2014年には登録名を「尚成」として活動した。
2. 経歴
髙橋尚成のプロ野球選手としてのキャリアは、NPBの読売ジャイアンツで始まり、その後MLBでの経験を経て、NPBの横浜DeNAベイスターズで現役を終えた。
2.1. プロ入り前
髙橋は東京都墨田区の下町で育ち、兄の影響で野球を始めた。修徳高校3年時の1993年には、第75回全国高等学校野球選手権大会でベスト8に進出し、秋の国民体育大会で優勝を飾った。甲子園では1試合4犠打のタイ記録を持つ。投球面では2試合連続完封を記録している。修徳高校の同期には玉木朋孝が、1学年後輩には遠藤竜志がいた。
高校卒業後、駒澤大学に進学。東都大学リーグでは通算60試合に登板し、17勝11敗、防御率2.58、239奪三振を記録した。駒大では3学年先輩に河原純一、高木浩之、本間満がおり、1学年後輩に新井貴浩、3学年後輩に武田久がいた。
大学卒業後は社会人野球の東芝に進んだ。1999年の第70回都市対抗野球大会ではチームの優勝に貢献し、自身も優秀投手に選ばれた。東芝での同期には清水直行がいた。同年開催されたドラフト会議において、読売ジャイアンツから1位(逆指名)で指名を受け入団。駒大の先輩である河原と再びチームメイトとなった。
2.2. 読売ジャイアンツ時代 (NPB)

読売ジャイアンツでは、長きにわたり先発投手として活躍し、チームの中心選手として数々の勝利に貢献した。
2.2.1. 2000年 - 2005年シーズン
2000年4月6日の中日ドラゴンズ戦で、堀内恒夫以来となる初先発・初勝利を飾るなど、シーズン当初から活躍を見せた。新人王は首位打者を獲得した金城龍彦に譲ったものの、最終的に9勝6敗、防御率3.18の好成績を記録し、巨人ではドラフト指名された左腕投手として初の入団一年目での年間規定投球回達成者となった。福岡ダイエーホークスとの日本シリーズでは第5戦(福岡ドーム)に先発し、史上10人目、巨人投手としては5人目の初登板初完封を達成し、優秀選手賞を受賞した。
2001年も9勝を挙げたが、規定投球回には到達できなかった。この年に一般女性と結婚。
2002年には初の2桁勝利となる10勝を挙げ、2年ぶりに規定投球回に到達し、リーグ優勝に貢献した。西武ライオンズとの日本シリーズでは第4戦で登板し勝利投手となり、チームの2年ぶりの日本一に貢献した。
2003年5月21日の福岡ドームでのヤクルトスワローズ戦では、完封ペースで投げていたが、左翼手のクリス・レイサムが二死目となるフライ打球処理後に誤ってボールをスタンドに投げ入れたことで、二塁走者がホームインし完封勝利を逃した(試合は2-1で完投勝利)。シーズン全体では故障の影響で13試合の登板に留まり、4勝4敗・防御率3.84の成績だった。
2004年も故障により思うように投げることができず、16試合で5勝10敗と負け越したが、8月26日の中日戦でこの年のチーム唯一の完封を記録した。
2005年も先発ローテーションを守ったが、不安定な投球が多く、過去2年ほどの不振ではなかったものの8勝12敗を喫した。10敗のうち、5月8日に宮城球場で行われた東北楽天ゴールデンイーグルス戦で岩隈久志と投げ合って敗北した分も含まれ、球団史上初の交流戦敗戦投手となった。それでも3年ぶりに規定投球回に到達した。
2.2.2. 2006年シーズン
2006年は内角攻めのスタイルを取り入れ、オープン戦から快投が続いたが、開幕早々の4月5日の東京ヤクルトスワローズ戦で、ベンチに飛んできた青木宣親のファウルボールが顔面を直撃し、右頬の骨折で長期離脱を余儀なくされた。復帰後は抑え投手に転向し15セーブを挙げた。最終成績は35試合で2勝6敗15セーブ4ホールド・防御率4.94だった。しかし、10月10日の中日戦では延長12回にタイロン・ウッズに満塁本塁打を打たれるなど打ち込まれ、東京ドームが開場してから初めて相手チームのリーグ優勝および胴上げを許した。シーズンオフの契約交渉では清武英利球団代表に翌年の先発復帰を直訴し、さらにオフの熱海後楽園ホテルでの納会の席では、宴が始まり「少し酔ってきたかな」という頃合いを見計らって監督の原辰徳にお酌をしに行き、「2007年は是非先発で......」と直接訴えかけたというエピソードがある。
2.2.3. 2007年シーズン
2007年には先発に復帰し、開幕ローテーション入りを果たした。4月には月間5勝を挙げ、球団の左投手としては1979年5月の新浦壽夫以来28年ぶりの快挙を成し遂げた。6月21日に実父が死去。葬儀に駆けつけられない中、23日の西武戦でチームでは1999年7月4日に達成した上原浩治以来となる12球団一番乗りの10勝を達成した。6月中の10勝達成は1990年6月22日の斎藤雅樹以来の記録である。入団8年目にして監督推薦によりオールスターゲーム初出場を果たし、フルキャストスタジアム宮城での第2戦に先発登板。山﨑武司に本塁打を打たれ2イニングで2失点を喫したものの、阿部慎之助の3ランなどのセ・リーグ打線の奮起に助けられて勝利投手となった。シーズンでは自己最多となる14勝を挙げ、チームのリーグ優勝に大きく貢献。シーズン終盤の8月2日から9月15日までは1ヶ月以上白星から遠ざかり、一時的にセス・グライシンガーに防御率を抜かれたが、最後は2連勝で自身初の個人タイトルとなる最優秀防御率と最高勝率を獲得した。しかし、この年より導入されたクライマックスシリーズのファイナルステージでは、2位の中日との対戦で第3戦に先発。3回まで無失点に抑えるも、1点リードの4回にタイロン・ウッズに逆転3点本塁打、7回には谷繁元信にソロ本塁打を打たれるなど、7回4失点で敗戦投手となり日本シリーズ進出を逃した。この年のベースボールTVのインタビューでは、「目標は、いつかは完全試合を達成すること。また工藤公康、桑田真澄らベテランが去り、内海哲也、金刃憲人や復活を遂げた木佐貫洋など、若手台頭の中で(上原と共に)ジャイアンツ投手陣の最年長投手となり、G投手陣のリーダーになる」という宣言をした。
2.2.4. 2008年 - 2009年シーズン
2008年は自身初の開幕投手に指名されヤクルト戦に登板したが、雨脚が強く不運な安打もあったことから4回5失点と振るわず、チームも2対6で大敗した。その後の登板でも不振は続き、5月20日の千葉ロッテマリーンズ戦で3回途中6失点と打ち込まれたのを機に再調整を命じられ、翌日出場選手登録を抹消された。6月27日に再登録された後は調子を取り戻したが、序盤の不振が響き8勝に終わり規定投球回にも到達しなかった。チームはリーグ連覇を果たし、中日とのクライマックスシリーズでは日本シリーズ進出に王手をかけた第4戦に先発し、7回1失点と好投を見せた。リリーフ陣が同点に追いつかれたため勝ち星こそ付かなかったが、8回に勝ち越してそのまま勝利し、チームは6年ぶりの日本シリーズ進出を果たした。西武との日本シリーズでは第2戦と第6戦に先発。第2戦は3回まで無失点に抑えたが、4回に中島裕之に逆転2点本塁打を打たれた。6回には一死一・二塁のピンチを招いて降板したが、5回1/3を2失点の好投を見せた。その裏に同点に追いついたため敗戦投手は免れ、9回にアレックス・ラミレスのサヨナラ本塁打でチームは勝利した。しかし、王手をかけて迎えた第6戦では初回に1安打2四球で二死満塁のピンチを招くと、平尾博嗣に3点適時二塁打を打たれ先制点を与えた。2回は無失点だったが、その裏に代打を出されたため2回3失点で降板。打線は西武先発の帆足和幸から1点を奪うも打ち崩すまでには至らず、4回には一死一・三塁のチャンスを作るも、2番手で中2日で登板した岸孝之から得点を奪えずそのままチームは敗れ、髙橋自身も3度目の日本シリーズで初めて敗戦投手となった。翌日もチームは敗れ、日本一を逃した。
2009年は8月終了時点で5勝6敗と低調だったが、9月以降に5連勝を記録し10勝6敗でシーズンを終え、自身3度目となる2桁勝利を達成。防御率も2.94を記録し、規定投球回に2年ぶりに到達してリーグ3連覇に貢献した。クライマックスシリーズファイナルステージでは3年連続で中日との対戦となり、第3戦に先発した。初回に森野将彦に2日続けてとなる先制2点本塁打を打たれるが、その後は無失点に抑え、勝ち星こそ付かなかったが5回2失点と先発の役割を果たした。チームは翌日の第4戦に勝利して日本シリーズ進出を決めた。北海道日本ハムファイターズとの日本シリーズでは第4戦で先発したが5回5失点で敗戦投手となり、本拠地での胴上げを逃した。それでも第6戦でチームは勝利し7年ぶりの日本一に輝いた。11月17日には海外FA権を行使。ピーター・グリーンバーグが代表取締役を務めるPEG社と業務提携しているGSEグループの中西剛を代理人とし、メジャーへの移籍を目指すことを発表した。
2.3. メジャーリーグベースボール (MLB)
髙橋尚成は、日本での成功を経て、メジャーリーグの舞台でも挑戦を続けた。
2.3.1. ニューヨーク・メッツ

2010年2月11日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングで13イニング4失点(防御率2.77)と結果を残し、開幕直前にメジャー昇格を果たした。4月7日のフロリダ・マーリンズ戦の延長10回に6番手としてメジャー初登板。打者4人に対し2安打1四球1失点で敗戦投手となった。4月23日のアトランタ・ブレーブス戦では先発ジョン・メインの故障降板を受け緊急登板。3回を2安打1四球7奪三振1失点に抑えメジャー初勝利を記録した。打席でも川上憲伸からメジャー初安打を放っている(初打席初安打だったため、ベンチに帰るとチームメイトから「イチロー!イチロー!」と掛け声が飛んだと本人が回想している)。5月21日のニューヨーク・ヤンキース戦ではメジャー初先発し、6回5安打無失点と好投するも勝敗はつかなかった。8月16日のヒューストン・アストロズ戦でメジャー初セーブを記録。チームはクローザーのフランシスコ・ロドリゲスの離脱を受け、複数の投手をクローザーとして起用する方針だったが、この日の好投でクローザーに指名された。10月1日のワシントン・ナショナルズ戦では同点の9回から登板。2回を無安打無失点4奪三振に抑え、延長10回にジョシュ・トーリーがサヨナラ打を放ち、日本人メジャーリーガーとしては4人目、メッツでは1985年のリック・アギレラ以来25年ぶりとなる新人での2桁勝利を記録した。最終的に先発としては4勝4敗、防御率5.01、WHIP1.45と振るわなかったが、リリーフでは6勝2敗8セーブ、リーグ9位の防御率2.04、WHIP1.13と結果を残し、合計10勝を記録した(規定投球回数未満ながら、シーズン2桁勝利を挙げたMLB日本人投手としては、2000年の長谷川滋利以来2例目)。この年の日本人メジャーリーガーの中では黒田博樹(11勝)に次いで2番目に多い勝ち星を挙げた。オフには再契約交渉がまとまらず、11月5日にウェイバー公示された。代理人をアーン・テレムに変更した。
2.3.2. ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム

2010年12月2日にロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムと総額800.00 万 USDの2年契約を結んだ。背番号は巨人時代から愛着のある「21」に決まった。
2011年はワンポイントや回をまたいだ登板など、様々な場面でのリリーフ起用のみとなった。5月には11試合の登板で0勝1敗、防御率6.30、WHIP1.80と不調だったが、6月に復調し、前半戦は36試合の登板で2勝2敗、防御率3.62、WHIP1.33で折り返した。8月15日のテキサス・レンジャーズ戦でメジャー通算100試合登板を達成し、後半戦は25試合の登板で2勝1敗2セーブ、防御率3.23、WHIP1.07の成績を残した。シーズンを通してはチームで2番目に多い61試合に登板し、右打者を被打率.206に抑えた。5月と8月には防御率6点台以上を喫したが、一方で6月と9月には防御率0点台を残すなど、好不調の波が激しかった。日本人選手との対戦ではイチローを3打数無安打、松井秀喜を2打数無安打、西岡剛を2打数無安打と全て無安打に抑えている。
2012年は、4月に8試合の登板で0勝1敗、防御率9.95、WHIP1.89と不調に陥ったが、5月には10試合の登板で0勝1敗、防御率1.86、WHIP0.93と復調。前半戦を28試合の登板で0勝2敗、防御率4.15、WHIP1.08の成績で終えた。7月28日にはチームにザック・グレインキーが加入したことに伴いAAA級ソルトレイクに降格したが、スコット・ダウンズの故障に伴い31日に昇格した。しかし8月は8試合の登板で0勝1敗、防御率7.71、WHIP1.57と再び不調に陥り、8月19日に再降格した。
2.3.3. ピッツバーグ・パイレーツ、シカゴ・カブス、コロラド・ロッキーズ
2012年8月24日にウェイバー公示を経てピッツバーグ・パイレーツへ移籍したが、9試合の登板で防御率8.64、WHIP1.68に終わった。前年に続き、日本人選手との対戦ではイチローを3打数無安打、川﨑宗則を1打数無安打、青木宣親を1打数無安打と全て無安打に抑えた。チームはプレーオフ進出を争っていたが、9月27日に出場可能性が消滅し、30日には20年連続負け越しも決定した。シーズン終了後には「今年はいろいろ大変だったけれど、自分の中では楽しめた。自分を知ってもらう努力をしたし、新しい仲間が増えた。アメリカに来る時、眠れなくなるほど悩んだ。簡単には帰れない。自分が納得できるまでこっちでやりたい」とコメントを残している。
2012年12月27日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結んだ。
2013年、スプリングトレーニングに招待選手として参加し、2先発を含む9試合の登板で防御率4.42、WHIP1.36と成績が低迷したが、メジャー開幕25人枠入りを果たした。しかし、開幕から3試合の登板で3回2失点を喫し、4月16日にDFAとなり40人枠から外れ、18日にAAA級アイオワに降格した。
2013年6月22日にコロラド・ロッキーズへ移籍した。マイナー契約を結んだ関係で、同球団傘下のAAA級コロラドスプリングスに所属した。前半戦は7試合の登板で1勝0敗、防御率11.70、WHIP3.00。後半戦は11試合の登板で0勝1敗、防御率3.45、WHIP1.41と復調するが、メジャーリーグへの復帰は果たせず、シーズン終了後には自由契約になった。
2.4. 横浜DeNAベイスターズ時代 (NPB)
2013年12月25日、横浜DeNAベイスターズから2年契約での獲得が発表され、巨人退団から5年ぶりにNPBおよびセントラル・リーグの球団へ復帰することになった。背番号は、メッツでも着用していた「47」。2014年1月20日には、登録名を「尚成」(ひさのり)にすることが同球団から発表された。
2014年(移籍初年度)は先発ローテーションに入った。好投する時もあったが、打線の援護に恵まれない試合や、本塁打の被弾が多かったこともあり、1勝もできずにシーズンを終えた。古巣の巨人戦では、3連続本塁打を打たれてKOされることもあった。
2015年1月30日、球団から登録名を本名に戻すことが発表された。4月29日の広島戦でシーズン初登板(先発)したが2回6失点の後、二軍降格となった。9月13日、今シーズン限りで現役引退することをオフィシャルブログ上で発表した。引退の理由として「アメリカ(MLB)から戻ってきた前年から、引退はずっと考えてきた。ここにきて、気持ちの方が動かなくなった。体は無理をしてもできると思う。でも、気持ちの方がついてこなくなった。モチベーションが上がってこなくなった」とコメントした。10月2日の古巣・巨人戦(横浜スタジアム)で引退試合が行われ、自身は打者一人限定で先発登板。1回の表、先頭の立岡宗一郎を遊ゴロに仕留めたかに思えたが、送球が逸れて一塁手が捕球できず、出塁を許したところで降板した(記録は一塁失策)。試合後には引退セレモニーが行われ、ファンや関係者らに感謝を伝えた。最後はマウンド上で胴上げされ、巨人時代のチームメイトで同級生である高橋由伸らとも抱擁を交わした。12月2日付で、日本野球機構(NPB)から自由契約選手として公示された。
2.5. 現役引退後
現役引退後は、野球解説者やYouTuberとして多岐にわたる活動を展開している。
引退後、ホリプロとの間で専属マネジメント契約を締結した。2016年からは、スポーツ報知の野球評論家や、NHK-BSのメジャーリーグ中継、ワールドスポーツ・MLB、TBSラジオ(2017年まで)、日本テレビ、BS日テレ、日テレジータス、BS-TBS、TBSチャンネル、CBCラジオ副音声の野球解説者として活動している。2018年はラジオ日本野球解説者も兼務した。また、2018年4月1日から放送のテレビアニメ『グラゼニ』では解説者役として出演している。
YouTubeチャンネル「髙橋尚成のHISAちゃん」を運営しており、2023年9月28日時点で約4.94万人の登録者と、総再生回数31,492,296回を記録している。
2022年8月2日、読売ジャイアンツは髙橋の臨時投手コーチ就任を発表した。登録期間は8月2日から20日までだった。
2023年には李承燁新監督の要請により、スプリングキャンプの期間で斗山ベアーズの投手インストラクターとして活動した。
2025年には、カリビアンシリーズ参戦に向けて結成されたチーム「ジャパンブリーズ」の投手コーチとして参加した(チームは全敗で予選敗退)。
3. 選手としての特徴
髙橋尚成は、平均球速143 km/h (88.8 mph)、最速148 km/h (92 mph)のストレート(フォーシーム)とスライダー、シンカー(チェンジアップとも呼称される)、シュート(ツーシームとも呼称される)、カーブを投げ分け、稀にフォークとカットボールも交える投球スタイルが特徴である。丹念にコーナーを突く投球を得意とし、2010年にはさらにコーナーを突く投球を心がけた結果、日本時代と比べ与四球率は高くなったものの、奪三振率が大幅に上昇した。
4. 人物
髙橋尚成は、家族を公表しており、妻と子がおり、既婚者であることを明かしている。車の愛好家としても知られ、2023年現在の愛車はテスラ・モデル3で、これが15台目の車であると語っている。
巨人時代には同姓の高橋由伸がいたため、チーム内からは「ヒサノリ」と呼ばれ、試合では「高橋尚」と表記された。生年月日は、巨人で同僚だった高橋由伸、上原浩治より1日早い。巨人ファンの両親の影響で子どもの頃から巨人を応援し、左利きであったため自分が守れないポジションを守る篠塚和典に憧れていた。子どもの頃からプロ野球選手になるなら巨人に入団したいという夢を抱いていた。
2016年5月30日放送のフジテレビ『スポーツジャングル』では、メジャーでの経験について語っており、ノックが下手すぎてピッチャーゴロがほとんど外野に飛んで練習にならないこと、自身のグローブをボールのように蹴られたりと選手があまり道具を大事にしないことなど、驚いたエピソードを明かしている。
4.1. 公的なイメージと逸話
髙橋は若手時代、酔うと羽目を外したパフォーマンスをすることで有名だった。特に2000年の巨人優勝時の祝勝会では、床にうつ伏せで寝転がり、尻を露出してはしゃぐ姿が生中継されたが、これははしゃいで先輩に脱がされたものだったと後に語っている。この行為により、当時の監督である長嶋茂雄からは「宴会部長」に指名された。同年オフの納会においては、長嶋監督の目の前で「闘魂こめて」に合わせて箸をタクトのように振った。
2002年の祝勝会においてもヒョウ柄のTバックを着用して尻を露出し、さらに鼻血を出すに及んだことが中継された。当時の監督の原辰徳からは「自覚を持て」と言われたほか、髙橋は後に妻の叱責も受けた。また、この年の日本シリーズの対戦相手である西武監督の伊原春樹からは「汚いし、品位がない。全国放送で見せるもんじゃない」と痛烈に批判された。日本シリーズ第4戦に先発した髙橋は好投し、勝利投手となった。この試合で巨人は西武相手に4連勝で日本一となったため試合後には祝勝会が行われたが、髙橋は上述した体を露出するようなパフォーマンスは行わなかった。
このようなことから、特に尻の露出については、一部で歓迎された一方で、「球界の紳士たれ」をモットーとする巨人軍の選手にあるまじき行為として一部ファンの批判も強かった。ただし、中期からはそれらのような過激なパフォーマンスを人前ですることはなくなった。前述の伊原は2007年から巨人の野手総合コーチを務め、同年のリーグ優勝目前には髙橋の「尻出し」を容認する発言をしたが、祝勝会において髙橋が尻を露出する姿は見られなかった。その後の2年間も優勝はしたが、祝勝会で露出することはなかった。
髙橋は、後に日本球界に復帰した際、上記の行為は若い頃のことなので忘れてほしいと発言している。
5. 獲得タイトルと表彰
髙橋尚成はプロ野球選手として数々のタイトルを獲得し、表彰を受けてきた。
5.1. タイトルと主要な表彰
- 最優秀防御率:1回(2007年)
- 最高勝率:1回(2007年)
- ベストナイン:1回(投手部門:2007年)
- 最優秀投手:1回(2007年)
- 月間MVP:2回(投手部門:2002年5月、2007年4月)
- 最優秀バッテリー賞:1回(2007年 捕手:阿部慎之助)
- JA全農Go・Go賞:1回(最多奪三振賞:2005年5月)
- セ・パ交流戦 日本生命賞:1回(2007年)
- 日本シリーズ優秀選手賞:1回(2000年)
5.2. 記録と節目
- 初登板・初先発・初勝利:2000年4月6日、対中日ドラゴンズ3回戦(ナゴヤドーム)、8回1失点
- 初奪三振:同上、3回裏に井上一樹から空振り三振
- 初完投勝利・初完封勝利:2000年5月7日、対ヤクルトスワローズ8回戦(東京ドーム)
- 初ホールド:2005年7月20日、対ヤクルトスワローズ11回戦(明治神宮野球場)、6回裏一死に4番手で救援登板、1回2/3を無失点
- 初セーブ:2006年7月16日、対東京ヤクルトスワローズ11回戦(明治神宮野球場)、9回裏に6番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初安打・初打点:2000年4月23日、対広島東洋カープ6回戦(広島市民球場)、5回表に菊地原毅から三塁適時内野安打
- 1000投球回:2007年9月9日、対阪神タイガース21回戦(東京ドーム)、1回表三死目に高橋光信を一飛で達成 ※史上307人目
- 1000奪三振:2009年8月16日、対阪神タイガース18回戦(東京ドーム)、4回表に下柳剛から見逃し三振 ※史上125人目
- オールスターゲーム出場:1回(2007年)
6. 年度別成績
髙橋尚成のプロキャリアを通じての年度別投手成績と守備成績を以下に示す。
6.1. 投手成績
年 度 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2000 | 巨人 | 24 | 23 | 3 | 2 | 1 | 9 | 6 | 0 | -- | .600 | 563 | 135.2 | 133 | 10 | 36 | 3 | 2 | 102 | 1 | 0 | 59 | 48 | 3.18 | 1.25 |
2001 | 30 | 23 | 3 | 1 | 0 | 9 | 9 | 0 | -- | .500 | 584 | 134.2 | 126 | 20 | 52 | 2 | 3 | 99 | 4 | 0 | 65 | 59 | 3.94 | 1.32 | |
2002 | 24 | 23 | 2 | 0 | 1 | 10 | 4 | 0 | -- | .714 | 669 | 163.1 | 143 | 16 | 39 | 1 | 6 | 145 | 4 | 1 | 58 | 56 | 3.09 | 1.11 | |
2003 | 13 | 13 | 3 | 0 | 0 | 4 | 4 | 0 | -- | .500 | 364 | 86.2 | 79 | 14 | 27 | 1 | 4 | 78 | 1 | 1 | 42 | 37 | 3.84 | 1.22 | |
2004 | 16 | 16 | 3 | 1 | 1 | 5 | 10 | 0 | -- | .333 | 402 | 91.0 | 107 | 18 | 26 | 0 | 3 | 61 | 3 | 0 | 59 | 55 | 5.44 | 1.46 | |
2005 | 27 | 26 | 4 | 2 | 0 | 8 | 12 | 0 | 1 | .400 | 695 | 163.0 | 171 | 18 | 48 | 1 | 4 | 135 | 1 | 0 | 88 | 81 | 4.47 | 1.34 | |
2006 | 35 | 4 | 0 | 0 | 0 | 2 | 6 | 15 | 4 | .250 | 266 | 62.0 | 70 | 10 | 15 | 2 | 1 | 51 | 1 | 0 | 36 | 34 | 4.94 | 1.37 | |
2007 | 28 | 27 | 2 | 2 | 0 | 14 | 4 | 0 | 0 | .778 | 764 | 186.2 | 168 | 21 | 50 | 4 | 2 | 141 | 1 | 0 | 63 | 57 | 2.75 | 1.17 | |
2008 | 23 | 22 | 0 | 0 | 0 | 8 | 5 | 0 | 0 | .615 | 518 | 122.0 | 127 | 16 | 30 | 0 | 5 | 94 | 2 | 0 | 63 | 56 | 4.13 | 1.29 | |
2009 | 25 | 25 | 1 | 0 | 0 | 10 | 6 | 0 | 0 | .625 | 610 | 144.0 | 147 | 16 | 36 | 1 | 6 | 126 | 0 | 2 | 58 | 47 | 2.94 | 1.27 | |
2010 | NYM | 53 | 12 | 0 | 0 | 0 | 10 | 6 | 8 | 3 | .625 | 516 | 122.0 | 116 | 13 | 43 | 7 | 0 | 114 | 1 | 1 | 51 | 49 | 3.61 | 1.30 |
2011 | LAA | 61 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 2 | 7 | .571 | 281 | 68.0 | 58 | 7 | 25 | 8 | 0 | 52 | 1 | 0 | 30 | 26 | 3.44 | 1.22 |
2012 | 42 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 3 | .000 | 173 | 42.0 | 39 | 6 | 10 | 1 | 0 | 41 | 0 | 0 | 24 | 23 | 4.93 | 1.17 | |
PIT | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 39 | 8.1 | 10 | 2 | 4 | 0 | 0 | 11 | 0 | 0 | 8 | 8 | 8.64 | 1.68 | |
'12計 | 51 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 3 | .000 | 212 | 50.1 | 49 | 8 | 14 | 1 | 0 | 52 | 0 | 0 | 32 | 31 | 5.54 | 1.25 | |
2013 | CHC | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 14 | 3.0 | 3 | 1 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 2 | 2 | 6.00 | 1.67 |
2014 | DeNA | 10 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | .000 | 230 | 51.0 | 65 | 14 | 21 | 0 | 1 | 33 | 0 | 1 | 33 | 30 | 5.29 | 1.71 |
2015 | 6 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 45 | 8.1 | 14 | 3 | 4 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 12 | 8 | 8.64 | 2.16 | |
NPB:12年 | 261 | 214 | 21 | 8 | 3 | 79 | 73 | 15 | 5 | .520 | 5710 | 1348.1 | 1350 | 176 | 384 | 15 | 37 | 1069 | 18 | 5 | 636 | 568 | 3.79 | 1.29 | |
MLB:4年 | 168 | 12 | 0 | 0 | 0 | 14 | 12 | 10 | 13 | .538 | 1023 | 243.1 | 226 | 29 | 84 | 16 | 0 | 221 | 2 | 1 | 115 | 108 | 3.99 | 1.27 |
- 各年度の太字はリーグ最高
6.2. 守備成績
年 度 | 球 団 | 投手(P) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | ||
2000 | 巨人 | 24 | 3 | 34 | 1 | 4 | .974 |
2001 | 30 | 5 | 28 | 0 | 1 | 1.000 | |
2002 | 24 | 10 | 25 | 1 | 0 | .972 | |
2003 | 13 | 3 | 17 | 0 | 0 | 1.000 | |
2004 | 16 | 4 | 15 | 1 | 2 | .950 | |
2005 | 27 | 2 | 18 | 2 | 1 | .909 | |
2006 | 35 | 2 | 10 | 1 | 1 | .923 | |
2007 | 28 | 16 | 23 | 1 | 2 | .975 | |
2008 | 23 | 8 | 21 | 0 | 1 | 1.000 | |
2009 | 25 | 11 | 33 | 1 | 4 | .978 | |
2010 | NYM | 53 | 5 | 15 | 1 | 0 | .952 |
2011 | LAA | 61 | 2 | 12 | 1 | 1 | .933 |
2012 | 42 | 4 | 4 | 0 | 0 | 1.000 | |
PIT | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | |
'12計 | 51 | 4 | 4 | 0 | 0 | 1.000 | |
2013 | CHC | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
2014 | DeNA | 10 | 2 | 12 | 0 | 2 | 1.000 |
2015 | 6 | 0 | 3 | 1 | 0 | .750 | |
NPB | 261 | 66 | 239 | 9 | 18 | .971 | |
MLB | 168 | 11 | 32 | 2 | 1 | .956 |
- 各年度の太字はリーグ最高
7. 背番号と登録名
髙橋尚成がプロキャリアを通じて使用した背番号と登録名の変遷は以下の通りである。
- 36(2000年 - 2001年)
- 17(2002年 - 2006年)
- 21(2007年 - 2009年、2011年 - 2012年)
- 47(2010年、2013年 - 2015年)
- 41(2012年)
登録名は、以下の通り。
- 高橋 尚成(たかはし ひさのり、2000年 - 2009年)
- 尚成(ひさのり、2014年)
- 髙橋 尚成(たかはし ひさのり、2015年)