1. 経歴
エンヒキ・アルリンド・エトジェスは、母国ブラジルで長年にわたりセンターバックとしてその名を馳せ、キャリアの終盤には日本のクラブでもプレーした。彼のキャリアは若くして国際的な成功を収めたことから始まり、クラブレベルでも主要な役割を担い続けた。
1.1. プロキャリア
プロとしてのキャリアは1985年に始まり、ブラジルの名門クラブであるグレミオで頭角を現した。その後、ポルトゥゲーザ、ウニオン・サンジョアンを経て、1992年から1997年までコリンチャンスでプレーし、ここでも守備の要としてチームに貢献した。
1998年には日本に渡り、Jリーグのヴェルディ川崎に加入。彼はこのチームでディフェンスリーダーとして重要な役割を担い、その堅実な守備と統率力でチームを支えた。しかし、同年中に怪我を負い、その影響で現役引退を決断。名目上は1999年にボタフォゴに所属したが、実質的な選手としての活動は1998年限りとなった。
2. 所属クラブ
3. 個人成績
エンヒキ・アルリンド・エトジェスの詳細な個人成績は、ブラジルでのキャリアについては完全には記録が残されていない部分もあるが、日本での活動については以下の記録が確認されている。
| クラブパフォーマンス | リーグ | カップ戦 | リーグカップ | 合計 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 
| 日本 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | 合計 | ||||||
| 1998 | ヴェルディ川崎 | J1リーグ | 20 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 23 | 0 | 
| 総通算 | 20 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 23 | 0 | ||
4. 代表歴
エンヒキ・アルリンド・エトジェスは、1985年にU-20ブラジル代表に選出され、その年の1985 FIFAワールドユース選手権に出場した。この大会では、ブラジル代表の守備陣の要として活躍し、チームは見事に優勝を飾った。このチームには、後にブラジルを代表する選手となるタファレル、シーラス、ジェルソン、ミューレルらが名を連ねており、エンヒキもその「黄金世代」の一員として国際的な舞台で輝かしい実績を残した。
5. 引退
エンヒキ・アルリンド・エトジェスは、1998年にヴェルディ川崎でのプレーを終えた後、深刻な怪我に見舞われ、現役引退を決断した。彼のプロサッカー選手としてのキャリアは、この怪我によって実質的に幕を閉じた。最終所属クラブとして1999年にボタフォゴに登録されているものの、負傷により実質的な出場はなかった。この引退は、彼のキャリアにおける困難な転機であり、その後の人生に新たな道を切り開くことになった。
6. 評価
エンヒキ・アルリンド・エトジェスは、そのキャリアを通じて、堅実で計算された守備と的確な判断力を持つセンターバックとして高く評価された。特にブラジルU-20代表の一員として1985 FIFAワールドユース選手権で優勝した功績は、彼の才能と献身がブラジルサッカーの歴史に刻まれた証である。また、日本での短期間の活動においても、ヴェルディ川崎のディフェンスリーダーとしての役割を果たすなど、異文化の環境下でもそのリーダーシップと適応能力を発揮した。怪我による早期の引退は惜しまれるが、彼のキャリアは、一人の選手が国際舞台で果たした貢献と、チームを勝利に導くための献身の模範として記憶されている。彼のプレーは、単なる技術的な側面だけでなく、チームをまとめる精神的な支柱としても重要な意味を持っていた。