1. 生涯と背景
1.1. 出生と幼少期
ミゲル・ポルラン・ノゲーラことチェンドは、1961年10月12日にスペインのムルシア州トターナで生まれた。幼少期については詳細は少ないが、後にスペインサッカー界のトップクラブであるレアル・マドリードへと進むことになる、その才能の片鱗は幼い頃から見せていたと推測される。
1.2. レアル・マドリードユースおよび初期のプロキャリア
チェンドは15歳の時にレアル・マドリードの下部組織に加入し、そこで5年間を過ごした。若くしてその才能を認められ、着実にステップアップしていった。
トップチームでの公式戦デビューは1982年4月11日、CDカステリョンとの試合で、チームは2-1で勝利を収めた。続く1982-83シーズンにはリーグ戦で2試合に出場している。
1983-84シーズンの序盤、右サイドバックのレギュラーであったフアン・ホセが負傷したことで、チェンドにスターティングメンバーとして出場する機会が巡ってきた。フアン・ホセが負傷から復帰すると、チェンドは一時的にベンチに戻ったものの、シーズン終盤には再びレギュラーの座を確保し、このシーズンを通して公式戦26試合に出場した。この経験は、彼のプロキャリアにおける重要な転機となった。
2. クラブキャリア
2.1. 主力への躍進と全盛期
チェンドはレアル・マドリード加入4年目の1984-85シーズンにレギュラーの座を確立した。このシーズン、彼はリーグ戦25試合、UEFA主催の欧州カップ戦11試合に出場した。チームはシーズン終盤にハンガリーのフェヘールヴァールFCを破りUEFAカップを制覇したほか、同じマドリードを本拠地とするライバル、アトレティコ・マドリードとのコパ・デ・ラ・リーガ決勝でも合計スコア4-3で勝利し優勝を飾った。チェンドは両方の決勝戦で先発出場し、チームの勝利に貢献している。
その後の8シーズンにわたり、チェンドは不動の右サイドバックとして、合計320の公式戦のうち297試合に先発出場した。この時期、レアル・マドリードはエミリオ・ブトラゲーニョ、ミチェル、マヌエル・サンチス、マルティン・バスケス、ミゲル・パルデサらを擁する「キンタ・デル・ブイトレ」と呼ばれた黄金時代を迎え、リーガ・エスパニョーラで5連覇を達成するなど、国内外で多くのタイトルを獲得した。チェンドは快足を活かして度々サイドから攻撃参加し、チャンスを創出。また守備ではカバーリングに長け、ディエゴ・マラドーナのような世界的なスター選手をマークするなどの重要な役割も任された。
2.2. 後期キャリアと引退
しかし、1992年から1995年にかけて、ナンド、ルイス・エンリケ、パコ・リョレンテ、そして後にキケ・サンチェス・フローレス、カルロス・セクレタリオ、クリスティアン・パヌッチといった新たな選手たちの台頭により、チェンドは徐々に出場機会を減らした。この間、リーグ戦での出場はわずか34試合にとどまった。
1995-96シーズンにはリーグ戦23試合に出場したものの、以前のような不動のレギュラーではなくなっていた。彼はチームの精神的支柱であり、ベンチのリーダーとしてその経験と存在感でチームを支えたが、先発出場する機会はますます少なくなった。
チェンドの最後のシーズンは1997-98シーズンとなった。このシーズン、レアル・マドリードはUEFAチャンピオンズリーグを制覇したが、チェンドの同大会での出場は1997年11月27日のローゼンボリBK戦のみであった。1998年5月20日、チームがユヴェントスFCを破り7度目の欧州制覇を果たした際、チェンドは決勝戦には出場しなかったものの、チームの一員として栄光を分かち合った。この後、彼は37歳を目前に現役を引退した。
チェンドは、サンティアゴ・ベルナベウに次いで2人目となる、レアル・マドリード一筋でプレーした「ワン・クラブ・マン」として、その忠誠心と貢献がクラブの歴史に深く刻まれている。
2.3. 引退後の活動
現役引退後、チェンドはすぐにレアル・マドリードに残り、試合責任者としてクラブの運営に携わるようになった。この職務を20年以上にわたって務めており、選手時代と変わらぬ献身的な姿勢でクラブを支え続けている。
2011年5月には、故郷ムルシア州が地震に見舞われた際、復興支援のためのチャリティーマッチ(レアル・マドリード対ムルシア選抜)が開催された。この試合でチェンドは、リカルド・カルヴァーリョの背番号2のユニフォームを着て10分間ピッチに立ち、サプライズ登場で観客を沸かせた。これは、現役引退から13年ぶりのプレーであり、彼のムルシアへの思いとクラブへの変わらぬ愛情を示す出来事となった。
3. 代表キャリア
3.1. 代表デビューと主要国際大会出場
チェンドはスペイン代表として26キャップを獲得した。代表デビューは1986年1月22日、カナリア諸島ラスパルマスで行われたソビエト連邦代表との親善試合であった。
彼は2度のFIFAワールドカップに出場している。1986 FIFAワールドカップではアトレティコ・マドリードのトマスのバックアップを務めた。続く1990 FIFAワールドカップでは先発メンバーとして出場し、両大会合わせて合計5試合に出場した。これらの国際舞台での経験は、彼の選手としての幅を広げ、スペイン代表の一員としての貢献を確固たるものにした。
4. 個人生活
4.1. 悲劇的な出来事
1986年7月2日、24歳だったチェンドはキンタナール・デ・ラ・オルデン付近で自動車事故に遭った。この事故で、生後1か月の息子ミゲルを亡くすという悲劇に見舞われた。チェンドと彼の妻は無傷であったが、同乗していた義理の兄弟は右腕と肘を骨折する重傷を負った。この出来事は、彼の人生に深い影を落とすことになったが、チェンドはその後もプロフェッショナルとしてキャリアを全うし、その強靭な精神力と家族への愛情を示した。
5. プレースタイルと評価
5.1. プレースタイル
チェンドは、右サイドバックとしてその「快足」を武器にしていた。彼は単なる守備的な選手にとどまらず、そのスピードを活かして頻繁にサイドから攻撃に加わり、チームのチャンスメイクに貢献した。また、守備面においても、広範囲をカバーする能力に長けており、特に重要な試合では、当時世界最高の選手の一人であったディエゴ・マラドーナのような相手チームの危険な選手をマークする大役を任されることもあった。彼の堅実な守備と効果的な攻撃参加は、レアル・マドリードの黄金期を支える上で不可欠な要素であった。
5.2. 評価と遺産
チェンドは、そのプロフェッショナルな姿勢、献身性、そして何よりもレアル・マドリード一筋でキャリアを全うした「ワン・クラブ・マン」としての忠誠心によって高く評価されている。彼の長きにわたるキャリアと数々のタイトル獲得への貢献は、クラブの歴史に深く刻まれており、特に「キンタ・デル・ブイトレ」時代の成功は彼の遺産の一部として語り継がれている。
彼のプレースタイルは派手ではなかったかもしれないが、その堅実さと信頼性はチームにとって不可欠であり、「栄光の裏には謙虚な貢献者がいる」という評価がしばしばされる。チェンドは、技術的な才能だけでなく、リーダーシップと献身性でチームを支え続けた選手として、レアル・マドリードの「伝説の選手」の一人に数えられている。彼の遺産は、現代の選手たちにも、クラブへの忠誠心とプロフェッショナルな姿勢の模範として影響を与え続けている。
6. 統計
チェンドの選手キャリア中に記録した主要な試合統計データを以下に示す。
クラブ | シーズン | 国内リーグ | 国内カップ (コパ・デル・レイ、コパ・デ・ラ・リーガ) | 欧州カップ (UEFAチャンピオンズカップ、UEFAカップ) | その他 | 通算 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
レアル・マドリード | 1981-82 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
1982-83 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | |
1983-84 | 21 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 26 | 0 | |
1984-85 | 25 | 0 | 7 | 0 | 11 | 0 | 0 | 0 | 43 | 0 | |
1985-86 | 30 | 0 | 5 | 0 | 10 | 0 | 0 | 0 | 45 | 0 | |
1986-87 | 40 | 0 | 6 | 0 | 8 | 0 | 0 | 0 | 54 | 0 | |
1987-88 | 31 | 1 | 7 | 0 | 8 | 0 | 0 | 0 | 46 | 1 | |
1988-89 | 26 | 0 | 7 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 38 | 0 | |
1989-90 | 37 | 1 | 5 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 46 | 1 | |
1990-91 | 36 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 41 | 0 | |
1991-92 | 37 | 0 | 7 | 0 | 10 | 0 | 0 | 0 | 54 | 0 | |
1992-93 | 12 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 18 | 0 | |
1993-94 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 13 | 0 | |
1994-95 | 10 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 12 | 1 | |
1995-96 | 23 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 29 | 0 | |
1996-97 | 16 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 18 | 0 | |
1997-98 | 4 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | |
通算 | 363 | 3 | 58 | 0 | 70 | 0 | 1 | 0 | 497 | 3 |
7. 獲得タイトル
チェンドが選手キャリア中に獲得したチームとしての主要タイトルは以下の通り。
レアル・マドリード
- ラ・リーガ: 7回(1985-86、1986-87、1987-88、1988-89、1989-90、1994-95、1996-97)
- コパ・デル・レイ: 2回(1988-89、1992-93)
- コパ・デ・ラ・リーガ: 1回(1985)
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ: 5回(1988、1989、1990、1993、1997)
- UEFAチャンピオンズリーグ: 1回(1997-98)
- UEFAカップ: 2回(1984-85、1985-86)
- コパ・イベロアメリカーナ: 1回(1994)