1. 概要
黒川弥太郎は、1910年に神奈川県横浜市で生まれ、1984年に東京で亡くなった日本の著名な俳優である。1933年から1984年まで50年以上にわたり活動し、特に時代劇の分野でその名を馳せた。映画とテレビドラマを中心に、多岐にわたる作品に出演し、その出演映画は1935年から1971年の間に228本に及ぶ。新国劇での舞台活動を皮切りに、日活京都撮影所、東宝、戦後の新東宝、大映、東映といった主要な映画会社で主演や準主演を務め、日本の映画黄金期を支えた一人として、大衆文化に大きな影響を与えた。
2. 来歴・人物
黒川弥太郎は、その長いキャリアを通じて、日本の映画界とテレビ界において時代劇俳優としての確固たる地位を築いた。彼の人生と俳優としての道のりは、日本の芸能史の変遷と深く結びついている。
2.1. 出生と家族
黒川弥太郎は、1910年11月15日に神奈川県横浜市磯子区中原町で生まれた。本名は黒川 清隆(くろかわ きよたか)。身長は164 cm。配偶者は黒川種子。また、元タカラジェンヌで宝塚歌劇団22期生の玉藻刈子が元妻である。
2.2. 初期キャリア
1933年(昭和8年)、黒川は新国劇に入団し、俳優としての第一歩を踏み出した。彼の芸名「弥太郎」は、子母沢寛原作の『弥太郎笠』にちなんで、劇作家の長谷川伸によって名付けられた。1935年(昭和10年)には、片岡千恵蔵に代わる主演スターを探していた文藝春秋の鈴木氏亨によってスカウトされ、日活京都撮影所に入所。これを機に、彼は時代劇スターとして頭角を現した。その後、1937年(昭和12年)には東宝に移籍し、ここでも主演俳優として活躍を続けた。

2.3. 軍務
俳優として順調なキャリアを築いていた黒川弥太郎は、第二次世界大戦中に召集を受け、陸軍軍曹として軍務に服した。この軍務経験は、彼の人生において重要な期間となった。
2.4. 戦後キャリア
戦後、黒川弥太郎は日本の映画産業の復興に尽力した。彼は新東宝の設立における中心人物の一人となり、新たな映画会社の立ち上げに貢献した。その後、1952年(昭和27年)に大映へ移籍し、さらに1959年(昭和34年)には東映へと活躍の場を広げた。これらの映画会社においても、彼は時代劇の主演や準主演として数多くの作品に出演し、その存在感を示し続けた。
2.5. テレビ活動
1960年代半ば(昭和40年代)以降、黒川弥太郎は活動の主軸をテレビドラマへと移した。映画界での経験を活かし、テレビ時代劇においても重要な役割を担い、多くの作品に出演した。彼のテレビでの活躍は、新たな世代の視聴者にもその名を知らしめることとなった。
3. 主な出演作品
黒川弥太郎は、1935年から1971年までの間に228本の映画に出演したほか、数多くのテレビドラマでも活躍した。以下にその主な出演作品を挙げる。
3.1. 映画
- 堀部安兵衛(1936年、日活)- 堀部安兵衛 役
- 南国太平記(1937年、J.O.スタヂオ)
- 伊太八縞(1938年、東宝)- 伊太八 役
- 嵐に咲く花(1940年、東宝)- 蜆平九郎 役
- 阿波の踊子(1941年、東宝)
- ハワイ・マレー沖海戦(1942年、東宝) - 森部少佐 役
- 決戦の大空へ(1943年、東宝)
- 加藤隼戦闘隊(1944年、東宝)
- 鍋島怪猫伝(1949年、新東宝)
- 若さま侍捕物帖謎の能面屋敷(1950年、新東宝)
- A Mother's Love(1950年)
- 鞍馬天狗鞍馬の火祭 (1951年、新東宝)
- 十六文からす堂千人悲願(1951年、新東宝)
- 春秋鏡山城(1952年、大映)
- すっ飛び駕(1952年、大映)- 森田屋清蔵 役
- 凸凹太閤記(1953年、大映)
- 地獄門(1953年、大映)
- 阿波おどり狸合戦(1954年、大映)
- Akō gishi(1954年)
- 花の白虎隊(1954年、大映)
- Asatarō garasu(1956年)
- 柳生連也斎秘伝月影抄(1956年、大映)
- 残菊物語(1956年、大映)
- 銭形平次捕物控シリーズ(大映)- 笹野新三郎 役
- 銭形平次捕物控 平次八百八町(1949年)
- 銭形平次(1951年)
- 銭形平次捕物控 恋文道中(1951年)
- 銭形平次捕物控 地獄の門(1952年)
- 銭形平次捕物控 からくり屋敷(1953年)
- 銭形平次捕物控 金色の狼(1953年)
- 銭形平次捕物控 幽霊大名(1954年)
- 銭形平次捕物控 どくろ駕籠(1955年)
- 銭形平次捕物控 死美人風呂(1956年)
- 銭形平次捕物控 人肌蜘蛛(1956年)
- 銭形平次捕物控 まだら蛇(1957年)
- 銭形平次捕物控 女狐屋敷(1957年)
- 銭形平次捕物控 八人の花嫁(1958年)
- 銭形平次捕物控 鬼火燈篭(1958年)
- 銭形平次捕物控 雪女の足跡(1958年)
- 銭形平次捕物控 美人蜘蛛(1960年)
- 銭形平次捕物控 夜のえんま帳(1961年)
- 銭形平次捕物控 美人鮫(1961年)
- スタジオはてんやわんや(1957年、大映)
- 赤胴鈴之助(1957年、大映)
- 銭形平次捕物控八人の花嫁(1958年、大映)- 笹野新三郎 役
- 忠臣蔵(1958年、大映)- 上使多門伝八郎 役

- 日蓮と蒙古大襲来(1958年、大映)
- 次郎長富士(1959年、大映)
- かげろう絵図(1959年、大映)
- 血槍無双(1959年、東映)- 堀部安兵衛 役
- 雪之丞変化(1959年、東映) - 孤軒先生 役
- ひばり十八番弁天小僧(1960年、東映)
- 任侠中仙道(1960年) - 紬の文吉 役
- 孔雀秘帖(1960年、東映)- 松平伊豆守 役
- 南国太平記(1960年、東映) - 益満休之助 役
- 次郎長血笑記シリーズ(東映)- 清水次郎長 役
- 次郎長血笑記 秋葉の対決(1960年)
- 次郎長血笑記 殴り込み道中(1960年)
- 次郎長血笑記 富士見峠の対決(1960年)
- 次郎長血笑記 殴り込み荒神山(1960年)
- 人形佐七捕物帖シリーズ(東映)- 神崎甚五郎 役
- 人形佐七捕物帖 般若の面(1960年)
- 人形佐七捕物帖 くらやみ坂の死美人(1960年)
- 人形佐七捕物帖 血染の肌着(1960年)
- 人形佐七捕物帖 ふり袖屋敷(1960年)
- ひばり十八番 お嬢吉三(1960年、東映)- 和尚吉三 役
- 照る日くもる日(1960年、東映) - 加納八郎 役
- 酒と女と槍(1960年、東映) - 豊臣秀次 役
- 旅の長脇差 花笠椿(1960年、東映)- 榊原安房守 役
- 旗本退屈男 謎の暗殺隊(1960年、東映) - 徳川綱吉 役
- 壮烈新選組 幕末の動乱(1960年、東映)- 土方歳三 役
- 次郎吉囃子 千両小判(1960年、東映)- 榊原主計頭 役
- 水戸黄門(1960年、東映)- 中山備前守 役
- 神田祭り喧嘩笠(1960年、東映)- 夢想十兵衛 役
- 天竜母恋い笠(1960年、東映)- 木村大作 役
- 野火を斬る兄弟(1960年、東映)- 節五郎 役
- 炎の城(1960年、東映)- 多治見庄司 役
- さいころ奉行(1961年、東映)- 水野越前守 役
- 宮本武蔵 般若坂の決斗(1962年、東映)- 胤舜 役
3.2. テレビドラマ
- 『赤穂浪士』(1964年、NHK)- 不破数右衛門 役
- 『銭形平次』(1967年-1968年、1975年-1976年、フジテレビ)- 笹野新三郎 役
- 『人形佐七捕物帳 第5話「折れた扇子」』(1971年、NET / 東宝) - 筒井和泉守 役
- 『鬼平犯科帳』八代目幸四郎版第二シリーズ(1971年-1972年、NET)- 佐嶋忠介 役
- 『春の坂道』(1971年、NHK)- 鳥居元忠 役
- 『大江戸捜査網』(1974年-1979年、東京12ch)- 松平定信 役
- 『江戸の鷹 御用部屋犯科帖』第26話「田沼一族の陰謀」(1978年、テレビ朝日)- 牧野蔵人 役
- 『水戸黄門 第9部 第10話「風雲久保田城 -秋田-」(1978年、TBS)- 佐竹義処 役
- 『水戸黄門 第10部 第3話「狐が化けたお姫様 -小田原-」(1979年、TBS)- 大久保加賀守 役
- 『水戸黄門 第13部 第22話「復讐!化け猫騒動 -佐賀-」(1983年、TBS)- 鍋島綱茂 役
- 『赤穂浪士』(1979年、ANB)- 庄田下総守 役
- 『新五捕物帳』第62話「死を呼ぶ兇剣」(1979年、NTV / ユニオン映画)- 田宮将監 役
- 『吉宗評判記 暴れん坊将軍』第78話「天下を狩る男」(1979年、テレビ朝日)- 芳兵衛 役
- 『悪党狩り』第2話「八丁堀無情」(1980年、東京12ch)- 弥助 役
- 『竜馬がゆく』(1982年、TX)- 山内容堂 役
- 『影の軍団 III』第16話「容疑者は三度消える」(1982年、KTV)
- 『遠山の金さん 第1シリーズ』第34話「愛か恨みか慕情の女!」(1982年、ANB / 東映)
- 時代劇スペシャル 『紫頭巾 黄金の謎』(1982年、CX)
4. 死去
黒川弥太郎は1984年(昭和59年)6月23日午前8時35分に死去した。73歳没。彼は同年4月23日、浅草公会堂で新国劇「極付国定忠治 一本刀土俵入り」の稽古中に突然倒れ、三井記念病院に運ばれた。診断の結果、脳内出血と判明し、そのまま入院していたが、回復することなく息を引き取った。
5. 評価と影響
黒川弥太郎は、日本の映画およびテレビ界において、特に時代劇の分野で多大な貢献をした俳優である。1933年から1984年までの50年以上にわたるその息の長いキャリアと、228本に及ぶ膨大な映画出演数は、彼の俳優としての実力と人気を物語っている。彼は、日活や東宝での初期の主演スターとしての地位を確立した後、戦後の新東宝設立に参画し、さらに大映や東映といった主要な映画会社で時代劇の顔として活躍し続けた。
彼の演技は、時代劇の重厚な世界観を表現する上で不可欠な存在感と品格を兼ね備えていた。また、映画からテレビへと活躍の場を広げたことで、時代劇の魅力をより多くの視聴者に届け、その普及に貢献した。黒川弥太郎の存在は、日本の映画黄金期からテレビ時代劇の隆盛期にかけて、エンターテインメント業界の重要な一翼を担い、多くの俳優や作品に影響を与えたと言える。
6. 関連書籍
- 『日本映画興亡史II 日活時代劇』(石割平 編著、円尾敏郎/横山幸則 編、ワイズ出版)
7. 外部リンク
- [https://www.imdb.com/name/nm0475872/ ヤタロー・クロカワ - IMDb]