1. 概要
井原正巳(井原 正巳いはら まさみ日本語、1967年9月18日 - )は、滋賀県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者である。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。長年にわたり日本代表のキャプテンを務め、1998 FIFAワールドカップに日本代表を導いた中心選手の一人として知られる。その鉄壁の守備から「アジアの壁」と称され、1990年代のJリーグを代表するディフェンダーとして活躍した。日本代表における国際Aマッチ出場数122試合は、遠藤保仁に抜かれるまで歴代最多記録であった。引退後はサッカー指導者として、Jリーグクラブや日本サッカー協会のU-23日本代表で指導に当たっている。
2. プロ入り前
井原正巳は1967年9月18日、滋賀県甲賀郡水口町(現在の甲賀市)に生まれた。小学3年生の時、兄が所属していた貴生川サッカー少年団でサッカーを始めた。甲賀市立水口中学校を経て、滋賀県立守山高等学校に進学し、1984年には全国高等学校サッカー選手権大会に出場した。
高校卒業後は筑波大学へ進学し、筑波大学蹴球部に所属。大学入学前に行われたワールドユース代表に向けたセレクションで、ディフェンダーのポジションに空きがあったことから転向を勧められ、それまでフォワードであったポジションをディフェンダーへと変更した。筑波大学時代には関東大学サッカーリーグ戦と総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントで1986年と1987年に2年連続優勝を達成している。また、大学2年時には日本代表に選出された。筑波大学時代には、後に日本代表でも活躍する中山雅史(当時ディフェンダー)とセンターバックでコンビを組み、ユース代表でも共にプレーするなど、公私ともに親しい関係を築いた。
3. 選手経歴
井原正巳は1990年に日産自動車サッカー部でプロとしてのキャリアをスタートさせ、後に横浜F・マリノス、ジュビロ磐田、浦和レッドダイヤモンズといったJリーグの強豪クラブでプレーした。また、サッカー日本代表の中心選手として、長年にわたり守備の要を担い、日本サッカー界の歴史的な瞬間に立ち会ってきた。
3.1. クラブ
筑波大学を卒業後、1990年に日産自動車サッカー部(現:横浜F・マリノス)に入部した。一時はボランチも経験したが、主にディフェンダーとしてプレーし、クラブの中心選手として活躍した。1991年から1992年にかけての天皇杯とアジアカップウィナーズカップの2連覇に貢献した。
1993年5月15日のJリーグ開幕節におけるヴェルディ川崎戦でJリーグデビューを果たし、同年5月29日のジェフユナイテッド市原戦ではJリーグ初のオウンゴールを記録した。同年のJリーグオールスターサッカーでは、三浦知良やジーコらを抑え、ファン投票で最多得票を獲得して出場した。1994年5月4日のヴェルディ川崎戦でJリーグ初ゴールを挙げた。
1995年にはJリーグ1stステージで優勝を果たすと、Jリーグチャンピオンシップでは、ヴェルディ川崎との第2戦でダイビングヘッドによる決勝ゴールを決め、横浜マリノス(当時)初のJリーグ年間優勝に大きく貢献した。長年クラブに貢献し、川口能活や中村俊輔といった若手選手の成長を支えたことから、日本の多くのファンから「ミスターマリノス」と呼ばれた。
日産時代から10シーズンにわたり横浜マリノスでプレーしたが、契約延長の提示がなく、コーチ就任要請を断り、2000年にジュビロ磐田へ移籍した。
2001年からは、日本代表で共に戦った福田正博が在籍する浦和レッドダイヤモンズに移籍。5月19日のガンバ大阪戦で移籍後初ゴールを記録したが、これが現役最後のゴールとなった。2002 FIFAワールドカップの組み合わせ抽選会ではアジア代表としてドロワーを務めた。
2002年シーズンは、Jリーグカップで決勝に進出するも鹿島アントラーズに敗れた。同年、Jリーグ最終節の古巣横浜F・マリノス戦に先発フル出場したのを最後に、チームメイトの福田正博と共に現役を引退した。Jリーグでは通算297試合に出場し5得点を記録した。リーグ通算では341試合出場、7得点。2004年1月4日には国立競技場で引退試合が開催され、この試合でもゴールを決めた。Jリーグのベストイレブンには1993年から1997年まで5年連続で選出され、Jリーグ30周年ベストイレブンにも選ばれている。
3.2. 日本代表
大学2年時の1988年に日本代表に選出され、1月27日のアラブ首長国連邦との親善試合で国際Aマッチ初出場を果たした。
1990 FIFAワールドカップ・アジア予選では朝鮮民主主義人民共和国に競り負けて一次予選敗退を喫した。1992年のAFCアジアカップでは、グループリーグ最終戦のイラン戦で、グループリーグ敗退の危機に瀕する中、試合終盤に三浦知良の決勝ゴールをアシストし、決勝トーナメント進出に貢献。決勝ではサウジアラビアを破り、日本代表初のアジアカップ優勝を成し遂げた。
1994 FIFAワールドカップ・アジア予選では、1993年5月5日に開催された一次予選のスリランカ戦で代表初ゴールを挙げるなど、一次予選、二次予選の全試合に先発フル出場したが、あと一歩のところでワールドカップ出場権を逃す「ドーハの悲劇」を経験した。1994年アジア大会ではベスト8で敗退したが、準々決勝の韓国戦で試合終盤に一時は同点となるスーパーロングシュートを決めている。
柱谷哲二が代表を退いた1995年以降は、加茂周代表監督によってキャプテンに指名され、以降代表引退までキャプテンを務めた。1995年6月3日のイングランド代表戦(アンブロ・カップ)では、ウェンブリー・スタジアムにおける日本代表選手唯一の得点者となっている。
1998 FIFAワールドカップ・アジア予選の最終予選では、第2戦のアラブ首長国連邦戦でフリーキックを頭で合わせたボールがゴールに向かったが、小村徳男がオフサイドポジションから触れて押し込んだためノーゴールとなった。苦戦を強いられながらも、アウェイでのウズベキスタン戦では、試合終了間際に呂比須ワグナーの同点ゴールをロングフィードでアシスト。最終節のカザフスタン戦で代表で最後となるゴールを決め、第3代表決定戦進出に貢献すると、イラン代表との決戦を制し、日本のワールドカップ初出場へ導いた。
1998 FIFAワールドカップ本大会では、大会直前に負傷したものの、キャプテンとして全3試合に先発フル出場。秋田豊、中西永輔(または小村徳男)と共にフラットな3バックを形成し、若手ゴールキーパーの川口能活と共に守備の要として、日本代表の初めてのワールドカップでの戦いを支えた。
1999年のコパ・アメリカでは、グループリーグの2試合に出場したが、ボリビア戦で後半83分に2度目の警告を受け退場処分となった。この大会が最後の代表戦となり、フィリップ・トルシエ監督は「出場停止であるという理由のみで招集しなかった訳ではない」とコメントし、以降再び招集されることはなかった。日本代表では1999年までに通算122試合に出場し5得点を記録した。
3.3. プレースタイルと評価
井原正巳は、その鉄壁の守備から「アジアの壁」と称された。冷静な判断と鋭い読み、向かってくる相手選手からボールを奪う巧さ、体をぶつけられても倒れない体の強さなど、ディフェンダーに求められる要素を全て備えていた。警告を受けることは少なかったが、激しい当たりを厭わない肉弾戦も展開した。
永島昭浩は、井原を総合的に判断すると歴代最高のディフェンダーであったと評価しており、ルイス・カルロス・ペレイラも当時のJリーグの選手の中で最高のディフェンダーとして井原の名を挙げている。また、日本と韓国のメディアでは、洪明甫と井原のどちらがアジア最高のリベロかという比較が盛んに行われた。
2020年にサッカーダイジェストが企画したJリーグ歴代ベストイレブンを選ぶ企画では、多くの専門家や関係者から歴代ベストイレブンに選出された。阿部勇樹は、幼少期の頃に好きだった選手として井原の名前を挙げている。
4. 指導者経歴
現役引退後、2006年4月にS級ライセンスを取得し、指導者の道を歩み始めた。
2006年8月から2008年8月までU-23日本代表のアシスタントコーチを務めた。
2009年2月にはJリーグクラブの柏レイソルのヘッドコーチに就任した。同年7月には、当時の監督である高橋真一郎の解任に伴い、後任監督が決定するまでの間、代行監督を務めた。2013年にもシーズン中に監督の辞意を表明したネルシーニョに代わって天皇杯の1試合で指揮を執った(ネルシーニョは後に辞意を撤回)。2014年限りで柏との契約を満了し退任した。
2015年よりアビスパ福岡の監督に就任。J2リーグの下位に低迷していたアビスパ福岡はマリヤン・プシュニク監督の後任として井原を招聘した。チームは42試合中24勝を挙げ、勝ち点82を獲得し、リーグ戦を3位で終えた。惜しくも2位で自動昇格のジュビロ磐田に勝ち点差で及ばなかったものの、J1昇格プレーオフに進出。プレーオフ決勝ではセレッソ大阪と1-1で引き分けたが、年間順位で上回ったため、チームを5年ぶりのJ1の舞台へと導いた。
2016年シーズンはJ1の舞台で指揮を執ったが、J1リーグ1stステージで2勝5分10敗、2ndステージで2勝2分13敗と苦戦し、1年でJ2降格となった。
2017年シーズンはJ2で21勝11分10敗の4位となり、再びJ1昇格プレーオフに進出。決勝戦で名古屋グランパスと対戦したが、0-0の引き分けに終わり、レギュレーションによりJ2残留となった。
2018年11月17日、J2最終節のFC岐阜戦終了後の会見で、J1昇格を逃した責任を取り、辞任を表明。11月19日にアビスパ福岡の公式サイトで正式に退任が発表された。
2018年12月13日、柏レイソルのヘッドコーチに復帰した。2022年4月には、左アキレス腱を断裂し手術を受けたネルシーニョ監督が復帰するまでの間、再び代行監督を務め、柏での監督代行はこれで3度目となった。
2023年5月17日には、チームの成績不振(リーグ戦2勝5分6敗で16位)により退任したネルシーニョ監督の後任として、柏レイソルの監督に就任。8月以降の公式戦では7勝8分け2敗と成績を立て直し、最終順位17位でJ1残留を決めた。一方の天皇杯では決勝に進出したが、川崎フロンターレにPK戦の末に惜敗した。天皇杯準優勝と、シーズン後半のチーム立て直しの手腕が評価され、2024年も監督を続投することとなった。2024年シーズンは、辛うじてチームをJ1に残留させたものの、この年で監督を退任した。
5. 引退後の活動
現役引退後は、NHKサッカー解説者やTBSラジオ番組『スポーツBOMBER!』のパーソナリティー(2003年度下半期・木曜日担当)としてメディア活動を行った。また、日本サッカー協会認定のJFAアンバサダー、びわこ成蹊スポーツ大学客員教授も務めるなど、多岐にわたる分野で活躍している。
公共広告機構(現:ACジャパン)の骨髄バンクキャンペーンCMに出演し、自身も骨髄バンクに登録していることを明かしている。日本各地の少年サッカー教室に参加するなど、サッカーの普及活動にも尽力している。2005年には洪明甫と共に日韓親善大使に選ばれた。
2025年からは再びNHKのサッカー解説に復帰し、『Jリーグタイム』にも不定期出演することとなっている。
その他、1997年12月の第48回NHK紅白歌合戦では審査員を務め、2001年5月にはTBSの『いのちの響』にも出演している。
6. 個人成績
6.1. クラブ別出場記録
年度 | クラブ | 所属リーグ | リーグ戦 | JSL杯 / Jリーグカップ | 天皇杯 | 期間通算 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |||
1990-91 | 日産自動車 | JSL1部 | 22 | 2 | 4 | 0 | 0 | 0 | 26 | 2 |
1991-92 | 22 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 25 | 0 | ||
1992 | 横浜マリノス | J | - | 8 | 0 | 5 | 0 | 13 | 0 | |
1993 | 32 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 33 | 0 | ||
1994 | 41 | 1 | 2 | 0 | 4 | 0 | 47 | 1 | ||
1995 | 47 | 1 | - | 2 | 0 | 49 | 1 | |||
1996 | 29 | 1 | 13 | 0 | 1 | 0 | 43 | 1 | ||
1997 | 22 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 24 | 0 | ||
1998 | 27 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 28 | 0 | ||
1999 | 横浜F・マリノス | J1 | 25 | 0 | 6 | 0 | 3 | 0 | 34 | 0 |
2000 | ジュビロ磐田 | J1 | 20 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 23 | 1 |
2001 | 浦和レッズ | J1 | 26 | 1 | 6 | 0 | 4 | 0 | 36 | 1 |
2002 | 28 | 0 | 9 | 1 | 0 | 0 | 37 | 1 | ||
J1リーグ通算 | 297 | 5 | 47 | 1 | 23 | 0 | 367 | 6 | ||
JSL1部通算 | 44 | 2 | 7 | 0 | 10 | 2 | 61 | 4 | ||
総通算 | 341 | 7 | 54 | 1 | 33 | 2 | 428 | 10 |
その他の公式戦:
- 1990年: コニカカップ 6試合0得点
- 1991年: コニカカップ 7試合0得点
- 1992年: ゼロックス・チャンピオンズ・カップ 1試合0得点
- 1995年: Jリーグチャンピオンシップ 2試合1得点
- 1996年: サンワバンクカップ 1試合0得点、XEROX SUPER CUP 1試合0得点
- 2000年: XEROX SUPER CUP 1試合0得点
Jリーグオールスターサッカー選出: 8回(1993年、1994年、1995年、1996年、1997年、1998年、2000年、2002年)
6.2. 日本代表出場・得点記録
年 | 出場 | 得点 |
---|---|---|
1988 | 5 | 0 |
1989 | 11 | 0 |
1990 | 6 | 0 |
1991 | 2 | 0 |
1992 | 11 | 0 |
1993 | 15 | 2 |
1994 | 9 | 1 |
1995 | 16 | 1 |
1996 | 13 | 0 |
1997 | 21 | 1 |
1998 | 10 | 0 |
1999 | 3 | 0 |
通算 | 122 | 5 |
詳細な試合出場記録:
No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1. | 1988年01月27日 | ドバイ、アラブ首長国連邦 | UAE | △1-1 | 横山謙三 | 国際親善試合 | ||
2. | 1988年01月30日 | アブダビ、アラブ首長国連邦 | UAE | ●0-2 | 国際親善試合 | |||
3. | 1988年02月02日 | マスカット、オマーン | OMA | △1-1 | 国際親善試合 | |||
4. | 1988年06月02日 | 愛知県、日本 | 名古屋市瑞穂公園陸上競技場 | CHN | ●0-3 | キリンカップ | ||
5. | 1988年10月26日 | 東京都、日本 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | KOR | ●0-1 | 日韓定期戦 | ||
6. | 1989年01月20日 | テヘラン、イラン | IRN | △2-2 | 国際親善試合 | |||
7. | 1989年05月05日 | ソウル、大韓民国 | KOR | ●0-1 | 日韓定期戦 | |||
8. | 1989年05月10日 | 東京都、日本 | 国立西が丘サッカー場 | CHN | △2-2 | 国際親善試合 | ||
9. | 1989年05月13日 | 岡山県、日本 | 岡山県総合グラウンド陸上競技場 | CHN | ○2-0 | 国際親善試合 | ||
10. | 1989年05月22日 | 香港、香港 | HKG | △0-0 | ワールドカップ予選 | |||
11. | 1989年05月28日 | インドネシア、インドネシア | IDN | △0-0 | ワールドカップ予選 | |||
12. | 1989年06月04日 | 東京都、日本 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | PRK | ○2-1 | ワールドカップ予選 | ||
13. | 1989年06月11日 | 東京都、日本 | 国立西が丘サッカー場 | IDN | ○5-0 | ワールドカップ予選 | ||
14. | 1989年06月18日 | 愛知県、日本 | 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 | HKG | △0-0 | ワールドカップ予選 | ||
15. | 1989年06月25日 | 平壌、朝鮮民主主義人民共和国 | PRK | ●0-2 | ワールドカップ予選 | |||
16. | 1989年07月23日 | リオデジャネイロ、ブラジル | BRA | ●0-1 | 国際親善試合 | |||
17. | 1990年07月27日 | 北京、中華人民共和国 | KOR | ●0-2 | ダイナスティカップ | |||
18. | 1990年07月29日 | 北京、中華人民共和国 | CHN | ●0-1 | ダイナスティカップ | |||
19. | 1990年07月31日 | 北京、中華人民共和国 | PRK | ●0-1 | ダイナスティカップ | |||
20. | 1990年09月26日 | 北京、中華人民共和国 | BAN | ○3-0 | アジア大会 | |||
21. | 1990年09月28日 | 北京、中華人民共和国 | KSA | ●0-2 | アジア大会 | |||
22. | 1990年10月01日 | 北京、中華人民共和国 | IRN | ●0-1 | アジア大会 | |||
23. | 1991年06月02日 | 山形県、日本 | 山形県総合運動公園陸上競技場 | THA | ○1-0 | キリンカップ | ||
24. | 1991年07月27日 | 長崎県、日本 | 長崎県立総合運動公園陸上競技場 | KOR | ●0-1 | 日韓定期戦 | ||
25. | 1992年05月31日 | 東京都、日本 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ARG | ●0-1 | ハンス・オフト | キリンカップ | |
26. | 1992年06月07日 | 愛媛県、日本 | 愛媛県総合運動公園陸上競技場 | WAL | ●0-1 | キリンカップ | ||
27. | 1992年08月22日 | 北京、中華人民共和国 | KOR | △0-0 | ダイナスティカップ | |||
28. | 1992年08月24日 | 北京、中華人民共和国 | CHN | ○2-0 | ダイナスティカップ | |||
29. | 1992年08月26日 | 北京、中華人民共和国 | PRK | ○4-1 | ダイナスティカップ | |||
30. | 1992年08月29日 | 北京、中華人民共和国 | KOR | △2-2(PK4-2) | ダイナスティカップ | |||
31. | 1992年10月30日 | 広島県、日本 | 広島県立びんご運動公園陸上競技場 | UAE | △0-0 | アジアカップ | ||
32. | 1992年11月01日 | 広島県、日本 | 広島広域公園陸上競技場 | PRK | △1-1 | アジアカップ | ||
33. | 1992年11月03日 | 広島県、日本 | 広島広域公園陸上競技場 | IRN | ○1-0 | アジアカップ | ||
34. | 1992年11月06日 | 広島県、日本 | 広島県総合グランドメインスタジアム | CHN | ○3-2 | アジアカップ | ||
35. | 1992年11月08日 | 広島県、日本 | 広島広域公園陸上競技場 | KSA | ○1-0 | アジアカップ | ||
36. | 1993年03月07日 | 福岡県、日本 | 東平尾公園博多の森陸上競技場 | HUN | ●0-1 | ハンス・オフト | キリンカップ | |
37. | 1993年03月14日 | 東京都、日本 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | USA | ○3-1 | キリンカップ | ||
38. | 1993年04月08日 | 愛知県、日本 | 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 | THA | ○1-0 | ワールドカップ予選 | ||
39. | 1993年04月11日 | 東京都、日本 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | BAN | ○8-0 | ワールドカップ予選 | ||
40. | 1993年04月15日 | 東京都、日本 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | SRI | ○5-0 | ワールドカップ予選 | ||
41. | 1993年04月18日 | 東京都、日本 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | UAE | ○2-0 | ワールドカップ予選 | ||
42. | 1993年04月28日 | ドバイ、アラブ首長国連邦 | THA | ○1-0 | ワールドカップ予選 | |||
43. | 1993年05月05日 | ドバイ、アラブ首長国連邦 | SRI | ○6-0 | ワールドカップ予選 | |||
44. | 1993年05月07日 | アル・アイン、アラブ首長国連邦 | UAE | △1-1 | ワールドカップ予選 | |||
45. | 1993年10月04日 | 東京都、日本 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | CIV | ○1-0(延長) | アフロ・アジア選手権 | ||
46. | 1993年10月15日 | ドーハ、カタール | KSA | △0-0 | ワールドカップ予選 | |||
47. | 1993年10月18日 | ドーハ、カタール | IRN | ●1-2 | ワールドカップ予選 | |||
48. | 1993年10月21日 | ドーハ、カタール | PRK | ○3-0 | ワールドカップ予選 | |||
49. | 1993年10月25日 | ドーハ、カタール | KOR | ○1-0 | ワールドカップ予選 | |||
50. | 1993年10月28日 | ドーハ、カタール | IRQ | △2-2 | ワールドカップ予選 | |||
51. | 1994年05月22日 | 広島県、日本 | 広島広域公園陸上競技場 | AUS | △1-1 | パウロ・ロベルト・ファルカン | キリンカップ | |
52. | 1994年05月29日 | 東京都、日本 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | FRA | ●1-4 | キリンカップ | ||
53. | 1994年07月08日 | 愛知県、日本 | 名古屋市瑞穂公園陸上競技場 | GHA | ○3-2 | アシックスカップ | ||
54. | 1994年07月14日 | 愛知県、日本 | 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 | GHA | ○2-1 | アシックスカップ | ||
55. | 1994年09月27日 | 東京都、日本 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | AUS | △0-0 | 国際親善試合 | ||
56. | 1994年10月03日 | 広島県、日本 | みよし運動公園陸上競技場 | UAE | △1-1 | アジア大会 | ||
57. | 1994年10月05日 | 広島県、日本 | 広島県総合グランドメインスタジアム | QAT | △1-1 | アジア大会 | ||
58. | 1994年10月09日 | 広島県、日本 | 広島県立びんご運動公園陸上競技場 | MYA | ○5-0 | アジア大会 | ||
59. | 1994年10月11日 | 広島県、日本 | 広島県総合グランドメインスタジアム | KOR | ●2-3 | アジア大会 | ||
60. | 1995年01月06日 | リヤド、サウジアラビア | NGA | ●0-3 | 加茂周 | インターコンチネンタル選手権 | ||
61. | 1995年01月08日 | リヤド、サウジアラビア | ARG | ●1-5 | インターコンチネンタル選手権 | |||
62. | 1995年02月15日 | シドニー、オーストラリア | AUS | ●1-2 | 国際親善試合 | |||
63. | 1995年02月21日 | 香港、香港 | KOR | △1-1 | ダイナスティカップ | |||
64. | 1995年02月23日 | 香港、香港 | CHN | ○2-1 | ダイナスティカップ | |||
65. | 1995年02月26日 | 香港、香港 | KOR | △2-2(PK5-3) | ダイナスティカップ | |||
66. | 1995年05月21日 | 広島県、日本 | 広島広域公園陸上競技場 | SCO | △0-0 | キリンカップ | ||
67. | 1995年05月28日 | 東京都、日本 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ECU | ○3-0 | キリンカップ | ||
68. | 1995年06月03日 | ロンドン、イングランド | ウェンブリー・スタジアム | ENG | ●1-2 | アンブロカップ | ||
69. | 1995年06月06日 | リバプール、イングランド | BRA | ●0-3 | アンブロカップ | |||
70. | 1995年06月10日 | ノッティンガム、イングランド | SWE | △2-2 | アンブロカップ | |||
71. | 1995年08月06日 | 京都府、日本 | 京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場 | CRC | ○3-0 | 国際親善試合 | ||
72. | 1995年08月09日 | 東京都、日本 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | BRA | ●1-5 | サン・スパークカップ | ||
73. | 1995年09月20日 | 東京都、日本 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | PAR | ●1-2 | 国際親善試合 | ||
74. | 1995年10月24日 | 東京都、日本 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | KSA | ○2-1 | 国際親善試合 | ||
75. | 1995年10月28日 | 愛媛県、日本 | 愛媛県総合運動公園陸上競技場 | KSA | ○2-1 | 国際親善試合 | ||
76. | 1996年02月10日 | ウォロンゴン、オーストラリア | AUS | ○4-1 | 国際親善試合 | |||
77. | 1996年02月14日 | メルボルン、オーストラリア | AUS | ●0-3 | 国際親善試合 | |||
78. | 1996年02月19日 | 香港、香港 | POL | ○5-0 | カールスバーグカップ | |||
79. | 1996年02月22日 | 香港、香港 | SWE | △1-1(PK4-5) | カールスバーグカップ | |||
80. | 1996年05月26日 | 東京都、日本 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | YUG | ○1-0 | キリンカップ | ||
81. | 1996年05月29日 | 福岡県、日本 | 東平尾公園博多の森球技場 | MEX | ○3-2 | キリンカップ | ||
82. | 1996年08月25日 | 大阪府、日本 | 長居陸上競技場 | URU | ○5-3 | 国際親善試合 | ||
83. | 1996年09月11日 | 東京都、日本 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | UZB | ○1-0 | JFA75周年記念試合 | ||
84. | 1996年10月13日 | 愛知県、日本 | 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 | TUN | ○1-0 | プーマカップ | ||
85. | 1996年12月06日 | アル・アイン、アラブ首長国連邦 | SYR | ○2-1 | アジアカップ | |||
86. | 1996年12月09日 | アル・アイン、アラブ首長国連邦 | UZB | ○4-0 | アジアカップ | |||
87. | 1996年12月12日 | アル・アイン、アラブ首長国連邦 | CHN | ○1-0 | アジアカップ | |||
88. | 1996年12月15日 | アル・アイン、アラブ首長国連邦 | KUW | ●0-2 | アジアカップ | |||
89. | 1997年02月09日 | バンコク、タイ | THA | △1-1 | キングス・カップ | |||
90. | 1997年02月13日 | バンコク、タイ | SWE | ●0-1 | キングス・カップ | |||
91. | 1997年03月15日 | バンコク、タイ | THA | ●1-3 | 国際親善試合 | |||
92. | 1997年03月23日 | マスカット、オマーン | OMA | ○1-0 | ワールドカップ予選 | |||
93. | 1997年03月25日 | マスカット、オマーン | MAC | ○10-0 | ワールドカップ予選 | |||
94. | 1997年03月27日 | マスカット、オマーン | NEP | ○6-0 | ワールドカップ予選 | |||
95. | 1997年05月21日 | 東京都、日本 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | KOR | △1-1 | ワールドカップ記念試合 | ||
96. | 1997年06月08日 | 東京都、日本 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | CRO | ○4-3 | キリンカップ | ||
97. | 1997年06月15日 | 大阪府、日本 | 長居陸上競技場 | TUR | ○1-0 | キリンカップ | ||
98. | 1997年06月22日 | 東京都、日本 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | MAC | ○10-0 | ワールドカップ予選 | ||
99. | 1997年06月25日 | 東京都、日本 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | NEP | ○3-0 | ワールドカップ予選 | ||
100. | 1997年06月28日 | 東京都、日本 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | OMA | △1-1 | ワールドカップ予選 | ||
101. | 1997年08月13日 | 大阪府、日本 | 長居陸上競技場 | BRA | ●0-3 | 国際親善試合 | ||
102. | 1997年09月07日 | 東京都、日本 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | UZB | ○6-3 | ワールドカップ予選 | ||
103. | 1997年09月19日 | アブダビ、アラブ首長国連邦 | UAE | △0-0 | ワールドカップ予選 | |||
104. | 1997年09月28日 | 東京都、日本 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | KOR | ●1-2 | ワールドカップ予選 | ||
105. | 1997年10月04日 | アルマトイ、カザフスタン | KAZ | △1-1 | ワールドカップ予選 | |||
106. | 1997年10月11日 | タシケント、ウズベキスタン | UZB | △1-1 | 岡田武史 | ワールドカップ予選 | ||
107. | 1997年11月01日 | ソウル、大韓民国 | KOR | ○2-0 | ワールドカップ予選 | |||
108. | 1997年11月08日 | 東京都、日本 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | KAZ | ○5-1 | ワールドカップ予選 | ||
109. | 1997年11月16日 | ジョホールバル、マレーシア | IRN | ○3-2(延長V) | ワールドカップ予選 | |||
110. | 1998年02月15日 | アデレード、オーストラリア | AUS | ○3-0 | 国際親善試合 | |||
111. | 1998年03月01日 | 神奈川県、日本 | 横浜国際総合競技場 | KOR | ○2-1 | ダイナスティカップ | ||
112. | 1998年03月07日 | 東京都、日本 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | CHN | ●0-2 | ダイナスティカップ | ||
113. | 1998年04月01日 | ソウル、大韓民国 | KOR | ●1-2 | ワールドカップ記念試合 | |||
114. | 1998年05月17日 | 東京都、日本 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | PAR | △1-1 | キリンカップ | ||
115. | 1998年05月24日 | 神奈川県、日本 | 横浜国際総合競技場 | CZE | △0-0 | キリンカップ | ||
116. | 1998年06月14日 | トゥールーズ、フランス | ARG | ●0-1 | ワールドカップ | |||
117. | 1998年06月20日 | ナント、フランス | CRO | ●0-1 | ワールドカップ | |||
118. | 1998年06月26日 | リヨン、フランス | JAM | ●1-2 | ワールドカップ | |||
119. | 1998年10月28日 | 大阪府、日本 | 長居陸上競技場 | EGY | ○1-0 | フィリップ・トルシエ | キリンチャレンジ | |
120. | 1999年03月31日 | 東京都、日本 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | BRA | ●0-2 | キリンビバレッジ | ||
121. | 1999年06月29日 | アスンシオン、パラグアイ | PER | ●2-3 | コパ・アメリカ | |||
122. | 1999年07月05日 | ペドロ・フアン・カバレロ、パラグアイ | BOL | △1-1 | コパ・アメリカ |
国際Aマッチ得点記録:
7. 監督成績
年度 | クラブ | 所属 | リーグ戦 | カップ戦 | |||||||
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順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | Jリーグカップ | 天皇杯 | ||||
2009 | 柏 | J1 | - | 1 | 2 | 0 | 1 | 1 | - | - | |
2015 | 福岡 | J2 | 3位 | 82 | 42 | 24 | 10 | 8 | - | 3回戦敗退 | |
2016 | J1・1st | 18位 | 18位 | 11 | 17 | 2 | 5 | 10 | ベスト8 | 2回戦敗退 | |
J1・2nd | 18位 | 8 | 17 | 2 | 2 | 13 | |||||
2017 | J2 | 4位 | 74 | 42 | 21 | 11 | 10 | - | 3回戦敗退 | ||
2018 | J2 | 7位 | 70 | 42 | 19 | 13 | 10 | - | 3回戦敗退 | ||
2023 | 柏 | J1 | 17位 | 22 | 21 | 4 | 10 | 7 | グループステージ敗退 | 準優勝 | |
総通算 | - | - | 261 | 98 | 73 | 90 | - | - |
- 2009年は代行監督として指揮。
- 2016年は1stステージと2ndステージの合計が年間順位である。
- 2023年は第14節より指揮。
8. タイトル・表彰
- クラブ**
- 日本代表**
- 個人**