1. 概要
栗原あゆみは、1984年7月13日生まれの日本の元女子プロレスラーであり、そのキャリアを通じて女子プロレス界に大きな足跡を残した。リングネームは本名の「亜弓」を仮名表記にした「あゆみ」を用いた。彼女は、その愛らしい容姿から「かわいすぎるレスラー」として多くのファンに親しまれた一方で、卓越した技術と果敢なファイトスタイルで高い評価を獲得した。特に、M's Style、NEO女子プロレス、プロレスリングWAVEといった国内主要団体だけでなく、SHIMMER Women Athletes(アメリカ)やCMLL(メキシコ)など海外のリングでも活躍し、数々のタイトルを獲得した。度重なる怪我、特に右鎖骨の故障に苦しみながらも、2013年8月4日の引退興行「Thank You for Everything」でそのプロレス人生を締めくくった。引退後は保育士を目指すなど、新たな道に進んでいる。彼女のキャリアは、その技術と人気が融合した、女子プロレスの新たな可能性を示すものであった。
2. 生い立ちと背景
栗原あゆみのプロレスラーとしてのユニークな背景は、彼女の幼少期から形成された。
2.1. 出生から幼少期
栗原あゆみは1984年7月13日に生まれた。彼女の父は元プロボクサーであり、東京都新宿区牛込神楽坂で焼肉店「三宝」を経営していた。この店は、女子プロレスラーの常連客が多く、幼少の頃よりプロレスラーが周囲にいる環境で育った。店内では後にプロレスリングWAVEで共に活動する渋谷シュウも働いていた時期があり、また元プロレスリング・ノアの佐野巧真はここで修業した後に独立開業している。さらに、この店はプロレスイベントのスポンサーにもなっていた。プロレスラー以外の常連客としては、ウエイトリフティングのオリンピックメダリストである三宅義行・三宅宏実父娘もおり、三宅宏実がテレビ番組でこの店を行きつけとして紹介したこともあった。現在、「三宝」は別のオーナーに経営権が譲渡されている。
2.2. 学生時代とデビュー前
学生時代にはバスケットボール部に所属していた。高校卒業後、しばらくの間は特定の職業に就かずに過ごした後、メジャー女子プロレスAtoZの練習生となる。しかし、その後退団し、M's Styleの練習生に転籍した。M's Styleでは、GAMI、吉田万里子、AKINO、大向美智子といった日本の著名な女子プロレスラーから指導を受け、プロレスの技術を習得した。
3. プロレスラーとしてのキャリア
栗原あゆみは2005年にデビューして以来、その卓越した技術と魅力的なファイトスタイルで国内外の女子プロレス界を牽引した。
3.1. デビューと初期の所属団体
栗原あゆみは2005年4月24日、20歳でM's Styleの旗揚げ一周年記念興行「Mab~夢を支配~」におけるワンデートーナメントでプロデビューを果たした。1回戦で師匠であるGAMIと対戦し、ポキを切り返す形でフォールを奪い、金星を挙げた。しかし、同大会の2回戦では植松寿絵にフライング・ボディ・プレスで敗れた。
デビュー後、彼女はM's Styleで精力的に活動し、木村響子、アジャ・コング、浜田文子、未来、輝優優など、多くの先輩や同世代のレスラーと対戦した。特に、2005年12月23日の「Mab~夢を支配 Final~」では、アジャ・コングと組み、植松寿絵、輝優優組を相手に、ミサイルキックで植松から勝利を収めるなど、初期からその実力を発揮した。
2006年に入ると、"息吹"、JDStarの「格闘美~Future~」などにも参戦。2006年1月29日の「"息吹"第5回大会」では中川ともかから腕ひしぎ逆十字固めでギブアップ勝ちを収めた。2006年10月8日、M's Styleは「Reincarnation~転生~」と題された興行で閉鎖された。この大会のメインイベントは、闘獣牙Leon、闘牛・空(江本敦子)、栗原の若手トリオが、AKINO、大向美智子、吉田万里子のベテラントリオと対戦する6人タッグマッチで、若手組が勝利を収めた。M's Style閉鎖後、栗原はフリーランスとして活動を開始し、NEO女子プロレス、JWP、JDStar、"息吹"、プロレスリングSUNなど、様々な団体に参戦した。M's Style在籍時には、大向美智子から裏投げの指導を受け、浜田文子、チェリー組とのタッグ戦でその技を披露し、勝利に繋げた。2006年12月には、若手レスラー向けの特別興行で渋谷シュウと対戦し、この試合はファン投票でその夜のベストバウトに選ばれ、両者はトロフィーを獲得した。
3.2. 怪我と復帰
キャリアの中で、栗原あゆみはいくつかの深刻な怪我を経験し、その度に困難な復帰への道のりを歩んだ。
2007年7月16日、後楽園ホールで開催されたNEO女子プロレス「Summer Stampede '07」で、渋谷シュウと組んで希月あおい、野崎渚組と対戦中、希月あおいからの強烈なフライング・クローズラインを受け、右鎖骨を骨折した。しかし、栗原は試合を続行し、さらに3発のミサイルキックを放ち、最終的に勝利を収めるという気迫を見せた。
この怪我により長期欠場を余儀なくされたが、2007年12月9日に大向美智子の引退興行でメインイベントのタッグマッチに出場し、復帰した。しかし、この試合で再び鎖骨を悪化させ、手術が必要となった。2007年12月20日に手術が行われ、医師は彼女の股関節から骨と骨髄を採取し、チタンプレートとネジを用いて鎖骨の再建手術を行った。
2008年3月中旬頃から、吉田万里子とU-FILE CAMP道場で軽いトレーニングを再開した。そして、2008年12月14日、東京新宿FACEで自身がプロデュースした興行「Starting☆Over」で本格的にリングに復帰した。この興行では2試合に出場し、オープニングマッチでは渋谷シュウに勝利。メインイベントの2本先取3本勝負タッグマッチでは夏樹☆たいようと組み、ベテランのAKINOと高橋奈苗組と対戦した。
3.3. フリーランス時代と国内主要団体での活躍
M's Style閉鎖後、栗原あゆみはフリーランスとして活動の幅を広げ、国内の様々な主要団体でその実力を発揮した。
2009年2月22日には、OZアカデミーの後楽園大会でOZアカデミー正規軍への加入を表明し、以降OZアカデミーを主戦場の一つとした。
2009年12月31日、後楽園ホールで開催されたNEO女子プロレスの大会では、田村欣子と組んで、高橋奈苗&華名の持つNEO認定タッグ王座に挑戦。21分32秒に及ぶ激闘の末、栗原が華名にダブルニーアタックを放ち、エビ固めで勝利。第12代王者となり、これが栗原にとって初のタイトル獲得となった。
2010年12月31日には、NEO女子プロレス後楽園大会で田村欣子の引退試合の相手を務め、田村が持つNWA女子パシフィック&NEO認定シングル王座に挑戦。リストクラッチ裏投げで勝利し、第23代王者となった。
2011年10月30日、プロレスリングWAVEの「Like a Virgin 1224 WEST JAPAN~大阪ラプソディ DX~」にて、華名とタッグを組み、タッグトーナメント『DUAL SHOCK WAVE 2011』の決勝戦で植松寿絵&輝優優組を破り、初代WAVE認定タッグ王座を獲得した。
2012年7月16日には、プロレスリングWAVE主催のリーグ戦「Catch the WAVE」で初優勝を飾った。
2012年8月19日、AKINOと組んで、アジャ・コング、加藤園子組からOZアカデミー認定タッグ王座を獲得した。
2012年12月からは、U-FILE CAMP調布でプロレスインストラクターも務めるなど、後進の指導にもあたった。
3.4. 海外での活動
栗原あゆみは、国内だけでなく、アメリカやメキシコといった海外のプロレスシーンでもその実力を示し、国際的な評価を得た。
2010年4月には「Joshi4Hopeツアー」の一環として、アメリカ遠征を行った。SHIMMER Women AthletesとJAPW(Jersey All Pro Wrestling)に参戦し、シカゴの地元紙でもその活躍が記事にされた。SHIMMERでは4月10日と11日に収録されたVolume 29から32の大会に出場し、Volume 29では中川ともかを、Volume 30ではニッキー・ロックスを、Volume 31ではサラ・デル・レイを破るなど連勝を重ねた。しかし、Volume 32ではデイジー・ヘイズにカウントアウトで敗れた。
2010年5月下旬から6月上旬にかけて、メキシコに2度目の遠征を行った。5月29日にはメキシコシティのシルコ・ボラドールで開催された「Lucha Fan Fest」で、X-LAW女子エクストリーム選手権を獲得した。同日、アレナ・メヒコで開催された「Dragon Mania V」では、マルセラと組んで、下田美馬、ラ・コマンダンテ組に勝利した。5月30日にはAULL主催の8人タッグマッチにも参加した。その後、ライバルである中川ともかもメキシコを訪れ、栗原の持つタイトルに挑戦。6月3日にはアリーナ・ナウカルパンでのIWRG興行でノンタイトルマッチながら中川に敗れたものの、6月5日にAULL主催のアリーナ・ロペス・マテオスでのタイトルマッチで中川を相手に防衛に成功した。メキシコでは、覆面を着用したA☆YU☆MIというリングネームで新たなコスチュームを披露した。
2010年9月11日と9月12日には、再びSHIMMER Women Athletesに参戦し、Volume 33から36の収録に参加した。Volume 33では前回の雪辱を果たす形でデイジー・ヘイズに勝利し、Volume 34ではマディソン・イーグルスが持つSHIMMER王座に挑戦するも敗れた。Volume 35ではチアリーダー・メリッサに勝利し、Volume 36では浜田文子、チアリーダー・メリッサ、セレナ・ディーブと組んで、デイジー・ヘイズ、中川ともか、マディソン・イーグルス、サラ・デル・レイ組とのエリミネーションマッチに勝利した。
2011年10月1日、浜田文子と組んで、デイジー・ヘイズ、中川ともか組からSHIMMERタッグ王座を獲得した。
2011年11月26日、自身のデビュー6周年記念興行のメインイベントでマルセラを破り、CMLL世界女子王座を奪取した。これにより、彼女は史上5人目の日本人CMLL世界女子王者となり、初代王者であるブル中野がチャンピオンベルトを巻いて祝福した。2012年1月15日のREINAでの防衛戦ではヘイリー・ヘイトレッドを相手に初防衛に成功した。しかし、2012年3月9日、メキシコシティでのマルセラとの再戦でタイトルを失った。SHIMMERタッグ王座も7度の防衛を果たした後、2012年3月18日に収録されたVolume 48のタッグマッチでコートニー・ラッシュ、サラ・デル・レイ組に敗れ、タイトルを失った。
3.5. 主なタイトル獲得とトーナメント優勝
栗原あゆみは、そのプロレスラーとしてのキャリアにおいて、国内外の多くのタイトルを獲得し、主要なトーナメントで優勝を飾った。
- NEO認定タッグ王座(第12代、パートナーは田村欣子)
- NWA女子パシフィック&NEO認定シングル王座(第23代)
- SHIMMERタッグ王座(第5代、パートナーは浜田文子)
- WAVE認定タッグ王座(初代、パートナーは華名)
- CMLL世界女子王座(第14代)
- アイアンマンヘビーメタル級王座(第905代、第909代)
- OZアカデミー認定タッグ王座(第15代、パートナーはAKINO)
- X-LAW女子エクストリーム選手権(初代)
- Catch the WAVE 2012 優勝
- DUAL SHOCK WAVE 2011 優勝(パートナーは華名)
3.6. 引退
度重なる怪我との闘いの末、栗原あゆみは惜しまれつつもプロレスラーとしてのキャリアに幕を閉じる決断を下した。
3.6.1. 引退発表の背景と経緯
2013年3月28日、栗原あゆみは、度重なる怪我、特に古傷である鎖骨への負担が限界に達したことを理由に、プロレスラーからの引退を正式に発表した。引退興行は2013年8月4日に開催されることも同時に発表された。引退発表会見では、長年の激しい試合による身体への蓄積されたダメージが、この決断の大きな要因であることを明らかにした。
3.6.2. 引退興行「Thank You for Everything」
栗原あゆみの引退興行「Thank You for Everything」は、2013年8月4日に後楽園ホールで盛大に開催された。この興行は、栗原の師匠の一人であり、かつ栗原の主戦場の一つでもあったプロレスリングWAVEを運営するZABUNの支援の下で開催された。入場者数は1,813人を記録した。
大会開始前には、7月29日に逝去した元全日本女子プロレスリングアナウンサーであり、大日本プロレスでも活躍した今井良晴を追悼するためのテンカウントゴングが打ち鳴らされ、会場全体で黙祷が捧げられた。

この興行では、栗原あゆみ自身が2試合に出場した。
第1試合では、自身の愛弟子である飯田美花と最後のシングルマッチを行った。飯田のセコンドには府川唯未が、栗原のセコンドには大向美智子がそれぞれ付き、かつてアルシオンで「ナチュラル・ツインビー」として名を馳せた両者の揃い踏みが12年ぶりに実現し、注目を集めた。試合は栗原が変形裏投げからの体固めで勝利を収めた。
第2試合では、旧姓・広田さくらが栗原のコスプレで登場し、華名とのタッグチーム「カナアユ」が一日限定で復活した。
メインイベントとなる引退試合では、栗原あゆみが師匠のAKINO、そして飯田美花と「秋の栗ご飯」トリオを結成し、GAMI、アジャ・コング、中川ともか組と6人タッグマッチで対戦した。この試合のクライマックスでは、アジャ・コングが呼びかけたトレイン攻撃に、セコンド陣や当日参戦選手に加え、お祝いに駆けつけたかつてのライバルである風香や高橋奈苗、夏樹☆たいよう、紫雷イオといったスターダム勢も参加し、豪華な顔ぶれがリング上を駆け巡った。直接の絡みはないものの、紫雷イオと紫雷美央が同じリングに上がったのは2年ぶりという稀有な瞬間でもあった。試合は栗原がアジャ・コングから裏投げからの体固めで3カウントを奪い、有終の美を飾った。
試合後の引退セレモニーでは、栗原あゆみが憧れだった北斗晶からのビデオメッセージが上映され、多くのファンを感動させた。また、花束贈呈には、幼少期から栗原の家の焼肉店に通っていたウエイトリフティングのオリンピックメダリスト、三宅義行も駆けつけた。栗原が使用したマットには、彼女が唯一所属した団体であるM's Styleのロゴが刻まれており、セレモニーではAKINOからM's Styleのチャンピオンベルトが贈呈されるなど、思い出深い演出が多数用意された。栗原あゆみは、ファンや仲間たちに囲まれ、涙よりも笑顔で10年間のプロレス人生に感謝を伝え、リングを後にした。
| 第1試合 | |||
|---|---|---|---|
| 〇栗原あゆみ | 9分4秒 | 飯田美花● | |
| 第2試合 | |||
| 〇渋谷シュウ | 12分59秒 | 旧姓・広田さくら● | |
| 第3試合 | |||
| ダイナマイト・関西 | 12分46秒 | 水波綾● | |
| 第4試合 時間差バトルロイヤル | |||
| 〇大畠美咲 | 18分13秒 | 救世忍者乱丸● | |
| 退場順:志田光、木村響子、春日萌花、桜花由美、朱里、藤本つかさ、チェリー、山縣優、松本浩代、ハイビスカスみぃ | |||
| 第5試合 | |||
| 〇浜田文子 | 9分10秒 | Sareee● | |
| 栗原あゆみ引退試合 | |||
| AKINO | 24分5秒 | GAMI | |
4. ファイトスタイルとリングネーム
栗原あゆみは、その愛らしいルックスとは裏腹に、ハードヒッティングな攻撃と多彩な技を駆使する、個性的なファイトスタイルで知られた。
4.1. 主要な得意技
栗原あゆみは、特に以下のような技を試合で多用した。
- 裏投げ
- 主なフィニッシュ・ホールドの一つ。形としてはエクスプロイダーに近いが、女子プロレス界で「裏投げ」と呼ばれる際は、この型を指すことが多い。師である大向美智子から直接伝授された技であり、後にSareeeへも直接伝授している。
- リストクラッチ裏投げ
- 正面から相手の左腕を捕らえ、そのまま自分の右脇下に頭部を差し込んで組み付き、後方へ反り投げて相手を後頭部からマットに突き刺す強力な技。これもSareeeに伝授された。
- ネバギバ
- ジャンピングダブルニーの形で両膝を相手の両肩に乗せ、そのまま押し倒してフォールを奪う技。ここ一番でのフィニッシャーとして用いられた。前村早紀の同名技とは異なり、戸澤陽の「戸澤塾秘伝・巌鬼」と同型である。
- バーティカル・スープレックス・ホールド
- 高速で相手をブレーンバスターの形に持ち上げ、投げ切った後もブリッジを崩さずにフォールの体勢に入る投げ技。女子プロレスでは古くから存在する技であり、男子プロレスではあまり見られない技である。
- ドロップキック
- 若手時代からの得意技。スクリュー式で繰り出すのが特徴で、本人も「こだわりのドロップキック」と称していた。ロープを背に尻餅をついた相手に対し、走り込んで放つバリエーションもあり、相手が場外へ反りかえるほどの勢いを見せた。
- ミサイルキック
- コーナーポスト上で祈るように手を握り合わせてから放つのが特徴。これもスクリュー式であり、飯田美花にも伝授されている。
- ミラクルキック
- ミサイルキックの派生技で、場外の相手に対して放つ。近年ではあまり見られなくなった。
- ダブル・ニー・アタック
- 主に観客を拍手で煽ってから串刺し式で用いられる。コーナーで尻餅をついた相手に仕掛ける場合もある。
- バック・クラッカー
- 試合の流れを変える際によく用いられた技。クリス・ジェリコのコード・ブレイカーのように顔面に仕掛ける場合や、ザ・ハリケーンのように片足で仕掛けるバリエーションもあった。
- こいのぼり(首ひっかけ)
- フライング・ネックブリーカー・ドロップ。連発で使用する。相手の首に腕を巻き付けた後、前受身を取るような形となる、いわゆる女子式の技である。
- プランチャ・スイシーダ
- コーナーポスト上から場外の相手に仕掛けるタイプが多かった。栗原が使用する代表的な場外への飛び技の一つ。
- ヘッドバット
- エルボーの打ち合いや打撃戦の最中に不意に繰り出す。
- マロール
- 座った相手の後方から、相手の後頭部に自身の臀部を当てる形で立ち、両足を相手の両脇に引っ掛け、相手を巻き込みながら前転して丸め込む。
4.2. リング上の特徴とペルソナ
栗原あゆみは、その試合中に見せる個性的な振る舞いでもファンを魅了した。ドロップキックやミサイルキックを多用するスタイルは彼女の代名詞であり、特にミサイルキックを放つ前にはコーナーポストで祈るように手を合わせるのが特徴的であった。
また、彼女は打撃を躊躇せず、タフなファイトスタイルで知られた。かつてプロレスリングSUNで彼女とミックスドタッグマッチで対戦したアメリカのレスラー、スティーブ・コリーノは彼女を「ちっちゃいカワダ」と評し、そのハードヒットぶりを認めた。これは、彼女の可愛らしい見た目とのギャップを際立たせるものであった。
4.3. リングネームの由来
栗原あゆみのリングネームは、本名である「吉橋 亜弓」の「亜弓」を、漢字から仮名表記の「あゆみ」に変えたものである。これにより、より親しみやすく、覚えやすい名前となった。
5. 私生活
栗原あゆみは、プロレスラーとしての活動以外にも、幼少期のユニークな環境や引退後の生活で注目された。
5.1. 家族と結婚
栗原あゆみの実家は、東京都新宿区牛込神楽坂で焼肉店「三宝」を経営しており、この店は多くのプロレスラーが訪れる場所であった。このような環境が、彼女がプロレスの世界に進むきっかけの一つとなった。
彼女は、プロレスラーのYOSHI-HASHIと結婚している。この結婚は、彼女がプロレスラーを引退した後に別冊宝島で報じられた。
5.2. 引退後の活動
プロレスラーを引退した後、栗原あゆみは表舞台から一切姿を消し、保育士になるという新たな目標に向かって進んでいることを発表した。引退後もイベントなどに登場することはなく、新たな人生計画に専念している。
6. 獲得タイトルと受賞歴
栗原あゆみは、そのプロレスラーとしてのキャリアにおいて、数多くのタイトルを獲得し、個人としても様々な賞を受賞した。
| 団体名 | タイトル/賞 | 獲得回数 | 補足 |
|---|---|---|---|
| CMLL | CMLL世界女子王座 | 1回 | |
| Dramatic Dream Team | アイアンマンヘビーメタル級王座 | 2回 | 第905代、第909代 |
| JDStar | League Princess ベストバウト賞 | 1回 | 2006年5月4日 vs 渋谷シュウ |
| NEO女子プロレス | NWA女子パシフィック&NEO認定シングル王座 | 1回 | |
| NEO女子プロレス | NEO認定タッグ王座 | 1回 | パートナー: 田村欣子 |
| NEO女子プロレス | Best Bout of the Night | 1回 | 2006年12月31日 vs 渋谷シュウ |
| 日刊スポーツ | 女子プロレス ベストタッグチーム賞 | 1回 | 2010年、パートナー: 田村欣子 |
| OZアカデミー | OZアカデミー認定タッグ王座 | 1回 | パートナー: AKINO |
| OZアカデミー | ベストウィザード賞 | 2回 | 2012年ベストタッグマッチ賞 (vs アジャ・コング & 加藤園子、パートナー: AKINO)、2012年MVP賞 |
| プロレスリングWAVE | POK Championship | 1回 | |
| プロレスリングWAVE | WAVE認定タッグ王座 | 1回 | パートナー: 華名 |
| プロレスリングWAVE | Catch the WAVE | 1回 | 2012年優勝 |
| プロレスリングWAVE | Dual Shock Wave | 1回 | 2011年優勝 (パートナー: 華名) |
| プロレスリングWAVE | Catch the WAVE ベストバウト賞 | 2回 | 2011年 (vs 大畠美咲 5月29日)、2012年 (vs 朱里 6月24日) |
| SHIMMER Women Athletes | SHIMMERタッグ王座 | 1回 | パートナー: 浜田文子 |
| X-LAW | X-LAW女子エクストリーム選手権 | 1回 |
7. その他の活動
栗原あゆみは、プロレスの試合以外にも多岐にわたる活動を行っていた。
7.1. 自主興行
栗原あゆみは、自身の名前を冠した自主興行を複数回開催している。
- アニマルマロン興行**: 2006年7月16日、闘牛・空、闘獣牙Leonと合同で企画・開催された。
- 栗原あゆみ復帰興行「Starting☆Over」**: 2008年12月14日に新宿FACEで開催された、栗原初の自主興行。長期欠場からの復帰戦が組まれた。
- 栗原あゆみデビュー5周年記念試合**: 2010年4月24日、千葉マリンスタジアム正面入口前イベントスペースで開催。
- デビュー5周年記念興行**: 2010年12月12日、新宿FACEで開催された。
- 栗原あゆみデビュー6周年記念試合**: 2011年4月24日、フクダ電子アリーナウエルカムステージで開催。
7.2. メディア出演と出版
プロレス活動と並行して、栗原あゆみは様々なメディアに登場し、出版物も手掛けた。
- 雑誌連載**:
- 『週刊ゴング』および『Lady'sゴング』で「へなちょこつうしん」を連載した。
- テレビ・ラジオ出演**:
- MBSラジオ「もっともゴチャ・まぜっ!」
- 日本テレビ系「魔女たちの22時」
- テレビ朝日系「『ぷっ』すま」
- テレビ朝日系「雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!」
- 写真集**:
- 『A-STYLE』(2010年12月20日、源流社、撮影:尾形正成)ISBN 978-4773910155
- 『AーSTYLE 2ND』(2011年12月1日、源流社)ISBN 978-4773911053
7.3. 入場テーマ曲
プロレスの試合入場時には、「希望峰」(Strawberry JAM)を使用していた。この曲は、かつて江本敦子が栗原に推薦したことがあり、テレビアニメ『スパイラル -推理の絆-』のオープニングテーマ曲としても知られている。
8. 評価と影響
栗原あゆみは、そのキャリアを通じて、プロレス界内外に大きな影響を与え、多角的な評価を受けた。
8.1. 大衆からの評価と人気
栗原あゆみは、その愛らしい容姿から「かわいすぎるレスラー」という愛称で呼ばれ、プロレスファンだけでなく、一般大衆からも広く注目を集めた。メディアでの露出も多く、テレビ番組や雑誌連載を通じて、女子プロレスの魅力をより幅広い層に伝えることに貢献した。彼女のリング上での全力ファイトと、リングを降りた後の親しみやすいキャラクターとのギャップも、その人気の要因であった。
8.2. プロレス界への影響
栗原あゆみは、その技術とプロ意識の高さで、女子プロレス界に多大な影響を与えた。特に、彼女の得意技である裏投げは、師である大向美智子から受け継ぎ、後に自身の弟子である飯田美花や、将来のトップレスラーとなるSareeeにも伝授されるなど、技術の継承に貢献した。
彼女の引退は、女子プロレス界にとって大きな損失であったが、その引退興行には、国内外のトップレスラーやかつてのライバルたちが集結し、栗原あゆみがプロレス界で築き上げた人脈と、後進に与えた影響の大きさを物語っていた。彼女の存在は、女子プロレスが「可愛い」という側面だけでなく、「強い」という本質を兼ね備えることができることを証明し、女子プロレスラーのイメージを多角的に広げた点で、その功績は大きい。