1. 概要
エリック・ナタナエル・ベックマン(Eric Natanael Backmanエリック・ナタナエル・ベックマンスウェーデン語、1896年5月18日 - 1965年6月29日)は、スウェーデンの長距離陸上競技選手である。彼は1920年アントワープオリンピックで最も輝かしい成果を挙げ、個人種目での銀メダル1個と、団体種目での銅メダル2個、個人種目での銅メダル1個という、計4つのメダルを獲得したことで知られている。ベックマンは、現役時代にはスウェーデン国内で数々の優勝と記録を樹立し、引退後もボルボ工場で働くなど、多岐にわたる活動を行った。
2. 初期経歴と背景
エリック・ナタナエル・ベックマンは、1896年5月18日にスウェーデンのアックリンガで生まれた。彼の身長は1.72 m、体重は64 kgであった。彼はIFKティダホルムのクラブに所属し、主に3000 mから1.00 万 mまでの長距離走を専門としていた。ベックマンは1965年6月29日にシェブデで69歳でその生涯を閉じた。
3. 陸上競技選手としてのキャリア
エリック・ベックマンは、1918年から1923年にかけて、5000 mと1.00 万 mの種目で8回にわたりスウェーデン国内選手権のチャンピオンに輝いた。また、5000 m、1.00 万 m、8047 m (5 mile)、および1時間走のスウェーデン記録保持者でもあった。彼の自己ベストは、5000 mで14分51秒0(1919年)、1.00 万 mで31分02秒2(1921年)であった。
3.1. 国内大会と記録
ベックマンは、1919年の英国AAA選手権で6437 m (4 mile)のタイトルを獲得し、その実力を国内外に示した。翌年の1920年アントワープオリンピックでの活躍に先立ち、彼はスウェーデンの長距離界を牽引する存在となっていた。彼は1921年の英国AAA選手権では、再び6437 m (4 mile)の種目でウォルター・モンクに次ぐ2位に入賞している。
3.2. 1920年アントワープオリンピック

エリック・ベックマンは、1920年アントワープオリンピックで目覚ましい活躍を見せ、計4つのメダルを獲得した。
彼は、個人クロスカントリー(8000 m)でフィンランドの伝説的な選手パーヴォ・ヌルミにわずか2.6秒差で次ぐ銀メダルを獲得した。この個人での2位という成績は、他のスウェーデン人選手2名がそれぞれ10位と11位に終わった中で、スウェーデンチームがクロスカントリー団体で銅メダルを獲得する上で大きく貢献した。
同様の状況は3000 m団体種目でも見られた。ベックマンが個人で2位(ただし、この種目では個人メダルは授与されなかった)に位置し、他のスウェーデン人選手が10位と12位でフィニッシュした結果、スウェーデンチームは再び銅メダルを獲得した。
さらに、ベックマンは5000 mの種目でも銅メダルを獲得し、ここでもパーヴォ・ヌルミが優勝したレースで3位に入った。
3.3. オリンピック後の競技活動
1920年アントワープオリンピック後も、エリック・ベックマンは競技活動を続けた。1921年には、英国AAA選手権の6437 m (4 mile)の種目で、前年のチャンピオンであるウォルター・モンクに次ぐ2位の成績を収めている。彼は1923年まで5000 mと1.00 万 mの国内選手権で優勝を重ね、合計8回の国内チャンピオンの座を獲得した。
4. 私生活と引退後の活動
エリック・ベックマンは、競技生活を送る一方で、その個人的な習慣も知られていた。彼は喫煙者であり、アルコールも嗜んでいたという。しかし、そのような習慣にもかかわらず、彼は長距離走者として優れた成績を収め続けた。
競技から引退した後、ベックマンは1943年以降、シェブデにあるボルボの工場で働いた。
5. 評価と遺産
エリック・ベックマンは、その現役時代にスウェーデンの長距離走界において多大な影響を与えた選手である。1920年アントワープオリンピックでの4つのメダル獲得という功績は、スウェーデン陸上競技史における彼の地位を確固たるものにしている。特に、クロスカントリーでパーヴォ・ヌルミに肉薄する成績を収めたことは、彼の能力の高さを示すものであった。彼が保持した複数のスウェーデン記録や、長年にわたる国内選手権での支配は、彼が単なる一時の輝きではなく、真に傑出したアスリートであったことを物語っている。ベックマンの功績は、スウェーデンにおける長距離走の発展に貢献し、後世のランナーたちに大きな影響を与えた。