1. 経歴
ホドリゴ・タバタは、そのサッカーキャリアを通じて複数のクラブを渡り歩き、特にブラジル、トルコ、そしてカタールでの活躍が知られている。彼のプレーは、技術的な才能と時に感情的な側面が特徴であり、各移籍は彼のキャリアの重要な節目となっている。
1.1. 初期
タバタは1980年11月19日にブラジルのサンパウロ州に位置するアラサトゥバで生まれた。彼は日系3世であり、祖父母が日本人であったことから、日本にルーツを持つ。プロサッカー選手としてのキャリアは、1999年から2003年の間に11もの異なるクラブを渡り歩く、いわゆる「ジャーニーマン」として始まった。この初期の期間には、パウリスタ(1999年、5試合2得点)、サンベント(2000年、7試合2得点)、サント・アンドレ(2001年、5試合1得点)、フェロヴィアーリオ-CE(2001年、5試合0得点)、インテル・デ・リメイラ(2001年、6試合4得点)、トレーゼ(2002年、7試合3得点)、GRセラーノ(2002年、2試合1得点)、セアラー(2002年、4試合2得点)、キンゼ・デ・ピラシカーバ(2003年、3試合7得点)、カンピネンセ(2003年、17試合4得点)、アメリカ-RN(2003年、5試合2得点)などが含まれる。
1.2. クラブ経歴
タバタのクラブキャリアは、ブラジルでの成長期を経て、トルコでの経験、そしてカタールでの長期にわたる成功へと発展した。
1.2.1. ブラジル時代
2004年、タバタはゴイアスに加入し、キャリアで初めてカンピオナート・ブラジレイロ・セリエAでプレーする機会を得た。彼の活躍は、2005年シーズンにクラブ史上最高となる3位という成績をもたらし、コパ・リベルタドーレスへの初出場権獲得に貢献した。
2006年には、複数のクラブからのオファーを断り、名門サントスへ移籍し、背番号10を背負った。サントスでは、2006年と2007年のカンピオナート・パウリスタで2連覇を達成した。この時期、彼のパフォーマンスは注目を集め、2010 FIFAワールドカップに向けて日本代表招集の噂が浮上することもあった。
1.2.2. トルコ時代
2008年、タバタはブラジルを離れ、トルコのガズィアンテプスポルに3年間の期限付き移籍で加入し、欧州での挑戦を開始した。ここでも背番号10を着用し、クラブの主力として成功を収めた。この活躍が認められ、2009-10シーズンにはベシクタシュへ800.00 万 EURの移籍金で完全移籍した。
しかし、この移籍はサントスとの間で論争を引き起こした。サントス側は、ガズィアンテプスポルが移籍を恒久化するための費用を支払っておらず、トルコのクラブ間での移籍手続きが完了する前に契約が結ばれたと主張したのである。この移籍金に関する透明性の欠如と、その後の支払いを巡る問題は、選手の移籍における権利と義務の遵守の重要性を浮き彫りにした。
ベシクタシュでは1シーズンをフルにプレーした後、2010年にカタールのアル・ラーヤンSCへ期限付き移籍し、翌2011年には完全移籍することとなった。

1.2.3. カタール時代
タバタはカタールでキャリアの大部分を過ごし、複数のクラブで重要な役割を果たした。
1.3. 代表経歴
長年にわたりカタールでプレーした結果、タバタはカタールに帰化し、カタール代表としてプレーする資格を得た。2015年8月には、カタール代表のオーストリア合宿に招集された。非公式なデビューは2015年8月17日に行われたオーストリアのクラブ、LASKリンツとの親善試合で果たされた。その後、FIFAワールドカップ予選の香港戦で正式な代表デビューを飾り、この試合は2対0で勝利した。タバタはカタール代表として2得点を記録している。
No. | 日付 | 会場 | 対戦相手 | 得点 | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2016年8月8日 | ジャシム・ビン・ハマド・スタジアム、ドーハ、カタール | イラク | 1-0 | 2-1 | 親善試合 |
2 | 2016年8月25日 | ジャシム・ビン・ハマド・スタジアム、ドーハ、カタール | タイ | 2-0 | 3-0 | 親善試合 |
2. プレースタイルと人物像
ホドリゴ・タバタは主にミッドフィールダーとして、特にトップ下のポジションでその能力を最大限に発揮する。彼のプレースタイルは、積極的なボールへの関与と前線への推進力が特徴であり、パサーとしての視野の広さや、正確なフリーキックの技術も高く評価されている。
一方で、タバタの人物像は、一般的に勤勉で温厚と認識される日系ブラジル人のステレオタイプとは異なる側面を持つ。彼は試合中に感情を表に出すことが多く、時に激しいプレーや審判への抗議によって警告を受けることも少なくなかった。このような気性の荒さは、彼のプレーにおける情熱の裏返しであるとも言えるが、フェアプレーの精神に反する行為として批判の対象となることもあった。
ブラジル代表の層の厚さから代表入りの可能性が低いと感じていた彼は、日本国籍を取得して日本代表としてワールドカップに出場することに意欲を示した時期もあった。これはNHKの特集でも取り上げられたが、最終的にはカタール国籍を取得し、同国代表として国際舞台で活躍することを選んだ。彼のこの選択は、サッカー選手のキャリアパスにおける国籍や代表チームの選択の複雑さを象徴している。
3. 批判と論争
ホドリゴ・タバタのキャリアには、いくつかの批判や論争が伴った。主なものとしては、トルコでの移籍を巡る問題と、彼のプレースタイルに起因するものが挙げられる。
ベシクタシュへの移籍時、サントスはガズィアンテプスポルから移籍金を支払われていないと主張し、移籍手続きの透明性に疑義を呈した。このような移籍金に関する紛争は、サッカー界における契約の複雑さと、それに伴う利害関係者間の摩擦を浮き彫りにする。特に、選手の権利や所属クラブへの正当な対価が確保されない可能性は、業界全体の信頼性に関わる問題として、常に注意深く検証されるべきである。
また、彼の情熱的で積極的なプレースタイルは、時にラフプレーや審判への感情的な抗議につながり、警告を受けることが少なくなかった。この側面は、選手としての強い勝利への意欲を示すものとして評価される場合もあるが、同時にスポーツマンシップの観点からは批判の対象となることもあった。感情のコントロールは、プロフェッショナルな選手に求められる重要な資質の一つであり、彼のキャリアにおけるこの側面は、勝利への執着と規律遵守のバランスという点で議論を呼んだ。
4. キャリア統計
タバタのクラブおよび国家代表チームでの公式戦出場記録と得点、アシストは以下の通りである。
クラブ | シーズン | リーグ | 国内カップ | 大陸大会 | その他 | 合計 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ディビジョン | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |||
トレーゼ | 2002 | セリエC | 2 | 0 | - | 2 | 2 | 4 | 2 | ||||
キンゼ・デ・ピラシカーバ | 2003 | セリエA3 | 3 | 1 | 0 | 0 | - | - | 3 | 1 | |||
アメリカ(RN) | 2003 | セリエB | 5 | 2 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 5 | 2 | ||
カンピネンセ | 2003 | セリエC | 17 | 4 | 0 | 0 | - | 8 | 5 | 25 | 9 | ||
ゴイアス | 2004 | セリエA | 37 | 10 | 5 | 1 | 4 | 2 | 14 | 9 | 60 | 22 | |
2005 | 39 | 8 | 0 | 0 | 2 | 0 | 12 | 4 | 53 | 12 | |||
合計 | 76 | 18 | 5 | 1 | 6 | 2 | 26 | 13 | 113 | 34 | |||
サントス | 2006 | セリエA | 36 | 8 | 5 | 0 | 4 | 0 | 18 | 2 | 63 | 10 | |
2007 | 37 | 7 | 0 | 0 | 10 | 1 | 20 | 4 | 67 | 12 | |||
2008 | 6 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 11 | 1 | 21 | 1 | |||
合計 | 79 | 15 | 5 | 0 | 18 | 1 | 49 | 7 | 151 | 23 | |||
ガズィアンテプスポル | 2008-09 | スュペル・リグ | 26 | 11 | 5 | 2 | - | - | 31 | 13 | |||
2009-10 | 3 | 1 | 0 | 0 | - | - | 3 | 1 | |||||
合計 | 29 | 12 | 5 | 2 | - | - | 34 | 14 | |||||
ベシクタシュ | 2009-10 | スュペル・リグ | 16 | 2 | 2 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 21 | 2 | |
2010-11 | 14 | 0 | 3 | 0 | 10 | 0 | - | 27 | 0 | ||||
合計 | 30 | 2 | 5 | 0 | 13 | 0 | 0 | 0 | 48 | 2 | |||
アル・ラーヤン (loan) | 2010-11 | QSL | 11 | 7 | 3 | 4 | 4 | 0 | 1 | 0 | 19 | 11 | |
アル・ラーヤン | 2011-12 | QSL | 21 | 17 | 1 | 0 | 6 | 3 | 4 | 5 | 32 | 25 | |
2012-13 | 22 | 11 | 3 | 1 | 4 | 1 | 7 | 3 | 36 | 16 | |||
2013-14 | 16 | 4 | 0 | 0 | - | 5 | 6 | 21 | 10 | ||||
2014-15 | QSD | 8 | 21 | 4 | 4 | - | 7 | 5 | 19 | 30 | |||
2015-16 | QSL | 24 | 21 | 2 | 3 | - | 1 | 0 | 27 | 24 | |||
2016-17 | 24 | 20 | 3 | 4 | 6 | 4 | 2 | 0 | 35 | 28 | |||
2017-18 | 21 | 15 | 3 | 3 | 5 | 2 | 6 | 2 | 35 | 22 | |||
2018-19 | 20 | 9 | 2 | 1 | 6 | 1 | 7 | 6 | 35 | 17 | |||
2019-20 | 16 | 4 | 2 | 1 | 1 | 0 | 5 | 4 | 24 | 9 | |||
合計 | 172 | 122 | 20 | 17 | 28 | 11 | 44 | 31 | 264 | 181 | |||
アル・サッド (loan) | 2013-14 | QSL | 7 | 5 | 3 | 2 | 7 | 2 | 3 | 1 | 20 | 10 | |
アル・サッド (loan) | 2014-15 | QSL | 15 | 8 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 1 | 18 | 9 | |
アル・サッド | 2019-20 | QSL | 4 | 1 | 1 | 0 | 5 | 1 | 1 | 1 | 11 | 3 | |
2020-21 | 21 | 11 | 3 | 0 | 3 | 0 | 7 | 3 | 34 | 14 | |||
2021-22 | 21 | 7 | 3 | 1 | 5 | 3 | - | 29 | 11 | ||||
2022-23 | 13 | 4 | 3 | 0 | 0 | 0 | 6 | 3 | 22 | 7 | |||
合計 | 81 | 36 | 13 | 3 | 22 | 6 | 18 | 9 | 134 | 54 | |||
アル・ラーヤン | 2023-24 | QSL | 14 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 22 | 3 | |
2024-25 | 10 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 6 | 2 | 18 | 2 | |||
合計 | 24 | 2 | 3 | 0 | 2 | 0 | 11 | 3 | 40 | 5 | |||
キャリア通算 | 528 | 222 | 61 | 27 | 93 | 20 | 159 | 70 | 841 | 339 |
5. 獲得タイトル
ホドリゴ・タバタがプロ選手としてクラブおよび個人で獲得した主要なタイトルや賞は以下の通りである。
;クラブ
- サントス
- カンピオナート・パウリスタ: 2006年、2007年
- アル・ラーヤン
- カタール・スターズリーグ: 2015-16シーズン
- エミールカップ: 2013年
- シェイク・ジャシムカップ: 2012年、2013年、2018年
- アル・サッド
- カタール・スターズリーグ: 2020-21シーズン、2021-22シーズン
- カタール・カップ: 2020年、2021年
- エミールカップ: 2014年、2020年、2021年
- シェイク・ジャシムカップ: 2014年
;個人
- カタール・スターズリーグ年間最優秀選手賞: 2011-12シーズン、2015-16シーズン
- カタール・スターズリーグ得点王: 2015-16シーズン
6. 外部リンク
- [https://web.archive.org/web/20071224151412/http://santos.globo.com/futebol_jogador.php?cod=356 santos.globo.com]
- [http://en.sambafoot.com/players/1163_Rodrigo_Tabata.html sambafoot]
- [http://www.gaziantep27.net/?id=20472&habertip=7 gaziantep27.net]