1. Overview
ジョナサン・アルバラデホ・サンタナは、メジャーリーグベースボール(MLB)、日本プロ野球(NPB)、そして様々な独立リーグで活躍した右腕投手であり、引退後はコーチとしてキャリアを続けている。特にニューヨーク・ヤンキース傘下のAAA級時代にはインターナショナルリーグのシーズンセーブ記録を樹立するなど、マイナーリーグでの顕著な功績が光る。また、読売ジャイアンツでプレーした経験も持ち、日米両国のプロ野球に足跡を残した。選手としての特徴は、力強い速球と多彩な変化球を操る投球スタイル、そして体格管理への意識が挙げられる。キャリアを通じて、国内外の様々なチームで経験を積み、野球界における彼の役割は選手から指導者へと広がっている。
2. 初期生い立ちとプロ入りの経緯
ジョナサン・アルバラデホは、プエルトリコで生まれ育ち、早くから野球の才能を示した。彼のプロ野球選手としてのキャリアは、MLBドラフトでの指名を経て始まった。
2.1. 幼少期とアマチュア時代
1982年10月30日にプエルトリコのサンフアンで生まれた。彼は2000年のMLBドラフトでサンフランシスコ・ジャイアンツから34巡目(全体1021位)で指名されたが、この時は契約を見送った。
2.2. プロ入りとマイナーリーグでのキャリア開始
翌2001年、アルバラデホはMLBドラフトでピッツバーグ・パイレーツから19巡目(全体564位)で指名を受け、同年6月6日に契約を結び、プロ入りを果たした。パイレーツのマイナー組織では当初先発投手として活動していたが、2005年にリリーフ投手へ転向。2007年4月25日にパイレーツから自由契約となった。
3. メジャーリーグでのキャリア
アルバラデホは、ワシントン・ナショナルズ、ニューヨーク・ヤンキース、アリゾナ・ダイヤモンドバックスの3球団でメジャーリーグのマウンドを経験した。
3.1. ワシントン・ナショナルズ時代

パイレーツを自由契約となった後、2007年5月3日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ。この年、彼はシーズンを通してほとんどの期間をAA級のハリスバーグ・セネターズで過ごし、21試合に登板して防御率4.17を記録した。その後、AAA級のコロンバス・クリッパーズに昇格すると、14試合で防御率0.78という素晴らしい成績を収め、シーズン終盤の9月にロースターが拡張された際にメジャー初昇格を果たした。
2007年9月5日、アルバラデホはフロリダ・マーリンズ戦でメジャーリーグデビューを飾った。3回表に先発のティム・レディングが打球を受け負傷したため、急遽2アウト1塁3塁のピンチで登板。最初の打者をゴロに打ち取り1失点(自責点なし)に抑え、続く打者をポップフライに打ち取った。4回には三者連続三振を奪うなど好投を見せ、その後交代した。
3.2. ニューヨーク・ヤンキース時代
2007年12月4日、アルバラデホはタイラー・クリッパードとのトレードでニューヨーク・ヤンキースへ移籍した。オフシーズンにはベネズエラのウィンターリーグでプレーした。
2008年、彼はヤンキースの開幕ロースターに入ったが、5月9日に右肘の疲労骨折を負い、シーズン中の復帰は叶わず、わずか7試合の登板に終わった。防御率は3.95だった。
2009年も開幕ロースター入りを果たし、メジャーで32試合に登板。一方、AAA級のスクラントン・ウィルクスバリ・ヤンキースでは主にクローザーとして27試合に登板し、防御率1.75、WHIP0.75、11セーブを記録する活躍を見せた。5月22日までにメジャーで18試合に登板し防御率6.00を記録すると、王建民との入れ替えでAAA級に降格。しかし、AAA級で17イニングを投げ防御率1.59、WHIP0.65と好投し、7月5日に王建民が故障者リスト入りした際にメジャーに再昇格した。その後7月10日にはマーク・メランソンとの入れ替えで再びAAA級に降格した。
2010年シーズンもスクラントン・ウィルクスバリでスタートした。スプリングトレーニングでの不振を受け、それまで主に使用していたツーシームからフォーシームへの投球スタイル変更を決断し、これが制球力の向上につながった。7月にはインターナショナルリーグの週間最優秀投手に2度選出され、AAA級のオールスターゲームにも出場した。彼はこの年、32回のセーブ機会で31セーブ、防御率0.96という圧倒的な成績を残し、7月20日にヤンキースに再昇格。しかし、7月24日にはセルジオ・ミトレとの入れ替えで再びAAA級に降格した。
2010年シーズン、アルバラデホはインターナショナルリーグの年間セーブ記録を更新する43セーブ(これまでの記録は38セーブ)を樹立した。この活躍により、インターナショナルリーグのポストシーズンオールスターチームに選出された。9月のロースター拡張に伴いヤンキースに再昇格し、この年メジャーで11.1イニングを投げ防御率3.97を記録した。シーズン終了後、彼は日本でのプレーを希望し、ヤンキースは彼の要望を受け入れて11月19日に契約解除した。
3.3. アリゾナ・ダイヤモンドバックス時代
ヤンキース退団後、2011年12月13日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだ。
2012年シーズンは、AAA級のリノ・エーシズで49試合に登板し、5勝3敗25セーブ、防御率3.65、WHIP1.22の成績を残した。また、この年のパシフィックコーストリーグのオールスターゲームに選出されている。シーズン終盤にダイヤモンドバックスからメジャーに昇格したが、メジャーでの登板は3試合にとどまり、防御率9.00を記録した。オフの11月3日に自由契約となった。
4. 海外及び独立リーグでのキャリア
MLBでのキャリアの傍ら、アルバラデホは日本プロ野球、韓国独立リーグ、メキシカンリーグ、そしてアメリカの独立リーグなど、世界各地の様々なプロ野球リーグでプレーした。
4.1. 読売ジャイアンツ時代 (NPB)
2010年11月26日、ジョナサン・アルバラデホは日本の読売ジャイアンツと契約を結んだことが発表された。背番号は、当時の監督である原辰徳の意向により、トム・シーバーがニューヨーク・メッツ時代に使用していた「41」に決まった。春季キャンプでは抑えの候補として期待されたが、制球に課題を抱えていることが明らかになった。
2011年シーズンは、抑えの役割を山口鉄也が担うことになったが、アルバラデホは開幕一軍入りを果たした。4月16日の広島東洋カープ戦で、2点ビハインドの場面で3番手として初登板し、2回を無失点に抑えた。4月30日の横浜ベイスターズ戦では、2番手として5回から登板し、2回を無失点に抑え、来日初勝利を挙げた。
また、5月15日の広島戦では、1点リードの場面で、前日に救援失敗し連投していた抑えのレビ・ロメロに代わり、4番手として9回に登板。1回を打者3人で抑え、来日初セーブを記録した。最終的にこのシーズンは46試合に登板し、2勝2敗2セーブ、防御率2.45、WHIP1.21の成績を残した。しかし、12月2日に自由契約選手として公示され、ジャイアンツを退団した。
4.2. マイアミ・マーリンズ傘下時代
2012年12月16日、アルバラデホはマイアミ・マーリンズとマイナー契約を結んだ。
2013年シーズンは、マーリンズ傘下のAAA級ニューオーリンズ・ゼファーズでシーズン全てを過ごした。この年、彼は57試合に登板し、4勝5敗4セーブ、防御率3.80、72奪三振を記録したものの、メジャーリーグでの登板機会はなかった。シーズン終了後の11月5日に自由契約となった。
4.3. メキシカンリーグ時代
マイアミ・マーリンズを退団後、2015年にはメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズでプレーした。
2016年4月1日には、同じくメキシカンリーグのレイノサ・ブロンコスと契約したが、わずか4試合の登板で2失点を喫し、4月9日には自由契約となった。
4.4. 韓国独立リーグ (高陽ワンダーズ)
2014年2月13日、アルバラデホは韓国初の独立野球チームである高陽ワンダーズと契約を結び、韓国の独立リーグでプレーする初めての外国人選手の一人となった。しかし、同年オフに高陽ワンダーズが解散したため、彼は再び自由契約となった。
4.5. アメリカ独立リーグ時代
メキシカンリーグのレイノサ・ブロンコスを自由契約となった後、2016年4月19日にアメリカの独立リーグであるアトランティックリーグのブリッジポート・ブルーフィッシュと契約を結んだ。この年、彼はオールスターに選出され、ブルーフィッシュの球団史上最多となる15勝を挙げ、リーグ最多の164奪三振を記録するなど、傑出した活躍を見せ、年間最優秀投手に輝いた。アルバラデホは2017年シーズンもブリッジポート・ブルーフィッシュと再契約した。
2017年7月25日、アルバラデホはニューヨーク・メッツとマイナー契約を結び、傘下のAAA級ラスベガス・フィフティワンズに配属された。ラスベガスでは9試合に登板(うち8試合に先発)し、防御率4.50、52イニングで36奪三振を記録した。7月24日の週には11.1イニングの無失点投球を披露し、パシフィックコーストリーグの週間最優秀投手に選ばれた。しかし、11月6日に自由契約となり、メッツを退団した。
2017年11月1日、アルバラデホはブリッジポート・ブルーフィッシュの分散ドラフトでランカスター・バーンストーマーズから指名され、2018年2月26日に同チームと契約した。2019年シーズンには選手兼任コーチとして再契約し、ブライス・ハーパーの兄であるブライアン・ハーパーを指導した。2019年限りでランカスター・バーンストーマーズを退団し、現役を引退した。
5. 選手としての特徴
アルバラデホは、打者を手玉に取る多彩な投球技術と、その体格に見合った準備を怠らないプロ意識を兼ね備えていた。
5.1. 投球スタイル
彼の投球は、平均球速が約146 km/hで、最速は154 km/hに達する力強い速球が特徴だった。主要な球種として、フォーシーム、ツーシーム、カッターの3種類の速球に加え、カーブとスライダーを投げ分けていた。
マイナーリーグ、特にスクラントンでの通算与四球率は2.12と安定した制球力を見せていたが、メジャーリーグに昇格すると急激に四球が増える傾向があった。また、マイナーリーグでは走者がいない場面での被打率は3割を超えることがあったものの、塁に走者を置くと力を発揮し、特に得点圏での被打率は.158と抜群の勝負強さを見せていた。2010年シーズンには、スプリングトレーニングでの不振をきっかけに、それまでのツーシーム中心からフォーシーム中心へと投球スタイルを変更し、これが制球力の向上につながったとされている。
5.2. 身体的特徴
読売ジャイアンツの公式発表では体重が「117 kg」とされていたが、実際には120 kgを大きく超える巨漢だった。本人によれば、ベスト体重は「122 kgから124 kg程度」とのことだが、シーズンオフになると136 kg程度まで増量してしまうため、シーズン前には必ず減量を行う必要があった。
6. コーチとしてのキャリア
選手としての現役引退後、ジョナサン・アルバラデホは指導者として新たなキャリアを歩み始めた。
6.1. ティフアナ・ブルズ
2019年シーズン限りで現役を引退した後、2020年からはメキシカンリーグのティフアナ・ブルズでブルペンコーチに就任した。しかし、この年のメキシカンリーグは新型コロナウイルス感染拡大の影響により開催中止となった。
6.2. 独立リーグでの監督・コーチ時代
2020年8月には、アメリカの独立リーグであるエンパイアプロフェッショナルベースボールリーグのタッパーレイク・リバーピッグスの監督に就任し、2021年まで指揮を執った。
2022年からはフロンティアリーグのエンパイアステート・グレイズで投手コーチを務め、2024年2月12日には同リーグのレイクエリー・クラッシャーズの投手コーチに就任したことが発表された。そして2024年10月には、同じくフロンティアリーグに所属するトロワリヴィエール・エーグルの監督に就任した。
7. 詳細情報
7.1. 年度別投手成績
年 度 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007 | WSH | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 2 | .500 | 51 | 14.1 | 7 | 1 | 2 | 0 | 1 | 12 | 0 | 0 | 3 | 3 | 1.88 | 0.63 |
2008 | NYY | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | .000 | 58 | 13.2 | 15 | 1 | 6 | 0 | 0 | 13 | 0 | 0 | 6 | 6 | 3.95 | 1.54 |
2009 | 32 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | 1 | .833 | 158 | 34.1 | 41 | 6 | 16 | 2 | 3 | 21 | 0 | 0 | 23 | 20 | 5.24 | 1.66 | |
2010 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 50 | 11.1 | 9 | 1 | 8 | 1 | 2 | 8 | 0 | 0 | 5 | 5 | 3.97 | 1.50 | |
2011 | 巨人 | 46 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 2 | 6 | .500 | 219 | 51.1 | 43 | 2 | 19 | 4 | 5 | 44 | 0 | 0 | 17 | 14 | 2.45 | 1.21 |
2012 | ARI | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 15 | 3.0 | 5 | 1 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 1 | 3 | 3 | 9.00 | 1.67 |
MLB:5年 | 66 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 3 | 0 | 4 | .667 | 332 | 76.2 | 77 | 10 | 32 | 3 | 7 | 56 | 0 | 1 | 41 | 37 | 4.34 | 1.42 | |
NPB:1年 | 46 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 2 | 6 | .500 | 219 | 51.1 | 43 | 2 | 19 | 4 | 5 | 44 | 0 | 0 | 17 | 14 | 2.45 | 1.21 |
7.2. 年度別守備成績
年 度 | 球 団 | 投手(P) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | ||
2007 | WSH | 14 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
2008 | NYY | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- |
2009 | 32 | 1 | 7 | 0 | 0 | 1.000 | |
2010 | 10 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |
2011 | 読売 | 46 | 5 | 6 | 2 | 0 | .846 |
2012 | ARI | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- |
MLB | 66 | 1 | 10 | 0 | 0 | 1.000 | |
NPB | 46 | 5 | 6 | 2 | 0 | .846 |
7.3. 主な記録と功績
ジョナサン・アルバラデホは、特にマイナーリーグと独立リーグで顕著な記録と功績を残している。
- インターナショナルリーグ単一シーズン最多セーブ**: 2010年、ニューヨーク・ヤンキース傘下のAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・ヤンキースで43セーブを記録し、インターナショナルリーグのシーズンセーブ記録を更新した。
- インターナショナルリーグポストシーズンオールスターチーム選出**: 2010年シーズンにインターナショナルリーグのポストシーズンオールスターチームに選出された。
- アトランティックリーグ年間最優秀投手**: 2016年、独立リーグのブリッジポート・ブルーフィッシュで15勝を挙げ、球団のシーズン最多勝利記録を樹立し、リーグ最多の164奪三振を記録するなど傑出した活躍を見せ、年間最優秀投手に輝いた。
- ブリッジポート・ブルーフィッシュ球団記録**: 2016年に独立リーグのブリッジポート・ブルーフィッシュで15勝を挙げ、球団のシーズン最多勝利記録を樹立した。
- アトランティックリーグ奪三振記録**: 2016年にアトランティックリーグで164奪三振を記録し、リーグ最多奪三振投手となった。
- パシフィックコーストリーグ週間最優秀投手**: 2017年7月、ニューヨーク・メッツ傘下のAAA級ラスベガス・フィフティワンズ時代に週間最優秀投手に選出された。
- NPBにおける特筆すべき記録**:
7.4. 背番号
選手生活中に使用した背番号は以下の通りである。
- 53 (ワシントン・ナショナルズ: 2007年、アリゾナ・ダイヤモンドバックス: 2012年)
- 63 (ニューヨーク・ヤンキース: 2008年 - 2010年)
- 41 (読売ジャイアンツ: 2011年)
- 43 (高陽ワンダーズ: 2014年)