1. 概要
ニルス・エングダール(Nils Engdahlニルス・エングダールスウェーデン語、1898年11月4日 - 1983年9月10日)は、スウェーデンの陸上競技選手である。彼は主に短距離走および中距離走で活躍し、特に1920年アントワープオリンピックと1924年パリオリンピックに合計2回出場した。エングダールは、1920年のアントワープオリンピックで男子400mの個人種目で銅メダルを獲得し、1924年のパリオリンピックでは男子4×400mリレーで銀メダルを獲得した。
彼の身長は1.65 m、体重は57 kgであった。キャリアを通じて100mから800mまでの種目に出場し、Järva IS、Ulriksdal、Solnaといったクラブに所属していた。彼の個人記録としては、100mが10.7秒(1920年)、400mが48.2秒(1924年)、800mが1分57.5秒(1920年)を記録している。
2. 生い立ちと背景
ニルス・エングダールは、スウェーデンのストックホルム県ヴェステルハニンゲで1898年11月4日に生まれた。彼は幼い頃からスポーツに親しみ、後に陸上競技へと転向するまでの間、様々なスポーツを経験した。
2.1. 幼少期と陸上競技への転向
ニルス・エングダールは、兄のヴィルヘルム・「ヴィレ」・エングダールと共に、当初はサッカー選手として活動していた。彼らはIFKストックホルムでサッカーをプレーしていたが、ニルスは1917年に陸上競技へと転向した。この転向は、彼のその後の輝かしい陸上競技キャリアの始まりとなった。
3. 陸上競技選手としてのキャリア
ニルス・エングダールは、スウェーデンを代表する陸上競技選手として国内外で数々の功績を残した。彼はオリンピックでのメダル獲得に加え、国内記録を樹立し、多数の国内タイトルを獲得することで、スウェーデン陸上競技界のトップランナーとしての地位を確立した。
3.1. オリンピックでの成績
エングダールは、オリンピックに2度出場し、輝かしい成績を収めた。
- 1920年アントワープオリンピック**: エングダールは400mに出場し、銅メダルを獲得した。このレースでは、南アフリカのベビル・ラッド、そしてイギリスのガイ・バトラーに次ぐ成績であった。また、4×400mリレーにも出場し、スウェーデンチームは5位に入賞した。
- 1924年パリオリンピック**: 2大会連続出場を果たしたエングダールは、個人種目でのメダル獲得はならなかったものの、4×400mリレーで銀メダルを獲得する快挙を達成した。彼はアルトゥル・スベンション、エリック・ビュレーン、グスタフ・ヴェイナルトと共にチームを組み、アメリカに次いで2位でゴールした。両大会を通じて、彼は100mから800mまでの合計6種目に出場している。
3.2. 国内記録とタイトル
エングダールは、国内でもその実力を遺憾なく発揮し、複数のスウェーデン記録を樹立・保持した。
- スウェーデン記録**: 彼は1920年から1935年まで200mのスウェーデン記録を、1918年から1934年まで400mのスウェーデン記録を保持した。
- 国内タイトル**: 1918年から1927年の間に、彼は100mで4回、200mで6回、400mで6回と、合計16回もの国内タイトルを獲得した。
- 国内での評価**: 彼は3年連続で100mから400mの距離におけるスウェーデン最高のランナーとして評価されていた。
4. その他の活動
陸上競技選手としてのキャリア以外にも、ニルス・エングダールは他のスポーツにも積極的に参加していた。彼は1937年までJärva ISでバンディをプレーし、多才なスポーツマンとしての側面も持っていた。
5. 私生活
ニルス・エングダールは、後にオリンピックの飛込競技選手であるシグネ・ヨハンソンと結婚した。彼の私生活については、公にされている情報は限られている。
6. 死去
ニルス・エングダールは、1983年9月10日にスウェーデンのブロンマで死去した。84歳であった。
7. 遺産と影響
ニルス・エングダールは、スウェーデンの陸上競技史において重要な人物として記憶されている。彼のオリンピックでのメダル獲得や、長期間にわたる国内記録の保持、そして多数の国内タイトル獲得は、後進の選手たちに大きな影響を与えた。特に、100mから400mの距離で3年連続でスウェーデン最高と称されたことは、彼の競技における支配的な存在感を示している。彼の功績は、スウェーデンの短距離・中距離走の発展に大きく貢献し、その遺産は現代のスウェーデン陸上競技界にも受け継がれている。