1. 概要
アン・エベール(Anne Hébertアン・エベールフランス語、1916年8月1日 - 2000年1月22日)は、カナダの著名な作家であり詩人です。フランス系カナダ人である彼女は、その生涯を通じて詩、小説、短編小説、戯曲、映画脚本と多岐にわたるジャンルで創作活動を行いました。彼女の作品は、人間の疎外感、反抗、実存的悲劇、そして自己分裂といった普遍的なテーマを深く掘り下げ、社会的な苦悩や個人の葛藤を鋭い洞察力と独特の表現で描き出しました。特に、女性の視点から描かれる内面の葛藤や、時に激しく暴力的な自己意識の噴出の中に、悲劇的な荘厳さと美しさを宿す点が、彼女の文学の際立った特徴とされています。
エベールは、カナダの最高文学栄誉である総督文学賞を3度(小説部門で2回、詩部門で1回)受賞したほか、フランスのフェミナ賞やフランス書店賞など、国内外で数々の権威ある文学賞を受賞し、その文学的功績は高く評価されています。彼女の作品は7カ国語以上に翻訳され、映画化もされるなど、国際的な影響力も持ちました。
2. 生涯
アン・エベールの生涯は、彼女の文学作品に深く影響を与えた個人的な経験と、文学的探求の旅でした。
2.1. 幼少期と教育
アン・エベールは1916年8月1日、ケベック州のサント=カトリーヌ=ド=フォサンボー(現在のサント=カトリーヌ=ド=ラ=ジャック=カルティエ)という小さな村で生まれました。幼少期から詩や物語を書き始め、文学への強い関心を示しました。彼女はランボー、クローデル、ボードレール、バルザック、ユーゴーといったフランスの偉大な作家たちの作品を深く読み込み、それが彼女の文学的基盤を形成しました。
2.2. 家族と文学的影響
エベールの家族は、彼女の文学的な成長に大きな影響を与えました。彼女の父親であるモーリス・エベールは、詩人であり文学批評家でもありました。また、彼女の従兄弟で幼なじみでもあったヘクター・ド・サン=ドニ・ガルノーは、1930年代後半にはすでにケベックの現代詩を開拓した詩人として認められており、エベールは彼から多大な影響を受けました。
しかし、彼女の人生には悲劇も訪れました。1943年には31歳だった従兄弟のヘクター・ド・サン=ドニ・ガルノーが死去し、1952年には唯一の妹であるマリーも亡くなりました。これらの死はエベールの作品に深く影を落とし、彼女の詩には「死と溺死のイメージ」が満ちるようになりました。
3. 主要な活動と功績
アン・エベールの文学的キャリアは、詩から始まり、小説、戯曲、映画脚本へとその領域を広げながら、一貫して人間の内面と社会の矛盾を探求し続けました。
3.1. 文学活動
エベールは20代前半にはすでにいくつかの定期刊行物に作品を発表していました。1939年4月には『{{lang|fr|France Canada|フランス・カナダ|フランス・カナダ}}』誌に詩「{{lang|fr|Dans la pluie|雨の中で|雨の中で}}」を初めて発表し、ケベック文学界にデビューしました。
1942年1月17日、最初の詩集『{{lang|fr|Les Songes en Équilibre|不安定な夢々|不安定な夢々}}』を上梓しました。この詩集は4部構成で全44編の詩が収められており、その多くは未発表の作品でした。この作品は肯定的な評価を受け、ダヴィッド賞を受賞しました。詩集では、彼女自身が「夢のような昏睡状態」の中で孤独に存在していると表現されています。
1950年には短編小説集『{{lang|fr|Le Torrent|急流|急流}}』が出版されました。この作品は、当時のケベックの出版社からは出版を拒否されたため、作家ロジェ・ルムランの費用負担で刊行されました。その挑発的な内容は当時「衝撃的」と見なされましたが、後に人気を博しました。1963年には2つの作品が追加され、再版されました。この小説集に収められた激しく暴力的な物語は、その後のアン・エベールの小説における文体と内容の独創的な性格を予見させるものでした。
この時期、アン・エベールは詩にさらに傾倒しました。1952年10月までに書かれた27編の詩を収めた詩集『{{lang|fr|Le Tombeau des rois|王たちの墓|王たちの墓}}』を1953年に自費出版しました。この詩篇集は様々な雑誌で再刊され、彼女をサン=ドニ・ガルノー、アラン・グランボワと並ぶケベックを代表する現代詩人の地位に押し上げました。
1950年代には、カナダ放送協会(CBC/Radio Canada)、カナダ映画委員会、カナダ国立映画庁で働き、カナダ初の映画局にも関わりました。
1954年、エベールは自身の作品により寛容な環境を求めて、カナダ王立協会からの助成金を得てパリへ移住しました。1958年には、初の長編小説『{{lang|fr|Les Chambres de bois|森の部屋|森の部屋}}』がフランスのスウィユ出版社から刊行されました。この情熱的な物語は、示唆に富むイメージを通して暴力と残虐性を描いています。エベールは、ケベックの作家として初めて、写実的な物語や議論ではなく、疎外感と反抗の表現を作品で試みた作家の一人でした。
1960年、ケベックの静かなる革命の最中に、エベールは詩集『{{lang|fr|Mystère de la parole|言葉の神秘|言葉の神秘}}』を発表しました。これは以前の作品よりも現実的な主題を扱った新しい詩集でした。この詩集は『{{lang|fr|Le Tombeau des rois|王たちの墓|王たちの墓}}』とともに『{{lang|fr|Poèmes|詩篇集|詩篇集}}』として1960年4月にスウィユ出版社から刊行されました。
1961年以降もエベールは様々な雑誌に詩作品を寄稿し続けましたが、これらの作品が『{{lang|fr|Le jour n'a d'égal que la nuit|昼は夜に比肩するものなし|昼は夜に比肩するものなし}}』という詩集としてまとめられたのは、長い歳月を経た1992年のことでした。この詩集はアラン・グランボワ文学賞を受賞し、1961年から1980年までの詩と1987年から1989年までの詩、計49編を「古い詩篇」と「新しい詩篇」に分けて収録しています。
この詩集が刊行されるまでの間、アン・エベールが没頭したのは小説の執筆でした。彼女を真の小説家として認めさせた『{{lang|fr|Kamouraska|カムラスカ|カムラスカ}}』は1970年に発表されましたが、彼女はすでに1965年から4年以上にわたってこの小説に取り組んでいました。
エベールは戯曲も手掛け、1967年には『{{lang|fr|La Mercière assassinée|殺された雑貨屋の女|殺された雑貨屋の女}}』を含む戯曲集を発表し、1990年には『{{lang|fr|La cage|籠|籠}}』という戯曲も発表しました。しかし、彼女がやはり集中したのは小説でした。
1975年には小説『{{lang|fr|Les enfants du sabbat|サバトの子供たち|サバトの子供たち}}』が、1980年には彼女の4作目の小説『{{lang|fr|Heloise|エロイーズ|エロイーズ}}』が発表されました。そして、ガブリエル・ロワに次いでケベックの作家としては2人目となるフランスの代表的な文学賞、フェミナ賞を彼女にもたらした作品は、1982年に発表された小説『{{lang|fr|Les fous de Bassan|バサン島の狂人たち|バサン島の狂人たち}}』でした。エベールの代表作である『{{lang|fr|Kamouraska|カムラスカ|カムラスカ}}』とこの『{{lang|fr|Les fous de Bassan|バサン島の狂人たち|バサン島の狂人たち}}』は、エベール自身のシナリオに基づいて映画化され、大きな反響を呼びました。
その後、ヌーベルフランスを築いた女性たちの物語を描いた『{{lang|fr|Le premier jardin|最初の庭|最初の庭}}』が1988年に、そして『{{lang|fr|L'enfant chargé de songes|夢を背負う子供|夢を背負う子供}}』が1992年に出版されました。1993年には『{{lang|fr|Oeuvre poétique|詩作品(1950-1990)|詩作品(1950-1990)}}』として、既存の3つの詩集『{{lang|fr|Le Tombeau des rois|王たちの墓|王たちの墓}}』、『{{lang|fr|Mystère de la parole|言葉の神秘|言葉の神秘}}』、『{{lang|fr|Le jour n'a d'égal que la nuit|昼は夜に比肩するものなし|昼は夜に比肩するものなし}}』をまとめました。1997年には最後の詩集『{{lang|fr|Poèmes pour la main gauche|左手のための詩篇|左手のための詩篇}}』を、1999年には最後の小説『{{lang|fr|Un habit de lumière|光の衣装|光の衣装}}』を遺しました。
1990年代にはカナダに戻り、2000年1月22日、モントリオールの病院で83歳で骨癌のため逝去しました。
3.2. 文学的特徴とテーマ
アン・エベールの作品における核となるテーマは、疎外感、反抗、実存的悲劇、そして自己分裂です。彼女の詩的語り手は常に女性であり、これらの女性像を小説の舞台に再登場させることで、読者に歴史や社会から運命的に与えられた自己存在の疎外、そして自己分裂という実存的悲劇を体験させました。
自己喪失の淵に沈んだヒロインたちの自己意識の噴出は、激しく、時には暴力的な様相を呈しますが、その内面には悲劇的な荘厳さと美しさが存在します。この独特の表現こそが、アン・エベール作品の比類なき特徴となっています。彼女は、ケベックの作家として、写実的な物語や議論ではなく、疎外感と反抗の表現を作品で試みた最初期の作家の一人でした。
4. 受賞と評価
アン・エベールは、その文学的功績により数々の権威ある文学賞を受賞し、批評家や学界から高い評価を受けました。
4.1. 主な受賞歴
- ダヴィッド賞: 1942年、詩集『{{lang|fr|Les Songes en Équilibre|不安定な夢々|不安定な夢々}}』に対して。
- フランス・カナダ賞、リュジェール=デュヴェルネ賞: 1958年、小説『{{lang|fr|Les Chambres de bois|森の部屋|森の部屋}}』に対して。
- 総督文学賞:
- 詩部門: 1960年、『{{lang|fr|Poèmes|詩篇集|詩篇集}}』(『{{lang|fr|Le Tombeau des rois|王たちの墓|王たちの墓}}』の再版と新作『{{lang|fr|Mystère de la parole|言葉の神秘|言葉の神秘}}』を収録)に対して。
- 小説部門: 1975年、『{{lang|fr|Les enfants du sabbat|サバトの子供たち|サバトの子供たち}}』に対して。
- 小説部門: 1992年、『{{lang|fr|L'enfant chargé de songes|夢を背負う子供|夢を背負う子供}}』に対して。
- モルソン賞: 1967年。
- フランス書店賞: 1970年、小説『{{lang|fr|Kamouraska|カムラスカ|カムラスカ}}』に対して。
- フェミナ賞: 1982年、小説『{{lang|fr|Les fous de Bassan|バサン島の狂人たち|バサン島の狂人たち}}』に対して。
- ベルギー王立フランス語アカデミー大賞: 小説『{{lang|fr|Kamouraska|カムラスカ|カムラスカ}}』に対して。
- フェリックス・アントワーヌ=サヴァール翻訳賞: 1991年、小説『{{lang|fr|Le premier jardin|最初の庭|最初の庭}}』の英訳『{{lang|en|The First Garden|ザ・ファースト・ガーデン|ザ・ファースト・ガーデン}}』に対して。
- アラン・グランボワ文学賞: 1992年、詩集『{{lang|fr|Le jour n'a d'égal que la nuit|昼は夜に比肩するものなし|昼は夜に比肩するものなし}}』に対して。
4.2. 批評と研究
アン・エベールは、その文学的功績により、学界や批評家から継続的に注目されてきました。1960年にはカナダ王立協会のフェローに選出され、その学術的評価が確立されました。彼女は従兄弟のヘクター・ド・サン=ドニ・ガルノーやアラン・グランボワと共に、ケベックの現代詩を代表する存在として高く評価されています。
2013年には、ドキュメンタリー映画『{{lang|fr|Anne des vingt jours|二十日のアン|二十日のアン}}』がミシェル・ラングロワ監督によって制作され、彼女の生涯と作品に光が当てられました。
5. 作品一覧
アン・エベールは、詩、小説、短編小説、戯曲、映画脚本と多岐にわたるジャンルで数多くの作品を発表し、その文学的遺産を築き上げました。
5.1. 小説
- 『{{lang|fr|Les chambres de bois|森の部屋|森の部屋}}』 (1958年) - 英訳: 『{{lang|en|The Silent Rooms|ザ・サイレント・ルームズ|ザ・サイレント・ルームズ}}』 (1974年)
- 『{{lang|fr|Kamouraska|カムラスカ|カムラスカ}}』 (1970年) - 英訳: 『{{lang|en|Kamouraska|カムラスカ|カムラスカ}}』 (1974年)
- 『{{lang|fr|Les enfants du sabbat|サバトの子供たち|サバトの子供たち}}』 (1975年) - 英訳: 『{{lang|en|Children of the Black Sabbath|チルドレン・オブ・ザ・ブラック・サバト|チルドレン・オブ・ザ・ブラック・サバト}}』 (1977年)
- 『{{lang|fr|Heloise|エロイーズ|エロイーズ}}』 (1980年)
- 『{{lang|fr|Les fous de Bassan|バサン島の狂人たち|バサン島の狂人たち}}』 (1982年) - 英訳: 『{{lang|en|In the Shadow of the Wind|イン・ザ・シャドウ・オブ・ザ・ウィンド|イン・ザ・シャドウ・オブ・ザ・ウィンド}}』 (1983年)
- 『{{lang|fr|Le premier jardin|最初の庭|最初の庭}}』 (1988年) - 英訳: 『{{lang|en|The First Garden|ザ・ファースト・ガーデン|ザ・ファースト・ガーデン}}』 (1991年)
- 『{{lang|fr|L'enfant chargé de songes|夢を背負う子供|夢を背負う子供}}』 (1992年) - 英訳: 『{{lang|en|The Burden of Dreams|ザ・バーデン・オブ・ドリームズ|ザ・バーデン・オブ・ドリームズ}}』 (1994年)
- 『{{lang|fr|Est-ce que je te dérange?|邪魔かしら?|邪魔かしら?}}』 (1998年) - 英訳: 『{{lang|en|Am I disturbing you?|アム・アイ・ディスタービング・ユー?|アム・アイ・ディスタービング・ユー?}}』 (1999年)
- 『{{lang|fr|Un habit de lumière|光の衣装|光の衣装}}』 (1999年) - 英訳: 『{{lang|en|A Suit of Light|ア・スーツ・オブ・ライト|ア・スーツ・オブ・ライト}}』 (2000年)
- 『{{lang|en|Collected Later Novels|コレクテッド・レイター・ノヴェルズ|コレクテッド・レイター・ノヴェルズ}}』 (2003年)
5.2. 詩
- 『{{lang|fr|Les songes en equilibre|不安定な夢々|不安定な夢々}}』 (1942年)
- 『{{lang|fr|Le tombeau des rois|王たちの墓|王たちの墓}}』 (1953年)
- 『{{lang|fr|Poèmes|詩篇集|詩篇集}}』 (1960年) - 英訳: 『{{lang|en|Poems by Anne Hébert|ポエムズ・バイ・アン・エベール|ポエムズ・バイ・アン・エベール}}』 (1975年)
- 『{{lang|en|Selected Poems|セレクテッド・ポエムズ|セレクテッド・ポエムズ}}』 (1987年)
- 『{{lang|fr|Le jour n'a d'égal que la nuit|昼は夜に比肩するものなし|昼は夜に比肩するものなし}}』 (1992年)
- 『{{lang|fr|Oeuvre poétique|詩作品|詩作品}}』 (1993年)
- 『{{lang|fr|Poèmes pour la main gauche|左手のための詩篇|左手のための詩篇}}』 (1997年)
5.3. 短編小説・中編小説
- 『{{lang|fr|Le torrent|急流|急流}}』 (1950年) - 英訳: 『{{lang|en|The Torrent|ザ・トレント|ザ・トレント}}』 (1973年)
- 『{{lang|fr|Aurélien, Clara, Mademoiselle et le Lieutenant anglais|オーレリアン、クララ、マドモワゼル、そして英国人中尉|オーレリアン、クララ、マドモワゼル、そして英国人中尉}}』 (1995年) - 英訳: 『{{lang|en|Aurélien, Clara, Mademoiselle, and the English Lieutenant|オーレリアン、クララ、マドモワゼル、アンド・ジ・イングリッシュ・ルーテナント|オーレリアン、クララ、マドモワゼル、アンド・ジ・イングリッシュ・ルーテナント}}』 (1996年)
- 『{{lang|fr|Est-ce que je te dérange?|邪魔かしら?|邪魔かしら?}}』 (1998年) - 英訳: 『{{lang|en|Am I Disturbing You?|アム・アイ・ディスタービング・ユー?|アム・アイ・ディスタービング・ユー?}}』 (1999年)
5.4. 戯曲
- 『{{lang|fr|La Mercière assassinée|殺された雑貨屋の女|殺された雑貨屋の女}}』 (1984年)
- 『{{lang|fr|Le temps sauvage|荒ぶる時|荒ぶる時}}』 (1956年)
- 『{{lang|fr|Les Invités au Procès|裁判の招待客|裁判の招待客}}』 (1983年)
- 『{{lang|fr|La cage suivi de L'île de la demoiselle|籠、そして乙女の島|籠、そして乙女の島}}』 (1990年)
5.5. 映画脚本
- 『{{lang|fr|L'Éclusier|水門番|水門番}}』 (1953年)
- 『{{lang|en|The Charwoman|掃除婦|掃除婦}}』 (1954年)
- 『{{lang|fr|Midinette|ミディネット|ミディネット}}』 (1955年)
- 『{{lang|fr|La Canne à pêche|釣り竿|釣り竿}}』 (1959年)
- 『{{lang|fr|Saint-Denys Garneau|サン=ドニ・ガルノー|サン=ドニ・ガルノー}}』 (1960年)
- 『{{lang|fr|L'Étudiant|学生|学生}}』 (1961年)
- 『Kamouraska』 (1973年)
- 『Les Fous de Bassan』 (1987年)
6. 私生活
アン・エベールは、その私生活について多くを公表していませんが、1954年にはカナダ王立協会からの助成金を受けて、より自身の作品が受け入れられる環境を求めてパリへ移住しました。
7. 死去
アン・エベールは2000年1月22日、モントリオールの病院で骨癌のため83歳で死去しました。
8. 影響と記念
アン・エベールの文学は、その深いテーマ性と独特の表現によって後世に大きな影響を与え、彼女の功績は様々な形で記念されています。
8.1. 翻訳と映画化
エベールの作品は国際的に高く評価され、英語、ドイツ語、イタリア語、日本語、スペイン語を含む少なくとも7カ国語に翻訳されています。特に、小説『{{lang|fr|Le premier jardin|最初の庭|最初の庭}}』の英訳版『{{lang|en|The First Garden|ザ・ファースト・ガーデン|ザ・ファースト・ガーデン}}』は、1991年にフェリックス・アントワーヌ=サヴァール翻訳賞を受賞しました。
彼女の代表作のいくつかは映画化もされています。
- 小説『{{lang|fr|Kamouraska|カムラスカ|カムラスカ}}』(1970年)は、1973年にクロード・ジュトラ監督によって映画『カムラスカ』として製作されました。
- 小説『{{lang|fr|Les fous de Bassan|バサン島の狂人たち|バサン島の狂人たち}}』(1982年)は、1986年にイヴ・シモノー監督によって映画『バサン島の狂人たち』として製作されました。
これらの映画は、彼女自身の脚本に基づいて制作されました。
8.2. 記念事業と教育

アン・エベールの功績を称えるため、いくつかの記念事業が行われています。
- 学校の設立: 1983年にはバンクーバーに「L'école Anne-Hébert」という小学校が開校しました。この学校は幼稚園から小学校6年生までのフランス語のみによる教育を提供しています。
- 記念切手の発行: 2003年9月8日、カナダ国立図書館創立50周年を記念して、カナダ郵便は「カナダの作家たち」と題した特別記念切手シリーズを発行しました。このシリーズには、2人の英語系カナダ人作家と2人のフランス系カナダ人作家が選ばれ、アン・エベールと彼女の従兄弟であるヘクター・ド・サン=ドニ・ガルノーがフランス系カナダ人作家として切手に描かれました。この切手は300万枚発行されました。
- ドキュメンタリー映画: 2013年には、ミシェル・ラングロワ監督によるアン・エベールの伝記ドキュメンタリー映画『{{lang|fr|Anne des vingt jours|二十日のアン|二十日のアン}}』が公開されました。