1. 概要
船山祐二は、千葉県成田市で1985年に生まれた日本の元サッカー選手である。主にミッドフィールダーとしてプレーし、左利きであった。彼はJリーグの鹿島アントラーズでプロキャリアを開始し、その後セレッソ大阪、モンテディオ山形、アビスパ福岡といった国内クラブで活躍した。また、タイ・リーグでもプレー経験を持ち、現役引退後は地元である成田市でサッカースクールを設立し、サッカーの普及に貢献している。
2. 幼少期およびユース経歴
船山祐二は1985年1月19日に千葉県成田市で生まれた。小学校4年次から中学校卒業までの1994年から1999年にかけては、柏レイソルの下部組織であるジュニアおよびジュニアユースチームでプレーした。小学校時代は成田市立成田小学校に、中学校時代は成田市立成田中学校に通っていた。
2000年には習志野市立習志野高等学校に入学するが、当時のサッカー部監督であった本田裕一郎が流通経済大学付属柏高等学校サッカー部監督に就任するのに伴い、船山自身も同高校に転校し、2001年から2002年まで在籍した。高校卒業後の2003年からは流通経済大学に進学し、同校のサッカー部でプレーを続けた。大学4年次にはJFLのリーグ戦に9試合出場し、2得点を記録している。
3. プロクラブ経歴
船山祐二は、国内のJリーグクラブに加え、タイ・リーグのクラブでもプロ選手として活躍した。ここでは、彼のプロサッカー経歴を時系列に沿って詳しく解説する。
3.1. 鹿島アントラーズ (第1期)
2007年、船山祐二はJ1リーグの鹿島アントラーズに入団し、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせた。同年4月14日に日産スタジアムで開催されたJ1第6節の横浜FC戦でリーグ戦初出場を果たした。さらに同年11月18日には、カシマスタジアムで行われたJ1第32節の柏レイソル戦でプロキャリア初のリーグ戦得点を挙げた。2007シーズンは、計8試合に出場し、クラブのJ1リーグ優勝に貢献した。
しかし、2008年5月18日には、同僚であった大道広幸が運転する乗用車に同乗中、神栖市内で大道が酒気帯び運転の容疑で検挙されるという事態に巻き込まれた。この件は翌5月19日に発覚し、船山は大通りとともに遠征先のベトナムから即時帰国を命じられた。鹿島アントラーズは船山に対し、6週間の謹慎処分と、同年9月末までの一切の公式戦出場自粛処分を科した。この影響により、2008シーズンの船山の試合出場は、同年11月に開催されたJ1第32節と第34節のわずか2試合に留まった。2009シーズンは試合出場の機会がないまま、同年7月にセレッソ大阪へ期限付き移籍することが発表された。
3.2. セレッソ大阪および鹿島アントラーズ (第2期)
セレッソ大阪への期限付き移籍後、船山祐二は7月中は試合出場の機会に恵まれなかったものの、8月30日に開催されたJ2リーグ第36節のロアッソ熊本戦でフル出場を果たして以降、レギュラーに定着した。彼は出場停止となった第49節を除く最終節までの全ての試合に出場し、セレッソ大阪のJ1リーグ昇格に大きく貢献した。この期間に、彼は計5得点を挙げている。
シーズン終了後、船山は鹿島アントラーズに復帰した。しかし、2010シーズンも出場機会には恵まれず、Jリーグカップ(ヤマザキナビスコカップ)と天皇杯にそれぞれ1試合ずつ出場するに留まった。
3.3. モンテディオ山形
2011年、船山祐二はJ1リーグのモンテディオ山形へ完全移籍した。後に彼は、祖母と妻の母親が山形県出身であり、自身も幼少期に山形に滞在した経験があったことが移籍の理由の一つであったことを明かしている。2012年5月6日に行われたザスパ草津戦では、山形移籍後自身にとって初となるゴールを挙げた。2012年11月26日、契約満了に伴い、2年間在籍したモンテディオ山形を退団することが発表された。
3.4. アビスパ福岡
2013年、船山祐二はモンテディオ山形時代のチームメイトであった宮本卓也と共に、J2リーグのアビスパ福岡へ完全移籍した。アビスパ福岡では37試合に出場し、1得点を記録した。しかし、シーズン終了後、契約満了に伴い1年で同クラブを退団した。
3.5. タイリーグ経歴
アビスパ福岡を退団後、船山祐二は活躍の場をタイ・リーグへと移した。
2014年2月24日、彼はタイ・プレミアリーグ(現タイ・リーグ1)に所属するアーミー・ユナイテッドFCへ完全移籍した。タイでの最初のシーズンはリーグ戦28試合に出場し、1得点を挙げた。
2015年には、タイ・ディヴィジョン1リーグ(現タイ・リーグ2)のエアフォース・セントラルFCへ完全移籍した。このシーズンもリーグ戦32試合に出場したが、得点は記録されなかった。
3.6. 東京ヴェルディおよび引退
2016年、船山祐二は東京ヴェルディへ移籍し、3年ぶりにJリーグに復帰した。しかし、このシーズン限りで現役を引退することを決意し、2016シーズン終了後の11月21日に正式に引退を発表した。東京ヴェルディでの最後のシーズンは、リーグ戦16試合に出場し、得点はなかった。
4. 引退後の活動
プロサッカー選手引退後、船山祐二は自身のサッカー経験を活かした活動を開始した。2017年には、自身の地元である千葉県成田市にサッカースクール『FUNAJUKU』を設立し、その代表に就任した。このスクールを通じて、彼は次世代のサッカー選手の育成と、地域におけるサッカーの普及に貢献している。
5. 個人生活
船山祐二は、サッカー選手として知られる船山貴之の兄である。貴之は現在、JFLに所属するラインメール青森FCでプレーしている。
6. 経歴統計
6.1. クラブ経歴統計
クラブ成績 | リーグ | カップ戦 | リーグカップ | 大陸大会 | 通算 | |||||||
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シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
日本 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | ACL | 通算 | |||||||
2005 | 流通経済大学 | JFL | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | ||||
2006 | 9 | 2 | 1 | 0 | - | 10 | 2 | |||||
2007 | 鹿島アントラーズ | J1 | 8 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | - | 10 | 1 | |
2008 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | ||
2009 | 鹿島アントラーズ | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
セレッソ大阪 (loan) | J2 | 15 | 5 | 1 | 0 | - | 16 | 5 | ||||
2010 | 鹿島アントラーズ | J1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 |
2011 | モンテディオ山形 | J1 | 19 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 22 | 0 |
2012 | J2 | 27 | 2 | 0 | 0 | - | 27 | 2 | ||||
2013 | アビスパ福岡 | J2 | 37 | 1 | 1 | 0 | - | 38 | 1 | |||
タイ | リーグ | カップ戦 | リーグカップ | 大陸大会 | 通算 | |||||||
2014 | アーミー・ユナイテッド | プレミア | 28 | 1 | 0 | 0 | - | 28 | 1 | |||
2015 | エアフォース・セントラル | Div1 | 32 | 0 | 0 | 0 | - | 32 | 0 | |||
日本 | リーグ | カップ戦 | リーグカップ | 大陸大会 | 通算 | |||||||
2016 | 東京ヴェルディ | J2 | 16 | 0 | 1 | 0 | - | 17 | 0 | |||
通算 | 193 | 12 | 6 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 203 | 12 |
7. 獲得タイトル
7.1. クラブ獲得タイトル
- J1リーグ
- 優勝 (2): 2007, 2008 (ともに鹿島アントラーズ)