1. 幼少期およびアマチュア時代
スコット・ロバート・マクレガーは1986年12月19日にオハイオ州シンシナティで生まれた。オハイオ州リバティ郡区にあるラコタ・イースト高校に通学し、卒業後はメンフィス大学に進学した。メンフィス大学では3年間プレーし、通算で13勝15敗の成績を残している。
2. アメリカ合衆国プロ野球時代
マクレガーのプロ野球キャリアは、MLBドラフトでの指名から始まった。
2.1. セントルイス・カージナルス傘下
マクレガーは2008年MLBドラフトにおいて、セントルイス・カージナルスから15巡目で指名された。これは、外野手のジョーイ・バトラーに数巡遅れての指名であった。プロ入り初シーズンは4勝0敗、防御率1.45を記録し、37.1イニングでわずか5つの四球しか与えなかった。翌2009年には、クアッドシティーズ・リバーバンディッツで34試合(うち17試合は先発)に登板し、7勝11敗、防御率5.56の成績だった。この年、115イニングを投げ、26の四球を与えたが、100イニング以上を投げたミッドウェストリーグの投手の中で、BB/9(9イニングあたりの与四球率)が8番目に良かった。
2010年には、2つのチームで計31試合(うち20試合は先発)に登板し、10勝8敗、防御率3.14を記録。137.2イニングで22の四球を与えた。野球専門誌『Baseball America』は、彼をカージナルス傘下で最高のコントロールを持つ選手と評価した。
2011年はトミー・ジョン手術のため全休した。2012年に復帰し、14試合(うち13試合は先発)で5勝2敗、防御率6.31の成績を残した。2013年には、初めてAAA級のメンフィス・レッドバーズに昇格し、18試合(うち17試合は先発)で6勝10敗、防御率4.83を記録した。同年にスプリングフィールド・カージナルスでもプレーし、この年の全体成績は10勝11敗、防御率4.06であった。2014年はメンフィス・レッドバーズでシーズンを始めたが、6月にセントルイス・カージナルスから解雇された。
2.2. ワシントン・ナショナルズ傘下
セントルイス・カージナルスを解雇された後、スコット・マクレガーはワシントン・ナショナルズと契約した。ナショナルズ傘下のAA級チームであるハリスバーグ・セネターズと、AAA級チームであるシラキュース・チーフス(現シラキュース・メッツ)でプレーした。2014年は、所属した3チーム全体で4勝9敗、防御率5.56という成績だった。2015年にはシラキュースで27試合(うち15試合は先発)に登板し、6勝6敗、防御率4.04を記録した。2016年3月16日、ナショナルズから解雇された。
2.3. サマーセット・パトリオッツ (独立リーグ)
ワシントン・ナショナルズを解雇された後、スコット・マクレガーは2016年4月11日にアトランティックリーグに所属するサマーセット・パトリオッツと契約した。同チームでは9試合に登板し、59イニングを投げて4勝4敗、防御率3.36を記録した。彼は1試合平均6.2イニングを投げ、先発投手として多くのイニングを消化した。
3. KBOリーグ時代
スコット・マクレガーは2016年に韓国プロ野球のKBOリーグに移籍した。
3.1. ネクセン・ヒーローズ
2016年6月20日、マクレガーは与四球の多さから退団となったロバート・コエルロの代替外国人選手として、ネクセン・ヒーローズ(現キウム・ヒーローズ)と契約を結んだ。
2016年6月26日のLGツインズ戦でKBOリーグデビューを果たし、6イニングを投げ2失点と好投したが、チームの打線の援護がなく敗戦投手となった。その後、2016年7月2日のKIAタイガース戦では先発登板し、7イニング5失点と被本塁打は多かったものの、プロ入り後初めての勝利投手となった。シーズン終了後の11月15日、チームから再契約しないことが通告された。
4. 中華職業棒球大聯盟 (CPBL) 時代
KBOリーグでのプレーを終えた後、スコット・マクレガーは中華職業棒球大聯盟(CPBL)に移籍した。
4.1. 富邦ガーディアンズ
2017年5月、スコット・マクレガーはCPBLの富邦ガーディアンズと契約した。しかし、6月に脚を負傷し、24イニングを投げ防御率4.88の成績を残した後、2017年8月5日にチームから解雇された。
5. 国際大会経歴
スコット・ロバート・マクレガーはアメリカ合衆国野球代表チームの一員として、2015年パンアメリカン競技大会に出場した。同大会の野球競技では、銀メダルを獲得している。
大会 | 開催年 | 開催地 | 種目 | メダル |
---|---|---|---|---|
パンアメリカン競技大会 | 2015年 | カナダトロント | 野球 (男子) | 銀メダル |