1. 概要
奥村 茂雄(おくむら しげお日本語、1972年5月25日生まれ)は、日本のプロレスラーである。メキシコのプロレス団体コンセホ・ムンディアル・デ・ルチャ・リブレ(CMLL)を主戦場とし、「OKUMURA」のリングネームで活躍している。近年はアメリカのメジャーリーグ・レスリング(MLW)にも参戦しており、現在は小島聡とのタッグチーム「CozyMAX」としてMLW世界タッグ王座を2度にわたり獲得している。CMLLでは悪役である「ルード」として活動し、日本人レスラーで構成される「ラ・オーラ・アマリージャLa Ola Amarillaスペイン語」(「黄色い波」の意)のリーダー格を務めている。2009年には「トルネオ・ラ・グラン・アルテルナティーバTorneo Gran Alternativaスペイン語」トーナメントで優勝を果たした。奥村は2004年にメキシコへ移住して以降、外国人選手としては異例の20年以上にわたりCMLLで活動を続け、その功績と長年の貢献が評価され、メキシコにおける日本との友好関係に寄与している。
2. プロレスリングキャリア
奥村茂雄は1994年にプロレスラーとしてのキャリアをスタートさせ、日本での初期活動を経て、全日本プロレスで中堅として活躍した。その後、活動拠点をメキシコに移し、CMLLのルードとして確固たる地位を築き、日本人派閥のリーダーとして数々の実績を残している。
2.1. 日本での初期キャリア
奥村茂雄は1994年に栗栖正伸トレーニングジムでトレーニングを積み、その後IWA格闘志塾に入団した。1994年12月31日、神奈川県横浜市無国籍屋台15番地ヨンドンにて菊澤光信を相手にデビューを飾った。
1995年、石川孝志が率いる東京プロレス(TPW)に移籍し、石川の付け人として、またパートナーとしても活躍した。1996年には折原昌夫、田村忍と共に「ヤングデストロイヤーズ」を結成し、TPWマットの改革を訴えた。同年、奥村自身もメインイベントに出場した両国国技館大会をもって東京プロレスは崩壊。その後、TPWは新体制「FFF」へと移行したが、奥村はこれに参加せず、石川と合流した。彼らは川畑輝鎮らと共に「東京プロレス軍団」を名乗り、石川の古巣であるWARの事務所に乗り込み参戦を表明した。
1997年に入ると、東京プロレス軍団は「石川一家」と改名し、WAR、IWA・JAPAN、大日本プロレスなど複数のプロレス団体に対抗戦を仕掛け、自主興行も開催した。石川が新日本プロレスの木村健悟との合体を果たしたことを機に、奥村も新日本プロレスに参戦した。その後、カナダ・カルガリーへ遠征し、現地でCCWヘビー級王座と、荒谷信孝とのタッグでCAWFタッグ王座を獲得した(これらのタイトル獲得は1996年から1999年の間とされる)。
1998年1月、奥村は石川孝志の引退を賭けたシングルマッチに勝利し、師・石川からガウンを贈呈された。新東京プロレスの活動停止後、奥村はフリーランスとして各団体に参戦した。
1999年後半からはフロンティア・マーシャルアーツ・レスリング(FMW)に参戦し、大仁田厚、菊澤光信と組んで初代ボブワイヤーストリートファイト6人タッグ王座を決定するトーナメントに出場。チームは決勝に進んだが、1999年12月26日にMr.Pogo、中牧昭二、矢口一郎組に敗れた。しかし2000年1月28日、奥村、大仁田、菊澤のトリオは、空位となっていたボブワイヤーストリートファイト6人タッグ王座を獲得。このタイトルはわずか4日間で中牧、矢口、ザ・グレート・ケンドー組に奪い返された。
2.2. 全日本プロレス時代
1998年2月、奥村は初めて全日本プロレスに参戦。その後もスポット参戦を続け、同団体初の単独開催となる東京ドーム大会にも出場した。同時期にインディーマットでは「インディ世代闘争」を掲げ、IWAの山田圭介、松田慶三らと共にザ・グレート・カブキ、ターザン後藤、剛竜馬らとの抗争を展開した。
1999年に入ると、奥村は本格的にWARマットに参戦し、荒谷信孝との本格的なタッグを結成。荒谷の地元である神奈川県茅ヶ崎市で合同合宿を張り、天龍源一郎打倒を掲げた。同年、荒谷と共にカナダへ遠征し、エドモントンでCAWFカンナムタッグ選手権を奪取した。
2000年10月、三沢光晴らがプロレスリング・ノアを旗揚げするために多数の選手が離脱した全日本プロレスに正式入団し、空席を埋めるためにフルタイム契約を結んだ。全日本プロレスでは中堅選手として活躍し、ターメリック・ストームと抗争した。2001年9月8日、奥村と荒谷望誉は、空位となっていた全日本プロレスアジアタッグ王座をかけて嵐と北原光騎組と対戦したが、敗れた。2002年初頭に嵐と北原がタイトルを返上すると、奥村は凪光史と組んで新王者決定トーナメントにエントリーし、決勝まで進出したが、嵐と元パートナーの荒谷組に敗れた。2002年には「ジャイアント馬場杯」にも参加し、ブロックAで14ポイントを獲得したが、ブロック決勝で凪光史に敗れた。その後2年間、奥村は中堅レスラーとして、他の選手と即席のタッグを組むことが多かった。2004年3月をもって全日本プロレスを退団した。
2.3. CMLLへの移籍と初期
2004年5月、奥村は「修行の旅」としてメキシコへ渡り、日本のスタイル以外のプロレスを学ぶためコンセホ・ムンディアル・デ・ルチャ・リブレ(CMLL)に参戦した。彼はCMLLでルード(悪役)の「反メキシコ」キャラクターとして活動を開始した。しかし、私生活ではメキシコでの生活と仕事を非常に気に入り、2004年以降も滞在し続けているため、このキャラクターは奥村個人のメキシコに対する好意的な見解とは対照的であった。
CMLLでのデビューは、アレナ・コリセオ大会のセミファイナル、そしてアレナ・メヒコではメインイベントであった。移籍当初はドクトル・ワグナー・ジュニアやブラック・タイガーらとタッグを組んだ。2004年12月5日、アレナ・コリセオ大会で行われた4人参加のカベジェラ戦(髪切りマッチ)金網デスマッチで、奥村は最後に金網に残され、ネグロ・カサスに敗れて丸坊主になった。
2005年2月、日本武道館で開催されたジャイアント馬場七回忌追善興行に出場するため、一時的に全日本プロレスに参戦。嵐と組んで荒谷望誉、石狩太一組と対戦した。同年半ば、新日本プロレスからメキシコに派遣された中邑真輔と棚橋弘至が奥村と同様に国際経験を積むために来墨。奥村は彼らと共にタッグを組み、リング外ではガイド役も務めた。9月、CMLL年間最大のビッグイベントである72周年アニベルサリオ大会に、奥村、中邑、棚橋のトリオで出場したが、ウルティモ・ゲレーロ、レイ・ブカネロ、アベルノのメキシコ人トリオに敗れた。
2006年5月12日、CMLLのインターナショナル・グランプリに参戦し、外国人選手チームの一員としてメキシコ人選手チームと対戦。奥村は12番目にウルティモ・ゲレーロにピンフォールされ、敗退した。同年6月18日、奥村は再び多人数参加の金網デスマッチ形式のカベジェラ戦に臨んだ。この試合では、レイ・ブカネロ、ウニベルソ2000、ネグロ・カサス、ターザン・ボーイ、マキシモ、ヘビーメタル、エル・テリブレが参加し、最後にレイ・ブカネロにピンフォールされ、再び丸坊主になった。
2006年8月、大原はじめと後藤洋央紀という新日本プロレスの若手選手がメキシコに修行に訪れ、奥村は彼らとタッグを組んだ。彼らはタッグやトリオで様々なメキシコ人タッグと対戦した。2007年5月11日、奥村と後藤は2007年のインターナショナル・グランプリにアレックス・コズロフ、マルコ・コルレオーネ、鈴木みのる、獣神サンダー・ライガー、ウルティモ・ドラゴンらと共に参加。奥村は2番目にレイ・ブカネロにピンフォールされ敗退した。大原と後藤はほぼ1年間メキシコに滞在し、2007年半ばに新日本プロレスへ帰国した。
2007年後半(日本での報道では2008年6月)、奥村はアレナ・メヒコでの試合中に右鎖骨を骨折する大怪我を負った。これは、経験の浅いファビアン・エル・ヒタノがアサイムーンサルトを試みた際、誤って奥村の膝に衝突したことによるものであった。この怪我により、奥村は2007年の残りと2008年の大部分を欠場し、治療と日本への長期帰省のためにリングを離れた。2008年11月にリングに復帰した。
2.4. ラ・オーラ・アマリージャの結成と主な実績
2009年、奥村は再びメキシコに修行に訪れた新日本プロレスの高橋裕二郎と内藤哲也の「No Limit」とタッグを組み、日本人チーム「ラ・オーラ・アマリージャLa Ola Amarillaスペイン語」(「黄色い波」の意)を結成した。奥村はこの派閥のリーダー格として活動し、「反メキシコ」を掲げるこのチームは、メキシコのテクニコ(善玉)たちを相手に高評価の試合で連勝を飾るなど、強いプッシュを受けた。
2009年8月1日、CMLLの年間ビッグイベント「インフィエルノ・エン・エル・リングInfierno en el Ringスペイン語」のメインイベントで行われた15人参加の金網デスマッチにラ・オーラ・アマリージャのメンバー全員が参加。奥村は4番目に金網から脱出し、最終的に内藤がトスカーノに勝利するのを見届けた。2009年半ばには、獣神サンダー・ライガーがメキシコ遠征で合流し、ラ・オーラ・アマリージャはさらに強化された。2009年9月、奥村、ライガー、裕次郎、内藤の4人は、CMLLの76周年アニベルサリオ大会のメインイベントの一つで、メキシコ代表のウルティモ・ゲレーロ、アトランティス、ブラック・ウォーリアー、ヘクター・ガルサ組を破り勝利を収めた。
アニベルサリオ大会後、CMLLが毎年開催するベテランとルーキーが組んで勝利者がエストレージャに昇格する「トルネオ・ラ・グラン・アルテルナティーバTorneo Gran Alternativaスペイン語」トーナメントに出場。裕次郎がカモーラと組む予定だったが、奥村がリングに現れて裕次郎がメキシコ人と組むことに異議を唱え、カモーラを攻撃して追い出し、自身が裕次郎のパートナーとして出場した。奥村と裕次郎は、トーナメントの1回戦でトスカーノとルーシュを破り、続く試合でヘクター・ガルサとニエブラ・ロハ組に勝利。さらに決勝でミスティコとアンヘル・デ・オロ組を破り、2009年の「グラン・アルテルナティーバ」に優勝し、奥村は念願のエストレージャ入りを果たした。
グラン・アルテルナティーバ優勝後、奥村はマキシモとの抗争に注力した。両者はトリオ戦などで何度も対戦し、そのたびに緊張感が高まった。2009年11月5日、両者はカベジェラ戦で対戦し、奥村が勝利。自身初となるアプエスタ戦勝利を飾り、マキシモを丸坊主にした。同年末に裕次郎と内藤は新日本プロレスへ戻ったが、内藤はCMLLへの定期参戦を発表し、タイチがメキシコ遠征に加わり、ラ・オーラ・アマリージャはCMLLで活動を続けた。
2010年5月7日、奥村とタイチ、そして同じく新日本プロレスの棚橋弘至が、エル・イホ・デル・ファンタズマ、ラ・マスカラ、ヘクター・ガルサ組を破り、CMLL世界トリオ王座を獲得。日本人として初めてこの王座を獲得した。しかし、ラ・オーラ・アマリージャのトリオ王座はわずか2週間で終わり、2010年5月21日にラ・マスカラ、ラ・ソンブラ、マスカラ・ドラダ組に敗れ王座を失った。同年9月、アレナ・メヒコで行われたメキシコ独立200周年を記念するトーナメント「ラ・コパ・ビセンテナリオ」に獣神サンダー・ライガーと組んで出場したが、ミステル・ニエブラ&ボラドール・ジュニア組に敗れた。
2011年1月、奥村は新日本プロレスとCMLLのコラボ大会「NJPW Presents CMLL FANTASTICAMANIA 2011」にCMLLの選手として来日。初日の大会ではアトランティスと組んでジャイアント・バーナード&カール・アンダーソンの持つIWGPタッグ選手権に挑戦したが敗れた。翌2日目には、久々にNo Limit(高橋裕二郎&内藤哲也)と組み、ラ・ソンブラ&マスカラ・ドラダ&ラ・マスカラの持つCMLL世界6人タッグ王座に挑戦した。2011年7月12日、ハリスコ州グアダラハラ大会でエル・ガジョを破り、日本人初のCMLLオクシデンテ・ライトヘビー級王座を獲得。9月18日には前王者ガジョの挑戦を退け、初防衛に成功した。
2.5. ラ・フィエブレ・アマリージャと協力関係
2012年1月、奥村は「NJPW Presents CMLL FANTASTICAMANIA 2012」で1年ぶりに日本マットに凱旋した。2月、新たなパートナーとして謎のマスクマン「ナマハゲNamajagueスペイン語」がCMLLマットに登場。ナマハゲは後に新日本プロレスの練習生である京介(Kyosuke Mikami)であることが明かされた。奥村とナマハゲは「ラ・フィエブレ・アマリージャLa Fiebre Amarillaスペイン語」(「黄熱病」の意)を結成し、CMLL Arena Coliseo Tag Team Championship戦線でフエゴとストゥーカ・ジュニア組と激しい抗争を繰り広げた。
2012年5月1日、CMLLのアレナ・コリセオ・デ・グアダラハラ大会にてバリアンテを相手にCMLLオクシデンテ・ライトヘビー級王座の防衛戦を行い、2度目の防衛を果たした。しかし同年7月10日、エル・サグラドに敗れ、約1年間保持し続けたオクシデンテ王座を失った。同年9月7日、アレナ・メヒコで行われたメキシコ対日本の4対4イリミネーションマッチに棚橋弘至、タイチ、ナマハゲと組んで出場し、日本軍が勝利した。その2日後の9月9日、アレナ・メヒコにてナマハゲとのタッグでCMLLアレナ・コリセオタッグ王座に挑戦するが敗れた。9月14日、アレナ・メヒコで行われたCMLL 79周年アニベルサリオ大会にタイチ、ナマハゲとのトリオで出場を果たした。
2013年1月、奥村は「NJPW Presents CMLL FANTASTICAMANIA 2013」に参戦し、安定した実力を発揮した。3月3日、アレナ・コリセオで行われたCMLLアレナ・コリセオタッグ選手権にナマハゲと組んで再挑戦し、ストゥーカ・ジュニア&フエゴ組を破り、新王者組となった。3月15日、アレナ・メヒコで開催されたCMLL創立80周年最初のビッグマッチ「オメナヘ・ア・ドス・レジェンダスHomenaje a Dos Leyendasスペイン語」のメインイベントで行われた「マスカラ&カベジェラ対マスカラ&カベジェラ戦」にナマハゲと組んで出場したが、対戦相手のストゥーカ・ジュニア&レイ・コメタ組に敗れ、奥村は7年ぶりに丸坊主となった(ナマハゲはマスクを剥がされ、本名を明かした)。
2013年6月30日、アレナ・メヒコにてCMLLアレナ・コリセオタッグ選手権の初防衛戦が行われ、ゲレーロ・マヤ・ジュニア&デルタを破り初防衛に成功した。8月30日、アレナ・メヒコで行われた現王者のみが参加するトーナメント「カンペオナート・ウニベルサル2013」のBブロックに出場し、棚橋弘至との日本人対決が組まれたが、ダルマ式ジャーマンスープレックスで敗れた。9月13日、アレナ・メヒコで行われたCMLL創立80周年記念アニベルサリオ大会に石井智宏、ナマハゲとのトリオで出場を果たした。11月3日、アレナ・コリセオにてCMLLアレナ・コリセオタッグ選手権が行われ、ゲレーロ・マヤ・ジュニア&デルタの再挑戦を受けるが敗れ2度目の防衛に失敗。奥村とナマハゲはベルトを明け渡した。
2014年1月、奥村は「NJPW Presents CMLL FANTASTICAMANIA 2014」に参戦した。1月31日に行われたアレナ・メヒコ金曜定期戦にて、カマイタチ(現高橋ヒロム)が奥村の新しいパートナーとして初登場した。同年6月にはCMLLデビューから10周年を迎え、CMLLの長い歴史の中で10年間所属選手として活躍した唯一の日本人選手として現地で大きく取り上げられた。7月13日、アレナ・メヒコにてカマイタチと組んでゲレーロ・マヤ・ジュニア&デルタの持つCMLLアレナ・コリセオタッグ選手権に挑戦するが敗れ、ベルト奪還に失敗した。
2.6. 2015年以降の活動とMLWへの進出
2015年1月、奥村は新日本プロレスの「CMLL FANTASTICAMANIA 2015」に参戦。1月13日に地元大阪で行われた開幕戦では、デビュー20周年およびCMLL10周年記念試合としてアンヘル・デ・オロとの「マッチ・レランパゴ」(10分1本勝負)を行い、時間切れ引き分けとなった。1月17日の新木場大会では、アンヘル・デ・オロが保持するCMLL世界ライトヘビー級王座に挑戦したが惜敗した。同年6月、日本テレビのネプ&イモトの世界番付で、メキシコで活躍する日本人プロレスラーとしてカマイタチと共に照英の取材を受けた。照英はカマイタチのマスクをかぶって試合を観戦した。
2016年1月、奥村は「CMLL FANTASTICAMANIA 2016」に参戦。1月23日に行われた後楽園ホール大会では、ボビー・スイーとのタッグでゲレーロ・マヤ・ジュニア&テ・パンテルの持つアレナ・コリセオタッグ王座に挑戦したが、ボビー・スイーがゲレーロ・マヤ・ジュニアに敗れ、王座奪取はならなかった。3月18日、アレナ・メヒコで行われたビッグマッチ「オメナヘ・ア・ドス・レジェンダスHomenaje a Dos Leyendasスペイン語」では、メヒコ対ハポンの8人タッグマッチが行われ、奥村もこれに出場したが、試合はメキシコ組が勝利した。7月1日、アレナ・メヒコでビッグマッチ「グランプリ2016 メキシコ対多国籍軍」が行われ、奥村も出場した。10月29日、ROHのボルチモア大会で行われたROH世界6人タッグ王座決定トーナメントに、ウルティモ・ゲレーロ&エチセロとのトリオ「Team CMLL」として出場。Team CMLLは1回戦で「The Addiction」&カマイタチ組を破るも、準決勝で「The Kingdom」組に敗れた。
2017年1月、奥村は「CMLL FANTASTICAMANIA 2017」に参戦。1月21日の後楽園ホール大会ではストゥーカ・ジュニアとシングルマッチを行った。同年1月、テレビ東京の未来世紀ジパング番外編「メキシコで人気沸騰の日本人」として取り上げられた。2月、頚椎負傷により、出場予定だった2月24日のアレナ・メヒコ大会を欠場した。4月には、日本で頚椎脱臼骨折の手術を行った。5月、手術が成功し再びメキシコへ渡った。11月24日のアレナ・メヒコ大会で9ヶ月ぶりに電撃復帰を果たした。12月、CMLLの記者会見でアメリカ人レスラーのサム・アドニス、ニュージーランド人レスラーのジョニー・アイドルとの外国人トリオ結成を発表した。
2018年1月、奥村は「CMLL FANTASTICAMANIA 2018」に参戦し、怪我からの復活をアピールした。同年2月、新日本プロレスの川人拓来が「カワトサン」のリングネームでCMLLデビューし、奥村とのタッグを結成した。8月27日にフジテレビの世界の村のどエライさんで「メキシコで有名な日本人」の3位に、9月8日にはテレビ朝日の陸海空 地球征服するなんてでは同8位に選ばれた。12月16日、コスタリカの首都サンホセでCWE世界王座を獲得した。
2019年1月、奥村は「CMLL FANTASTICAMANIA 2019」に参戦。最終戦の後楽園ホール大会ではアトランティス・ジュニアとシングルマッチを行った。3月2日のアレナ・コリセオ大会を最後に虫垂炎の手術のため欠場した。4月、地元大阪府池田市のスポーツ親善大使に就任した。6月21日、スペインのビトリア=ガステイス大会で虫垂炎からの復帰を果たした。7月5日のアレナ・メヒコ大会でCMLLに復帰した。
2020年1月、奥村は「CMLL FANTASTICAMANIA 2020」に参戦。開幕戦の地元・大阪大会のメインイベントでは奥村デビュー25周年記念の6人タッグマッチが行われ、奥村はストゥーカ・ジュニアから勝利を飾った。1月19日の後楽園ホール大会ではストゥーカ・ジュニアの持つNWA世界ヒストリックライトヘビー級王座に挑戦したが、王者が防衛を果たした。10月、バンジェリス&ダーク・マジックとCMLLの新ユニット「ロス・エンバハドーレス・デル・マルLos Embajadores del Malスペイン語」(「悪の使節」の意)を結成した。2022年4月、大阪府池田市スポーツ親善大使に再任された。
2023年2月、3年ぶりに再開された「CMLL FANTASTICAMANIA 2023」に参戦した。5月4日に放送されたCMLLの情報番組「CMLL INFORMA」に出演し、既に行動を共にしていたポルボラ、コヨーテとのユニット名が「ロス・チャカレス・デル・リングLos Chácales del Ringスペイン語」(「リングのジャッカル」の意)に決まったことを発表した。6月、長年にわたりルチャリブレを通じて日本とメキシコ両国関係に貢献をしてきたことが認められ、メキシコで初開催された「CMLL Presenta NJPW FANTASTICAMANIA Mexico 2023」のアレナ・メヒコ大会のリング上で在メキシコ日本国大使より表彰された。9月、イギリス・マンチェスターで初開催されたRevProの「CMLL FANTASTICAMANIA UK 2023」に参戦した。
2024年2月3日、MLWフィラデルフィア大会に参戦し、MLWは新日本プロレスの小島聡と奥村による新タッグチーム「CozyMAX」結成を発表した。2月12日に開幕した「CMLL FANTASTICAMANIA 2024」に参戦し、最終戦で行われたダーク・パンテルとのシングルマッチで勝利した。5月11日、MLWのLucha Aztecaシカゴ大会で空位となっていたMLW世界タッグ王座決定戦が「Second Gear Crew」と「CozyMAX」の間で行われ、小島聡&奥村のCozyMAXがベルトを奪取した。5月19日、ロンドンで開催されたRevProの「CMLL FANTASTICAMANIA UK 2024」に参戦した。5月24日、アレナ・メヒコ大会で奥村のメキシコ&CMLL20周年が表彰された。これは外国人選手としては異例の快挙であり、CMLL一筋で20年間活躍してきたことが高く評価された。5月28日、アレナ・メヒコ大会で小島聡&奥村のCozyMAXがMLW世界タッグ王座初防衛を果たした。7月12日、フロリダ州タンパで行われたMLWのOpera Cupトーナメントに参戦するが、1回戦でアトランティス・ジュニアに敗れた。7月13日、アメリカで初開催された新日本プロレスの「CMLL FANTASTICAMANIA USA 2024」サンノゼ大会で小島聡&奥村のCozyMAXがMLW世界タッグ王座2度目の防衛を果たした。8月29日、MLWのニューヨーク大会で鈴木みのる&イクロ・クオンに敗れMLW世界タッグ王座を失った。12月5日、MLWのニューヨーク大会で小島聡&奥村のCozyMAXが鈴木みのる&イクロ・クオンからMLW世界タッグ王座を取り返した。
3. 得意技
奥村茂雄が選手生活を通して主に使用した、主要なプロレス技は以下の通りである。
- ムーンサルトプレス
- OKUMURAカッター
- 垂直落下式ブレーンバスター
- ドラゴンスープレックス
- リストクラッチDDT
- リバースDDT
- エクスプロイダー
4. 獲得タイトルと功績
奥村茂雄がプロレスラーとして獲得したすべてのチャンピオンシップタイトルと重要なトーナメント優勝記録を以下に示す。
- Can-Am Wrestling Federation
- CAWFカンナムタッグ王座 (1回) - with 荒谷信孝
- コンセホ・ムンディアル・デ・ルチャ・リブレ
- CMLL認定アレナコリセオタッグ王座 (1回) - with ナマハゲ
- CMLL世界トリオ王座 (1回) - with 棚橋弘至 & タイチ
- オクシデンテライトヘビー級王座 (1回)
- トルネオ・ラ・グラン・アルテルナティーバ (2009年) - with 高橋裕二郎
- Costa Rica Wrestling Embassy
- CWE世界王座 (1回)
- メジャーリーグ・レスリング
- MLW世界タッグ王座 (2回、現王者) - with 小島聡
- Onita Pro
- ボブワイヤーストリートファイト6人タッグ王座 (1回) - with 大仁田厚 & 菊澤光信
- Tokyo Pro Wrestling
- CCWカナディアンヘビー級王座 (1回)
5. ルチャ・デ・アプエスタ戦績
奥村茂雄が参加した「ルチャ・デ・アプエスタLucha de Apuestasスペイン語」(賭け試合)の詳細な記録を以下に示す。これらの試合の結果として、奥村は髪やマスクを失った経験がある。
| 勝利者(賭け) | 敗者(賭け) | 場所 | 大会名 | 日付 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| ネグロ・カサス(髪) | 奥村(髪) | メキシコシティ | CMLL ドミンゴス・デ・コリセオ | 2004年12月5日 | この試合は金網デスマッチであり、レイ・ブカネロとターザン・ボーイも参加した。 |
| レイ・ブカネロ(髪) | 奥村(髪) | メキシコシティ | CMLL ドミンゴス・デ・コリセオ | 2006年6月18日 | この試合は金網デスマッチであり、ウニベルソ2000、ネグロ・カサス、ターザン・ボーイ、マキシモ、ヘビーメタル、エル・テリブレも参加した。 |
| 奥村(髪) | マキシモ(髪) | メキシコシティ | CMLL ドミンゴス・アレナ・メヒコ | 2009年11月5日 | 奥村が初めてアプエスタ戦に勝利した試合。 |
| ストゥーカ・ジュニア(マスク) & レイ・コメタ(髪) | ラ・フィエブレ・アマリージャLa Fiebre Amarillaスペイン語 (奥村(髪) & ナマハゲ(マスク)) | メキシコシティ | オメナヘ・ア・ドス・レジェンダス | 2013年3月15日 | 奥村は丸坊主になり、ナマハゲはマスクを剥がされ本名を明かした。 |
6. 対外活動と評価
奥村茂雄は、プロレス活動に加えて様々な対外活動を行い、メキシコと日本間のスポーツ親善に大きく貢献している。
2015年6月には、日本テレビのネプ&イモトの世界番付で、メキシコで活躍する日本人プロレスラーとしてカマイタチと共に照英の取材を受けた。2017年1月にはテレビ東京の未来世紀ジパング番外編「メキシコで人気沸騰の日本人」として特集され、2018年8月27日にはフジテレビの世界の村のどエライさんで「メキシコで有名な日本人」の3位に、9月8日にはテレビ朝日の陸海空 地球征服するなんてで同8位に選ばれるなど、メキシコでの知名度と人気は日本のメディアでも複数回報じられている。
2019年4月には、自身の地元である大阪府池田市のスポーツ親善大使に就任し、2022年4月には再任された。
2023年6月には、長年にわたりルチャリブレを通じて日本とメキシコ両国関係に貢献をしてきた功績が認められ、メキシコで初開催された「CMLL Presenta NJPW FANTASTICAMANIA Mexico 2023」のアレナ・メヒコ大会のリング上で、在メキシコ日本国大使より表彰を受けた。これは、奥村がプロレスラーとしての活動を通じて両国の文化交流に果たした役割が公的に認められたものであった。
2024年5月24日には、アレナ・メヒコ大会で奥村のメキシコおよびCMLLでの20周年が表彰された。外国人選手がこれほど長期間にわたりCMLLに所属し、活躍することは極めて異例であり、奥村の団体への献身と安定した実力が高く評価されている。奥村はメキシコを深く愛し、メキシコでの生活を楽しんでいると公言しており、その「反メキシコ」というルードのキャラクターとは対照的な親メキシコ的な姿勢も、現地ファンに受け入れられている要因の一つである。