1. 概要
ファトミレ・アルシは、旧ユーゴスラビアのコソボ自治州で生まれ、幼少期に難民としてドイツへ移住した。彼女は、その困難な生い立ちを乗り越え、世界的な女子サッカー選手として成功を収めた。特に、2007年のFIFA女子ワールドカップと2009年、2013年のUEFA欧州女子選手権でドイツ代表として優勝に貢献し、2010年にはFIFAバロンドールで女子部門3位に選出されるなど、その才能と努力は高く評価された。彼女のキャリアは、単なるスポーツの成功に留まらず、「難民から世界チャンピオンへ」という自伝のタイトルが示すように、社会的な包容力と多様性の重要性を体現する物語として、多くの人々に影響を与えている。
2. 生い立ちと背景
ファトミレ・アルシは、コソボでの難民経験とそれに続くドイツでの生活を通じて、サッカー選手としての道を切り開いた。
2.1. 出生と幼少期
ファトミレ・アルシは、1988年4月1日に旧ユーゴスラビアのコソボ自治州、ジュラコツ(Gjurakocアルバニア語、現在のイストク近郊)で、コソボ系アルバニア人のイスメットとガニメテ・バイラマイ夫妻の娘として誕生した。1993年、彼女が5歳の時に、家族はコソボでの紛争を逃れてドイツのギーゼンキルヒェン(Giesenkirchenドイツ語)に移住し、以降ドイツで育った。この難民としての経験が、後の彼女の人生とキャリアに大きな影響を与えた。
2.2. 教育と初期のサッカー活動
ドイツに移住後、ファトミレ・アルシは地元のサッカークラブで活動を開始した。1993年から1998年までDJK/VfLギーゼンキルヒェンに所属し、サッカーの基礎を学んだ。その後、1998年から2004年までFSCメンヒェングラートバッハでプレーし、選手としての才能を開花させた。これらのユースクラブでの経験が、彼女のプロサッカー選手としてのキャリアの土台を築いた。
3. クラブキャリア
ファトミレ・アルシは、ドイツとフランスの複数のトップクラブで活躍し、数々のタイトルを獲得した。
3.1. 初期クラブ
ファトミレ・アルシのユースキャリアは、DJK/VfLギーゼンキルヒェン(1993年 - 1998年)とFSCメンヒェングラートバッハ(1998年 - 2004年)で形成された。これらのクラブでの活動を通じて、彼女はプロ選手としての基礎を築き、その才能が注目されるようになった。
3.2. FCR 2001デュースブルク
2004年、ファトミレ・アルシは女子ブンデスリーガのFCR 2001デュースブルクに移籍し、同年9月にリーグデビューを果たした。デビューから1ヶ月後の10月には初ゴールを記録し、すぐにチームのレギュラー選手としての地位を確立した。デュースブルクでは、2005年から2008年まで4シーズン連続でリーグ準優勝を経験した。2008-09シーズンには、チームはUEFA女子カップで優勝し、彼女自身もDFBポカールの決勝で得点を挙げて優勝に貢献した。
3.3. 1. FFCトゥルビネ・ポツダム
2009-10シーズン、ファトミレ・アルシはFCR 2001デュースブルクからリーグのライバルである1. FFCトゥルビネ・ポツダムへ移籍した。ポツダムでは、移籍初年度の2010年に女子ブンデスリーガと、新設されたUEFA女子チャンピオンズリーグの初代王者という二冠を達成した。UEFA女子チャンピオンズリーグ決勝では、PK戦で得点を決める活躍を見せた。2011年には再びブンデスリーガで優勝したが、UEFA女子チャンピオンズリーグでは決勝でオリンピック・リヨンに敗れ準優勝に終わった。この期間中、彼女は2010年のFIFAバロンドール女子部門で3位に選出されるなど、個人としても高い評価を受けた。

3.4. 1. FFCフランクフルト
2011-12シーズンに向けて、ファトミレ・アルシは1. FFCフランクフルトへ移籍した。この移籍は、当時の女子ブンデスリーガ史上最高額の移籍金で行われたと報じられ、ビルギット・プリンツの後継者として大きな期待が寄せられた。しかし、フランクフルト在籍中は度重なる怪我に悩まされ、特に2012年2月には凍結したグラウンドでの親善試合で膝を負傷し、同年9月には前十字靭帯を断裂するなど、長期離脱を余儀なくされた。それでも、2013-14シーズンのDFBポカールではチームの優勝に貢献した。
3.5. パリ・サンジェルマン
2014年6月、ファトミレ・アルシはフランスのディヴィジオン・アン・フェミナンに所属するパリ・サンジェルマンへ移籍した。彼女は2016年まで同クラブでプレーした後、2017年2月28日に現役引退を発表した。

4. 代表キャリア
ファトミレ・アルシは、ドイツのユース代表からA代表まで、各年代で活躍し、主要な国際大会で数々のタイトルを獲得した。
4.1. ユース代表チームでのキャリア
ファトミレ・アルシは、2003年にU-15ドイツ女子代表に選出され、その才能が注目された。2004年にはU-17代表でプレーし、2005年から2006年にかけてはU-19代表として活躍した。U-19代表では、2005年のUEFA U-19女子選手権で準決勝に進出し、2006年の同大会ではドイツの優勝に貢献した。また、2006年にロシアで開催されたFIFA U-20女子ワールドカップにも出場し、4試合で3ゴールを記録し、チームの準々決勝進出に貢献した。
4.2. トップチーム代表でのキャリア
2005年10月、ファトミレ・アルシはスコットランドとの試合でドイツA代表デビューを果たした。彼女は2006年までU-19代表とA代表を兼任する形で活動した。
4.3. 主要国際大会への参加
ファトミレ・アルシは、数々の主要国際大会でドイツ代表の成功に貢献した。

- 2007 FIFA女子ワールドカップ:彼女は控え選手として4試合に出場し、決勝戦ではドイツの2点目につながるコーナーキックを獲得するなど、チームの優勝に貢献した。
- 2008年北京オリンピック:この大会では銅メダルを獲得。特に日本との3位決定戦では、後半途中出場から2ゴールを挙げ、チームの2-0勝利に大きく貢献した。
- UEFA欧州女子選手権2009:ドイツが7度目の優勝を飾ったこの大会でも、彼女は重要な役割を果たした。グループステージのノルウェー戦で2得点、準決勝のノルウェー戦でも1得点を記録した。
- 2011 FIFA女子ワールドカップ:自国開催のこの大会では、グループリーグ3試合に出場したが、準々決勝の日本戦には出場機会がなかった。
- UEFA欧州女子選手権2013:2012年の前十字靭帯損傷から復帰後、この大会に参加し、アイスランドとのグループステージで途中出場を果たし、ドイツの優勝に貢献した。
- 2015 FIFA女子ワールドカップ:当初は代表メンバーに選出されていたが、大会直前の2015年5月15日に妊娠を発表し、大会への不参加を表明した。彼女はこの時、「人生にはサッカーよりも大切なことがある」と語った。
5. 私生活
ファトミレ・アルシは、その困難な生い立ちを乗り越え、世界的な成功を収めた自身の経験を公にしている。
彼女の両親であるイスメットとガニメテは、コソボ系アルバニア人であり、1993年にコソボのイストクからドイツへ家族で移住した。2009年10月には、自身の自伝『Mein Tor ins Leben - Vom Flüchtling zur Weltmeisterin』(「私の人生へのゴール - 難民から世界チャンピオンへ」)を出版した。このタイトルは、ドイツ語の「Tor」(トーア)が「門」「ゴール(得点)」の両方を意味する言葉遊びであり、彼女が難民としての逆境を乗り越え、サッカーを通じて人生の目標を達成した物語を象徴している。
2011年6月、彼女は同じくコソボ出身のサッカー選手であるエニス・アルシ(Enis Alushi)と交際を始めた。両者の父親はコソボで警察官として共に働いていたという共通点があった。2012年9月には、偶然にも72時間以内に二人とも前十字靭帯を損傷するという経験を共有した。二人は2013年12月に結婚し、ファトミレは夫の姓であるアルシを名乗るようになった。2015年5月には妊娠を発表し、これにより2015 FIFA女子ワールドカップへの出場を辞退した。
6. キャリア統計
ファトミレ・アルシのクラブおよび代表チームにおけるキャリア統計は以下の通りである。
No. | 日付 | 会場 | 対戦相手 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2007年7月29日 | マクデブルク、ドイツ | デンマーク | 3-0 | 4-0 | 親善試合 |
2 | 2008年8月21日 | 北京、中国 | 日本 | 1-0 | 2-0 | 2008年夏季オリンピック |
3 | 2-0 | |||||
4 | 2009年8月24日 | タンペレ、フィンランド | ノルウェー | 2-0 | 4-0 | UEFA欧州女子選手権2009 |
5 | 4-0 | |||||
6 | 2009年9月7日 | ヘルシンキ、フィンランド | ノルウェー | 3-1 | 3-1 | UEFA欧州女子選手権2009 |
7 | 2010年2月17日 | デュースブルク、ドイツ | 朝鮮民主主義人民共和国 | 1-0 | 3-0 | 親善試合 |
8 | 2010年9月15日 | ドレスデン、ドイツ | カナダ | 2-0 | 5-0 | 親善試合 |
9 | 2011年9月17日 | アウクスブルク、ドイツ | スイス | 1-0 | 4-1 | UEFA欧州女子選手権2013予選 |
10 | 2-0 | |||||
11 | 2011年10月22日 | ブカレスト、ルーマニア | ルーマニア | 2-0 | 3-0 | UEFA欧州女子選手権2013予選 |
12 | 2011年11月19日 | ヴィースバーデン、ドイツ | カザフスタン | 11-0 | 17-0 | UEFA欧州女子選手権2013予選 |
13 | 2012年9月19日 | デュースブルク、ドイツ | トルコ | 8-0 | 10-0 | UEFA欧州女子選手権2013予選 |
14 | 2013年9月21日 | コトブス、ドイツ | ロシア | 5-0 | 9-0 | 2015 FIFA女子ワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
15 | 2013年10月26日 | コペル、スロベニア | スロベニア | 8-0 | 13-0 | 2015 FIFA女子ワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
16 | 2014年5月8日 | オスナブリュック、ドイツ | スロバキア | 1-0 | 9-1 | 2015 FIFA女子ワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
17 | 3-0 | |||||
18 | 6-0 |
7. 受賞歴
ファトミレ・アルシは、そのキャリアを通じてクラブと代表チームで数多くのタイトルを獲得し、個人としても栄誉ある賞を受賞した。
7.1. クラブでの受賞歴
- FCR 2001デュースブルク
- UEFA女子カップ:優勝 (2008-09)
- 女子ブンデスリーガ:準優勝 (2004-05、2005-06、2006-07、2007-08)
- DFBポカール:優勝 (2008-09)、準優勝 (2006-07)
- 1. FFCトゥルビネ・ポツダム
- UEFA女子チャンピオンズリーグ:優勝 (2009-10)
- 女子ブンデスリーガ:優勝 (2009-10、2010-11)
- 1. FFCフランクフルト
- DFBポカール:優勝 (2013-14)
- UEFA女子チャンピオンズリーグ:準優勝 (2011-12)
7.2. 代表チームでの受賞歴
- サッカードイツ女子代表
- FIFA女子ワールドカップ:優勝 (2007)
- UEFA欧州女子選手権:優勝 (2009、2013)
- オリンピック:銅メダル (2008)
- UEFA U-19女子選手権:優勝 (2006)
- アルガルヴェ・カップ:優勝 (2014)
7.3. 個人での受賞歴
- FIFAバロンドール:3位 (2010)
- ドイツ年間最優秀女子サッカー選手賞:2011
- ジルバーネス・ロルベアブラット:2007
8. 影響と評価
ファトミレ・アルシのキャリアは、単に優れたサッカー選手の物語に留まらず、スポーツ界と社会全体に大きな影響を与えた。彼女は、コソボからの難民という困難な背景を持ちながら、ドイツ代表の主力選手として、そして世界的なスター選手として成功を収めた。この「難民から世界チャンピオンへ」という彼女の物語は、多くの人々にとって希望の象徴となり、特に移民やマイノリティの人々に対する社会的な包容力と多様性の重要性を強調する模範となった。
彼女は、自身の自伝を通じて、逆境を乗り越える精神と、サッカーが持つ統合の力を示し、スポーツが個人と社会にもたらすポジティブな影響を体現した。怪我からの度重なる復帰や、妊娠によるキャリアの一時中断といった経験も、彼女の人間性と困難に立ち向かう強さを際立たせた。ファトミレ・アルシは、その卓越したプレーだけでなく、その生き方そのものが、多くの人々に勇気とインスピレーションを与え続けるロールモデルとして、高く評価されている。