1. プロ入り前
斎藤友貴哉選手のプロ野球選手となる以前の成長過程とアマチュア野球での経歴を詳述します。
1.1. 幼少期から少年野球まで
斎藤友貴哉は1995年1月5日に山形県東根市で生まれました。野球は東根市立小田島小学校の3年時に、軟式野球チームの「いなほスポーツ少年団」で始めました。東根市立第二中学校時代には、校内の軟式野球部と硬式クラブチーム「東根ヒーローズ」を兼部していました。
1.2. 高校・大学時代
山形県立山形中央高等学校へ進学すると、1年夏の全国高等学校野球選手権山形大会でベンチ入りを果たしました。チームは大会を制したものの、本大会ではベンチから外れていました。さらに、1学年先輩の横山雄哉をはじめ、好投手がチームに揃っていたことから、在学中には目立った実績を残せませんでした。
高校卒業後に桐蔭横浜大学へ進学。入学当初は制球難に陥りましたが、助監督の萩原康の指導の下、投球フォームの改良と本格的なウエイトトレーニングを経て、3年春に神奈川大学野球のリーグ戦にデビューしました。4年時の春季リーグ戦では、4勝1敗、防御率1.01の好成績でチームの優勝に貢献したほか、自身もMVPに選ばれました。
1.3. 社会人野球時代とプロ入り
大学4年生だった2016年の秋にプロ志望届を日本学生野球協会に提出しましたが、その年のNPBドラフト会議ではどの球団からも指名されず、卒業後にHondaへ入社しました。入社1年目から主戦投手として登板を重ね、JABA東京スポニチ大会で新人賞を獲得しました。さらに、都市対抗野球大会では初登板ながら自己最速の152 km/hを記録しました。2年目の2018年には、エース級の活躍で、チームの東京スポニチ大会優勝に貢献。都市対抗野球大会では、予選で3試合に登板し、通算投球イニング14回で自責点を全く許しませんでした。本大会ではJR四国との初戦に先発しましたが、チームを勝利に導くことはできませんでした。
2018年のNPBドラフト会議で、阪神タイガースから4巡目で指名されました。契約金6000.00 万 JPY、年俸1000.00 万 JPY(推定)という条件で入団するとともに、新日鐵住金鹿島を経て2015年から阪神に在籍している横山雄哉と再びチームメイトになりました。背番号は48です。この会議では、Hondaのチームメイトのうち、木浪聖也が3巡目で阪神から、松田進が7巡目で千葉ロッテマリーンズからそれぞれ指名され、いずれも後に入団したため、木浪とは阪神でもチームメイトになりました。
なお、ドラフト会議での指名後には、Hondaの投手として第44回社会人野球日本選手権大会に出場しました。実際には登板の機会がなく、チームは初戦のJR東海戦で、延長12回タイブレークの末に敗れました。
2. プロ経歴
プロ野球選手としてのキャリア全体を年代順に追って記述します。
2.1. 阪神タイガース時代 (2019年 - 2022年)
阪神タイガースに所属していた期間の主要な成績、シーズンごとの活躍、そして重要な出来事を年代順に説明します。
2.1.1. 2019年
2019年は春季キャンプを一軍でスタートしましたが、2月24日のオープン戦に登板したものの、春季キャンプ終了後に二軍へ降格しました。ウエスタン・リーグでは6試合に登板し、防御率0.00と結果を残すと、4月17日に出場選手登録されました。同19日の読売ジャイアンツ戦で6点ビハインドの6回表からプロ初登板となり、2回1安打3四球2奪三振無失点に抑えました。しかし、この1試合のみで4月26日に登録抹消されました。6月2日に再登録されましたが、登板機会がないまま、同5日に出場選手登録を抹消されました。二軍では、7月11日に開催されたフレッシュオールスターに選出され、ウエスタン・リーグ選抜の7番手として登板しました。二度目の登録抹消以降は、一軍へ再昇格することができずにシーズンを終え、ルーキーイヤーの一軍登板は前述の1試合のみでした。二軍(ウエスタン・リーグ)では33試合に登板して1勝2敗・防御率3.82、チーム最多の8セーブを記録しました。オフに50.00 万 JPY減となる推定年俸950.00 万 JPYで契約を更改しました。この年、斎藤は「野球に集中したい」という自身の希望から既婚者ながら選手寮「虎風荘」で単身赴任生活を経験し、1月7日の入寮時には家族全員の手形が押された色紙を自室に持ち込んでいました。同年12月からは、退寮したうえで妻子との生活を再開しました。

(2019年5月25日 ナゴヤ球場)
2.1.2. 2020年
2020年は新型コロナウイルスの影響で120試合制の短縮シーズンとなり、開幕も6月19日に延期されました。開幕前の練習試合では登板していたものの、開幕は二軍で迎え、ウエスタン・リーグでは10試合のリリーフ登板で防御率6.28と打ち込まれていました。しかし、8月22日の二軍戦で公式戦初先発となり、5回無失点と好投しました。この試合を含めて3先発・13イニングを投げ、無失点・17奪三振を記録すると、9月10日の横浜DeNAベイスターズ戦でシーズン初登板・プロ初先発を果たしました。3回表の先頭打者としてプロ初打席に立ち、高めの速球を叩きつけて激走し、投手への内野安打でプロ初安打を記録しました。その後、先制のホームも踏み、阪神の投手が初打席初安打で出塁して得点するのは、1985年の嶋田章弘以来35年ぶりの出来事でした。しかし、直後の3回裏に同点を許し、4回表に代打を送られて降板となり、3回3安打3四球3奪三振2失点で勝敗は付きませんでした。翌11日に出場選手登録を抹消され、以降も二軍で先発調整していましたが、チーム内の新型コロナウイルス感染拡大により、リリーフとして9月25日に『特例2020』の代替指名選手で出場選手登録されました。4試合に登板しましたが、10月8日に出場選手登録を抹消され、そのまま二軍でシーズンを終えました。この年は5試合(1先発)の登板で0勝0敗・防御率7.71という成績であり、オフに100.00 万 JPY減となる推定年俸850.00 万 JPYで契約を更改しました。
2.1.3. 2021年
2021年は開幕ローテーション入りを目指し、3月10日のオープン戦に先発しましたが、5回4安打3四死球5奪三振3失点(自責点2)という内容で、その後は二軍での調整となり、開幕ローテーションからは外れました。二軍では5月上旬まで先発ローテーションを回り、7試合(6先発)の登板で防御率3.34を記録していましたが、5月14日の二軍戦ではリリーフ登板に回りました。同19日にリリーフとして出場選手登録され、同28日の埼玉西武ライオンズ戦で2点ビハインドの8回裏からシーズン初登板となり、三者凡退に抑えると、直後の9回表にチームが逆転して勝利したことで、斎藤にプロ初勝利が記録されました。その後は一軍のブルペンの一角を担い、7月4日の広島東洋カープ戦ではプロ初ホールドを記録しました。東京オリンピックによるレギュラーシーズン中断期間を経て、後半戦の開幕も一軍で迎えましたが、8月25日のDeNA戦で1回3安打2四球3失点を喫すると、翌26日に出場選手登録を抹消されました。9月10日に再登録され、2試合の登板でいずれも無失点に抑えましたが、同24日に出場選手登録を抹消されました。この年は19試合のリリーフ登板で1勝1敗1ホールド・防御率4.63を記録しました。ポストシーズン開幕となる11月6日に出場選手登録され、同日の巨人とのCSファーストステージ第1戦でポストシーズン初登板を果たし、1イニングを無失点に抑えました。オフに350.00 万 JPY増となる推定年俸1200.00 万 JPYで契約を更改しました。
2.1.4. 2022年
2022年は春季キャンプの一軍スタートが決定していましたが、1月21日に無症状ながらも新型コロナウイルス陽性判定を受け、隔離期間を経て、2月1日に二軍へ合流しました。3月11日に一軍へ合流すると、オープン戦では3試合の登板で2セーブ・防御率0.00とアピールに成功し、自身初めて開幕を一軍で迎えました。交流戦開幕前の時点では15試合(1先発)に登板しました。これは4月13日に先発要員の伊藤将司と藤浪晋太郎が新型コロナウイルス陽性判定を受け、代役を務めた桐敷拓馬が結果を残せなかったチーム事情があり、4月21日のDeNA戦で斎藤が先発に抜擢されたことによるものです。失点を喫したのは3試合のみでしたが、いずれも3失点と好不調の波が激しく、0勝1敗・防御率4.67という成績でした。5月25日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で1回2安打2死球2失点を喫すると、この登板を最後に同30日に登録抹消されました。6月24日に再登録され、2試合の登板でいずれも無失点に抑えていましたが、7月14日に出場選手登録を抹消されました。同16日に『特例2022』の代替指名選手として再登録されるも、登板機会がないまま、8月1日に登録抹消されました。9月7日に再登録されましたが、2試合連続で失点を喫し、同11日に出場選手登録を抹消され、そのまま二軍でシーズンを終えました。この年は20試合(1先発)の登板で0勝1敗・防御率5.01という成績でした。
2.2. 北海道日本ハムファイターズ時代 (2022年 - 現在)
北海道日本ハムファイターズへ移籍してからの活動と主要な成績を詳述します。
2.2.1. 2022年 (移籍)
2022年10月18日、渡邉諒・髙濱祐仁との2対2のトレードで、江越大賀と共に北海道日本ハムファイターズへの移籍が発表されました。背番号は阪神時代と同じ48です。11月28日には契約更改交渉を行い、500.00 万 JPY増となる推定年俸1700.00 万 JPYでサインしました。彼は侍ジャパンとの試合で159 km/hを投げたことを話し、160 km/hを目指すと意気込みました。
2.2.2. 2023年 (負傷とリハビリ)
2023年は春季キャンプを一軍でスタートしましたが、キャンプ初日の紅白戦にて、初球を投じた後に右膝の違和感を訴えて緊急降板しました。『右膝前十字靱帯断裂』と診断され、3月2日に再建手術を受けました。その後はリハビリが続き、この年は二軍でも実戦登板がありませんでした。オフに200.00 万 JPY減となる推定年俸1500.00 万 JPYで契約を更改しました。
2.2.3. 2024年 (飛躍のシーズン)
2024年は3月13日の春季教育リーグで実戦復帰を果たしました。イースタン・リーグでは8試合に登板し、防御率2.00と安定した投球を披露すると、4月30日に出場選手登録されました。しかし、5試合の登板で1勝1敗1ホールド・防御率5.79と振るわず、5月19日に登録抹消されました。6月25日に再登録されると、8月に10日間ほど二軍再調整期間がありながらもブルペンの一角を担い、7月20日の登板以降は、レギュラーシーズン終了まで13試合連続無失点を記録しました。シーズン終盤には勝ちパターンでの起用も増え、10月5日の楽天戦では1点リードの9回裏から登板し、1イニングを無失点に抑えてプロ初セーブを挙げました。この年は25試合の登板で1勝1敗5ホールド1セーブ・防御率1.71を記録し、CSでも2試合に登板して存在感を示しました。11月30日のファンフェスティバルでは新庄剛志監督から、田中正義と共に翌シーズンのWストッパーに指名されました。12月3日には契約更改交渉を行い、1000.00 万 JPY増となる推定年俸2500.00 万 JPYでサインしました。
3. 選手としての特徴
斎藤友貴哉選手は、肩や肘、股関節の柔軟性を生かしたダイナミックなフォームから投じる最速160 km/hの重いストレートが特徴で、打者の手元で微妙に動くことが知られています。変化球はスライダー、スプリット、カーブ、ツーシームを投じます。
マウンドに上がると、緊張や力みから「真っすぐでストライクが入らず自滅していく」と本人は語っており、トレード移籍となった際にも移籍先の日本ハム一軍監督(当時)の新庄剛志から「課題はメンタルに尽きる」とメンタル面の課題を指摘されていました。しかし、2024年シーズンは武田久投手コーチからの「もうお前は行くしかないんだから」という言葉で「久さんが背中を押してくれた感じなんです。『コントロールで攻めるタイプじゃないし』っていうのもありましたね」「前向きというか、向かって行くだけという。気持ちを変えました。緊張はめっちゃするんですけど、気持ちは負けないっていうのを意識しました」とメンタル面が改善され、プロ初セーブを挙げるなど飛躍を遂げました。
4. 人物・エピソード
斎藤友貴哉はHonda時代に結婚し、2018年には第1子(長男)を授かりました。阪神では既婚の新人選手に対して選手寮「虎風荘」への入寮を免除していますが、1年目の2019年シーズン中は、「野球に集中したい」という自身の希望から「虎風荘」で単身赴任生活を経験しました。2019年1月7日の入寮時には家族全員の手形が押された色紙を自室に持ち込んだと言います。同年12月からは、退寮したうえで妻子との生活を再開しています。
Honda硬式野球部の岡野勝俊監督(当時)は斎藤の人間性について「たまに突拍子もないことを言ったりしてみんなを笑わせていた。そんな天然の部分もあるけど、根っこはとてもピュアな感じだと思いますよ」と話し、周囲を和ませる天然キャラであると評されています。
日本ハム時代の2024年8月27日の楽天戦では、先頭打者に安打を許すと、自身のバント処理悪送球、そして自身のベースカバーがわずかに遅れたことによるファースト内野安打で無死満塁のピンチを招きました。しかし、その後は空振り三振、セカンドゴロ、ピッチャーゴロで無失点に抑えました。まるで優勝した瞬間のようにド派手なガッツポーズを披露し、喜びを爆発させましたが、新庄剛志監督が「バンザイちゃうやろ~って。みんな大爆笑。両手あげんな!みたいな。吉本(新喜劇)だったらずっこけてましたよ。ベンチで。ずっこけりゃよかったね」と話したように、日本ハムベンチは総ツッコミ状態でした。また、同年10月5日の楽天戦でプロ初セーブを挙げ、ヒーローインタビューを受けた際には、何を聞かれても「行くだけ!!」と連呼すると、このフレーズがポストシーズンのチームの合言葉となり、球団も急遽、同16日から「行くだけ!!」グッズの受注販売を開始しました。CSファーストステージ第3戦で決勝打を放った水野達稀も斎藤について「こうやって流行させられるのは、やっぱ、あの人の魅力」と話しました。
SNSでのファンからの呼び名は『さい○う ○○や』と変化しています。ベンチから総ツッコミを受けた楽天戦(前述)の試合後に新庄監督が自身のインスタグラムで「明日から登録名を『さいこう ゆきや』に変更させてもらいます」と投稿したことがキッカケであり、2024年9月23日の西武戦で160 km/hを計測した後には『さいきょう ゆきや』、さらにプロ初セーブを挙げた楽天戦のヒーローインタビュー(前述)を受けた後には『さいきょう いくや』と変化しています。
5. 詳細情報
5.1. 年度別投手成績
年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | WHIP | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2019 | 阪神 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 10 | 2.0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 2.00 |
2020 | 阪神 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 35 | 7.0 | 9 | 1 | 5 | 0 | 0 | 11 | 3 | 0 | 6 | 6 | 7.71 | 2.00 |
2021 | 阪神 | 19 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 1 | .500 | 103 | 23.1 | 23 | 1 | 12 | 0 | 0 | 26 | 3 | 0 | 14 | 12 | 4.63 | 1.50 |
2022 | 阪神 | 20 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 107 | 23.1 | 23 | 2 | 10 | 0 | 3 | 27 | 0 | 0 | 14 | 13 | 5.01 | 1.41 |
2024 | 日本ハム | 25 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | 5 | .500 | 115 | 26.1 | 23 | 2 | 12 | 0 | 0 | 25 | 3 | 0 | 6 | 5 | 1.71 | 1.34 |
通算:5年 | 70 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 1 | 6 | .400 | 370 | 81.3 | 79 | 6 | 42 | 0 | 3 | 91 | 9 | 0 | 40 | 36 | 4.43 | 1.48 |
- 2024年度シーズン終了時
5.2. 年度別守備成績
年 度 | 球 団 | 投手 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | ||
2019 | 阪神 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- |
2020 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
2021 | 19 | 0 | 5 | 0 | 0 | 1.000 | |
2022 | 20 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |
2024 | 日本ハム | 25 | 4 | 4 | 1 | 1 | .889 |
通算 | 70 | 6 | 11 | 1 | 1 | .944 |
- 2024年度シーズン終了時
5.3. 記録
5.3.1. 初記録
5.4. 背番号
- 48(2019年 - )
5.5. 登場曲
- 「I Was Born To Love You」Queen(2019年、2021年 - )
- 「End of the day」Mr.Children(2020年)
- 「ANTENNA」Mrs. GREEN APPLE(2024年)
6. 出演
6.1. 配信
- プロ野球×将棋特番・プロ野球最強将棋王決定戦(2020年12月20日、ニコニコ生放送)※YouTubeでは2021年2月に2回に分けて配信
7. 関連項目
- 山形県出身の人物一覧
- 阪神タイガースの選手一覧
- 北海道日本ハムファイターズの選手一覧
- 大谷・藤浪世代