1. 概要
ルーサー・ハルシー・ギューリック(Luther Halsey Gulickルーサー・ハルシー・ギューリック英語、1892年 - 1993年)は、アメリカ合衆国の著名な行政学者であり、公共行政の専門家として知られています。彼は、政府の役割と効率的な公共行政が社会の発展と経済の安定を追求する上で不可欠であるという観点から、その生涯を通じて多大な貢献をしました。特に、行政管理の機能を体系化したPOSDCORB理論の創始者として、またフランクリン・デラノ・ローズヴェルト政権下での行政改革への関与や、ニューヨーク市の行政官としての実務経験を通じて、理論と実践の両面から行政学の発展に寄与しました。第二次世界大戦後にはケインズ主義経済政策を擁護し、政府による積極的な経済介入が社会の安定と福祉増進に繋がるという思想を広めました。
2. 生涯
ルーサー・ハルシー・ギューリックの生涯は、学術と公共サービスに捧げられ、特に効率的な行政を通じて社会の発展に貢献するという彼の信念が強く反映されていました。
2.1. 出生と背景
ギューリックは1892年1月17日に日本の大阪で生まれました。彼の父は会衆派教会の宣教師であったシドニー・ルイス・ギューリック(1860年 - 1945年)で、母はクララ・メイ(フィッシャー)・ギューリックでした。ギューリック家は宣教師の家系として知られ、彼の曽祖父ピーター・ジョンソン・ギューリック(1796年 - 1877年)は、ハワイ王国で初めて布教を行った宣教師の一人でした。また、彼の祖父である同名のルーサー・ハルシー・ギューリック・シニア(1828年 - 1891年)も宣教師でした。さらに、彼には同名の叔父であるルーサー・ハルシー・ギューリック・ジュニア(1865年 - 1918年)がおり、彼は医師であり、YMCAに関わりながら体育学者としても活躍し、キャンプファイアUSAを設立した人物として知られています。
2.2. 教育
ギューリックは1914年にオーバリン大学を卒業しました。その後、コロンビア大学に進学し、1920年にPh.D.(博士号)を取得しました。彼の学術的な基盤は、後の行政学における理論的貢献の礎となりました。
3. 経歴と活動
ルーサー・ギューリックの専門的な経歴は、学術機関での教育・研究活動と、政府機関での公職経験という二つの側面から構成されています。彼は理論と実践を結びつけ、行政の効率化と政府の機能強化に尽力しました。
3.1. 学術的経歴
ギューリックは1931年から1942年までコロンビア大学で教鞭を執り、市政科学・行政学のイートン教授に任命されました。また、彼は1921年にコロンビア大学に付属するニューヨーク行政学研究所(Institute of Public Administration)の所長に就任し、1962年までその職を務めました。その後、1962年から1982年まで同研究所の理事長を務め、長きにわたり行政学の研究と教育を主導しました。同研究所は、初期にはニューヨーク市行政調査局として知られていました。
3.1.1. 公職および政府顧問
ギューリックは、学術的な活動と並行して、公的部門においても重要な役割を果たしました。1936年から1938年にかけて、彼はフランクリン・デラノ・ローズヴェルト大統領直属の行政管理委員会(通称ブラウンロー委員会)の3人の委員の一人として活動しました。この委員会は、連邦政府の行政組織を再編することを目的としており、ギューリックは1937年に大統領によって連邦政府の行政部門の再編を担当するよう任命されました。
また、1954年から1956年まで、彼はニューヨーク市の市政行政官を務めました。この経験を通じて、彼は自身の行政理論を実務に応用し、都市行政の効率化に貢献しました。
4. 主要な業績と思想
ルーサー・ギューリックは、行政学の分野において中心的な貢献を果たし、その理論的功績と思想的背景は、現代の公共行政にも大きな影響を与えています。彼は、政府が社会発展と経済安定を達成するための手段として、効率的な行政の重要性を強調しました。
4.1. POSDCORB理論
ギューリックは、行政管理における最高責任者の主要な機能を7つの要素に分類し、その頭文字を取って「POSDCORB理論」という概念を提唱しました。この頭字語は、以下の機能を表しています。
- P**lanning(計画):目標を設定し、それを達成するための行動方針を策定すること。
- O**rganizing(組織):組織構造を確立し、権限と責任を割り当てること。
- S**taffing(人事):適切な人材を確保し、配置し、育成すること。
- D**irecting(指揮):決定を下し、それを実行に移すよう指示すること。
- Co**-ordinating(調整):組織内の様々な活動や部門間の連携を確保すること。
- R**eporting(報告):活動の進捗状況を関係者に報告し、情報共有を行うこと。
- B**udgeting(予算):財政計画を立て、資源を効果的に配分すること。
この理論は、行政組織がプロジェクトに取り組む際のアプローチを反映しており、行政管理の普遍的な原則として広く認識されています。ギューリックは、ニューヨーク行政学研究所やニューヨーク市行政調査局といった自身の組織における経験を通じて、これらの機能が相互に関連し、効率的な運営に不可欠であると主張しました。
4.2. 行政理論
ギューリックは、政治と行政の関係についても独自の視点を持っていました。彼が活動していた時代は、政治と行政を厳密に分離する「政治行政二元論」が主流でしたが、ギューリックは両者を区別することは不可能であると主張しました。彼は、行政は単なる技術的な活動ではなく、政策決定と密接に結びついていると考え、両者の不可分性を強調しました。
また、ギューリックは行政の価値体系において「効率性」を第一の公理(number one axiom)として位置づけました。彼は、行政の目的は社会資源を最大限に活用し、最小限のコストで最大限の成果を上げることにあると考え、そのための組織管理と運営の効率化を追求しました。この思想は、政府が公共サービスを効果的に提供し、社会全体の福祉を向上させる上で、効率的な行政が不可欠であるという彼の信念を裏付けています。
4.2.1. 経済政策への影響
ギューリックは、経済政策の分野においても重要な貢献をしました。第二次世界大戦中、彼は経済学者アルヴィン・ハンセンと共に、戦後の完全雇用を促進するためのケインズ主義政策を強く擁護しました。彼らの働きかけは、ジョン・メイナード・ケインズ自身が戦後の国際経済計画の策定に協力するきっかけとなり、その計画には自由貿易への相当な重点が含まれていました。
この貢献は、政府が経済に積極的に介入することで、社会の安定と福祉の増進を図るという彼の思想と深く結びついています。ギューリックは、単に行政機構の効率化を追求するだけでなく、その効率化がより広範な社会経済的目標、すなわち完全雇用や経済安定の達成に資するべきであると考えていました。
5. 著作
ルーサー・ハルシー・ギューリックの主要な著作と論文は以下の通りです。これらの著作は、彼の行政学および経済政策における思想と貢献を体系的に示しています。
- 『マサチューセッツ州における予算の進化』(Evolution of the Budget in Massachusettsエボリューション・オブ・ザ・バジェット・イン・マサチューセッツ英語、1920年)
- 『行政科学に関する論文集』(Papers on the Science of Administrationペーパーズ・オン・ザ・サイエンス・オブ・アドミニストレーション英語、リンドール・アーウィックと共編、1937年)
- この論文集には、彼の代表的な論文である「組織理論に関する覚書」(Notes on the Theory of Organizationノーツ・オン・ザ・セオリー・オブ・オーガニゼーション英語)と「科学、価値、公共行政」(Science, values and public administrationサイエンス・バリューズ・アンド・パブリック・アドミニストレーション英語)が収録されています。
- 『第二次世界大戦からの行政的考察』(Administrative Reflections from World War IIアドミニストレイティブ・リフレクションズ・フロム・ワールド・ウォー・ツー英語、1948年)
- 『アメリカの森林政策』(American Forest Policyアメリカン・フォレスト・ポリシー英語、1951年)
- 『大都市問題とアメリカの思想』(The Metropolitan Problems and American Ideasザ・メトロポリタン・プロブレムズ・アンド・アメリカン・アイデアズ英語、1966年)
6. 個人生活
ルーサー・ハルシー・ギューリックは生涯に二度結婚しました。最初の妻はヘレン・スウィフトで、彼女は1969年に亡くなりました。その後、彼はキャロル・W・モフェットと再婚しましたが、モフェットも1989年に亡くなりました。彼にはルーサー・ハルシー・ギューリック・ジュニアとクラレンス・ギューリックという二人の子供がいました。
7. 死去
ルーサー・ハルシー・ギューリックは、1993年1月10日にバーモント州グリーンズボロで死去しました。享年100歳でした。
8. 評価と遺産
ルーサー・ハルシー・ギューリックは、20世紀の行政学において最も影響力のある人物の一人として評価されています。彼の提唱したPOSDCORB理論は、行政管理の基本的な枠組みとして世界中の行政学研究者や実務家に広く受け入れられ、現在でも組織運営の指針として参照されることがあります。
彼はまた、政治と行政の分離という当時の主流な見解に対し、両者の不可分性を主張することで、行政が単なる技術的な活動ではなく、政策形成と密接に関わるものであるという認識を深めました。効率性を行政の第一の価値と位置づけた彼の思想は、公共サービスの提供における費用対効果の追求という現代行政の課題にも通じるものです。
第二次世界大戦後のケインズ主義経済政策の擁護は、政府が経済の安定と社会福祉の向上に積極的に関与すべきであるという現代国家の役割を先見的に捉えたものであり、彼の貢献は行政学の枠を超えて経済政策にも及んでいます。ギューリックの業績は、効率的で責任ある政府が社会の発展に不可欠であるという彼の信念を体現しており、その遺産は今日の公共行政の議論においても重要な位置を占めています。
9. 関連事項
- 行政学
- POSDCORB
- 日本行政学会