1. 生涯と背景
1.1. 出生と幼少期
ヴォルフハルト・パネンベルクは1928年10月2日、当時ドイツ領のシュテッティン(現ポーランド領シュチェチン)で生まれた。父親は税関吏であり、転勤が多かったため、幼少期から頻繁に引っ越しを経験し、1942年にはベルリンに移り住んだ。パネンベルクは幼児洗礼を受けて福音主義教会(ルター派教会)に属していたが、両親が教会から距離を置いていたため、幼少期には教会との接点がほとんどなかった。
10代の頃、彼はフリードリヒ・ニーチェの思想に深く傾倒し、当初はキリスト教に対して批判的な見解を持っていた。しかし、16歳頃(1944年)に「光の体験」と彼が後に呼ぶ強烈な宗教的経験をしたことで、その理解を深めるために偉大な哲学者や宗教思想家の著作を読み漁るようになった。第二次世界大戦中に告白教会の一員であった高校の文学教師の勧めもあり、キリスト教を深く探求した結果、「知的改心」に至り、キリスト教が最も優れた宗教的選択肢であると結論付けた。この経験が、彼を神学者としての道へと導いた。1944年にはドイツ国防軍に徴兵され、1945年には短期間ながらイギリスで捕虜生活を経験した。
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1.2. 学業と初期の経歴
パネンベルクはベルリン大学、ゲッティンゲン大学、ハイデルベルク大学、そしてバーゼル大学で神学を学んだ。バーゼル大学では、著名な神学者カール・バルトの指導を受けた。1953年、ハイデルベルク大学でエドムント・シュリンクの指導のもと、ドゥンス・スコトゥスの予定説に関する博士論文を執筆し、翌1954年に出版した。1955年には、類比と啓示の関係、特に神の知識における類比の概念を扱った教授資格論文を執筆した(この論文は2007年に出版された)。
ハイデルベルク大学では、旧約聖書学者ゲルハルト・フォン・ラートの門下生たちと共に「パネンベルク・サークル」を結成した。このサークルのメンバーには、パネンベルクのほか、ロルフ・レントルフ、トゥルッツ・レントルフ、ウルリッヒ・ヴィルケンス、クラウス・コッホ、D・レスラー、M・エルゼらがいた。彼らが共同で執筆した論文集『歴史としての啓示』(1961年)は、パネンベルク独自の歴史神学を展開する上での出発点となり、彼の初期の思想を知る上で必読の書とされている。
1956年7月には、ハイデルベルクの聖ペトロ教会で牧師に招聘された。その後、1958年から1961年までKirchliche Hochschule Wuppertalヴッパータール神学大学ドイツ語で、1961年から1968年までマインツ大学で組織神学の教授を務めた。この間、1963年にはシカゴ大学、1966年にはハーバード大学、1967年にはクレアモント神学校で客員教授として教鞭を執るなど、アメリカの大学にも複数回招かれた。1968年からはミュンヘン大学の組織神学教授に就任し、1993年に引退するまでその職を務めた。
パネンベルクは2014年9月4日、ミュンヘンで85歳で死去した。彼はそのキャリアを通じて非常に多作な著述家であり、2008年12月時点でミュンヘン大学のウェブサイトには645の学術論文が掲載されていた。

2. 神学思想
パネンベルクの神学は、啓示、キリスト論、神学の学術性といった中核的な概念を中心に展開された。彼は同時代の神学者や哲学者との対話を重視し、特に歴史哲学や科学哲学の成果を積極的に取り入れた。
2.1. 歴史としての啓示
パネンベルク神学の核心は、啓示が神の直接的な顕現ではなく、歴史的行為を通じて間接的に行われるという概念である。彼は、啓示は啓示的歴史の始まりではなく、その終わりに現れると主張した。これは、カール・バルトが啓示を超歴史的なものと捉え、ルドルフ・ブルトマンが実存論的に捉えた立場を批判するものであった。パネンベルクによれば、神の自己啓示は、神の歴史的行為全体を通して示されるものであり、その普遍的な性質は、見る目を持つすべての人間に開かれている。
この歴史における神の普遍的な啓示は、イスラエルの歴史だけでは完全に実現せず、ナザレのイエスの運命において、全歴史の終わりが先取り的(プロレプシス的)に生じる形で初めて実現したとされる。キリストの出来事は、孤立した出来事としてではなく、イスラエルとの神の歴史の一部として、神の神性を啓示する。また、異邦人教会における非ユダヤ的啓示表象の形成は、イエスの運命における神の終末論的な自己証示の普遍性を表現している。言葉は、預言、訓戒、告知として啓示に関係するとされた。
パネンベルクの啓示論は、カール・バルト、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル、そしてキリスト教およびユダヤ教の黙示文学の解釈に強く影響を受けている。彼は、ヘーゲルの歴史を精神と自由が展開する過程と捉える概念と、バルトの啓示が「上方から垂直に」起こるという考え方を結びつけた。パネンベルクは、歴史そのものが神の自己啓示であるというヘーゲル的な理解を採用しつつも、キリストの復活を歴史が展開するものの「先取り的啓示」として強く主張した。このアプローチは、1960年代に新正統主義やブルトマン派の神学者から主に敵対的な反応を受けたが、パネンベルク自身はこれに驚いたと述べている。
また、カール・レーヴィットの弟子として、パネンベルクはハンス・ブルーメンベルクとの間で、いわゆる「世俗化の定理」に関する議論を継続した。ブルーメンベルクは、進歩がヘブライ的およびキリスト教的信念の世俗化であるというレーヴィットの主張に対し、現代はキリスト教の伝統に対する文化の新たな世俗的自己肯定から生まれたと反論した。
2.2. 下からのキリスト論
パネンベルクは主著『イエス:神にして人』(Jesus: God and Man、1968年、原題『キリスト論要綱』1964年)において、「下からのキリスト論」を構築した。彼は、ナザレのイエスの生涯、特に復活に対する批判的考察から、イエス・キリストの神性に関する教義的主張を導き出した。このアプローチは、イエスを最初から神の子として見るのではなく、歴史的な人物としてのイエスの中に神性を認識していくという方法を採る。
この際、イエスの復活が鍵となる。パネンベルクは、復活は信仰されるべき事柄である以前に、歴史的な事実でなければならないと主張した。彼は、伝統的なカルケドン公会議の「二本性」キリスト論を拒否し、復活の光の中でキリストの位格を動的に捉えることを好んだ。キリストのアイデンティティの鍵として復活に焦点を当てたことで、パネンベルクは復活の歴史性を擁護し、空の墓よりも初期教会における復活したキリストの経験を強調した。
2.3. 神学の学術性と方法論
パネンベルクの神学キャリアの中心には、神学を厳密な学術分野として擁護するという姿勢があった。彼は、神学が哲学、歴史学、そしてとりわけ自然科学と批判的に対話できる学問であると主張した。初期の主要な著作『学問論と神学』(1973年)において、彼は当時の科学哲学の成果(特にカール・ポパーやルドルフ・カルナップなど)を取り入れつつ、神学の学術性という問題に取り組んだ。彼は、神学が信仰者にしか理解できない学問ではなく、普遍的な妥当性を持つ科学的な学問であることを示そうとした。この問題意識は、彼のその後の著作にも引き継がれている。
1963年にシカゴ大学の客員教授としてアメリカに滞在していた際、プロセス神学とアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドの思想に触れた。神の存在についての考え方において、パネンベルクとプロセス神学との間には類似点が見られるが、パネンベルク自身はプロセス神学の立場を取らないと明言している。
2.4. 主要な神学的概念
パネンベルクは多様な神学的テーマを発展させた。
- 神学的人間学
- 主著『神学的観点における人間学』(Anthropology in Theological Perspective、1983年、邦題『人間学』)において、当時の哲学的人間学の成果(特にマックス・シェーラー、アルノルト・ゲーレン、ヘルムート・プレスナーなど)を自身の神学に応用した。しかし、哲学とは異なり、神学の立場から人間を歴史的存在として捉えている。
- 倫理学
- 『倫理学と教会論』(Ethics and Ecclesiology、1977年)や『倫理学の根拠』(The Basis of Ethics、1996年)などの著作で、世俗化した社会において倫理の根拠をどこに求めるかというテーマで神学的、哲学的考察を行った。
- 終末論
- 彼の終末論的見解は、新しい創造における時間的プロセスの重要性を軽視し、時間が罪深い現在の時代と結びついていると見なした。彼は、過去、現在、未来といった限定的な概念よりも「永遠の現在」を好み、新しい創造における集中的な統一において時間の終わりを想定した。パネンベルクは、アメリカの数理物理学者フランク・J・ティプラーのオメガポイント理論を神学的に擁護した。
- 自然神学
- 『自然の神学に向かって--科学と信仰についての試論』(Toward a Theology of Nature、1993年)において、新しい自然神学の可能性を探求した。
- 組織神学
- パネンベルクのライフワークは、1988年から1993年にかけて全3巻で著された『組織神学』(Systematic Theology)である。この著作において、彼は普遍的・歴史的意味経験の解釈学という枠組みで、キリスト教信仰の真理性を弁明した。神の啓示は神の歴史的行為全体において間接的に示されるという彼の基本的な立場は、カール・バルトの直接的な啓示から出発する教義学に対する批判を含んでいる。このようなパネンベルクの歴史意識には、特にヘーゲルの歴史哲学の影響が認められる。
- 『組織神学』全3巻の目次は以下の通りである。
- 第1巻:序、組織神学の主題としてのキリスト教の教理の真理性、神思想とその真理性についての問い、諸宗教の経験における神と神々の現実性、神の啓示、三位一体の神、神の本質の統一性とその属性。
- 第2巻:世界の創造、人間の尊厳と悲惨、人間論とキリスト論、イエス・キリストの神性、世界の和解。
- 第3巻:聖霊の注ぎ、神の国、教会、メシアの教団と個人、選びと歴史、神の国における創造の完成。
2.5. 神学的交流と社会的立場
パネンベルクは、フリードリヒ・ゴーガルテンやゲルハルト・フォン・ラートといった神学者から影響を受けた。同世代の神学者であるユルゲン・モルトマンとは、ヴッパータール神学大学で互いに影響を与え合ったが、両者の思想には共通点よりも相違点の方が目立つ。共通点は、終末論の強調という点においてヘーゲル主義とエルンスト・ブロッホの影響が見られるところであり、相違点はモルトマンがパネンベルクほど歴史の神学を重視しなかったことなどである。また、モルトマンがいわゆる組織神学者ではないのに対し、パネンベルクは自ら明確に組織神学者を名乗った。
パネンベルクは、諸教会が信仰において一つになることを目標として、ミュンヘン大学にエキュメニズム研究所を設立した。彼はルター派とカトリック神学間の対話に貢献し、1975年から1990年まで世界教会協議会の信仰と職制委員会にドイツプロテスタント教会の代表として参加した。
彼はドイツ福音主義教会による同性愛関係の承認に対しては公然と批判的な立場を取り、同性愛を承認する教会はもはや真の教会ではないとまで述べた。また、レズビアン活動家へのドイツ連邦共和国功労勲章授与に抗議し、自身が受章していた同勲章を返還した。この行動は、彼の保守的な社会倫理観と、人権や社会進歩に対する特定の立場を明確に示したものであった。
3. 主要著作
パネンベルクの主要な著作には以下のものがある。
- 『歴史としての啓示』(Revelation As History、編著、1961年)
- パネンベルク初期の思想を知る上で必読書とされている。カール・バルトやルドルフ・ブルトマンとは対照的に普遍史を重視した。釈義的考察を基盤として、神の自己啓示は特殊な啓示の出来事によって直接的にもたらされるのではなく、歴史全体を通しての神の行為としてもたらされるという説を展開した。
- 『人間とは何か』(What Is Man?、1962年)
- 『キリスト論要綱』(Jesus: God and Man、1964年、英訳1968年)
- 人間イエスについての歴史的認識から出発して復活を媒介として神性の認識へと昇華させている。
- 『組織神学の根本問題』(Basic Questions in Theology、1967年)
- 『神学と神の国』(Theology and the Kingdom of God、1971年)
- 『学問論と神学』(Theology and the Philosophy of Science、1973年)
- 科学哲学、解釈学との関係において、神学の学問性について考察している。この問題意識は以後も引き継がれている。
- 『神の思想と人間の自由』(The Idea of God and Human Freedom、1974年)
- 『信仰と現実』(Faith and Reality、1975年)
- キリスト教信仰が普遍性を持ち得ない現代社会における神学の意義について論じている。
- 『倫理学と教会論』(Ethics and Ecclesiology、1977年)
- 『神学的観点における人間学』(Anthropology in Theological Perspective、1983年、邦題『人間学』)
- 『組織神学』(Systematic Theology、全3巻、1988年-1994年)
- 彼のライフワークであり、キリスト教信仰の真理性を弁明する。神の啓示は神の歴史的行為全体において間接的に示されるというパネンベルクの基本的な立場が示されている。
- 『組織神学入門』(Systematic Theology: An Introduction、1991年)
- 上記の『組織神学』への導入として書かれた小著。
- 『自然の神学に向かって--科学と信仰についての試論』(Toward a Theology of Nature、1993年、邦題『自然と神』)
- 『倫理学の根拠』(The Basis of Ethics、1996年、邦題『なぜ人間に倫理が必要か』)
- 世俗化した社会において倫理の根拠をどこに求めるのか、というテーマで神学的、哲学的考察をしている。
- 『神学と哲学』(Theologie und Philosophie、1996年)
- 神学者の立場から西洋哲学史を概観している。特にドイツ観念論と哲学的人間学の説明が詳しい。
- 『類比と啓示』(Analogy and Revelation、2007年)
- 彼の教授資格論文(1955年)に新たに二章を加筆した著書。神認識における類比概念についての議論を批判的に考察している。
4. 評価と影響
ヴォルフハルト・パネンベルクは、エーバーハルト・ユンゲルやユルゲン・モルトマンと共に、カール・バルトやルドルフ・ブルトマン以後の世代を代表する重要な神学者として位置づけられている。彼の思想は現代神学に多大な影響を与え、プロテスタント神学とカトリック神学の両方で広く議論されただけでなく、非キリスト教思想家にも影響を及ぼした。
彼の「歴史としての啓示」という概念、特にキリストの復活を中心とするその考え方は、神学界における主要な論争点の一つとなった。また、神学を哲学、歴史学、自然科学と批判的に対話できる厳密な学術分野として擁護したことは、神学の学問的地位を確立する上で重要な貢献と評価されている。
パネンベルクは、カール・バルトの神学体系を継承しつつも、公教会主義の伝統に則った完全な包括性と普遍性を追求した。彼は、バルトが主張したキリストの「ユギ」(拒絶)の概念を否定し、神の子の普遍性も主張した。これは、彼の神学が単なる継承に留まらず、新たな地平を切り開いたことを示している。
しかし、同性愛に対する彼の批判的な立場や、それに伴うドイツ連邦共和国功労勲章の返還といった行動は、社会的な人権や社会進歩に関する議論において、彼の保守的な見解を明確に示したものとして、批判的に評価される側面もある。
パネンベルクの思想は、希望の神学の流れを汲みつつも独自の歴史神学を展開し、現代神学の多様性と深遠さに貢献した。彼の著作は、今日の神学研究や教会活動において、依然として重要な参照点となっている。