1. 来歴
メフルダード・ミーナーヴァンドは、イランのサッカー界で顕著な足跡を残し、そのキャリアは国内外の複数のクラブとイラン代表での活躍に彩られている。
1.1. 出身および幼少期
ミーナーヴァンドは1975年11月30日にテヘランで生まれた。幼少期からサッカーに親しみ、ユース時代はアータシュ・ネシャーニーでプレーし、その才能を磨いた。身長は183 cm、体重は80 kgであった。
1.2. 初期キャリア
プロサッカー選手としてのキャリアは、ケシャーヴァルズFCで始まった。このクラブでの経験が、彼のその後の飛躍の礎となった。
1.3. クラブでのキャリア
ミーナーヴァンドは、イラン国内の主要クラブだけでなく、ヨーロッパや中東のクラブでもプレーした。
彼はまずペルセポリスFCに所属し、1995年から1998年までプレーした。この期間に、チームはイランリーグで2度の優勝(1995-96シーズン、1996-97シーズン)を経験した。
1998年からはオーストリアのSKシュトゥルム・グラーツに移籍し、2001年まで在籍した。シュトゥルム・グラーツでは、オーストリア・ブンデスリーガで1998-99シーズンに優勝、オーストリア・カップでも1998-99シーズンに優勝し、さらにオーストリア・スーパーカップでも1998年と1999年にタイトルを獲得するなど、多くの成功を収めた。特に、UEFAチャンピオンズリーグでは21試合に出場し、これはイラン人選手としての歴代最多出場記録となっている。
その後、ベルギーのR・シャルルロワSC(2001-02シーズン)、アラブ首長国連邦のアル・シャバーブ(2002年)で短期間プレーした。
2002年には古巣のペルセポリスFCに復帰し、2004年までプレーした。その後、セパーハーン(2004-05シーズン)を経て、2005-06シーズンにはラーフ・アーハンFCでプレーし、このシーズンを最後に現役を引退した。
1.4. 代表でのキャリア
ミーナーヴァンドは1996年から2002年までサッカーイラン代表として活躍した。国際Aマッチには通算68試合に出場し、4得点を記録している。
彼の代表キャリアのハイライトは、1998 FIFAワールドカップへの出場である。この大会ではグループリーグの全3試合に出場し、イラン代表の歴史的な舞台で重要な役割を果たした。
1.5. プレースタイルとポジション
ミーナーヴァンドは主に左サイドのミッドフィールダーとしてプレーしたが、その多才さから左ウイングや左サイドバックとしても起用された。彼のプレースタイルは、左サイドからの攻撃的な突破力と、堅実な守備を兼ね備えていた。
2. 個人成績
ミーナーヴァンドのクラブおよび代表での通算成績は以下の通りである。
クラブ | シーズン | リーグ | カップ | 大陸大会 | その他 | 合計 | ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ディヴィジョン | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||||||
ペルセポリス | 1995-96 | アーザデガン・リーグ | 30 | 4 | 30 | 4 | ||||||||||||
1996-97 | 31 | 5 | 31 | 5 | ||||||||||||||
1997-98 | 28 | 4 | 28 | 4 | ||||||||||||||
合計 | 89 | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 89 | 13 | ||||||||
SKシュトゥルム・グラーツ | 1998-99 | オーストリア・ブンデスリーガ | 17 | 0 | 2 | 1 | 3 | 0 | 1 | 0 | 23 | 1 | ||||||
1999-00 | 23 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 28 | 0 | ||||||||||
2000-01 | 27 | 1 | 0 | 0 | 13 | 0 | 40 | 1 | ||||||||||
合計 | 67 | 1 | 2 | 1 | 21 | 0 | 1 | 0 | 91 | 2 | ||||||||
シャルルロワ | 2001-02 | ベルギー・ファーストディビジョンA | 2 | 0 | 0 | 0 | - | 2 | 0 | |||||||||
ペルセポリス | 2002-03 | プロリーグ | 8 | 0 | 8 | 0 | ||||||||||||
2003-04 | 11 | 0 | - | 11 | 0 | |||||||||||||
合計 | 19 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 19 | 0 | ||||||||
セパーハーン | 2004-05 | プロリーグ | 19 | 0 | - | 19 | 0 | |||||||||||
キャリア通算 | 196 | 14 | 2 | 1 | 21 | 0 | 1 | 0 | 220 | 15 |
代表チーム | 年 | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
イラン | |||
1996 | 7 | 1 | |
1997 | 16 | 2 | |
1998 | 10 | 0 | |
1999 | 3 | 0 | |
2000 | 12 | 0 | |
2001 | 16 | 1 | |
2002 | 4 | 0 | |
合計 | 68 | 4 |
得点記録は、イランの得点を先に記載し、ミーナーヴァンドの各得点後のスコアを示す。
No. | 日付 | 会場 | 対戦相手 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1996年12月8日 | マクトゥーム・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム・スタジアム、ドバイ、アラブ首長国連邦 | タイ | 2-0 | 3-1 | 1996 AFCアジアカップ |
2 | 1997年6月2日 | アッバーシイーン・スタジアム、ダマスカス、シリア | モルディブ | 17-0 | 17-0 | 1998 FIFAワールドカップ・アジア予選 |
3 | 1997年6月4日 | アッバーシイーン・スタジアム、ダマスカス、シリア | キルギス | 5-0 | 7-0 | |
4 | 2001年10月31日 | アル・ナヒヤーン・スタジアム、アブダビ、アラブ首長国連邦 | アラブ首長国連邦 | 3-0 | 3-0 | 2002 FIFAワールドカップ・アジア予選(プレーオフ) |
3. 受賞歴・タイトル
ミーナーヴァンドはプロキャリアを通じて、以下のタイトルと個人賞を獲得した。
ペルセポリス
- イランリーグ:
- 1995-96シーズン
- 1996-97シーズン
SKシュトゥルム・グラーツ
- オーストリア・ブンデスリーガ:
- 1998-99シーズン
- オーストリア・カップ:
- 1998-99シーズン
- オーストリア・スーパーカップ:
- 1998年
- 1999年
個人
- AFCアジアカップトーナメントベストイレブン:
- 1996年
4. 引退後の活動
現役引退後、ミーナーヴァンドはサッカー界に留まらず、新たなキャリアを築いた。2009年にはペルセポリスFCのBチームでアシスタントコーチを務め、後進の指導にあたった。
また、彼はポップシンガーとしても活動し、その歌声で多くのファンを魅了した。サッカー選手としての名声に加え、アーティストとしての才能も発揮し、国民的な人気を博した。
5. 死去
2021年1月21日、ミーナーヴァンドは新型コロナウイルスに感染し、病院に入院した。その後、6日間の闘病の末、同年1月27日に45歳で死去した。彼の突然の死は、イランのサッカー界や国民に大きな悲しみをもたらした。
6. 評価と影響
メフルダード・ミーナーヴァンドは、イランサッカー界における重要な人物の一人として記憶されている。特に1998 FIFAワールドカップでの活躍は、イラン代表が国際舞台で存在感を示す上で不可欠なものであり、国民に大きな誇りをもたらした。彼のプレーは多くの若手選手に影響を与え、イランサッカーの発展に貢献した。
また、引退後にポップシンガーとして活動したことは、彼が単なるスポーツ選手に留まらない、多才な国民的ヒーローであったことを示している。彼の死は、サッカーファンだけでなく、音楽ファンや一般市民にも深く悼まれ、その存在がイラン社会に与えた影響の大きさを物語っている。