1. 概要
高山圭司(たかやま けいじ日本語)は、新日本プロレス所属の日本のプロレスラー、マネージャー、そしてブッカーであり、リングネーム「外道(げどう日本語)」として広く知られています。1969年2月20日に東京都武蔵村山市で生まれた彼は、A型です。特に邪道とのタッグチーム「邪道&外道」で長年にわたり活躍し、IWGPジュニアヘビー級タッグ王座を4度、GHCジュニアヘビー級タッグ王座を1度獲得するなど、数々のタッグタイトルを手にしました。
2010年代初頭からは新日本プロレスのメインブッカーとして、またオカダ・カズチカやジェイ・ホワイト、デビッド・フィンレーといったトップスターのマネージャーとして、その戦略的な手腕を発揮し、団体のストーリーラインやキャラクター開発に多大な影響を与えてきました。彼はレスリング・オブザーバー・ニュースレターから「ベストブッカー」賞を8度受賞し、2019年には同殿堂入りを果たすなど、プロレス界全体における彼の功績と影響力は高く評価されています。本記事では、外道の多岐にわたるキャリアとプロレス界への貢献について詳細に記述します。
2. 人物
2.1. 生い立ちとプロレスラーへの道
高山圭司は1969年2月20日に東京都武蔵村山市で生まれ、血液型はA型です。1988年に「たけしプロレス軍団」(TPG)のオーディションに合格してプロレス界に入門。アポロ菅原から受身やプロレスの基礎を学びました。当時の練習について「練習生は厳しいことをやらされると聞いていたので、練習に耐える練習をしていた。だからそれほど苦労は無かった」と語っています。当初のリングネームは「ブラック・ウルフ」で、後に「ブラック・アイドマン」に改名しましたが、この名前で試合をすることはありませんでした。
1989年3月19日、オランダアムステルダムのエイデンホールで、モンキーマジック・ワキタ(後のスペル・デルフィン)戦でデビューしました。TPGの活動終了後、外道とモンキーマジック・ワキタ、そしてTPGの仲間であった邪道(当時はクーリーSZ)は新日本プロレスを離脱。1990年3月にはユニバーサル・プロレスリングの旗揚げに参加し、「ブルドッグKT」のリングネームでクーリーSZと共にタッグチーム「パニッシュ&クラッシュ(略称:パニクラ)」を結成しました。同年9月1日には全日本女子プロレスのブル中野対アジャ・コングの金網デスマッチでレフェリーを務め、その不自然な判定が物議を醸し、後にノーレフェリーでの再戦に繋がりました。パニッシュ&クラッシュは1990年11月17日の後楽園ホール大会で、モンキーマジック・ワキタ&MASAみちのく(後のザ・グレート・サスケ)組と対戦し、スーパーパワーボムを初披露して勝利を収めました。
一時的に邪道とのタッグを解消し、パット・タナカ&ビジャノ3号と「バッドカンパニー」を結成し敵対したこともあります。この時期に受身の達人として知られるパット・タナカと行動を共にしたことが、後の受身技術の向上に繋がったとされています。外道がラリアットを受けた際に体を木の葉のように回転させて受身を取る「木の葉受け(木の葉舞い)」は、もともとタナカのオリジナルムーブです。
1991年4月、邪道と共にメキシコ遠征に出発し、グラン浜田に教えを請い、プロレスの幅を広げました。同年11月に帰国し、ロス・カウボーイズを破りUWA&UWFインターコンチネンタルタッグ王座を獲得しました。
2.2. リングネームの由来とパーソナリティ
「外道」というリングネームは、高山圭司自身が考案しました。映画『仁義なき戦い』を観ていた際に、菅原文太の台詞「あんクサレ外道が!」から着想を得て、「邪道」と「外道」という言葉を並べました。「邪道」は大仁田厚のニックネームと重複するため、高山自身が「外道」を選んで名乗ることになりました。
外道はキャリアのほとんどをヒールとして活動し、邪道と共に様々なヒールユニットに在籍してきました。しかし、ヒールらしい外見やリング上の振る舞いとは裏腹に、私生活ではアルコールを一切嗜まず、トレーニング熱心な常識人として知られています。
彼の受身の技術は非常に高く、オーバーリアクションとも取れる受けっぷりの良さで相手の技を引き立たせることに長けています。TAKAみちのくは外道の巧さを世界的に見てもディック東郷と並ぶ二本の指に入るレスラーと評し、ディック東郷自身も外道を目標の一人として掲げています。
リング上では、直線的なパワーファイトを得意とする邪道に比べて、外道は巧妙な反則攻撃や華麗なテクニックで試合を展開します。彼には「レフェリーのブラインドを突いて、ルール内で反則攻撃を行うのが本当のヒールである」という「悪の美学」があります。また、マイクパフォーマンスを得意とし、邪道と連れ立って登場した際には、彼がマイクアピールを行うことがほとんどです。「金の雨が降るぞ!!」や巻き舌で「レベル(レヴェル)が違うんだよ(ちげぇえんだよ)!!」といったフレーズは、彼の代表的なマイクパフォーマンスとして定着しました。試合中には「Mother fucker!英語」(発音はマダファカに近い)や「Hey!Hey!Hey!英語」などの英語での罵り言葉や煽り文句を多用し、やられている際も「Shit!英語」と声を上げることが多いです。
身体的な特徴としては、邪道よりも背が低く、入場時にはバンダナを目の辺りまで巻いて登場します。また、前歯が一本欠けており、顎、もみあげ、鼻の下に髭を蓄えています。
3. プロレスラーとしてのキャリア
3.1. 初期キャリアとタッグチームの成功 (1989年-2001年)
1992年11月、邪道と共にフリーに転向し、現在のリングネーム「外道」に改名して再度メキシコ遠征に出発しました。帰国後はW☆INGなどのインディー団体に参戦しました。1993年11月2日には小田原駅前旧市営球場特設リングで行われた、金村ゆきひろ&中牧昭二対邪道&外道のスクランブル・ファイヤー・デスマッチで、高山秀男(後の非道)がマット中央に点火。その火炎の中に邪道が金村にパワーボムを仕掛け、金村に大火傷を負わせ長期欠場へと追い込むアクシデントが発生しました。
1994年2月、ウルティモ・ドラゴンの誘いを受け、邪道と共にWARに主戦場を移しました。WARでは冬木弘道、邪道と共に「冬木軍」を結成し、メジャー・インディー問わずに活動しました。この時期に冬木と阿修羅・原に鍛え上げられ、現在でも邪道と共に両者を心の師として仰いでいます。この頃は両者共に肉体改造前で、同色、お揃いのTシャツとモンペ風のズボンというコスチュームでした。同年4月16日、両国国技館で行われたスーパーJカップ1st STAGEには負傷欠場した折原昌夫の代役として出場し、ベスト4入りを果たしました。
1995年3月26日、ライオンハートを破ってインターナショナルジュニアヘビー級王座の初代王者となり、シングルタイトルを初獲得しました。このベルトは後にウルティモ・ドラゴンを破り再度獲得しています。1995年12月13日、両国国技館で行われたスーパーJカップ2nd STAGEに出場し、茂木正淑、ドス・カラス、ワイルド・ペガサスといった強豪を次々と破り決勝戦に進出しましたが、決勝で獣神サンダー・ライガーの雪崩式フィッシャーマン・バスターに敗れ、準優勝となりました。また、WAR時代にはライオン・ドゥ(クリス・ジェリコ)と組んでインターナショナルジュニアヘビー級タッグ王座の初代王者にも輝いています。冬木軍はWAR世界6人タッグ王座の初代王者でもあり、外道もこのベルトを5度獲得しました。
1996年、冬木の後を追うように邪道と共にWARを離脱。1997年には冬木、邪道と共に冬木軍プロモーションを設立しました。同年2月にFMWマットに再登場してからは、邪道、非道、金村、ミスター雁之助らと「ブリーフ・ブラザース」というユニットを結成し、リング上でコントを演じることもありました。同年3月21日、冬木弘道、邪道と共にヘッドハンターズと大矢剛功組を破り、FMW世界ストリートファイト6人タッグ王座を獲得しました。1997年には北米ツアーも行い、WCWのハロウィン・ヘイボック1997でクリス・ジェリコと対戦。この際、マイク・テナイは外道を「日本のダスティ・ローデス」と呼び、彼が1970年代の米国南部スタイルの乱闘を好むと評しました。同年8月31日にはリッキー・フジを破り、CRMW北米ミッドヘビー級王座を獲得しています。1997年12月には大日本プロレス所属の山川竜司&田尻義博組を破り、邪道と共にBJW認定タッグ王座を獲得しましたが、1998年1月に同タッグに奪い返されました。
1999年6月13日、邪道ではなく中川浩二と組んで田中将斗と黒田哲広組を破り、FMWブラスナックルタッグ王座を獲得しました。同年7月31日、FMW後楽園ホール大会で中川浩二との世界ブラスナックル・タッグ王座2度目の防衛に成功し、初代WEWタッグ王者に認定されました。FMW時代には、邪道、中川浩二、中山香里、田中将斗らと組んでWEW6人タッグ王座を5度、WEWタッグ王座を3度、WEWハードコアタッグ王座を1度獲得しています。
2001年2月、邪道、田中将斗、中山香里と「コンプリート・プレイヤーズ」を結成し、コンプリート・プレイヤーズとしてのタッグでWEW6人タッグ王座決定戦を冬木弘道&GOEMON&怨霊組と行いこれに勝利、4度目のWEW6人タッグ王座獲得、3度目のWEWタッグ&6人タッグ王座二冠王となりました。しかしわずか10日後の同年2月21日に邪道、田中将斗と共にFMWを離脱。再度フリーへと転向し、WEWタッグ並びにWEW6人タッグ王座は空位となりました。その後、フリーランスのユニット「コンプリート・プレイヤーズ」として新日本プロレス、全日本プロレス、ZERO-ONE、みちのくプロレスなど様々な団体に参戦しました。
3.2. 新日本プロレス時代 (2001年-現在)

3.2.1. 新日本プロレスへの本格参戦とCHAOS時代 (2001年-2011年)
フリー転向後、外道は邪道と共に大日本プロレスや格闘探偵団バトラーツなどのインディー団体を中心に参戦しましたが、2001年6月、宇都宮大会より邪道と共にTEAM 2000のメンバーとして新日本プロレスに本格的に所属しました。この頃からジュニアヘビー級に主戦場を移し、邪道と共にプロレス界では珍しい科学的なトレーニングを取り入れ、筋骨隆々な肉体へと変貌を遂げ始めました。きっかけは、ECW参戦時に外国人レスラーのプロ意識に感銘を受けたためと語られています。また、同年には邪道とのタッグでプロレス大賞の年間最優秀タッグ賞を受賞し、11月にはコンプリート・プレイヤーズとしての自主興行も開催しました。
2001年7月20日、札幌ドーム大会で獣神サンダー・ライガー&エル・サムライ組を破り、邪道と共にIWGPジュニアヘビー級タッグ王座の王者となりました。以前、邪道と外道が新日本プロレスにサプライズ登場し、ライガーのマスクを剥がすなど、ライガーとの激しいライバル関係を築いたこともありました。
2002年2月8日、岐阜産業会館で田中稔&成瀬昌由組を破り、IWGPジュニアタッグ王座の歴代最多連続防衛記録を樹立。同年4月22日の博多スターレーン大会でも柴田勝頼&井上亘組の挑戦を退け、通算6度目の防衛を達成し、同王座の歴代最多防衛記録を更新しました。しかし、同年5月2日の東京ドーム大会で獣神サンダー・ライガー&田中稔組に敗れ、王座転落。同年9月7日には邪道と組んでジョーニー・ローラー&シェーン組と対戦し、ローラーにスクールボーイで丸め込まれてフォール負けを喫しました。これは新日本プロレス史上初の女性レスラーのフォール勝ちという記録の立役者となってしまいました。試合後に外道は下腹部の痛みを執拗に訴え、「この痛みをローラーに分からせてやりたい。それができないのが悔しい」と述べました。同年11月4日の幕張メッセ大会では、ジュニアトライアスロンサバイバーにTEAM 2000 Jr.として金本浩二、邪道とのチームで参戦し、決勝戦で獣神サンダー・ライガー&ヒート&タイガーマスク組を破り優勝を果たしました。
2003年11月1日、プロレスリング・ノアの日本武道館大会で杉浦貴が保持するGHCジュニアヘビー級王座に挑戦しましたが敗退。同年11月29日、金本が負傷のため返上したIWGPジュニアタッグ王座をかけて宮城県スポーツセンター大会で田口隆祐&後藤洋央紀組と対戦し、邪道と共に同王座2度目の獲得を果たしました。
2004年3月12日、国立代々木競技場第2体育館においてカレーマン&アメリカン・ドラゴン組に敗れIWGPジュニアタッグ王座を失いましたが、同年6月5日の大阪府立体育会館大会でのリターンマッチに勝利し、邪道と共に3度目のIWGPジュニアタッグ王座を獲得しました。また、ライガーらとC.T.U(Control Terror Unit)を結成しました。
2005年3月4日、後楽園ホール大会で金本浩二&井上亘組に敗れ王座転落しましたが、5度の防衛を記録し、再び長期政権を築きました。同年10月からは、タイトルを失って身軽になった邪道と共にCMLLへ遠征しました。
2006年7月8日、ツインメッセ静岡でエル・サムライ&田口隆祐組を破り、邪道と共に4度目のIWGPジュニアタッグ王座を獲得しました。同年には天山広吉に対してトレーニング指導を行い注目を浴びています。
2007年5月1日、後楽園ホールで行われたWRESTLE LAND 9thに邪道と共に、WAR時代のようなお揃いのコスチュームで参戦し、近藤修司&"brother"YASSHI組と対戦。当時人気を博したヒールタッグチームの「コンブラ」と、国内最長を誇るヒールタッグチームの邪道・外道との対戦は、両者共に感情むき出しで鮮烈を極めました。試合は邪道のレフェリー暴行による反則負けとなりました。同年7月、C.T.U解散(公式的な解散は8月26日、邪道・外道の離反による解散という側面もありました)に伴い、天山率いるG・B・Hへ加入しました。天山が追放され真壁刀義が新たなリーダーとなると、それに追随してG・B・Hとして活動を続けました。
2007年にはWWEから契約を提示されましたが、ステレオタイプな日本人キャラクターを演じることを求められたため、これを拒否しました。
2008年9月21日、神戸ワールド記念ホールで行われた武藤敬司対真壁刀義のIWGPヘビー級選手権試合では、G・B・Hのセコンドが試合に介入し退去させられる中、外道が一人で残り、武藤や全日本プロレス勢を襲撃。これを見かねた星野勘太郎から鉄拳制裁を受け、星野との抗争が勃発しました。同年12月7日、大阪府立体育会館で行われたNO LIMIT(内藤哲也&裕次郎)対邪道&外道のIWGPジュニアタッグ選手権でも、NO LIMIT側のセコンドについた星野を執拗に攻撃。試合終盤、星野がステッキで外道を、鉄拳で邪道をそれぞれ制裁したことで、因縁はさらに深まりました。一連の星野との抗争に決着をつけるべく、同年12月22日、後楽園ホール大会において、ストリート・ファイト エニウェアフォール・マッチで星野とのシングル戦が組まれましたが、結果は外道のピンフォール負けとなりました。同年12月26日には、後楽園ホールで行われたPREMIUMの第5回大会で邪道、田中と共に自然消滅していたコンプリート・プレイヤーズを一夜限りの再結成として復活させ、同じく再結成された狼群団と対戦しました。
2009年3月から椎間板ヘルニアのため長期欠場しました。同年4月、矢野通の裏切りによってG・B・Hが空中分解した後は、矢野に追随する形で新ユニット「CHAOS」を結成。同年8月30日、後楽園ホールにて邪道・外道デビュー20周年記念興行を開催し、それに伴い復帰。邪道と共にメインで登場し、プロレスリング・ノア所属の金丸義信&平柳玄藩組と対戦し、邪道が平柳を下して有終の美を飾りました。2009年10月3日、ノアの大阪府立体育会館大会で金丸義信&鈴木鼓太郎組が保持するGHCジュニアヘビー級タッグ王座に挑戦しましたが、金丸にフォール負けを喫しました。同年12月2日、試合中に金本浩二のキックを食らいKO負けを喫し、試合後は担架で運ばれて退場。脳震盪のため4日に予定されていたIWGPジュニアタッグ王座を賭けたタイトルマッチは中止となりました。
2010年2月14日、上記のように負傷のため機会を失っていたIWGPジュニアタッグ選手権への挑戦が改めて行われる予定でしたが、1月31日の試合でケニー・オメガが放ったラ・ケブラーダが邪道を直撃。まともに食らった邪道が昏倒しレフェリーストップ負けとなり試合後も担架で退場しました。後日検査の結果、頸椎捻挫と診断されシリーズも全戦欠場。代役パートナーとしてディック東郷を立て挑戦するも奪還失敗に終わりました。同年11月13日、邪道と外道はデイヴィー・リチャーズとロッキー・ロメロ組を破り、2010年のSuper J Tag Leagueで優勝しました。しかし、同年12月26日のDDTイベントで行われたIWGPジュニアヘビー級タッグ選手権試合では、ゴールデン☆ラヴァーズ(ケニー・オメガと飯伏幸太)に敗れ、王座獲得には至りませんでした。同年12月22日に開催されたスーパーJカップ5th STAGEに参戦し、1回戦でDDTプロレスリング所属の飯伏幸太とシングル初対決。外道クラッチで飯伏を下し、「これがプロレスの真髄だ!!」とのコメントを残しました。翌23日に行われた2回戦でDRAGON GATE所属のYAMATOと対戦しましたが、スリーパーホールドによるレフェリーストップ負けを喫しました。
3.2.2. メインブッカーおよびマネージャーとしての活躍 (2012年-2018年)
2012年1月4日、凱旋帰国してきたオカダ・カズチカをCHAOSに引き入れ、そのマネージャーに就任しました。以降、スポークスマンとしてオカダのサポートに徹し、「金の雨が降るぞ!!」や巻き舌で「レベル(レヴェル)が違うんだよ(ちげぇえんだよ)!!」といったマイクパフォーマンスが定着しました。また、オカダのニックネームである「レインメーカー」にあやかり、外道は「レインテーカー」と称されるようになりました。
2013年6月22日のDOMINION6.22全試合終了後、BULLET CLUBのプリンス・デヴィットがリング上に現われ、オカダの保持するIWGPヘビー級王座に挑戦を表明。これに対しオカダは、デヴィットが保持するIWGPジュニアヘビー級王座に外道を挑戦させると交換条件を提案しました。その結果、約11年ぶりに同王座への挑戦が決定しました。同年7月5日の後楽園ホール大会のメインイベントでデヴィットと対戦。ブラディサンデーでピンフォール負けを喫し王座奪取には至りませんでしたが、外道コールを巻き起こす好勝負を展開しました。同年11月1日には、邪道と組んで3年ぶりにIWGPジュニアヘビー級タッグ王座に挑戦しましたが、王者の鈴木軍(タイチとTAKAみちのく)に敗れました。
2015年初頭には、邪道がプロレスリング・ノアの新たなブッカーに就任したことに伴い、外道は新日本プロレスの主要ブッカーに就任しました。同年5月と2016年5月には、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに連続でエントリーしました。
3.2.3. BULLET CLUBへの加入とマネジメント (2018年-現在)
2018年8月13日のG1 CLIMAX決勝戦後、オカダ・カズチカが自ら「マネジャーの外道さんに頼らずに1人でやっていくことにしました」とコメントし、両者のコンビ解散を表明しました。同年9月23日のDESTRUCTION in KOBEにおいて、棚橋弘至との東京ドーム・IWGPヘビー級王座挑戦権利証争奪戦に敗れたオカダを、突如ジェイ・ホワイトが急襲。外道はそこに現れ、オカダを救うかと思われたが、代わりに椅子でオカダを攻撃し、CHAOSを脱退してジェイ・ホワイトの新マネージャーとなりました。同年10月8日のKING OF PRO-WRESTLINGにおいて、邪道とジェイ・ホワイトと共にBULLET CLUBへの加入を表明しました。
ジェイ・ホワイトがBULLET CLUBのリーダーを務めている間、外道はホワイトのマネジメントを務めると共に、主にホワイトや他のBULLET CLUBメンバーとのタッグマッチで時折試合に出場しました。ホワイトの新日本プロレス離脱後、外道はデビッド・フィンレーのマネジメントを開始し、フィンレーはBULLET CLUBの新たなリーダーとなりました。外道とフィンレーは後に、アレックス・コグリン、クラーク・コナーズ、ドリルラ・モロニー、ゲイブ・キッドといったレスラーを加えてBULLET CLUBのサブグループ「BULLET CLUB War Dogs」を結成しました。2023年2月21日には、石森太二と組みNOSAWA論外の引退試合に出場しました。
3.3. プロレスリング・ノア参戦 (2016年)
2016年6月12日、外道はプロレスリング・ノアのイベントにサプライズ登場しました。彼は邪道と再結成し、小峠篤司と原田大輔が保持するGHCジュニアヘビー級タッグ王座に、タイチとTAKAみちのくも加わった3WAYマッチで挑戦しましたが、王座獲得には至りませんでした。
同年10月8日、外道と邪道は小峠と原田を破り、GHCジュニアヘビー級タッグ王座を獲得しました。しかし、同年12月24日、再び小峠と原田に敗れ、王座を失いました。
4. レスリングスタイルと得意技
外道は、直線的なパワーファイトを見せる邪道とは対照的に、巧みな反則攻撃や華麗なテクニックで試合を展開します。彼自身の言葉によれば、「レフェリーのブラインドを突いて、ルール内で反則攻撃を行うのが本当のヒールである」という「悪の美学」を持っています。試合中は「Mother fucker!英語」(発音はマダファカに近い)や「Hey!Hey!Hey!英語」などの英語での罵り言葉や煽り文句を多用するのが特徴で、やられている際も「Shit!英語」と声を上げることが多いです。
彼の得意技には以下のようなものがあります。
- スーパーフライ:いわゆるフロッグスプラッシュ。この技で試合が決まることが非常に多く、技名はスーパーフライ・ジミー・スヌーカのファンであったことに由来します。飛ぶ際に「スーパーフライ!」と叫んでから技を仕掛けることもあります。
- 外道クラッチ:外道のオリジナル技で、急所攻撃やコンプリート・ショット、低空ドロップキックから繋げることが多いです。
- コンプリート・ショット:かつてはフィニッシュホールドとしても使用されましたが、現在は繋ぎ技として扱われることが多いです。TEAM 2000時代には師であるGOKU-DOや蝶野正洋、BULLET CLUBではジェイ・ホワイトにも伝授されました。
- トラース・キック:カウンターやチェンジ・オブ・ペースなど、要所で使用されます。形的にはスーパー・キックに近く、近年では片膝をついた相手に一度見得を切ってから放つものを多用しています。
- ナックル・パート:外道の場合は張り手に近いフォームで打ち出します。BULLET CLUB加入後はメリケンサックを着用して使用しています。
- マンハッタン・ドロップ:カウンターで使用され、この技から流れるようにDDTに繋げる連携を見せることがあります。
- チン・クラッシャー:職人系ヒールが好んで使用する技で、外道は両足を踏み揃えずにジャンプするタイプを使用します。
- ムーンサルト・アタック:場外で立っている相手に対して仕掛けるムーンサルト・プレス。近年では使用されません。
- ダイビング・ヘッドバット:かつての得意技で、近年では使用されなくなった技の一つです。リング中央まで飛んでいく飛距離を見せていました。
- ツームストーン・パイルドライバー:かつては得意技への繋ぎ技として使用されました。奇しくも現在、自らがマネージャーを務めていたオカダ・カズチカがフィニッシャーへの布石として使用しています。
- WARスペシャル:WAR所属時代にフィニッシュに使っていた技で、初出場のスーパーJカップでは多くの選手を苦しめました。
- 急所蹴り:主にバックを取られた際に使用され、ヒールレスラーが好む仕掛け方ですが、外道のそれは「神業」とも称されます。全日本プロレス参戦時、初対戦したジャイアント馬場にフルネルソンを仕掛けられた際に繰り出しましたが、足が馬場の股間に届かず空振りとなり、逆に馬場に背後からの急所蹴りを食らうという珍しいシーンがありました。
- 杖攻撃:ピンチになった際に、セコンドやパートナーがレフェリーの気をそらしてから、入場時に首からぶら下げていた杖で攻撃します。近年では竹刀攻撃に取って代わられ、あまり見られなくなりました。
- 竹刀攻撃:主にセコンド時に乱入してこの攻撃でアシストすることが多く、盟友の田中将斗も得意とする攻撃です。
- ゴング、木槌攻撃
- レザーベルト攻撃:レザーベルトで背中を叩く。
- メリケンサック攻撃:BULLET CLUB加入後から使用。
- スーパー・パワーボム:邪道や田中将斗、冬木弘道との代表的な合体技の一つで、外道はアシスト側に回ることがほとんどです。
- 木の葉受け(木の葉舞い):ラリアットなどを受ける際、全身をきりもみ式に回転させて受身を取るテクニックです。
5. マネジメントおよびブッキング哲学
外道は、新日本プロレスのメインブッカーとして、またトップレスラーのマネージャーとして、団体のストーリーラインやキャラクター開発に多大な影響を与えてきました。彼のブッキング及びマネジメントにおける戦略的アプローチは、プロレスにおける「悪の美学」に基づいています。彼は「レフェリーのブラインドを突いて、ルール内で反則攻撃を行うのが本当のヒールである」という哲学を持ち、これは彼のリング上での戦術だけでなく、ストーリーテリング全体にも反映されています。
外道は、選手個々の強みやキャラクターを最大限に引き出し、観客の感情を揺さぶるストーリーを展開することに長けています。特にオカダ・カズチカのマネージャー時代には、彼の成長と飛躍を支え、その「レインメーカー」というキャラクターを確立させる上で不可欠な存在でした。また、ジェイ・ホワイトやデビッド・フィンレーといったBULLET CLUBのリーダーたちのマネジメントでも、ヒールのカリスマ性を際立たせ、彼らの存在感を高めることに貢献しています。彼のブッキング哲学は、単に試合を組むだけでなく、長期的な視点からキャラクターの成長と抗争の激化を計画することで、新日本プロレスを現代のプロレス界におけるトップ団体の一つに押し上げる要因となりました。
6. 獲得タイトルと表彰
外道は、そのキャリアを通じて数多くのタイトルと表彰を獲得してきました。
プロモーション | タイトル / 表彰 | 獲得回数 | パートナー | ||||||||||||||||||||||||
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タイトル | |||||||||||||||||||||||||||
新日本プロレス | IWGPジュニアヘビー級タッグ王座 | 4回 | 邪道 | 新日本プロレス | DREAM* Win Jr. Tag Team Tournament | 1回 | 金本浩二、邪道 | 新日本プロレス | Super J Tag League | 1回 | 邪道 | ||||||||||||||||
プロレスリング・ノア | GHCジュニアヘビー級タッグ王座 | 1回 | 邪道 | ||||||||||||||||||||||||
WAR | WAR世界6人タッグ王座 | 5回 | 冬木弘道、邪道 | WAR | インターナショナルジュニアヘビー級王座 | 2回 | - | WAR | インターナショナルジュニアヘビー級タッグ王座 | 1回 | ライオン・ドゥ | WAR | WAR World Six-Man Tag Team Championship Tournament | 1回 | 冬木弘道、邪道 | WAR | Super J Cup 1995 Contestant Decision Tournament | 1回 | ウルティモ・ドラゴン、ライオンハート | WAR | WAR International Junior Heavyweight Championship Tournament | 1回 | - | WAR | WAR International Junior Heavyweight Tag Team Championship Tournament | 1回 | ライオン・ドゥ |
FMW / WEW | FMWブラスナックルタッグ王座 | 1回 | 中川浩二 | FMW / WEW | FMW世界ストリートファイト6人タッグ王座 | 1回 | 冬木弘道、邪道 | FMW / WEW | WEWハードコアタッグ王座 | 1回 | 邪道 | FMW / WEW | WEW6人タッグ王座 | 5回 | 中川浩二、冬木弘道、邪道、中山香里、田中将斗 | FMW / WEW | WEWタッグ王座 | 3回 | 中川浩二、冬木弘道、田中将斗 | FMW / WEW | WEW 6-Man Tag Team Championship Tournament | 1回 | 冬木弘道、外道 | ||||
ユニバーサル・プロレスリング | UWA&UWFインターコンチネンタルタッグ王座 | 4回 | パニッシュ(邪道)、パット・タナカ、ディック東郷 | ||||||||||||||||||||||||
大日本プロレス | BJW認定タッグ王座 | 1回 | 邪道 | ||||||||||||||||||||||||
みちのくプロレス | みちのくふたり旅 | 1回 | ディック東郷 | ||||||||||||||||||||||||
プロレスリングElDorado | UWA世界6人タッグ王座 | 1回 | 邪道、竹村豪氏 | ||||||||||||||||||||||||
その他 | ロッキーマウンテンレスリング認定ミッドヘビー級王座 | 1回 | - | その他 | ロッキーマウンテンレスリング認定ノースアメリカンミッドヘビー級王座 | 1回 | - | ||||||||||||||||||||
表彰 | |||||||||||||||||||||||||||
プロレスリング・イラストレイテッド | PWI 500 | 2006年:121位 | - | ||||||||||||||||||||||||
東京スポーツ | 最優秀タッグチーム賞 (2001年) | - | 邪道 | ||||||||||||||||||||||||
レスリング・オブザーバー・ニュースレター | ベストブッカー (2011年 - 2014年) | - | 邪道 | レスリング・オブザーバー・ニュースレター | ベストブッカー (2016年 - 2019年) | - | - | レスリング・オブザーバー・ニュースレター | レスリング・オブザーバー・ニュースレター殿堂 | 2019年 | - |
7. 著書
- 『To Be The 外道 "レヴェルが違う!"生き残り術』(2017年12月22日、ベースボールマガジン社)ISBN 978-4583109879
8. 評価と影響
外道は、その多岐にわたるキャリアとプロレス界での貢献により、非常に高い評価を得ています。特に新日本プロレスのメインブッカーとしての彼の功績は絶大であり、レスリング・オブザーバー・ニュースレターからは邪道との共同受賞を含む8度の「ベストブッカー」賞に輝いています。これは、彼が団体のストーリーラインを構築し、キャラクターを深く掘り下げ、多くの興行を成功に導いてきた証拠です。
2019年にはレスリング・オブザーバー・ニュースレター殿堂入りを果たし、プロレス界における彼の永続的な影響力と遺産が認められました。リング上では巧みなヒールとして観客の感情を揺さぶり、その卓越した受身の技術やマイクパフォーマンスは多くのレスラーから尊敬されています。また、オカダ・カズチカやジェイ・ホワイト、デビッド・フィンレーといったトップスターのマネージャーとしての役割は、彼らのキャリア形成において決定的な影響を与え、新日本プロレスの「顔」となる選手を育成する上で不可欠でした。外道の「悪の美学」は、プロレスの物語性を深化させ、その継続的な影響力は現代プロレスの発展に寄与し続けています。
9. 外部リンク
- [https://www.njpw.co.jp/profile/701 新日本プロレス 公式プロフィール]
- [https://www.amuse.co.jp/artist/A8821/ アミューズによるプロフィール]