1. 生い立ちと背景
このセクションでは、かまやつひろしの出生、家族関係、幼少期の環境、および教育歴など、彼の人物形成の基盤となった個人的背景を詳細に記述する。
1.1. 出生と家族関係
かまやつひろしは1939年1月12日に東京府(現・東京都)千代田区で生まれた。彼の父は日系アメリカ人のジャズシンガー、ティーブ・釜萢であり、ほとんど日本語を話せなかったという。長男はアーティストのTAROかまやつことかまやつ太郎である。母方の叔母にジャズシンガーの浅田陽子、その夫で義理の叔父にジャズ・トランペッターの森山久がいる。また、フォーク歌手の森山良子は従妹にあたり、元歌手の森山奈歩は従姪、シンガーソングライターの森山直太朗は従甥にあたるなど、音楽・芸能に深いルーツを持つ家系である。
1.2. 幼少期と教育
かまやつは代々木上原で育ち、父ティーブ・釜萢の影響を強く受けた。幼少期からアメリカ直輸入の音楽、英語、そしてファッションに親しんだ。青山学院中等部を卒業後、青山学院高等部に進学。その後、青山学院大学を中退している。
1.3. 初期の影響とデビュー
青山学院高等部在学中にカントリー&ウェスタン歌手としてデビューを果たした。この初期の経験が、後の彼の多様な音楽スタイルに影響を与えた。
2. 経歴
このセクションでは、かまやつひろしの音楽家としてのキャリア全体を、時系列およびテーマ別に詳細に解説する。
2.1. デビューと初期の活動
かまやつひろしは、ミッキー・カーチスらと共にロカビリーや歌謡曲などのジャンルに取り組み、グループ「ワゴンマスター」「サンダーバード」「キャノンボール」の一員として日劇ウェスタンカーニバルに出演した。テイチクレコードからは多数のレコードをリリースしている。
また、彼は田辺靖雄を中心とした「六本木野獣会」のメンバーでもあった。この会には峰岸徹、中尾彬、大原麗子、小川知子、井上順、福澤幸雄らが名を連ね、多い時には30人前後で構成された。野獣会はワイルドな集団というよりも、富裕層の子女が多く集まる会であった。
「釜萢ヒロシ」名義で東宝映画『檻の中の野郎たち』(1959年)に出演するなど、映画界にも足跡を残した。様々な場所への出入りや、ロカビリー歌手時代の映画出演を通じた東宝や日活の撮影所での交流は、彼が多くのスターたちと出会うきっかけとなった。これらの活動から、音楽評論家の松村雄策はかまやつを「日本初のロック・ミュージシャン」と位置づけている。
2.2. ザ・スパイダースでの活動
ザ・スパイダースにゲストボーカルとして参加した後、正式メンバーとしてボーカルとリズムギターを担当した。彼はグループの音楽的なアイディアマンとして中心的な存在であり、多くの代表曲を作曲した。主な作曲には「あの時君は若かった」「いつまでもどこまでも」「バン・バン・バン」「ノー・ノー・ボーイ」「フリフリ」「なんとなくなんとなく」などがある。1970年9月にリリースされた最終シングル「エレクトリックおばあちゃん」も彼の作曲である。

かまやつは当時から晩年まで遅刻魔として知られており、デビューシングル「フリフリ」のジャケット撮影時にも遅刻したため、彼の姿は写っていない。堺正章は、かまやつの遅刻に気づいてアパートに電話したところ、「かまやつさんは出発しました」と答えた相手こそがかまやつ本人だったという逸話を語っている。
彼は印象的なステージダンスやステージ衣装など、ザ・スパイダースの音楽的な方向性を決定づける上で重要な役割を担った。また、当時のトップレーサーである福澤幸雄や式場壮吉らと親交があり、ファッションリーダー的存在でもあった。紳士服メーカー「エドワーズ」の企画部長でもあった福澤からは衣装提供を受けるなど、公私にわたる交流があった。
2.3. ソロ活動(1970年以降)
ザ・スパイダース解散後のソロアーティストとしての活動は、多様なジャンルへの挑戦と数々のヒット曲を生み出した。
2.3.1. 初期ソロ作品と実験的試み
1970年2月25日に初の本格的なソロ・アルバム『ムッシュー/かまやつひろしの世界』を発売した。このアルバムは、当時としては世界的にも珍しかった「一人多重録音」という画期的な手法で制作された。かまやつ自身は、キース・ジャレットが世界で1番目、自身が2番目、ポール・マッカートニーが3番目と語っていたという。音楽的にも様々なジャンルを融合した実験的な作品であった。
その一方で、1970年4月に発売されたソロシングル「どうにかなるさ」は、もともとザ・タイガースの岸部修三(現・一徳)と岸部シロー兄弟のデュオアルバム『Sally & Shiro』のために書き下ろされた曲のセルフカバーであり、カントリーシンガーとしての彼のルーツに回帰する意向も反映されていた。
2.3.2. 代表的なヒット曲とコラボレーション
1970年代初頭のフォークブームに触発され、フォークシンガーの吉田拓郎に接近した。彼は吉田作品の「シンシア」や「我が良き友よ」などを歌い、「我が良き友よ」は90万枚を超えるセールスを記録し、彼の代表曲となった。1975年のフォーライフ・レコード設立の際も参加を希望したが、契約の問題などで実現しなかった。
また、ウォッカ・コリンズへのゲスト出演や、タワー・オブ・パワーが演奏を務めた「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」を発表した。この曲は「我が良き友よ」のB面曲であったが、1990年代に入ってから再評価された。彼はウォッカ・コリンズのリード・シンガー、アラン・メリル、ザ・テンプターズのドラマーだった大口広司、作詞家の安井かずみらと共に、イタリアンレストラン「キャンティ」の常連客の一人であった。
テレビアニメ作品『はじめ人間ギャートルズ』のエンディングテーマとなった「やつらの足音のバラード」もよく知られている。この曲の作詞は漫画の原作者園山俊二によるもので、実際のオリジナル歌手はちのはじめ(若子内悦郎の変名)だが、かまやつもセルフカバーしており、2004年にはスガシカオによってカバーされた。
2.3.3. 音楽スタイルとジャンル
空虚なヒット歌手の座に居心地の悪さを感じたかまやつは、1970年代後半からはライブを中心としたマイペースな活動を展開した。彼はフュージョン、シティ・ポップ、ニュー・ウェイヴなど、音楽のトレンドに敏感に反応したアルバムを数枚リリースしている。当時の音楽活動について「1975年頃から僕自身、当時のポップ・シーンに手がつけられなくなって探ってました。レコードが出せるようになるまで10年かかりました」と述べている。
また、1977年2月には朝日放送『ハロー・ヤング』の司会を務め、これに出場したレイジーの才能を見出してデビューを誘った。その後、デビューしたレイジーに楽曲提供もしたが、本来ハードロック志向だったレイジーが所属事務所の意向でベイ・シティ・ローラーズのようなアイドル路線でデビューさせられたことは予想外だったようで、のちに「レイジーをあのような形でデビューさせたことを後悔している」と述べている。
2.3.4. 後期のソロプロジェクトと再評価
1980年代以降は、若い世代のミュージシャンたちとコラボ企画で交流を深めていった。1990年代初頭のアシッド・ジャズブームで、前述の「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」が再評価された。1994年にはブラン・ニュー・ヘヴィーズ、ジェームス・テイラー、D.C.リーなどをバックミュージシャンに起用し、ロンドンでレコーディングした「Gauloiseゴロワーズフランス語」を、小山田圭吾が主宰するレコードレーベル・トラットリアから発表した。このアルバムで新たに若い層のリスナーを獲得し、その後もCORNELIUS(コーネリアス)、カヒミ・カリイのアルバムやコンサートに参加した。
2002年には小西康陽プロデュースのアルバム「我が名はムッシュ」を発売した。このアルバムには松任谷由実、小山田圭吾、ミッキー・カーチスなどがコメントを寄せ、堺正章との共演曲などが話題を呼んだ。
2.4. その他のバンド活動
かまやつひろしは、ソロ活動と並行して複数のバンドでも活動した。
1986年には、日本を代表するスタジオ・ミュージシャン達を集めたバンド「One Night Stand Brothers」を結成した。このバンドのメンバーは、ギターに今剛、ベースに高水健司、ドラムに島村英二、キーボードに小島良喜、ボーカル・ギターにムッシュかまやつであった。
また、ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツの「I Love Rock'n'Roll英語」の作者として知られるアラン・メリル、ザ・テンプターズのドラマーだった大口広司、ルイズルイス加部と再結成した「ウォッカ・コリンズ」(Vodka Collins英語)でも活動した。
1999年には堺正章・井上堯之とともに「ソン・フィルトル」(Sans Filtreフランス語)を結成し、シングル「Yei Yei英語」をリリースした。
2006年頃からはザ・ブルーズパワーへの客演を行っていたが、2009年9月2日に発売されたブルーズ・ザ・ブッチャー(ザ・ブルーズパワーの後身バンド、メンバーは永井ホトケ隆、沼澤尚、中條卓、KOTEZ)の「Rockin' with Monsieur英語」に参加し、ブルースやブリティッシュビートのカバーを手がけている。
2013年以降は、KenKen、山岸竜之介とのユニット「LIFE IS GROOVE」としても活動した。
2.5. 後期のキャリアとメディア活動
かまやつは晩年も精力的に活動し、BS朝日『SHAKE THE MUSIC英語』のメインMCを担当したほか、多数の音楽番組やCMに出演した。プロ野球・東京ヤクルトスワローズの青木宣親外野手の応援歌に「バン・バン・バン」が使われた(2006年度から変更)ほか、北海道日本ハムファイターズの応援団が同チームの得点時にかまやつ作曲の「I'm A 北海道 Man(お~い、北海道)」(オリジナルは三橋美智也)を演奏するのが恒例となっていた。
テレビ番組出演時に「ボクは、君たち(若い)世代と話ができなくなったらおしまい」と語っていたように、彼は常に時代の最先端の音楽に取り組みながら、若手ミュージシャンとも積極的に共演した。彼は松任谷由実、伊藤銀次、THE ALFEE、Char、小西康陽、小山田圭吾、カヒミ・カリィ、曽我部恵一らのミュージシャンたちから敬愛されていた。
2009年2月18日には、井上順、今井美樹、甲斐名都、堺正章、THE ALFEE、TAROかまやつ、トータス松本、秦基博、一青窈、布袋寅泰、Micro、森山直太朗、森山良子など、多数のゲスト・ミュージシャンとのコラボレーションによるアニバーサリー・アルバム『1939~MONSIEUR(サンキュー ムッシュ)』を発表した。
2012年10月3日には、THE BOHEMIANSとコラボレーションし、ザ・スパイダースの名曲をカバーするミニアルバム『THE SPIDER BEAT英語』を「THE BOHEMIANS英語 avec ムッシュかまやつ」名義で発表した。
3. 音楽的貢献とディスコグラフィー
このセクションでは、かまやつひろしの音楽的遺産、彼が発表したアルバム、作曲・提供楽曲、そしてアニメや各種メディアへの音楽提供などを網羅する。
3.1. シングル
3.1.1. テイチク時代/かまやつヒロシ名義
- 殺し屋のテーマ c/w 皆殺しの歌(テイチク NS-207、1960年2月) *コーラスはハニー・ナイツ
- おおキャロル/恋の片道切符(テイチク NS-210、1960年3月) *コーラスはクリスタル・シスターズ
- 悲しいインディアン/悲しき16才(テイチク NS-235、1960年5月) *バックはザ・サンダーバード
- カラーに口紅/朝日のようにさわやかに(テイチク NS-265、1960年7月) *バックはザ・サンダーバード
- 月影のナポリ/ティーンエイジ・ブギ(テイチク NS-302、1960年9月) *バックはテイチク・アンサンブル
- 赤鼻のトナカイ/サンタ・クロースがやってくる(テイチク NS-317、1960年10月) *バックはテイチク・アンサンブル
- 結婚してチョ/殺したいほど好きなんだ(テイチク NS-331、1960年12月) *バックはテイチク・アンサンブル
- 遥かなるアラモ/恋の汽車ポッポ(テイチク NS-335、1961年1月) *バックはテイチク・アンサンブル
- 凸凹ブルース/こんがらがっちゃった(テイチク NS-351、1961年2月) *バックはテイチク・アンサンブル
- 消えゆくインディアン/オー・オー・ロジー(テイチク NS-354、1961年2月) *バックはワゴン・エース
- G.I.ブルース/ウッド・イル・ハート(テイチク NS-358、1961年2月) *バックはワゴン・ウェスト
- チョイチョイ節/誘惑してミナ(テイチク NS-359、1961年2月) *バックは秋本薫とシックス・ナイツ
- 青春突撃一中隊/ヨサホイ数え唄(テイチク NS-382、1961年4月) *バックはテイチク・アンサンブル
- マージャン必勝法/清水港の三太郎(テイチク NS-428、1961年7月) *バックはテイチク・アンサンブル
- ぶらぶら天国/ズンドコ人生(テイチク NS-435、1961年7月) *バックはチャーリィ脇野とゲイ・ポップス
- どなたでござんす/江戸っ子風来坊(テイチク NS-457、1961年9月)
- 裏町上等兵/ファイヤ囲んで(テイチク NS-468、1961年10月)
- 弥次さん喜多さん(duet 夏洋一)(テイチク SN-4、1961年10月) *B面は夏洋一「東京の雨」
- 嘆きのブルース/かえり船(テイチク NS-481、1961年11月)
3.1.2. スパイダーズ以降ソロ時代(シングル)
- どうにかなるさ/つめたい部屋のブルース(1970年4月5日、フィリップス、FS-1121)※オリコン50位
- 気らくなものさ/脱走列車(1971年5月、フィリップス、FS-1198)
- 四つ葉のクローバー/喫茶店で聞いた会話(1971年11月25日、フィリップス、FS-1226)※A面コーラスにガロが参加。
- のんびりいくさ/ブレイン・フード・ママ(頭の体操)(1972年6月、ヴァーティゴ、FX-6)※B面英語詞。
- 青春挽歌/幼きものの手をひいて(1972年11月、ヴァーティゴ、FX-9)
- 人生は旅だよ/乱れたら(1973年6月)
- 近頃のネコ/乱れたら(1973年10月21日、ヴァーティゴ、FX-15)
- シンシア/竜飛崎(1974年7月、CBSソニー、SOLB-156OD)※よしだたくろうとかまやつひろし名義
- 我が良き友よ/ゴロワーズを吸ったことがあるかい(1975年2月5日、EXPRESS、ETP-20098)※オリコン1位
- 海のうた [沖縄海洋博覧会住友館イメージソング]
- 水無し川/親父よ(1975年11月5日、EXPRESS、ETP-20194)
- 汽笛一声夕陽が沈む/三人組(1976年5月5日、EXPRESS、ETP-20257)
- サテンドレスのセブンティーン/サマー・ラブ・アゲイン(1977年6月25日 TRIO 3B-116)
- つづけ青春たちよ/ありの大統領(1977年10月21日 TRIO 3C-102)※テレビアニメ『まんが偉人物語』(TBS系列)前期テーマ曲
- マイ・オールド・ギブソン/12時の賛歌(1978年5月、トリオレコード、3B-130)
- 青春どんづまり/あの時君は若かった(LIVE)(1978年10月、トリオレコード、SB-144)
- 時を呼び停めて(1980年6月1日)※森山良子 かまやつひろし名義
- 旅の歌/また逢う日まで(1981年2月、東芝EMI、ETP-17118)
- あの時君は若かった/ノー・ノー・ボーイ(1981年11月、東芝EMI、ETP-17255)
- なんとなくソクラテス/モノラル・グラフィティー(1982年9月、東芝EMI、ETP-17407)※テレビドラマ『アイコ16歳』(TBS系列)主題歌
- エリマキトカゲの真実/襟巻きと影(1984年6月、ワーナー・パイオニア、L-1677)
- ゴロワーズを吸ったことがあるかい/我が良き友よ(1985年5月10日)
- ワンナイト・スタンド・ブラザース/欠陥BOY × 欠陥GIRL(1986年9月5日、ポリドール、7DX1463)
- ノー・ノー・ボーイ/ノー・ノー・ボーイ(リプリーズversion)(1988年6月21日、フォーライフ、SAM-95)
- キスの下手な男/Bitter For My Taste(1989年9月21日、フォーライフ)
- すてきな僕ら/BLUEでできた僕たちの楽園(1990年12月21日、フォーライフ、FLDF-09129)
- 雨の小径で恋をして/Kの週末(1991年5月21日、フォーライフ、FLDF-09140)
- やつらの足音のバラード/ALLORA...(1994年9月2日、フォーライフ、FLDF-1527)
- ノー・ノー・ボーイ/ヒノエ・ウマ・ノ・オンナ(2000年9月21日、トライエム、MECI-11001)※マーク・キャス with かまやつひろし名義
3.2. アルバム
3.2.1. かまやつヒロシ名義
- かまやつヒロシの俺の歌を聞いてくれ(テイチク NL-1131、1960年)
3.2.2. スパイダーズ以降ソロ時代(アルバム)
- ムッシュー/かまやつひろしの世界(1970年2月25日、テイチク)
- どうにかなるさ アルバムNo.2(1971年5月、PHILIPS、FX-8014)
- ファーザー&マッド・サン (1971年)※ティーブ・釜萢との競演盤
- 釜田質店 (1973年、VERTIGO、FX-8611)
- あゝ、我が良き友よ(1975年4月、東芝EMI・Express、ETP-72033)
- ムッシュ・ファースト・ライヴ (1978年、TRIO)
- WALK AGAIN英語 (1978年6月、TRIO、3B-1012)
- スタジオ・ムッシュ(1978年9月、TRIO、3B-1024)
- パイナップルの彼方へ(1979年、TRIO、3B-1027)
- ONE NIGHT STAND BROTHERS英語(1986年、What's Up? Group、CDは2003年)※ムッシュかまやつ ONE NIGHT STAND BROTHERS英語 名義
- THE SPIDERS COVER'S英語 (1989年、フォーライフ)
- In and Out英語(1990年、フォーライフ)
- Fragrance英語(1991年、フォーライフ)
- pittoresque英語(1991年、フォーライフ)
- Gauloiseゴロワーズフランス語(1994年、トラットリア)
- 我が名はムッシュ(2002年、Readymade Records, Tokyoレディメイド・レコーズ・トーキョー英語)
- Classics英語(2002年、BMG)
- 1939~MONSIEUR英語(2009年、avex io)
- ザ・スパイダース・カバーズ(2010年)
- THE SPIDER BEAT英語(2012年)※「THE BOHEMIANS英語 avec ムッシュかまやつ」名義。THE BOHEMIANS英語とコラボレーションしてスパイダーズ時代の曲をカバーした。
- 雷門Project(2016年)※「雷門Project」名義。井上日徳と1986年頃に制作しつつも未発表だったアルバムを再レコーディングし、インディーズから発売。遺作。
3.3. 作曲と楽曲提供
かまやつひろしは、自身の楽曲制作だけでなく、他の多くのアーティストにも楽曲を提供している。
- ザ・ビーバーズ
- 君なき世界 (醐樹弦名義、1967年)
- ホワイ・ベイビー・ホワイ(醐樹弦名義、作曲、1967年)
- 森山良子
- 野に咲く花(作曲、1968年)
- ザ・テンプターズ
- 帰らなかったケーン(作曲、1969年)
- 静かな嵐(作曲、1969年)
- ソウル・エイジェンツ
- 昨日のように(作曲、1969年10月)
- 永井秀和
- おせっかいな雨(1969年)
- ザ・タイガース
- 脱走列車(作曲、1970年)
- 人は...(作曲、1970年)
- サリー&シロー(岸部修三&岸部四郎)
- どうにかなるさ(作曲、1970年)
- 和田アキ子
- ハート・ブレーク・ドール(作曲、1970年)
- 立川マリ
- ダンケシェーン・ブンダバー(作曲、1970年)
- アラン・メリル
- 涙(作曲、1970年)
- 太陽と雨(作曲、1970年)
- 安井かずみ
- プール・コワ(作曲、1970年)
- ロック・パイロット
- ゆりになった少年(作曲、1971年)
- 月旅行(作曲、1971年)
- キャノンボール
- 地獄へのパスポート(作曲、1971年)
- ガロ
- 四つ葉のクローバー(1972年)
- 笠井紀美子
- ベッドの舟で愛の海へ(作曲、1972年)
- ジョージのブルース(作曲、1972年)
- とじこめて(作曲、1972年)
- 乾き(作曲、1972年)
- You Talk Too Much英語(作曲、1972年、笠井紀美子との共作)
- 西城秀樹
- 君がいる限り(作曲、1973年、アルバム『エキサイティング秀樹 - ちぎれた愛/情熱の嵐』収録)
- にしきのあきら(現・錦野旦)
- ピポピポ旅行(作曲、1973年、テレビドラマ『走れ!ケー100』(TBS系列)主題歌)
- DO.T.DOLL(ドゥー・ティー・ドール)
- 涙のシーズン(作曲、1974年)
- 安西マリア
- 恋の爆弾(作曲、1974年)
- エンド・マーク(作曲、1974年)
- 木之内みどり
- まだ手探りしている天使(作曲、1978年)
- レイジー
- ハロー・ロスアンジェルス(作曲、1978年)
- 沢田研二
- 午前3時のエレベーター(作曲、1980年、アルバム『G.S.I_LOVE_YOU』収録)
- CAFÉビァンカ(作曲、1980年、アルバム『G.S.I_LOVE_YOU』収録)
- 想い出のアニー・ローリー(作曲、1981年、アルバム『S/T/R/I/P/P/E/R』収録)
- everyday joe英語(作曲、2000年、アルバム『耒タルベキ素敵』収録)
- C-C-B
- ゴールドコーストのクリスマス(作曲、1983年、アルバム『Mild Weekend』収録)
- そして9月(作曲、1984年、アルバム『Boy's Life』収録)
- 三橋美智也
- I'm A 北海道 Man英語(作曲、1984年、おおーい北海道キャンペーン・テーマソング)
- 可愛かずみ
- 星の歌を聴きながら(作曲、1984年)
- 立花理佐
- 大人はわかってくれない(作曲、1987年)
- 瞬間(作曲、1987年)
- 放課後デート(作曲、1987年)
- TUBE
- Sail Away Forever(作詞、1988年)
- 近藤真彦
- Ho Ho Ho...(作曲、1990年)
- 今井美樹
- Tea for two英語(作曲、1991年)
- 中嶋美智代
- 恋の歌(作曲、1991年)
- 雨の動物園(作曲、1992年)
- 片山誠史
- BLUE DIAMOND英語(作曲、1993年)
- 寺岡呼人
- SMILE A GO GO!(作詞、1995年)
3.4. アニメ・メディア音楽
かまやつひろしは、アニメ作品や様々なメディアにも音楽を提供している。
- OVA『DOWN LOAD英語 南無阿弥陀仏は愛の詩』(1992年)劇中音楽および下記挿入歌
- OUT OF BORDER英語
- WEATHER REPORT BLUES英語
- DETHMAIL BLUES英語
- RTB英語 (OVA『戦闘妖精雪風』エンディングテーマ)
- さみしいさみしい (2001年) 『千と千尋の神隠し』イメージアルバム収録のカオナシのイメージソング
- The IJIN-DEN英語 天才の法則 (作曲、2003年、アニメ『妄想科学シリーズ ワンダバスタイル』オープニングテーマ)
また、彼は数多くのCM楽曲提供や出演も行った。
- ライオン バイタリス「乱れたら」(1972年)
- 日本コカ・コーラ「うるおいの世界・友達編」(1974年)
- 味の素ゼネラルフーヅ マックスウェル「Hello Mr. Sunshineハロー・ミスター・サンシャイン英語」(タニヤ・タッカー)」(1976年) - 「ミック・スチュワート」名義での提供
- 明星食品 「チャルメラコーン」(1978年)
- アップリカ 「コンコルミニ」(1980年)
- NTT「Let's Call おばあちゃん英語」(1986年) - ザ・スパイダース時代の楽曲「エレクトリックおばあちゃん」の替え歌で、かまやつが歌っている。
- サントリー ワイン 「レゼルブ」(1987年)
- 宝酒造 純「Legend英語」(1994年)
- ソニー・コンピュータエンタテインメント 「PlayStation」(1997年)
- 岩手県競馬組合「1999競馬のジョー」(1999年)
- 日本コカ・コーラ 「ミニッツ・メイド」(2001年)
- トヨタ自動車「プロボックス」「サクシード」(2002年)
- サッポロビール 「ヱビスビール」(2003年)
- 明治乳業 「VAAM WALKER英語」(2005年)
- KDDI「au ジュニアケータイ」(2006年)
- サントリーフーズ 「フラバン茶」(2007年)
- サントリーフーズ 「ボス」(2009年)
- KINCHO 「ゴキブリがいなくなるスプレー」(2010年)
- サントリー(2011年4月) - 東北地方太平洋沖地震 復興支援の企業イメージCMに出演(坂本九のヒット曲である「上を向いて歩こう」・「見上げてごらん夜の星を」の両曲を同社グループのCM出演者総勢71名がリレー方式で歌っている)。
- ACジャパン「ささえあったら、人になる。」(2011年)
- 江崎グリコ「みんなに笑顔を届けたい。冬篇」(2012年)
4. 映画・映像・ラジオ出演
このセクションでは、かまやつひろしの俳優としての映画・テレビドラマ出演、およびラジオ番組での活動など、多岐にわたるメディアでの活動を記録する。
4.1. 映画出演
かまやつひろしは、数々の映画作品に出演し、俳優としても活躍した。
- 檻の中の野郎たち(1959年、東宝) - ロー公 役 *釜苑ヒロシ名義
- 俺の故郷は大西部(1960年、日活) *挿入歌「結婚してチョ」
- 大森林に向かって立つ(1961年、日活) - 利坊 役 *挿入歌「かえり船」
- 有難や節 あゝ有難や有難や(1961年、日活) - 梅 役
- 東京騎士隊(1961年、日活) - 平井 役 *主題歌「東京騎士隊」挿入歌「誘惑してミナ」「チョイチョイ節」
- 学園広場(1963年、日活) - 釜田 役
- 波止場の賭博師(1963年、日活) - 太田 役 *挿入歌「アンニー・ローリー」
- 仲間たち(1964年、日活)
- ザ・スパイダースのゴー・ゴー・向こう見ず作戦(1967年、日活)
- ザ・スパイダースの大進撃(1968年、日活)*音楽担当
- ザ・スパイダースの大騒動(1968年、日活)*音楽担当
- ザ・スパイダースのバリ島珍道中(1968年、日活)
- 渚の白い家(1978年、松竹) - ケン 役 *音楽担当
- 戦国自衛隊(1979年、角川春樹事務所) - 根本茂吉二士 役
- ゴジラ(1984年、東宝) - 新幹線の乗客 役(「ビートたけしの学問ノススメ」の釜田先生の扮装で登場)
- ぼくと、ぼくらの夏(1990年、東映クラシックフィルム) - テレビの男 役
- THE DETECTIVE IS BORN英語 代官山物語 「探偵誕生」(1998年) - ミスター役
- けものがれ、俺らの猿と(2000年、日活)
- ゴーストシャウト(2004年、東京テアトル) - お化け屋敷館主 役
- The焼肉ムービー プルコギ(2007年、ファントム・フィルム) - プルコギ食堂の客 役
4.2. テレビドラマ出演
テレビドラマにおいても、かまやつひろしは個性的な役柄を演じた。
- 時間ですよシリーズ (1971年 - 1990年、TBS) - 釜田 役
- アイコ16歳 (1982年、TBS) - カメラマン・川内 役 *主題歌「なんとなくソクラテス」
- さよなら三角 (1983年、CX) - 五十嵐先生 役
- ビートたけしの学問ノススメ (1984年、TBS) - 釜田先生 役
- 金田一少年の事件簿 (2001年、NTV) - 斑目紫紋 役
- Xmasなんて大嫌い(2004年、NTV) - 大倉弘志 役
- 無理な恋愛 (2008年、KTV) - ケンちゃん 役
- ガールズトーク~十人のシスターたち~(2012年 - 2013年、EX) - 神やつひろし 役 *ナレーション
- スナック喫茶エデン(2012年 - 2013年、CX) - 釜田 役(「時間ですよ」シリーズの釜田の扮装で登場)
4.3. その他のメディア出演
ラジオ番組のパーソナリティやコンサート出演など、多岐にわたるメディアで活動した。
- どんとこい!電リク大進撃(TBSラジオ)
- ジーンズミュージック(TBSラジオ)
- ヤングタウンTOKYO 女の子だけで満員御礼(TBSラジオ、1976年)
- ムッシュかまやつ 青春交差店(TBSラジオ)
- 三菱ドライビングジョッキー(TBSラジオ)
- SUPER ARTIST TRIBUTE英語(TBSラジオ)
- ハローパーティー(文化放送)
- かまやつひろしのポップスニューヒット(ニッポン放送)
- フレッシュ・サウンド大進撃 さだまさしのまさしんぐワールド(ニッポン放送)
- かまやつひろしのニューミュージック・ベストテン(ニッポン放送)
- The Great 30 Years of Hits英語(ラジオ日本)
- Dr. Monsieur英語の不思議館
- LEGENDS ムッシュかまやつ Keep On Running英語(JFNC、2007年 - 2017年3月)
- SHAKE THE MUSIC英語:BS朝日
- ベネッセコーポレーション
- サザンオールスターズ『太陽は罪な奴』(1996年)PV - バスの運転手 役
コンサート出演
- Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ (2001年)
- 吉田拓郎 & かぐや姫 Concert in つま恋 2006 (2006年)
- 大山ミュージックリゾート in 花回廊 (2007年)
- ap bank fes '10 (2010年)
5. 私生活とエピソード
このセクションでは、かまやつひろしの家族関係、趣味、人間関係、そして個人的な経験から生まれた興味深い逸話を紹介する。
5.1. 家族と人間関係
かまやつひろしの長男であるTAROかまやつことかまやつ太郎は、フジテレビ勤務のサラリーマン時代に2005年5月25日に『風のわだち』でメジャーデビューしたアーティストである。2011年に退職後はより本格的に音楽活動を行っている。
彼はアラン・メリルとは1960年代後期以来の親友であり、晩年(2015年)もアランの来日ライブに参加している。また、2007年のニューヨーク市でのアラン宅でのカジュアルな共同セッションも行われた。その様子は[https://www.youtube.com/watch?v=JSFHdKLWNjQ アラン・メリル宅での共同セッションの様子]で確認できる。
5.2. 趣味と関心事
かまやつひろしはカーマニアとしても知られ、これまでにMGTFやGMC・タイフーン、ミニ・カントリーマン(森山良子、森山直太朗に受け継がれる)、フェラーリ280、クライスラー・PTクルーザー・コンバーチブル、アバルト595トリブート・フェラーリなど、数々の高級車や外車を所有してきた。ツイッギーが所有していたミニに乗っていたこともあったが、トラブル続きですぐに手放したと語っている。
5.3. 主要なエピソード
- 愛煙のタバコは楽曲にもなったゴロワーズ(カポラル)であった。
- ロッド・スチュワートとフェイセズのファンで、「きつつきヘアー」はロッドの髪型を真似たものである。
- 後年はアニエスのニット帽をかぶることが多く、彼のトレードマークであった。
- ザ・スパイダース時代、ビートルズ日本公演の際、前座としての出演を打診されたが、前座出演をするとコンサート自体が見られなくなるため、「PRとしておいしい話ではあったが辞退し、他の何人かのメンバーとともに客席からコンサートを観た」との逸話を語っている。
- フジテレビ系バラエティ番組『パラダイスGoGo!!』内のコーナー企画「勝ち抜きフォークソングコンテスト」で審査員を務めた。このコンテストにアマチュア時代の真心ブラザーズが出場しており、かまやつは彼らの音楽性を高く評価した。真心ブラザーズはこれをきっかけにメジャーデビューした。
- 吉田拓郎は『LOVE LOVEあいしてる英語』にて、かまやつが「我が良き友よ」のギターを「変なコードを弾く...」と本人の前でコメントしている。実際、その箇所のコードは通常のコード譜に沿ったものではなく、テンションコードや自身の手癖で作ったコードなどで弾いていることが多い。『Char meets ???? ~TALKING GUITARS~英語』に出演した際も、響きとしての「コード感を大事にしている」という発言がある。
- 1969年2月12日に事故死したレーシングドライバーの福澤幸雄とは親友であり、福澤を偲んだ「So Long Sachioソー・ロング・サチオ英語」という曲を作り、歌っている。また、同じく親友であった俳優・赤木圭一郎の死因となった1961年2月14日の日活撮影所でのカート激突事故現場に居合わせている。
- 2013年、Mick Stewart英語名義で作曲したタニヤ・タッカーの「Hello Mr. Sunshineハロー・ミスター・サンシャイン英語」(1976年)を、日本のカントリー歌手石田美也で37年ぶりにCD化する企画を行った。
- 2009年、TBSのテレビ番組「はなまるマーケット」に出演した際、おすすめのバンドとして「ZAZEN BOYS英語」を紹介し、「僕の惹かれる音魂を持っている人達なんだよね」とコメントした。
- 1978年、彼の母が膵臓癌で死去している。
6. 死去
かまやつひろしは2017年3月1日18時5分、膵臓癌のため東京都内の病院で死去した。78歳没。彼の妻も同年2月に亡くなっていたが、かまやつは最期まで妻の死を知らないままだったという。妻の告別式の時点では、かまやつの状況も思わしくなく、意識混濁状態であった。
2016年9月6日には、9月10日に出演予定だったイベントを欠席することと肝臓がんであることが所属事務所から発表された。10月に退院後はいとこの森山良子宅で療養しながら通院治療を行っていた。
キリスト教徒であったため、密葬は世田谷区の頌栄教会で行われた。墓所は東京都港区元麻布にある賢崇寺。釜萢家の墓はかつて東京・小平にあったが、2018年4月に賢崇寺へと改葬されたことが息子のTAROかまやつを通して公表された。麻布十番の近くにしたのは、人が集まる場所を好んだかまやつの希望を叶えたものだという。
彼の最後の公の場での歌唱は、2016年12月8日に開催された堺正章の70歳記念ライブであった。当初は客席後方で観覧していたが、堺の呼びかけに応じて登壇し、堺と2人で『サマー・ガール』を歌い上げた。
7. 遺産と影響力
かまやつひろしは、日本の音楽シーンにおいて多大な遺産と影響力を残した。グループ・サウンズの時代からソロ活動、そして晩年まで、常に新しい音楽スタイルを取り入れ、多様なジャンルを横断した。彼の音楽は、ロック、フォーク、フュージョン、シティ・ポップ、ニュー・ウェイヴなど多岐にわたり、その柔軟な音楽性は多くの後進ミュージシャンに影響を与えた。特にアシッド・ジャズブームでの再評価は、彼の音楽が時代を超えて愛される普遍性を持っていることを示した。彼は若い世代のミュージシャンとの交流を積極的に行い、彼らの才能を見出し、共に音楽を創造することで、日本の音楽界の発展に貢献し続けた。
8. 著作と関連書籍
このセクションでは、かまやつひろし自身が執筆した書籍と、彼に関する研究書や関連書籍のリストを提示する。
区分 | タイトル | 著者 | 出版社 | 出版年月日 | ISBN |
---|---|---|---|---|---|
著作 | 『我が良き友よ!人生は愉快じゃないか』 | かまやつひろし名義 | KKベストセラーズ | 1975年6月5日 | |
著作 | 『ムッシュ!』 | ムッシュかまやつ名義 | 日経BP社 | 2002年8月31日 | 9784822242695 |
著作 | 『ムッシュ!』 | ムッシュかまやつ名義 | 文春文庫 | 2009年11月10日 | 9784167773274 |
関連書籍 | 『キャンティ物語』 | 野地秩嘉 | 幻冬舎文庫 | 1997年8月1日 | |
関連書籍 | 『ジョージ・カックルのロックンサーフィンメッセージ』 | ジョージ・マラリアス カックル | 戎光祥出版 | 2005年3月1日 | |
関連書籍 | 『ジャパニーズ・ロックインタビュー集』 | TOブックス | 2010年 | 9784904376188 | |
関連書籍 | 『エッジィな男 ムッシュかまやつ』 | サエキけんぞう・中村俊夫共著 | リットー・ミュージック | 2017年10月13日 |
9. 関連人物
このセクションでは、かまやつひろしの音楽活動や生涯と深く関わりのあった人物を紹介する。
- ティーブ・釜萢 - 父。ミュージシャン。
- TAROかまやつ - 長男。ミュージシャン。
- 森山良子 - 従妹。フォーク歌手。
- 森山奈歩 - 従姪。元歌手。
- 森山直太朗 - 従甥。シンガーソングライター。
9.1. ザ・スパイダース
- 田邊昭知 - 田辺エージェンシー社長。ザ・スパイダースを始める前からの親友。
- 堺正章 - タレント、司会者、俳優。
- 井上順 - タレント、司会者、俳優。2017年5月2日に行われた、かまやつのお別れの会の発起人を務めた。
- 井上堯之 - ミュージシャン。
- 大野克夫 - 作曲家、ミュージシャン。
- 加藤充 - 実業家、ミュージシャン。
9.2. グループサウンズ仲間
- 萩原健一
- 沢田研二
9.3. キャンティ族
東京都港区麻布台(六本木)にある1960年開店の老舗イタリア料理店キャンティに集っていた仲間。
- 川添浩史 - キャンティ創業者。初の渡欧の際にピエール・カルダンを紹介してもらうなど、国際的な視野を広げてくれた存在。
- 川添梶子(岩元梶子) - 川添浩史夫人、通称・タンタン。ザ・スパイダースの楽曲では英語詞の作詞も手掛けている。
- 川添象郎 - 川添浩史の長男。キャンティ開店前からの友人。
- 福澤幸雄 - 親友。福澤諭吉の曾孫でレーサー兼ファッションモデルで紳士服メーカー「エドワーズ」の企画部長。彼の死を悼んで「So Long Sachioソー・ロング・サチオ英語」を作った。
- 安井かずみ - 遊び仲間。作詞家、翻訳家。
- 加賀まりこ - 遊び仲間。女優。
- コシノジュンコ - 遊び仲間。ファッションデザイナー。
- 生沢徹 - 遊び仲間。レーサー。
- ミッキー・カーチス - タレント、ロック歌手、俳優。ロカビリー時代に共に活動していた。
9.4. ミュージシャン
- 内田裕也 - ロック歌手、俳優。
- 松任谷由実 - 「荒井由実」時代のデビューシングル「返事はいらない」のプロデュースを行った。TBS「セブンスターショー」(1976年3月14日放映)では共演し、互いに曲を贈りあった。その時、かまやつは松任谷(当時は荒井由実)へ「楽しいバス旅行」、松任谷からかまやつへ「中央フリーウェイ」が贈られた。なお、1999年に行われたかまやつの還暦祝いでは、松任谷が仲居頭を務めた。2017年5月2日のお別れの会では井上順と一緒に発起人を務め、会場内で「中央フリーウェイ」を追悼唱で捧げた。
- 吉田拓郎 - 元々は六本木界隈での飲み仲間。その後「シンシア」、「我が良き友よ」などの楽曲提供を受け、大ヒットとなる。テレビやライブなどで度々共演することがある。
- 南こうせつ - テレビなどで度々共演することがある。
- レイジー - かまやつが見い出しデビューさせた。
- ガロ - かまやつのバックバンドを経て、ミッキー・カーチスのプロデュースでデビューした。かまやつの「四葉のクローバー」のレコーディングに参加、及びカバーしている。またメンバーの日高富明と堀内護より、楽曲提供を受けている。
- THE ALFEE - ガロの弟分。売れなかった頃にかまやつのバックバンドとして全国を回っていた。
- 渚のオールスターズ - 複数のミュージシャンで結成されたバンドおよびそのプロジェクト。結成時からのメンバー。
9.5. 俳優仲間
- 赤木圭一郎 - 赤木がゴーカートで事故死する日に、順番でかまやつがそのゴーカートに乗る可能性もあったと、著書で書いている。
10. 関連項目
- ゴロワーズ - シングル「我が良き友よ」のB面に収録された「ゴロワーズを吸ったことがあるかい?」の元となった煙草。
- かまやつ女 - 三浦展の造語。かまやつに似た「ゆるいファッション」で「まったり暮らす若い女性」を指す。
- モーリス楽器製造
- リッツ・ロンドン - ロンドンにおける定宿