1. 概要

栗澤 僚一(くりさわ りょういち、Ryoichi Kurisawaリョウイチ・クリサワ英語)は、1982年9月5日に千葉県松戸市で生まれた日本の元サッカー選手であり、現在はサッカー指導者として活躍している。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)で、FC東京と柏レイソルの2つのクラブでプロキャリアを築いた。特に柏レイソルでは、J2優勝、J1優勝、Jリーグカップ優勝など、数々のタイトル獲得に貢献した。引退後は指導者の道に進み、現在は柏レイソルのヘッドコーチを務めている。
2. 個人的な背景
栗澤僚一は、幼少期からサッカーに親しみ、その才能を磨いていった。
2.1. 出生と幼少期
栗澤僚一は1982年9月5日に千葉県松戸市で誕生した。6歳の時に兄の影響でサッカーを始めた。小学校卒業時には柏レイソルのジュニアユースへの加入を目指したが、選考を通過できず、中学校時代には専門的な指導を受ける機会に恵まれなかった。
2.2. 学歴
中学時代にトレセンでのプレーが認められ、1998年に千葉県内の強豪校である習志野高校へ進学した。しかし、全国大会で目覚ましい成績を残すことはできず、千葉県選抜として臨んだ国体も地区予選で敗退したため、全国的には無名の存在であった。
習志野高校サッカー部の本田裕一郎監督の紹介を受け、2001年に流通経済大学へ進学し、法学部で学んだ。当時、流通経済大学はサッカー部の強化に乗り出してから日が浅く、栗澤が入学した年は茨城県大学リーグに所属していた。しかし、栗澤は2学年上のFW阿部吉朗の練習への取り組み姿勢から刺激を受け、阿部との良好な連携を通じて自身のプレーを磨いていった。大学3年時には関東大学リーグ2部で優勝を果たし、先輩の塩田仁史および池田昌広と共にベストイレブンに選出された。
3. 選手経歴
栗澤僚一は、ユース時代からプロキャリアを通じて、日本のサッカー界で重要な役割を果たした。
3.1. ユース経歴
栗澤僚一は、小学校時代に柏イーグルス(1989年 - 1991年)と新松戸SC(1992年 - 1994年)でプレーした。中学校時代は松戸市立新松戸北中学校(1995年 - 1997年、現:松戸市立小金中学校)に所属。その後、習志野市立習志野高等学校(1998年 - 2000年)を経て、流通経済大学(2001年 - 2004年)でプレーした。
大学在学中の2004年には、特別指定選手としてFC東京に加入。MFケリーの負傷離脱などにより出場機会を掴むと、巧みなボールコントロールと高い基本技術でチームからの信頼を獲得した。同年7月には、翌年からのFC東京との正式契約を結んだ。
3.2. プロ経歴
栗澤僚一のプロキャリアは、FC東京での初期の活躍から、柏レイソルでの長期にわたる貢献まで、多岐にわたる。
3.2.1. FC東京
2005年に大学を卒業し、正式にFC東京に合流した。シンプルに味方を使ってリズムを作り、豊富な運動量とミスの少ない堅実なプレーでチームに貢献。ルーキーながら同年のJ1リーグ全試合に出場した。Jリーグでの初得点は、J1第4節のジュビロ磐田戦で記録。当時FC東京が苦手としていた磐田から5年ぶりの勝利をもぎ取る、値千金の決勝ゴールであった。
2006年は負傷の影響で出場機会を減らしたが、「フォアザチーム」を体現するプレーぶりへの信頼は厚く、同年をもって現役を引退する三浦文丈からは自身の背番号10を受け継いでほしいと後継者に指名されていた(しかし、2007年にパウロ・ワンチョペが10番を着用したため、これは実現しなかった)。復調後は、攻守のバランスを取りつつ、チームの潤滑油として奮闘を続けた。しかし、2008年になると新加入のMF羽生直剛と役割が重なったことなどにより、出場機会が激減した。
3.2.2. 柏レイソル
2008年8月、鈴木達也との交換トレードの形で柏レイソルへ期限付き移籍した。谷澤達也の移籍によって空いた背番号28を着用し、主に攻撃的な位置で得点に絡むことを意識してプレーしていたFC東京在籍時とは一転し、ボランチとしてレギュラーに定着した。2009年も移籍期間を延長して柏でのプレーを続けたが、チームの失点増加を食い止めきれず、自身初のJ2降格を経験した。
2010年からは柏へ完全移籍となった。この年のリーグ戦ではチーム最多となる11枚のイエローカードを提示されるなど、警告処分を厭わない守備でチームを支え、J2リーグでのリーグ最小失点優勝およびJ1リーグ復帰に大きく貢献した。翌2011年には、右ボランチとしてレアンドロ・ドミンゲスと酒井宏樹の右サイドアタック陣を支え続け、J1リーグ優勝に多大な貢献を果たした。同年にはFIFAクラブワールドカップ2011にも出場し、準々決勝のモンテレイ戦でのPK戦ではキッカーも務め、チームのベスト4入りに貢献した。
その後も、こぼれ球の予測に長け、セカンドボールの回収に優れるボランチの中軸として出場を続けた。主将大谷秀和に代わってゲームキャプテンを務める機会もあり、2013年のヤマザキナビスコカップでは自身の手で優勝杯を掲げた。ジョルジ・ワグネルが退団した2014年からはチーム最年長となり、先発を外れる機会が多くなったが、衰えない運動量で計算できる貴重な選手として重宝された。
2018年12月1日、現役引退が発表された。
3.3. 選手スタイルと特徴
栗澤僚一は右足を利き足とするミッドフィールダーであった。身長は170 cm、体重は64 kgであった。シンプルに味方を使ってリズムを作り出す能力に長け、豊富な運動量とミスの少ない堅実なプレーでチームに貢献した。特に「フォアザチーム」を体現する献身的なプレーぶりはチームからの信頼が厚く、攻守のバランスを取りながらチームの潤滑油として機能した。また、こぼれ球の予測に優れ、セカンドボールの回収能力も高かった。現役終盤になってもその運動量は衰えることがなく、チームにとって貴重な存在であり続けた。
FC東京時代にはジュビロ磐田との試合で相性が良く、通算3試合で3得点を挙げたことから「磐田キラー」の異名で呼ばれた。
3.4. 主要なキャリアマイルストーン
- 2004年4月3日:Jリーグ初出場 - J1 1stステージ第3節 vs東京ヴェルディ1969(味の素スタジアム)
- 2004年7月17日:公式戦初得点 - ヤマザキナビスコカップ グループD第5節 vsヴィッセル神戸(神戸ウイングスタジアム)
- 2005年4月10日:Jリーグ初得点 - J1第4節 vsジュビロ磐田(味の素スタジアム)
- 2009年5月5日:J1・100試合出場 - J1第10節 vs浦和レッドダイヤモンズ(国立競技場)
- 2013年10月19日:J1・200試合出場 - J1第29節 vsヴァンフォーレ甲府(柏サッカー場)
3.5. 通算成績
栗澤僚一のプロキャリアにおける通算成績は以下の通りである。
クラブ成績 | リーグ | カップ | リーグカップ | 大陸 | その他(スーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ) | 合計 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
日本 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | AFC | その他 | 合計 | ||||||||
2004 | 流経大 | - | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | ||||||
2004 | FC東京 | J1 | 6 | 0 | 3 | 1 | - | 9 | 1 | |||||
2005 | J1 | 34 | 3 | 5 | 1 | 2 | 0 | 41 | 4 | |||||
2006 | J1 | 13 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 16 | 1 | |||||
2007 | J1 | 22 | 0 | 5 | 0 | 3 | 0 | 30 | 0 | |||||
2008 | J1 | 4 | 0 | 3 | 0 | - | 6 | 0 | ||||||
柏 | J1 | 11 | 1 | - | 5 | 0 | 16 | 1 | ||||||
2009 | J1 | 32 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 38 | 0 | |||||
2010 | J2 | 31 | 0 | - | 3 | 0 | 34 | 0 | ||||||
2011 | J1 | 31 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 36 | 0 | |||||
2012 | J1 | 26 | 0 | 3 | 0 | 4 | 0 | 33 | 0 | |||||
2013 | J1 | 26 | 0 | 5 | 0 | 3 | 0 | 34 | 0 | |||||
2014 | J1 | 14 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 19 | 0 | |||||
2015 | J1 | 19 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 22 | 0 | |||||
2016 | J1 | 18 | 1 | 2 | 0 | 2 | 0 | 22 | 1 | |||||
2017 | J1 | 7 | 0 | 6 | 0 | 2 | 0 | 15 | 0 | |||||
2018 | J1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | |||||
総通算 | 296 | 6 | 46 | 2 | 35 | 0 | 377 | 8 |
国際大会成績 | AFCチャンピオンズリーグ | FIFAクラブワールドカップ | 合計 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
シーズン | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
2011 | 柏 | 28 | - | 3 | 0 | 3 | 0 | |
2012 | 4 | 0 | - | 4 | 0 | |||
2013 | 10 | 2 | - | 10 | 2 | |||
2015 | 3 | 0 | - | 3 | 0 | |||
2018 | 2 | 0 | - | 2 | 0 | |||
通算 | 19 | 2 | 3 | 0 | 22 | 2 |
4. 指導者経歴
選手引退後、栗澤僚一は指導者の道に進み、柏レイソルでコーチとしてのキャリアをスタートさせた。
4.1. 指導者としての始まり
2018年12月1日に現役引退を発表した後、2019年より柏レイソルのコーチに就任し、指導者としてのキャリアをスタートさせた。
4.2. 主要な指導実績
2019年から2024年まで柏レイソルのトップチームコーチを務めた。2024年7月には、J1リーグ第22節のFC東京戦において、監督の井原正巳が体調不良のため、監督代行として指揮を執った。2025年からは同クラブのヘッドコーチに就任することが発表されている。
5. プライベート
栗澤僚一は、ピッチ外でも良好な人間関係を築き、親しまれる存在であった。
5.1. 結婚
2013年3月には、タレントの佐藤弥生と結婚した。
5.2. 人間関係
FC東京在籍時には、同時期に所属していた今野泰幸や馬場憂太と特に仲が良く、頻繁に互いの部屋を行き来する間柄であった。柏レイソルに移籍した後も馬場とは親交が深く、馬場のブログにも登場することがある。
5.3. 性格とニックネーム
栗澤僚一の愛称は「クリ」である。また、ジュビロ磐田との試合で相性が良く、通算3試合で3得点を挙げたことから「磐田キラー」というニックネームで呼ばれた。
6. 主な業績と受賞歴
栗澤僚一は選手として数々のタイトルを獲得し、個人としても評価された。
- チームタイトル**
- 関東大学リーグ2部:1回(2003年)
- J2リーグ:1回(2010年)
- J1リーグ:1回(2011年)
- Jリーグカップ:1回(2013年)
- 個人受賞歴**
- 関東大学リーグ2部ベストイレブン:1回(2003年)
7. 関連項目
- 特別指定選手としてJリーグクラブに登録された選手一覧
- FC東京の選手一覧
- 柏レイソルの選手一覧