1. 初期生い立ちと背景
アマナキ・レレィ・マフィは、トンガのハムラ村で16人兄弟の15番目として生まれた。幼少期からラグビーに親しみ、そのキャリアをスタートさせた。
1.1. トンガでの出生と成長過程
マフィは5歳でラグビーを始め、日本への留学生を多数輩出するトンガ・カレッジへ進学した。高校2年生まで体重が90 kgに満たなかったため、ウィング(WTB)のポジションに就いていたが、高校3年生からナンバーエイト(No8)に転向した。学生時代にはU18、U19、U20トンガ代表に選出されるなど、早くからその才能を発揮した。
1.2. 日本での学業
2009年に日本で開催されたU20世界ラグビー選手権にトンガ代表として参加した際に関係者の目に留まり、2010年に京都の花園大学からの勧誘を受けて進学した。花園大学では関西学生ラグビーBリーグ(2部)に属するラグビー部でプレーし、幼馴染で後にラグビー日本代表となるアマナキ・ロトアヘアとチームメイトであった。大学時代は支援者から月3.00 万 JPYの生活費が支給されていたものの、その多くを実家に送金し、残りで生活するという苦しい日々を送っていた。2012年に大学3年生で出場した「関西学生南北対抗戦」での活躍が認められ、プロへの道が開かれた。
2. ラグビーキャリア
アマナキ・レレィ・マフィは、大学卒業後から現在に至るまで、日本国内外の様々なクラブチームで活躍し、日本代表としても重要な役割を担ってきた。
2.1. トンガU20および大学ラグビー
マフィは2009年のU20世界ラグビー選手権でトンガU20代表としてプレーした後、2010年に日本の花園大学に進学した。大学では関西大学ラグビーフットボールリーグでプレーし、その才能を磨いた。
2.2. 日本代表デビューと初期のクラブキャリア
大学卒業後の2014年、NTTコミュニケーションズシャイニングアークス(現・NTTコミュニケーションズ シャイニングアークス東京ベイ浦安)に加入。同年8月23日のジャパンラグビートップリーグ・ファーストステージ第1節の対宗像サニックスブルース戦で、途中出場ながら公式戦デビューを果たした。その後、トンガ代表入りを打診されたがこれを辞退し、日本国内での居住・プレー歴が連続3年以上、U20トンガ代表への選出から3年以上経過していたため、トンガ国籍を保持したまま日本代表に選出された。同年11月の日本代表ヨーロッパ遠征で初めてメンバーに選ばれ、11月13日にブカレストで行われたリポビタンDツアー2014ルーマニア戦で、日本代表として初キャップを獲得した。当時のヘッドコーチであるエディー・ジョーンズは、マフィのデビューを「かなり特別」と評した。
2.3. 国際試合での活躍
マフィは日本代表として、特に2015年と2019年のラグビーワールドカップで印象的な活躍を見せた。
2015年、左股関節脱臼骨折というキャリアを脅かす重傷から回復し、ラグビーワールドカップ2015の日本代表に選出された。日本代表は1次リーグ・プールBで3勝1敗ながら敗退したが、マフィは南アフリカとの初戦に後半途中から出場。試合終了間際にマフィからのパスを受けたカーン・ヘスケスがトライを決め、チームは歴史的な逆転勝利を収めた。この勝利は「スポーツ史上最大の番狂わせ」と称された。マフィ自身も、先発に起用されたスコットランドとの第2戦およびアメリカとの最終戦でそれぞれ1トライを記録した。2016年11月19日には、ウェールズとの試合でマン・オブ・ザ・マッチに選出されている。
2019年には、日本国内で開催されたラグビーワールドカップ2019の日本代表に選出された。開幕前の9月7日の南アフリカ代表戦で右肩を痛めた影響で予選リーグ(プールA)開幕戦のロシア代表戦の登録メンバーから外れた。また、スタメンに起用された第2戦のアイルランド代表戦では肋軟骨を痛めて途中交代を余儀なくされたため、プールAでは全4試合中2試合の出場にとどまった。しかし、日本代表が史上初めて臨んだ決勝トーナメントでは、10月20日の準々決勝(対南アフリカ戦)に一時出場した。日本代表は準々決勝で敗退したものの、10月23日には京都市に縁のあるチームメイト(田中史朗、北出卓也、坂手淳史、松田力也)と共に、京都市から「京都市スポーツ栄誉賞」を授与された。2019年10月時点での日本代表キャップ数は27である。
2.4. クラブキャリア
アマナキ・レレィ・マフィは、NTTコミュニケーションズ シャイニングアークスでのキャリアを軸に、国内外の複数のクラブでプレーしてきた。
2.4.1. NTTコミュニケーションズ シャイニングアークス
2014年にNTTコミュニケーションズシャイニングアークスに加入し、同年8月23日にジャパンラグビートップリーグでデビューした。2015-2016トップリーグシーズンでは、7試合に出場し、開幕戦からの3試合連続を含む5トライを記録したほか、2試合連続でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれるなど、チームの主力として活躍した。
2.4.2. バース・ラグビー
2015年12月29日、イングランド・プレミアシップに加盟するバースが、マフィと2016年4月までの短期レンタル契約を結んだことを発表した。2016年1月下旬からバースに合流し、同年2月13日の対ウースター戦でナンバーエイトとしてプレミアシップデビューを果たした。移籍2戦目の対ワスプス戦(2月20日)では、フル出場でプレミアシップ初トライを記録した。当時のチーム関係者からは「センセーション」と称されるほどの活躍を見せた。しかし、クラブのメディカルオフィサーとの間に問題が生じ、論争の末、2016年5月1日付でバース・ラグビーとの契約を早期に終了することとなった。
2.4.3. メルボルン・レベルズ
2016年8月、マフィはスーパーラグビーに参戦するメルボルン・レベルズと契約し、2017年シーズンから主力選手として活躍した。2018年シーズンまでレベルズに所属し、チームの中心選手として重要な役割を担った。
2.4.4. サンウルブズ
メルボルン・レベルズでの活躍後、NTTコミュニケーションズへの一時復帰を経て、2019年シーズンの途中からスーパーラグビーのサンウルブズに加入した。
2.4.5. 横浜キヤノンイーグルス
2021年3月、マフィはNTTコミュニケーションズからキヤノンイーグルス(現・横浜キヤノンイーグルス)へ移籍し、現在も同チームでプレーを続けている。
2.5. 怪我とリハビリテーション
マフィのキャリアは、重傷とそれを乗り越えるための懸命なリハビリテーションの歴史でもある。
2014年12月7日、トップリーグセカンドステージ第2節の対トヨタ自動車ヴェルブリッツ戦で左股関節を脱臼骨折し、全治1年6ヶ月の重症と診断された。この怪我により、翌2015年のラグビーワールドカップ出場は絶望的と見られていた。しかし、おじいちゃんになっても畑に出る父の姿や、兄弟、妻からの励まし、毎日のように見舞いに来てくれる仲間たち、そしてエディー・ジョーンズヘッドコーチから手渡された「VS 南アフリカ 9月19日」と書かれた日本代表のジャージに励まされ、ワールドカップ出場に向けて挑戦することを決意した。懸命なリハビリとチームのサポートの甲斐もあり、7月にはジョギングができるまでに回復。入院から約9ヶ月後の8月30日に行われた日本代表の最終登録メンバー発表で自身の名前が呼ばれた際には、「この時は南アに勝ったのと同じくらいうれしかった。ラグビーができるようになるまで1年半かかると言われていたのを、8ヶ月に縮めたんだから。奥さん、トンガの家族、NTTコミュニケーションズのチームのみんな、ファン、そして神様のおかげだと思う。だから、俺はなにがなんでもW杯で頑張りたかった」と語っている。
2015年ラグビーワールドカップ第2戦のスコットランド戦で古傷の股関節を痛めて退場した後、3日間はベッドで寝ていたが、4日目ぐらいにインターネットでニュースを見ていたらエディー・ジョーンズヘッドコーチが「ナキはサモア戦に間に合う」と話したことが記事になっていて、「えっ」と驚いたという。その後ホテルのロビーに下りるとエディー・ジョーンズヘッドコーチがいて、冗談だと思っていたら「大丈夫、大丈夫」と言われ、「勝手に言ってるよ」と思わず笑ってしまったと語っている。
2019年のラグビーワールドカップでも、開幕直前の南アフリカ代表戦で右肩を痛め、予選リーグ開幕戦の登録メンバーから外れた。また、アイルランド代表戦では肋軟骨を痛めて途中交代を余儀なくされるなど、怪我に悩まされたシーズンとなった。
3. プレースタイルと評価
アマナキ・レレィ・マフィは、その並外れたフィジカルと突破力で知られるナンバーエイトである。
3.1. 専門家や同僚からの評価
ラグビー日本代表チームでヘッドコーチ(HC)を務めたエディー・ジョーンズは、マフィの並外れた能力の高さから「Xファクター(特別な能力を持った選手)」や「ギフト(神様からの贈りもの)」と呼んだ。また、日本代表について「体格的に劣り、パワーが足りない」と評するが、「マフィは例外」と語っており、マフィの圧倒的な突進力を「ニュークリア・パワーステーション(原子力発電所)」と表現している。
ラグビー日本代表キャプテンのリーチ・マイケルもマフィについて「特別な存在」とその能力の高さを認めており、「普段はおとなしくてすごく性格がいい。でも、ボールを持った時のパワーは半端ない。必ず前に出てくれるので、チームに勢いを与えてくれる」と語っている。
所属するシャイニングアークスでFWコーチを務める大久保直弥は、「僕もいろいろと選手を見てきたけど、ナキはスペシャル。強さだけじゃない。相手の弱点を突く、気の利いたプレーもできる」と語っている。
ラグビー日本代表として2015年・2019年のワールドカップへ共に出場したトンプソンルークは、2015年のワールドカップ後に、「108 kgの私を後ろから抱き上げ空中に飛ばした。彼以外のリフターなら私を前から支えるアイブス・ジャスティン(2015年ワールドカップでのチームメイト)の手は膝の上にくるが、彼が上げると膝の下に来た。それだけパワーがあるということだ。こんな経験は初めてだった。彼のW杯(ワールドカップ)での活躍はその部分からでも容易に想像できた」というコメントを残している。
4. 私生活
マフィは日本で結婚し、家族を築いている。
4.1. 結婚と家族
2015年5月15日、大学時代から交際していた京都府出身の女性(桑原征平の実母の弟の娘の娘)と結婚した。2016年9月には第一子となる長男が誕生している。また、マット・マフィは甥にあたる。嫌いな食べ物はあんこである。
5. 論争と法的問題
マフィのキャリア中には、いくつかの論争や法的な問題も発生した。
5.1. バース・ラグビーでの一件
2016年5月1日、バース・ラグビーとの契約が満了したが、これはクラブのメディカルオフィサーとの間に発生した口論が原因で、契約が早期に終了したものであった。
5.2. 暴行容疑
2018年7月、メルボルン・レベルズのニュージーランド遠征中に、チームメイトのロペティ・ティマニを暴行した容疑で現地の警察当局に一時身柄を拘束された。その後釈放され、NTTコミュニケーションズに復帰したが、自宅謹慎などを経て、同年11月24日のトップリーグ・対サントリーサンゴリアス戦から試合への出場を再開した。この事件は、彼が2019年のラグビーワールドカップ代表に選出された際にも議論の的となった。2019年12月には暴行の容疑を認め、ティマニに5.00 万 NZDを支払うことで有罪判決を免れた。
6. 統計
アマナキ・レレィ・マフィのスーパーラグビーにおける選手記録と統計は以下の通りである。
6.1. スーパーラグビーの統計
シーズン | チーム | 試合数 | 先発 | 途中出場 | プレー時間(分) | トライ | コンバージョン | ペナルティゴール | ドロップゴール | 得点 | イエローカード | レッドカード |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2017 | レベルズ | 15 | 15 | 0 | 1168 | 1 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 |
2018 | レベルズ | 15 | 15 | 0 | 1138 | 6 | 0 | 0 | 0 | 30 | 1 | 0 |
合計 | 30 | 30 | 0 | 2306 | 7 | 0 | 0 | 0 | 35 | 1 | 0 |