1. 経歴
谷嵜直樹のプロレスラーとしてのキャリアは、数々の挑戦と変化に満ちている。
1.1. プロレスラーになるまで
谷嵜直樹はプロレスラーになることを志し、高校を1年で中退して自宅とジムでトレーニングを積んでいた。しかし、腰にヘルニアを患ってしまい、プロレスラーの道を一時断念せざるを得なくなったため、高校に再入学した。高校卒業後も様々な職業を転々とする中で、腰の痛みが癒えたことからトレーニングを再開し、再びプロレスラーへの夢を追うこととなった。
1.2. 闘龍門・DRAGON GATE初期活動 (2002年-2006年)
2002年、谷嵜はプロレスラーになるためメキシコへ渡り、闘龍門の10期生として入門した。同年12月7日、メキシコのヒムナシオ・デ・ラ・ウニダ・クアウテモックにて、村上学&山本武志組とのタッグマッチでデビューを果たした(タッグパートナーは坂井謙一)。
2003年8月、闘龍門Xが日本に上陸すると、谷嵜は堀口元気と同様にサーファーギミックでデビューし、花井健一を破った。堀口に敗れた後も、谷嵜は「サーフィン・ブラザーズ」として堀口とタッグを組んで闘龍門Xの最終興行に出場した。
2004年には闘龍門JAPANに所属を移したが、直後に団体がDRAGON GATEとして独立。谷嵜はこれに追随し、闘龍門X出身者としては唯一のDRAGON GATE移籍者となった(後にKagetoraが2009年に移籍するまで唯一の存在だった)。当初はマグナムTOKYO率いるDo FIXERへの加入を目指し、10試合の査定マッチで1勝を条件とされたが、全敗。さらに5試合の再査定マッチも全敗した。しかし、2005年12月27日の16人参加バトルロイヤル「サバイバルゲート」に勝利し、正式にDo FIXERのメンバーとなった。この時期には、鷹木信悟とのライバル関係も芽生えた。
2006年になると、谷嵜は凶器攻撃や味方への誤爆を繰り返すようになり、Do FIXERを追放された。その頃からCIMAにBlood Generationへの勧誘を受け、同年4月12日に加入。しかし直後、土井成樹らと共にCIMA、ドン・フジイ、鷹木信悟を追放し、土井をリーダーとする新ユニット「マッスル・アウトローズ」の一員となった。マッスル・アウトローズでは、主に敗戦役に回ることが多く、ジャック・エバンスやCIMAが連れてきた他の外国人レスラーに連敗を喫した。これにより、同年6月に三島来夢と共にフリー契約となり、7月12日の「WRESTLE JAM」最終戦以降、DRAGON GATEを離脱した。
1.3. インディー団体活動 (2006年-2008年)
DRAGON GATE離脱後、谷嵜はすぐにプロレスリングElDoradoのロースターに加わり、フリーランスとして活動を続けた。ElDoradoでの2試合目以降は負傷欠場となるが、復帰後は近藤修司と合流した。
このフリー期間中、谷嵜は様々なインディー団体に参戦。プロレスリングZERO1-MAXや大日本プロレスにも進出した。大日本プロレスではデスマッチ参戦を表明。そのテストマッチとして行われた2007年7月22日の博多スターレーンにおける大日本・ElDorado合同興行では、宮本裕向をパートナーに、葛西純&MASADA組を相手にハードコアマッチで勝利を収めた。同年8月には札幌テイセンホール大会でデスマッチデビューを果たしたが、しばらくして大日本のデスマッチ戦線からは離脱した。また、KAIENTAI DOJOではヒールユニット「Omega」に加入し活動した。
2008年3月6日、プロレスリングElDoradoを退団した。
1.4. DRAGON GATE復帰と主要ストーリーライン (2008年-2017年)
ElDorado退団からわずか6日後の2008年3月7日、谷嵜は後楽園ホール大会に突如マッスル・アウトローズの新メンバーとして現れ(しかし即座に裏切り離脱)、DRAGON GATEへの復帰を宣言した。同年3月8日にはメインイベントで正式に復帰を果たした(DRAGON GATEでは基本的に一度解雇・退団した選手が再び団体のリングに上がることは稀な出来事であった)。しかし、この復帰に対してYAMATOが異を唱え、3月20日の大田区体育館大会でYAMATOとのシングルマッチに勝利。試合後、YAMATOと和解しタッグ結成をアピールした。3月22日にはDRAGON GATEと専属フリー契約を結び、全大会への出場と他団体参戦の自由を得た。
4月17日の後楽園ホール大会では、YAMATOとのタッグでGamma&堀口元気組と対戦するも、YAMATOの裏切りに遭い敗北(YAMATOはマッスル・アウトローズに加入した)。5月5日の愛知県体育館大会では鷹木信悟とハードコアマッチで対戦したが敗れた。5月14日の神田裕之とのシングルマッチ中には新井健一郎と岩佐拓のアシストを受けて試合に勝利し、試合後戸澤塾に勧誘される。しかし、メインイベント後には土井成樹、吉野正人、B×Bハルクを救出し、新ユニット(後のWORLD-1)を結成した。
同年12月21日にはサイバー・コングとのマスク・コントラ・カベジェラに臨んだ。当初はサイバー・コングチーとの介入が裏目に出て谷嵜が勝利するが、リアル・ハザードの抗議を受け、コングチーとがマスクを脱ぎ追放された後、試合は再開。最終的にサイバー・コングが勝利し、谷嵜は髪を失った。
2009年8月30日、谷嵜はKagetoraとのトーナメント決勝戦を制し、空位となっていたオープン・ザ・ブレイブゲート王座を獲得し、キャリア初のタイトル戴冠を果たした。この王座を6度防衛した後、2010年1月11日にK-ness.に敗れ、王座を失った。
2010年6月13日、スーパー・シーサー戦でローブローを使用するなど、徐々にヒール傾向を見せ始める。同年6月20日、土井成樹、PACと組んで堀口元気、CIMA、Gamma組を破り、自身初となるオープン・ザ・トライアングルゲート王座を獲得。しかし、わずか4日後の再戦で敗れ、王座を失った。
同年9月17日、後楽園ホール大会での連敗後、谷嵜はついに我慢の限界に達し、パートナーのB×Bハルクと口論。Dr.マッスルの介入を経てハルクにインプラントを放った。その後、メインイベントのオープン・ザ・ツインゲート王座戦(吉野正人&土井成樹 vs K-ness.&横須賀ススム)に乱入し、吉野と横須賀ススムの両者にインプラントを放ち、横須賀を吉野の上に倒すことでベルトを奪われる原因を作った。これによりWORLD-1への裏切りを決定づけ、ディープ・ドランカーズに加入しヒールターンを完了した。同年10月3日には、ハルク、土井との三つ巴戦で、ディープ・ドランカーズの介入により勝利。彼らを嘲笑する発言も行った。同年10月13日、ディープ・ドランカーズはWORLD-1(B×Bハルク、吉野正人、土井成樹)との敗者解散マッチに敗れ解散するが、試合後に土井がWORLD-1を裏切り、谷嵜、神田裕之、Kzy、菅原拓也と共に新ユニットを結成。同年10月25日、谷嵜、神田、菅原はCIMA、Gamma、堀口元気組を破り、再びオープン・ザ・トライアングルゲート王座を獲得した。しかし、同年12月26日、CIMA、ドラゴン・キッド、リコシェ組に敗れ王座を失った。
2011年1月14日、土井らの新グループはWARRIORSと合流し、ヒールターンしたWARRIORSと共に同年1月18日に新ユニット「Blood Warriors」を結成した。同年7月17日、谷嵜はライバルユニットJUNCTION THREEのPACが持つオープン・ザ・ブレイブゲート王座のベルトを強奪し、PACがイギリスへ帰国中の1ヶ月間、自らが「Blood Warriors認定オープン・ザ・ブレイブゲート選手権試合」として2カウントルールで防衛することを宣言した。同年9月2日、谷嵜はKzy、土井成樹と組んでGamma、吉野正人、YAMATO組を破り、オープン・ザ・トライアングルゲート王座を獲得。しかし、同年9月16日、帰国したPACに敗れ、ブレイブゲート王座のベルトはPACの元へ戻った。この「Blood Warriors認定オープン・ザ・ブレイブゲート王座」は、DRAGON GATEによって正式な王座として認定されなかった。
2012年1月8日、名古屋での試合中に右肩を脱臼・骨折し、全治半年と診断され欠場に入った。谷嵜が負傷欠場中の同年1月19日、DRAGON GATEはBlood Warriorsが保持していたオープン・ザ・トライアングルゲート王座を剥奪した。
谷嵜の負傷直後、Blood Warriorsの同門であったT-HawkことトマホークT.T.が、谷嵜の技、コスチューム、そして肩のタトゥーを模した偽のタトゥーまで施し、まるで本物の谷嵜が復帰したかのように登場した。Blood Warriorsは彼を「谷嵜なおき」として紹介したが、本来の「谷嵜」(谷嵜なおきたにざき なおき日本語)とは異なる「谷崎」(谷崎なおきたにざき なおき日本語)の表記が用いられ、これが偽者であることを示唆していた。
同年3月1日、Blood Warriorsの新リーダーとなった戸澤陽がユニット名をMAD BLANKEYに改称した。同年6月30日、本物の谷嵜が復帰し、MAD BLANKEYに襲われていたCIMAを救出した。翌7月1日、谷嵜はジミーズへの加入を発表。
同年9月23日、オープン・ザ・トライアングルゲート選手権試合「トライアングルゲート・コントラ・タニザキナオキ」で、堀口元気H.A.Gee.Mee!!、斎藤"ジミー"了と組み、戸澤陽、B×Bハルク、谷崎なおき組に敗北。敗者がリングネームを失うというルールの結果、谷嵜は自身のリングネームを使用する権利を失った。彼は「ジミー谷嵜」への改名を試みるが、偽の谷崎が谷嵜の新しいリングネームを選ぶ権利を主張。「谷嵜の泣き言がイルカの『キューキュー』という鳴き声に似ている」として、「豊中出身」「イルカのような目」といった要素を踏まえた上で、「Mr.キューキュー・豊中ドルフィン」(Mr.キューキュー・豊中ドルフィンミスター・キューキュー・とよなかドルフィン日本語)に改名させられた。
Mr.キューキュー・豊中ドルフィンはジミーズでの活動を続けた。同年12月16日、偽の谷崎のパートナーであるサイバー・コングの誤爆により、ドルフィンが偽の谷崎から初めてピンフォールを奪った。2013年1月27日、神戸サンボーホール大会で、リングネームとDRAGON GATE追放をかけた偽の谷崎なおきとのシングルマッチに勝利。谷嵜は自身の名前を取り戻し、逆に偽の谷崎なおきを「Mr.ピーピー・苫小牧ペンギン」(Mr.ピーピー・苫小牧ペンギンミスター・ピーピー・とまこまいペンギン日本語)に改名させた。この抗争は、同年2月11日のジミーズ対MAD BLANKEYの5対5エリミネーションマッチで最高潮に達し、ジミーズが勝利した結果、Mr.ピーピー・苫小牧ペンギンはDRAGON GATEから追放された。試合後、谷嵜はペンギンと握手を交わし、将来のタッグ結成を提案。MAD BLANKEYがペンギンを襲撃した際には、谷嵜が彼らを撃退し、ペンギンを救った。その後、谷嵜は名前を取り戻したものの、「Mr.キューキュー"谷嵜なおき"豊中ドルフィン」というリングネームで活動した。
2015年10月8日、後楽園ホール大会でのジミー・クネスJ.K.S.戦後、谷嵜はジミーズを裏切り、VerserKに加入。これにより「Mr.キューキュー・豊中ドルフィン」ギミックを終了し、リングネームを再び「谷嵜なおき」に戻した。
1.5. DRAGON GATE退団後の活動 (2017年-現在)
2017年、谷嵜はDRAGON GATEの公式サイトからひっそりと削除され、同年10月31日をもってDRAGON GATEとの契約が満了し退団した。同年11月25日、ダブプロレスに入団し、以降は同団体を主戦場として活動している。
2. 所属ユニット
谷嵜直樹は、プロレスキャリアを通じて以下の主要なユニットに所属した。
- Do FIXER(2004年-2006年):マグナムTOKYO率いるユニットで、初期の谷嵜のDRAGON GATEでの活動拠点。
- Blood Generation(2006年):CIMAが率いたヒールユニット。
- マッスル・アウトローズ(2006年):Blood Generationが分裂して土井成樹を中心に結成されたユニット。
- Sukiyaki(プロレスリングElDorado)(2007年-2008年):ElDoradoでのフリーランス活動中に所属。
- WORLD-1(2008年-2010年):土井成樹、吉野正人、B×Bハルクらと結成した新ユニット。
- ディープ・ドランカーズ(2010年):WORLD-1を裏切り加入したヒールユニット。
- Blood Warriors(2011年-2012年):ディープ・ドランカーズ解散後、WARRIORSと合流して結成された大型ヒールユニット。
- ジミーズ(2012年-2015年):谷嵜が偽者との抗争中に加入したベビーフェイスユニット。
- VerserK(2015年-2017年):ジミーズを裏切り加入したヒールユニット。
3. 得意技
谷嵜直樹の得意技は、自身のニックネームである「取扱注意」の名の通り、ケンカ殺法が中心である。器用ではないものの、躊躇しない思い切ったファイトスタイルが特徴。
- インプラント
谷嵜の主なフィニッシュホールド。相手の股下に頭部を差し込み、そこから相手を逆さまの状態で背中に担ぎ上げ、両足を両脇下に抱え込み勢いよく膝を着いて真っ逆さまにマットに突き刺す変形ビーチブレイク。形としては、大森隆男のアックス・ギロチン・ドライバーに近い。
- リビドー
相手をカナディアンバックブリーカーの体勢で担ぎ上げ、そこから相手を外向きに反転させると同時に自らも横向きになって相手の顔面に左膝を叩き込む変形のgo 2 sleep。インプラントを返された際の谷嵜の隠し玉であり切り札。
- リバース・インプラント
向かい合う相手を逆さまに担ぎ上げ、そこから片足を脇下に抱え込み、両膝着地式でシットダウンして脳天からマットに突き刺す変形ツームストーン・パイルドライバー。インプラントのリバース式だが、クラッチは片足のみ。
- バイティングドッグ
四つんばいになった相手の首をフロントネックロックに捕らえ、そのまま横に転がって相手の右腕を背中のほうに折り曲げ、その腕に自分の右足を引っかけて腕をロックする。最後に胴を両足で挟み込み絞めあげる。谷嵜のオリジナル技で、胴絞め式のフロントネックロック。
- サーフィンクラッチ
- カサノヴァ
尻餅をついた相手に助走して片足を振り抜くようにし振り出し、その片膝の内側あたりを相手の顔面に叩き込む。
- カサノヴァ改
相手の後頭部に放つトランスレイヴ。
- FH(踏み台にして・膝)
助走して立っている相手の右腿の上に左足を乗せて、腿を踏み台にしてジャンプして膝を突き出すように右足を折り畳み、相手の頭部に右足で膝蹴りを叩き込む。
- DH(ダッシュして・膝)
相手をコーナーにハンマースルーにして、自身もそれを追いかけるように助走をつけてコーナーに寄りかかる相手の右腿に左足を乗せ、ジャンプして膝を突き出すように自身の右足を折り畳み、相手の頭部に右足で膝蹴りを叩き込む。
- ココナッツクラッシュ
- 地獄の断頭台
4. タイトル歴
谷嵜直樹はキャリアを通じて以下のタイトルを獲得している。
- DRAGON GATE
- オープン・ザ・ブレイブゲート王座(第15代)
- オープン・ザ・トライアングルゲート王座(第35代、第39代、第46代、第47代)
- パートナー:土井成樹&Kzy(第35代)
- パートナー:斎藤"ジミー"了&堀口元気H.A.Gee.Mee!!(第39代)
- パートナー:ジミー・ススム&斎藤"ジミー"了(第46代)
- パートナー:ジミー・ススム&ジミー・神田(第47代)
- Blood Warriors認定オープン・ザ・ブレイブゲート王座(1回)(DRAGON GATEによって正式な王座としては認定されていない)
- DDTプロレスリング
- アイアンマンヘビーメタル級王座(第705代、第1574代)
- アップルスタープロレス
- アップルスター認定ドランカーズ王座(初代)
- Dove Pro Wrestling
- DOVEヘビー級王座(第9代)
- DOVEタッグ王座(第15代)
- プロレスリングBASARA
- ユニオンMAX王座(第10代)
- UWA世界6人タッグ王座(第65代)
- パートナー:中津良太、瀧澤晃頼
- コレガプロレス
- CPW王座(初代)
- 天龍プロジェクト
- インターナショナルジュニアヘビー級タッグ王座(第21代)
- パートナー:児玉裕輔
- インターナショナルジュニアヘビー級タッグ王座(第21代)
- Professional Wrestling Just Tap Out
- インディペンデントワールド世界ジュニアヘビー級王座(第34代)
- 道頓堀プロレス
- WDW6人タッグ王座(第2代)
- パートナー:内田祥一、木下亨平
- WDW6人タッグ王座(第2代)
5. その他活動
谷嵜直樹はプロレス活動以外にも、以下の活動を行っている。
- VAPEリキッド「CRITICAL MIDNIGHT(クリティカルミッドナイト)」愛する○○を守るならVAPEだろ!!!『愛する女を守るなら』編 - CM出演。
6. 評価
谷嵜直樹のプロレススタイルは「取扱注意」と称されるように、奇襲や凶器攻撃を辞さないケンカ殺法が特徴である。技術的に器用ではないものの、そのスタイルに躊躇なく、思い切ってぶつかっていくファイトは、観客に強い印象を与えてきた。
DRAGON GATE時代は、多くのユニットに所属し、時にファンから支持されるベビーフェイスとして、時に非情なヒールとして、その役割を全うした。特に「Mr.キューキュー・豊中ドルフィン」への改名や、偽の谷崎(T-Hawk)との抗争といったユニークなストーリーラインでは、彼のキャラクターが最大限に活かされ、ファンを楽しませた。こうした多彩なキャラクター表現と、どんな状況でも自身のスタイルを貫く姿勢は、団体内の後輩レスラーやファンにも影響を与え、彼がプロレス界に残した足跡は大きい。彼のキャリアは、変化を恐れず、常に自身の立ち位置を模索し続けたレスラーとしての姿勢を示している。