1. 概要

フェルナン・カバジェロ(Fernán Caballeroフェルナン・カバジェロスペイン語、1796年12月24日 - 1877年4月7日)は、スペインの小説家である。本名はセシリア・フランシスカ・ホセファ・ベール・デ・ファベル・イ・ルイス・デ・ラレア(Cecilia Francisca Josefa Böhl de Faber y Ruiz de Larreaセシリア・フランシスカ・ホセファ・ベール・デ・ファベル・イ・ルイス・デ・ラレアスペイン語)。ドイツ人の父ヨハン・ニコラウス・ベール・フォン・ファベルとスペイン人の母フラスキータ・ラレアの間に生まれ、カバジェロという筆名はシウダ・レアル県の村の名に由来する。
彼女は、ロマン主義の潮流からリアリズムへの転換期において、スペイン文学の重要な橋渡し役を果たした。特にアンダルシア地方の風俗や生活を鋭い観察力で描写し、生活写生文学の先駆者として、スペイン近代小説の発展に貢献した。作品は当時のスペインの国民的習慣や風俗を記録する役割を担い、特に女性の視点から描かれた描写は文学的な評価を得た。本記事では、彼女の生涯をたどり、その文学活動と主要作品、そしてスペイン文学史における彼女の位置づけを詳細に解説する。
2. 生涯
フェルナン・カバジェロことセシリア・ベール・デ・ファベルは、スイスのモルジュに生まれ、その後ハンブルクでの教育、そしてスペインでの複数の結婚と個人的な苦難を経験しながら、作家としての道を歩んだ。
2.1. 出生と家族背景
セシリア・フランシスカ・ホセファ・ベール・デ・ファベル・イ・ルイス・デ・ラレアは、1796年12月24日にスイスのヴォーモルジュで生まれた。父はハンブルク出身のドイツ人商人であるヨハン・ニコラウス・ベール・フォン・ファベルで、彼は長年スペインに住み、『古カスティリャ語韻文集』(Floresta de rimas antiguas castellanasスペイン語、1821年-1825年)や『ロペ・デ・ベガ以前のスペイン演劇』(Teatro español anterior a Lope de Vegaスペイン語、1832年)の編集者として、スペイン文学研究者の間では高く評価されている。母はカディス出身のスペイン人作家フラスキータ・ラレアであった。両親共に文学への深い関心を持ち、特に父親の影響は彼女の文学的素養の形成に大きな影響を与えた。
2.2. 教育と初期の経験
彼女は主にハンブルクで教育を受けた。1815年にはスペインを訪問し、その文化と風習に触れる機会を得た。これらの初期の経験は、後の彼女の文学作品に大きな影響を与えることになる。
2.3. 結婚と個人的な苦難
1816年、セシリアは歩兵隊長のアントニオ・プラネルス・イ・バルダシ(Antonio Planells y Bardaxiアントニオ・プラネルス・イ・バルダシスペイン語)と結婚したが、翌1817年には彼が戦死し、彼女は若くして未亡人となった。1822年には、スペイン王室近衛連隊の士官であったフランシスコ・ルイス・デル・アルコ(Francisco Ruiz del Arcoフランシスコ・ルイス・デル・アルコスペイン語)、アルコ・エルモソ侯爵と再婚した。しかし、1835年にアルコ・エルモソ侯爵が死去すると、侯爵夫人は困窮した状況に陥った。
その後2年と経たないうちに、彼女はかなり年下のアントニオ・アロム・デ・アヤラ(Antonio Arrom de Ayalaアントニオ・アロム・デ・アヤラスペイン語)と三度目の結婚をした。アロムはオーストラリアの領事に任命され、事業に携わって財産を築いたが、1859年に投機に失敗し、自殺した。これらの相次ぐ結婚と経済的な苦難は、彼女の人生に大きな影響を与え、その経験の一部は作品にも反映されている。
3. 文学活動と作品
フェルナン・カバジェロは、その多岐にわたる文学作品を通じて、スペイン文学におけるロマン主義からリアリズムへの移行期を特徴づける重要な役割を担った。彼女の作品は、アンダルシア地方の風俗や文化を繊細に描き出し、スペインの国民的アイデンティティの探求に貢献した。
3.1. 初期文学活動
フェルナン・カバジェロは、『ラ・ガビオタ』(La Gaviotaラ・ガビオタスペイン語)で作家としての名を馳せる10年前から、文学活動を行っていた。1840年には、ドイツ語で匿名でロマンス小説『ゾーレ』(Soleゾーレドイツ語)を出版している。興味深いことに、『ラ・ガビオタ』の草稿は、元々フランス語で書かれていた。
3.2. 主要な小説
1849年、フェルナン・カバジェロの名は、小説『ラ・ガビオタ』(La Gaviotaラ・ガビオタスペイン語、意:カモメ)の作者としてスペイン中で知られるようになった。この作品はホセ・ホアキン・デ・モラによってスペイン語に翻訳され、『エル・エラルド』紙の連載小説として発表されると、非常に好意的に受け入れられた。当時の著名な批評家エウヘニオ・デ・オチョアも大衆の評価を追認し、彼女がウォルター・スコットの好敵手となるだろうと期待を込めて宣言した。19世紀のスペイン文学において、これほど瞬時にかつ普遍的な認知を得た作品は他になかったとされている。この小説はほとんどのヨーロッパ言語に翻訳され、作者の最高傑作とされている。
彼女のもう一つの代表作は、『ラ・ファミリア・デ・アルバレダ』(La Familia de Alvaredaラ・ファミリア・デ・アルバレダスペイン語、意:アルバレダ家)である。この作品もまた彼女の最高傑作の一つとされており、最初にドイツ語で書かれたという点が特筆される。これらの作品は、彼女がスペインの国民的風俗を深く観察し、それを文学的に昇華する能力を持っていたことを示している。
3.3. 短編小説とその他の作品
『ラ・ガビオタ』や『ラ・ファミリア・デ・アルバレダ』ほどの成功は収めなかったものの、彼女の他の作品も文学的な価値を持つ。例えば、『レディ・ヴァージニア』(Lady Virginiaレディ・ヴァージニア英語)や『クレメンシア』(Clemenciaクレメンシアスペイン語)といった作品がある。一方、短編小説集の『クアドロス・デ・コストゥンブレス』(Cuadros de Costumbresクアドロス・デ・コストゥンブレススペイン語、意:風俗画)は、その内容と形式において興味深いものとして評価されている。また、『ウナ・エン・オトラ』(Una en otraウナ・エン・オトラスペイン語)や『エリア・オ・ラ・エスパーニャ・トレインタ・アニョス・ハ』(Elia o la Espana treinta años haエリア・オ・ラ・エスパーニャ・トレインタ・アニョス・ハスペイン語、意:エリアまたは30年前のスペイン)は、その絵画のような物語性において優れた作品であるとされている。
3.4. 文学的スタイルと特徴
フェルナン・カバジェロは、生まれつきの物語作家であり、その優雅な文体は彼女の目的に非常に適していた。彼女は、アンダルシア地方の民話や民謡に深い関心を持ち、この地域の生活を描写することに注力した。その文学的な特徴として、ロマン主義的な題材から写実的な方向性を見出した点が挙げられる。女性としての鋭い感受性に基づいた観察と描写は、生活写生文学の先駆者としての地位を確立し、スペイン近代小説の基盤を築いた一人となった。
彼女は、新しい時代が古い秩序を明確に乱す前の、非常に幸福な瞬間にスペイン文学界に登場した。彼女は優れた天性の観察力だけでなく、長年の慣れによって鈍ることのない新鮮な視点をもたらした。外国人であると同時にスペインの文化を理解する者としての利点を兼ね備えていたのである。
しかし、『カトリック百科事典』は、カバジェロの後期の作品が「その原始的な素朴さと魅力を犠牲にして」、過度に教訓的であったと評している。カバジェロ自身は、時折状況を理想化することはあったものの、自身の経験に基づいてテーマを選んだことについては良心的であったと主張した。
4. テーマとイデオロギー
フェルナン・カバジェロの作品は、スペインの国民的習慣と民族的アイデンティティを主要なテーマとして深く掘り下げている。彼女は、特にアンダルシア地方の民話、民謡、生活様式に強い関心を示し、これらを作品に取り入れることで、失われつつある伝統的なスペインの姿を記録しようと試みた。彼女の文学は、単なる物語の語り手にとどまらず、当時の社会における慣習や風俗を詳細に描写することで、スペインの文化的自己認識に貢献した。彼女の作品は、保守的なカトリック的価値観と深い国民的愛着を反映しており、彼女自身の主張によれば、描写は自身の経験に根差した真実に基づいていた。
5. 評価と遺産
フェルナン・カバジェロは、その生涯において絶大な人気を博し、スペイン文学史に確固たる地位を築いた一方で、その作品は後の時代に様々な批判的な評価も受けることになった。
5.1. 同時代の人気と批評的評価
フェルナン・カバジェロは長年にわたり、スペインの作家の中で最も人気のある一人であった。1877年4月7日にセビリアで彼女が死去した際に巻き起こった騒動は、その真実性(彼女が国民的習慣や風俗の記録に関心を持つ読者を引きつけ続けたこと)が依然として読者を魅了していたことを証明した。
特に代表作の『ラ・ガビオタ』は、当時の批評家エウヘニオ・デ・オチョアからウォルター・スコットの好敵手と目されるほどの高い評価を受け、19世紀のスペイン文学において比類ないほど瞬時に、かつ普遍的な認知を獲得した。彼女の作品は、ほとんどのヨーロッパ言語に翻訳され、彼女の文学的な影響力が国際的に及んでいたことを示している。
5.2. 批判と歴史的評価
カトリック百科事典によると、フェルナン・カバジェロの後期作品は、その「原始的な素朴さと魅力を大いに犠牲にして」、過度に教訓的であると批判された。この評価は、彼女の作品が持つ本来の魅力が、特定の思想や道徳的な教訓を伝えようとする意図によって損なわれた可能性を示唆している。
彼女の作品とイデオロギーに対する歴史的評価は、彼女がスペインの古い秩序が新興の近代性によって乱される前の時代を描き、伝統的な価値観を擁護した点に注目している。彼女のリアリズムは、単なる写実的な描写に留まらず、彼女自身の保守的な信念が反映されたものであった。このため、後世の批評家は、その文学的功績を認めつつも、その思想的背景や教訓的傾向について客観的な分析を行っている。
6. 死去
フェルナン・カバジェロは、1877年4月7日にスペインのセビリアで死去した。彼女の死は、当時彼女が享受していた人気を証明するかのように、大衆に大きな反響を呼び、その生涯と文学的遺産に対する関心が改めて高まった。
7. 死後出版物
フェルナン・カバジェロの死後、彼女の文学的遺産をまとめるための出版物が行われた。彼女の作品は、『Colección de escritores castellanosコレクシオン・デ・エスクリトーレス・カステジャーノススペイン語』シリーズに『Obras completasオブラス・コンプレタススペイン語』(全集)として収録された。また、フェルナンド・デ・ガブリエル・ルイス・デ・アポダカによる有益な伝記が、『Últimas producciones de Fernán Caballeroウルティマス・プロドゥクシオネス・デ・フェルナン・カバジェロスペイン語』(セビリア、1878年)の巻頭に収録されている。これらの死後出版物は、彼女の作品を後世に伝える上で重要な役割を果たした。