1. Early Life and Background
李漢宰選手は、その生まれと教育環境が彼のサッカー選手としてのキャリアと人格形成に大きな影響を与えた。在日朝鮮人としての背景は、彼がプロサッカー選手として日本の舞台に立つ上で、民族の誇りを背負うという特別な意味合いを持たせた。
1.1. Birth and Education
李漢宰は1982年6月27日に岡山県倉敷市で、在日朝鮮人三世として生まれた。5人兄弟の4番目にあたる彼は、兄弟の影響でサッカーを始めた。地元のサッカークラブである川鉄サッカークラブに所属した後、倉敷朝鮮初中級学校(1995年-1997年)に進学。在学中には在日朝鮮人サッカー全国大会で優秀選手に選出されている。
その後、広島朝鮮高級学校(1998年-2000年)を卒業した。特筆すべきは、彼は朝鮮学校からは初のストレートでJリーグ入りを果たした朝鮮籍のプロサッカー選手であるという点である。また、プロ登録に際して準外国人選手として登録するため、通信制の広島県立西高等学校も卒業している。
1.2. Personal Characteristics and Playing Style
李漢宰選手は、その多才なプレースタイルとリーダーシップで知られている。身長は173 cm、体重は68 kgで、右利きである。キャリアの初期は主に攻撃的ミッドフィールダーとしてプレーしていたが、後に守備的ミッドフィールダー(ボランチ)を主戦場とするようになった。
彼のプレースタイルは、広範囲をカバーする運動量と正確なパス、そして効果的なプレースキックに特徴がある。また、右アウトサイドや右ミッドフィールダー、時には右サイドバックもこなすことができるなど、複数のポジションで高いレベルのプレーを見せた。特にFC岐阜時代には、服部年宏とともにダブルボランチを組み、若手選手を牽引するリーダーシップを発揮した。
2. Club Career
李漢宰選手のプロクラブキャリアは、日本の様々なクラブでの挑戦と貢献によって築き上げられた。特にサンフレッチェ広島での長期間の在籍と、FC町田ゼルビアでのキャプテンとしての活躍は、彼のキャリアにおける重要な節目となった。
2.1. Sanfrecce Hiroshima
2001年、李漢宰選手は攻撃的ミッドフィールダーとしてサンフレッチェ広島に加入した。同期には、林卓人、河野淳吾、田中マルクス闘莉王、西嶋弘之、梅田直哉といった選手がいた。
プロデビューは2002年5月のナビスコカップで、右サイドバックとして出場した。リーグ戦デビューは同年11月16日の鹿島アントラーズ戦である。プロ初得点は2003年7月26日のサガン鳥栖戦で記録した。キャリアの初期にはなかなか出場機会に恵まれなかったが、小野剛監督の下でボランチとして起用され始め、その才能を開花させた。
2006年からはミハイロ・ペトロヴィッチ監督の指導の下、攻撃的ミッドフィールダーや右アウトサイドの控えとしてプレーした。2008年には、駒野友一の移籍に伴い右アウトサイドのレギュラーとして活躍し、チームのJ1リーグ昇格に大きく貢献した。2009年1月には、その活躍が認められ北朝鮮代表の冬季強化合宿メンバーに選出された。しかし、同年はミハエル・ミキッチが右サイドに定着したことで出場機会が減少し、同年末にサンフレッチェ広島から戦力外通告を受け、退団することになった。
サンフレッチェ広島での主な実績には、2002年の天皇杯ベスト4、2003年のJ2リーグ準優勝、2007年の天皇杯準優勝、2008年のJ2リーグ優勝、そして2009年のJ1リーグ4位がある。
2.2. Hokkaido Consadole Sapporo and FC Gifu
サンフレッチェ広島を退団した後、李漢宰選手は2010年にコンサドーレ札幌へ移籍した。しかし、右膝の怪我に苦しみ、このシーズンはほとんど出場機会がなく、同年限りで契約満了となり退団した。
2011年にはFC岐阜へ移籍。この年はシーズンを通して怪我の治療に専念する期間が長かった。しかし、2012年にはスターティングメンバーに定着し、同年移籍加入した元日本代表の服部年宏とともにダブルボランチを組み、若手選手を牽引する重要な役割を担った。李漢宰選手はFC岐阜で2013年シーズン終了までプレーし、契約満了に伴い退団した。
2.3. FC Machida Zelvia
2014年、李漢宰選手は当時J3リーグに所属していたFC町田ゼルビアへ移籍した。このクラブでは、その豊富な経験とリーダーシップが評価され、キャプテンマークを任された。
FC町田ゼルビアでは、2015年から2018年にかけて、チームにとって初の契約更新選手として継続的に契約を更新した。特に2015年シーズンには、リーグ戦全36試合と入れ替え戦2試合に出場し、チームをJ2リーグ昇格へと導く上で決定的な貢献を果たした。
FC町田ゼルビア在籍中には、2014年のJ3リーグ3位、2015年のJ3リーグ準優勝(J2昇格)、2018年のJ2リーグ4位など、チームの躍進に貢献した。李漢宰選手は2020年シーズン終了後、同年12月12日にFC町田ゼルビアから契約満了が発表され、その後12月25日に現役引退を発表した。
3. International Career
李漢宰選手は、日本のプロサッカー界で活躍する一方で、朝鮮民主主義人民共和国代表としても国際舞台でプレーし、母国の誇りを胸に戦った。
3.1. Youth and Senior National Teams
2002年、李漢宰選手はU-23北朝鮮代表に選出され、釜山アジア大会に出場した。これは、彼の国際舞台での初めての経験となった。
2004年には北朝鮮A代表に初招集された。2005年には2006年FIFAワールドカップ・ドイツ大会アジア最終予選にも参加し、安英学と共に代表に選出され、日本戦、イラン戦、バーレーン戦に右アウトサイドとして出場した。国際Aマッチには2004年から2005年にかけて合計7試合に出場した。2005年以降は、代表チームに招集されることはなかった。
3.2. International Goals
李漢宰選手が朝鮮民主主義人民共和国代表チームの試合で記録した唯一のゴールは以下の通りである。
| No. | 日付 | 会場 | 対戦相手 | スコア | 結果 | 大会 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 2004年10月13日 | 平壌, 朝鮮民主主義人民共和国 | イエメン | 1-0 | 2-1 | 2006 FIFAワールドカップ・アジア1次予選 |
4. Retirement
李漢宰選手は2020年シーズンを最後に、プロサッカー選手としてのキャリアを終えた。2020年12月12日にFC町田ゼルビアから契約満了が発表され、その後12月25日に現役引退が正式に発表された。彼の引退は、約20年にわたるプロとしての活動に幕を下ろすものであった。
5. Achievements
李漢宰選手がクラブおよび国際キャリア全体で達成した主要な受賞歴と業績は以下の通りである。
- サンフレッチェ広島
- J2リーグ: 優勝 (2008), 準優勝 (2003)
- 天皇杯: 準優勝 (2007), ベスト4 (2002)
- J1リーグ: 4位 (2009)
- FC町田ゼルビア
- J3リーグ: 準優勝 (2015), 3位 (2014)
- J2リーグ: 4位 (2018)
6. Career Statistics
李漢宰選手のクラブおよび国際キャリアに関する詳細な試合統計資料を以下に示す。
6.1. Club Performance
| クラブパフォーマンス | リーグ | カップ | リーグカップ | その他 | 合計 | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |
| 日本 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | その他 | 合計 | ||||||||
| 2001 | 広島 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | ||
| 2002 | 1 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | - | 6 | 0 | ||||
| 2003 | J2 | 22 | 1 | 4 | 0 | - | - | 26 | 1 | ||||
| 2004 | J1 | 26 | 1 | 1 | 0 | 5 | 0 | - | 32 | 1 | |||
| 2005 | 19 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | - | 20 | 1 | ||||
| 2006 | 26 | 2 | 2 | 0 | 6 | 0 | - | 34 | 2 | ||||
| 2007 | 6 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 2 | 0 | 13 | 0 | |||
| 2008 | J2 | 37 | 1 | 4 | 0 | - | 1 | 0 | 42 | 1 | |||
| 2009 | J1 | 14 | 1 | 2 | 0 | 3 | 0 | - | 19 | 1 | |||
| 2010 | 札幌 | J2 | 2 | 0 | 0 | 0 | - | - | 2 | 0 | |||
| 2011 | 岐阜 | 9 | 0 | 0 | 0 | - | - | 9 | 0 | ||||
| 2012 | 32 | 1 | 1 | 0 | - | - | 33 | 1 | |||||
| 2013 | 12 | 0 | 0 | 0 | - | - | 12 | 0 | |||||
| 2014 | 町田 | J3 | 27 | 1 | 0 | 0 | - | - | 27 | 1 | |||
| 2015 | 36 | 4 | 0 | 0 | - | 2 | 0 | 38 | 4 | ||||
| 2016 | J2 | 41 | 1 | 0 | 0 | - | - | 41 | 1 | ||||
| 2017 | 22 | 1 | 0 | 0 | - | - | 22 | 1 | |||||
| 2018 | 5 | 0 | - | 2 | 0 | 7 | 0 | ||||||
| 2019 | 8 | 0 | - | 1 | 0 | 9 | 0 | ||||||
| 2020 | 4 | 0 | - | - | 4 | 0 | |||||||
| 総通算 | 349 | 15 | 18 | 0 | 24 | 0 | 5 | 0 | 396 | 15 | |||
その他にはXEROX SUPER CUP、J1・J2入れ替え戦、J2・J3入れ替え戦が含まれる。
;出場歴
- プロ初出場:2002年5月9日 ナビスコカップ第5節対名古屋グランパスエイト戦(名古屋市瑞穂公園陸上競技場)
- 61分八田康介に代わり交代出場、79分山形恭平と途中交代
- リーグ戦初出場:2002年11月16日対鹿島アントラーズ戦(カシマスタジアム)
- 86分茂木弘人に代わって途中出場
- プロ初得点:2003年7月26日対サガン鳥栖戦(鳥栖スタジアム)
- 先発フル出場、11分ゴール
6.2. International Performance
| 朝鮮民主主義人民共和国代表 | ||
|---|---|---|
| 年 | 出場数 | 得点 |
| 2004 | 1 | 1 |
| 2005 | 6 | 0 |
| 合計 | 7 | 1 |
7. External links
- [http://www.zelvia.co.jp/clubteam/2016/71776/ FC町田ゼルビアの選手プロフィール]
- [https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=6417 J.League Data Site]