1. 来歴
アウグスト・ジェニーナは、その生涯において劇評家から映画監督へと転身し、サイレント映画、トーキー、そして戦後のネオレアリズモといった様々な時代とジャンルを経験した。彼のキャリアはイタリア国内に留まらず、フランスやドイツでの国際的な活動も含まれる。
1.1. 初期生活とキャリア
ジェニーナは1892年1月28日にローマで生まれた。彼は当初、演劇批評家として活動し、『Il Mondoイル・モンドイタリア語』誌で喜劇を執筆していた。その後、アルド・デ・ベネデッティの助言を受け、映画製作へと転身。「Film d'Arte Italianaフィルム・ダルテ・イタリアーナイタリア語」社で映画製作に携わるようになり、1913年に『La moglie di sua eccellenzaラ・モーリエ・ディ・スア・エッチェレンツァイタリア語』で監督デビューを果たした。
1.2. 国際的な活動
1929年、ジェニーナはフランスに移住した。この時期、彼はルイーズ・ブルックスを主演に迎えたフランス初期のトーキー映画『ミス・ヨーロッパ』(1930年)を監督し、この作品はブルックスにとって唯一のフランス映画となった。彼はフランスやドイツでサウンド技術を学び、複数の言語版が同時に撮影される映画製作に携わった。この国際的な経験は、彼の映画製作に多大な影響を与えた。
1.3. イタリアでのキャリア
国際的な活動を終えた後、ジェニーナはイタリアに帰国し、ファシスト政権下と戦後という異なる時代において映画製作を続けた。
1.3.1. ファシスト時代の映画製作
イタリア帰国後、ジェニーナはファシスト政権下でいくつかの映画を製作した。これらの作品の中には、政権の思想を反映したプロパガンダ映画としての性格を持つものも含まれる。彼はヴェネツィア国際映画祭において、ファシスト体制下で最高賞とされたムッソリーニ杯を複数回受賞している。具体的には、1936年に『Lo squadrone biancoロ・スクアドローネ・ビアンコイタリア語』(The White Squadronザ・ホワイト・スクアドロン英語)で、1940年には『L'assedio dell'Alcazarラセーディオ・デッラルカザルイタリア語』(The Siege of the Alcazarザ・シージ・オブ・ジ・アルカザル英語)でこの栄誉に輝いた。一部の記録では、1942年にも受賞したとされている。これらの作品は、当時のイタリアの政治的状況と密接に結びついていた。
1.3.2. 戦後の映画活動
第二次世界大戦後、ジェニーナはネオレアリズモの潮流に接近した作品も手がけるようになった。1949年に監督した『沼の上の空』(Cielo sulla paludeチェーロ・スッラ・パルーデイタリア語)は、聖人マリア・ゴレッティの生涯を描いた作品であり、1950年にはイタリアの主要な映画賞であるナストロ・ダルジェント賞の最優秀作品監督賞を受賞した。この作品は、ネオレアリズモとしてはメロドラマ的な要素が強いと評されたものの、作品自体は高く評価された。1953年には、ジュゼッペ・デ・サンティスが前年に製作した『Roma ore 11ローマ・オーレ・ウンディチイタリア語』で描かれた実際の事故を基にした『Tre storie proibiteトレ・ストーリエ・プロイビテイタリア語』(Three Forbidden Storiesスリー・フォービドゥン・ストーリーズ英語)を監督した。
2. フィルモグラフィ
アウグスト・ジェニーナが監督または製作に携わった主な映画作品は以下の通りである。
- 『La moglie di sua eccellenzaラ・モーリエ・ディ・スア・エッチェレンツァイタリア語』 (1913年)
- 『Il segreto del castello di Monroeイル・セグレート・デル・カステッロ・ディ・モンローイタリア語』 (1914年)
- 『Il piccolo cerinaioイル・ピッコロ・チェリナイオイタリア語』 (1914年)
- 『La parola che uccideラ・パローラ・ケ・ウッチーデイタリア語』 (1914年)
- 『La fuga dei diamantiラ・フーガ・デイ・ディアマンティイタリア語』 (1914年)
- 『Dopo il veglioneドーポ・イル・ヴェリオーネイタリア語』 (1914年)
- 『L'anello di Sivaラネッロ・ディ・シーヴァイタリア語』 (1914年)
- 『Luluルルイタリア語』 (1915年)
- 『Gelosiaジェロージアイタリア語』 (1915年)
- 『La farfalla dalle ali d'oroラ・ファルファッラ・ダッレ・アーリ・ドーロイタリア語』 (1915年)
- 『Mezzanotteメッツァノッテイタリア語』 (1915年)
- 『Doppia feritaドッピア・フェリータイタリア語』 (1915年)
- 『Cento H.P.チェント・アッカ・ピーイタリア語』 (1915年)
- 『La conquista dei diamantiラ・コンクィスタ・デイ・ディアマンティイタリア語』 (1915年)
- 『L'ultimo travestimentoルルティモ・トラヴェスティメントイタリア語』 (1916年)
- 『Il sopravvissutoイル・ソプラヴィッスートイタリア語』 (1916年)
- 『Il sogno di un giornoイル・ソーニョ・ディ・ウン・ジョルノイタリア語』 (1916年)
- 『Il dramma della coronaイル・ドラマ・デッラ・コロナイタリア語』 (1916年)
- 『La signorina Cicloneラ・シニョリーナ・チクローネイタリア語』 (1916年)
- 『不滅の血族』 - 『Il siluramento dell'Oceaniaイル・シルラメント・デッロチェアーニアイタリア語』 (1917年、監督・原作)
- 『Maschiaccioマスキャッチョイタリア語』 (1917年)
- 『Lucciolaルッチョーライタリア語』 (1917年)
- 『Il trono e la seggiolaイル・トローノ・エ・ラ・セッジョーライタリア語』 (1918年)
- 『感激は何処に』 - 『The Prince of the Impossibleザ・プリンス・オブ・ジ・インポッシブルイタリア語』 (1918年、監督)
- 『L'onestà del peccatoロネスタ・デル・ペッカートイタリア語』 (1918年)
- 『Kalidaa - la storia di una mummiaカリダー - ラ・ストーリア・ディ・ウナ・ムンミアイタリア語』 (1918年)
- 『L'emigrataレミグラータイタリア語』 (1918年)
- 『I due crocifissiイ・ドゥエ・クロチフィッシイタリア語』 (1918年)
- 『さらば青春』 - 『Goodbye Youthグッドバイ・ユースイタリア語』 (1918年、監督・脚色)
- 『女』 - 『Femmina - Feminaフェンミナ - フェミナイタリア語』 (1918年、監督・原作)
- 『火鉢』 - 『Lo scaldinoロ・スカルディーノイタリア語』 (1919年、監督・脚本)
- 『Lucrezia Borgiaルクレツィア・ボルジアイタリア語』 (1919年)
- 『Norisノリスイタリア語』 (1919年)
- 『La donna e il cadavereラ・ドンナ・エ・イル・カダヴェレイタリア語』 (1919年)
- 『La maschera e il voltoラ・マスケーラ・エ・イル・ヴォルトイタリア語』 (1919年)
- 『Bel amiベル・アミイタリア語』 (1919年)
- 『Le avventure di Bijouレ・アヴェントゥーレ・ディ・ビジューイタリア語』 (1919年)
- 『I diaboliciイ・ディアボリーチイタリア語』 (1920年)
- 『I tre sentimentaliイ・トレ・センティメンターリイタリア語』 (1920年)
- 『La ruota del vizioラ・ルオータ・デル・ヴィーツィオイタリア語』 (1920年)
- 『Moglie, marito e...モーリエ、マリート・エ...イタリア語』 (1920年)
- 『La douloureuseラ・ドゥルールーズイタリア語』 (1920年)
- 『Il castello della malinconiaイル・カステッロ・デッラ・マリンコニアイタリア語』 (1920年)
- 『L'avventura di Dioラヴェントゥーラ・ディ・ディオイタリア語』 (1920年)
- 『月光の曲』 - 『Debito d'odioデビート・ドードィオイタリア語』 (1920年、監督)
- 『L'incatenataリンカテナータイタリア語』 (1921年)
- 『La crisiラ・クリーズィイタリア語』 (1921年)
- 『Un punto neroウン・プント・ネーロイタリア語』 (1922年)
- 『La peccatrice senza peccatoラ・ペッカトリーチェ・センツァ・ペッカートイタリア語』 (1922年)
- 『Una donna passòウナ・ドンナ・パッソイタリア語』 (1922年)
- 『Lucie de Trecoeurリュシー・ド・トレクールイタリア語』 (1922年)
- 『Germaineジェルマンイタリア語』 (1923年)
- 『シラノ・ド・ベルジュラック』 - 『Cirano de Bergeracチラーノ・ド・ベルジュラックイタリア語』 (1923年、監督・製作)
- 『Il corsaroイル・コルサーロイタリア語』 (1924年)
- 『La moglie bellaラ・モーリエ・ベッライタリア語』 (1924年)
- 『The Hearth Turned Offザ・ハース・ターンド・オフイタリア語』 (1925年)
- 『L'ultimo lordルルティモ・ロードイタリア語』 (1926年)
- 『The Prisoners of Shanghaiザ・プリズナーズ・オブ・シャンハイイタリア語』 (1927年)
- 『Goodbye Youthグッドバイ・ユースイタリア語』 (1927年)
- 『The White Slaveザ・ホワイト・スレイヴイタリア語』 (1927年)
- 『Scampoloスキャンポロイタリア語』 (1928年)
- 『The Story of a Little Parisianザ・ストーリー・オブ・ア・リトル・パリジャンイタリア語』 (1928年)
- 『姫君は文士がお好き』 - 『Love's Masqueradeラブズ・マスカレードイタリア語』 (1928年、監督・原作・脚本)
- 『Un dramma a sedici anniウン・ドラマ・ア・セディチ・アンニイタリア語』 (1929年)
- 『La congiura delle beffeラ・コンジュラ・デッレ・ベッフェイタリア語』 (1929年)
- 『ラテン街の屋根裏』 - 『Latin Quarterラテン・クォーターイタリア語』 (1929年、監督・脚本)
- 『ミス・ヨーロッパ』 - 『Prix de beautéプリ・ド・ボーテイタリア語』 (1930年、監督・製作)
- 『The Darling of Parisザ・ダーリング・オブ・パリイタリア語』 (1931年)
- 『The Lovers of Midnightザ・ラヴァーズ・オブ・ミッドナイトイタリア語』 (1931年)
- 『La femme en hommeラ・ファム・アン・オムイタリア語』 (1931年)
- 『Gli amanti di mezzanotteグリ・アマンティ・ディ・メッツァノッテイタリア語』 (1931年)
- 『We Are Not Childrenウィー・アー・ノット・チルドレンイタリア語』 (1934年)
- 『Non ti scordar di meノン・ティ・スコルダル・ディ・メイタリア語』 (1935年)
- 『Forget Me Notフォーゲット・ミー・ノットイタリア語』 (1935年)
- 『The Phantom Gondolaザ・ファントム・ゴンドライタリア語』 (1936年)
- 『リビア白騎隊』 - 『Lo squadrone biancoロ・スクアドローネ・ビアンコイタリア語』 (1936年、監督・脚色)
- 『Flowers from Niceフラワーズ・フロム・ニースイタリア語』 (1936年)
- 『The Kiss of Fireザ・キス・オブ・ファイアイタリア語』 (1937年)
- 『Amore e dolore di donnaアモーレ・エ・ドローレ・ディ・ドンナイタリア語』 (1937年)
- 『Woman's Love-Woman's Sufferingウーマンズ・ラブ-ウーマンズ・サファリングイタリア語』 (1937年)
- 『Castles in the Airキャッスルズ・イン・ジ・エアイタリア語』 (1939年)
- 『L'assedio dell'Alcazarラセーディオ・デッラルカザルイタリア語』 (1939年-1940年)
- 『Bengasiベンガシイタリア語』 (1942年)
- 『沼の上の空』 - 『Cielo sulla paludeチェーロ・スッラ・パルーデイタリア語』 (1949年、監督)
- 『Devotionディヴォーションイタリア語』 (1950年)
- 『Three Forbidden Storiesスリー・フォービドゥン・ストーリーズイタリア語』 (1953年)
- 『Maddalenaマッダレーナイタリア語』 (1954年)
- 『フルフル』 - 『Frou-Frouフルフルイタリア語』 (1955年、監督)
3. 受賞歴と栄誉
アウグスト・ジェニーナは、その長いキャリアの中で数々の主要な映画賞を受賞し、イタリア映画界における彼の地位を確立した。
3.1. ヴェネツィア国際映画祭
ジェニーナは、ヴェネツィア国際映画祭において、特にファシスト政権下で最高賞とされたムッソリーニ杯を複数回受賞した。
- 1936年:『Lo squadrone biancoロ・スクアドローネ・ビアンコイタリア語』でムッソリーニ杯(イタリア映画部門)を受賞。
- 1940年:『L'assedio dell'Alcazarラセーディオ・デッラルカザルイタリア語』でムッソリーニ杯(イタリア映画部門)を受賞。
第二次世界大戦後、ヴェネツィア国際映画祭の体制が変更された後も、彼は評価を受け続けた。
- 1949年:『沼の上の空』で監督賞を受賞。
3.2. その他の主要な受賞
ジェニーナは、イタリア国内の主要な映画賞でも栄誉に輝いている。
- 1950年:『沼の上の空』でナストロ・ダルジェント賞の最優秀作品監督賞を受賞。
4. 評価と影響
アウグスト・ジェニーナの作品は、その時代ごとの社会的・政治的文脈と深く結びついており、映画史における彼の貢献は多角的に評価されている。
4.1. 批評的評価
ジェニーナは、サイレント映画時代からトーキーへの移行期、そして戦後のネオレアリズモの時代に至るまで、多様な作品を手がけたことで知られる。彼の作品は、当時の技術革新や社会情勢を反映しており、特にトーキー初期における多言語版映画の製作経験は、国際的な映画製作の先駆けとして評価される。戦後に監督した『沼の上の空』は、ネオレアリズモの潮流の中で、そのメロドラマ的な要素が特徴的であると評されつつも、批評家からは高く評価された。
4.2. 社会的・政治的影響
ジェニーナのキャリアにおいて特筆すべきは、ファシスト政権下での活動である。彼は『Lo squadrone biancoロ・スクアドローネ・ビアンコイタリア語』や『L'assedio dell'Alcazarラセーディオ・デッラルカザルイタリア語』といった、当時の政権の思想を強く反映したプロパガンダ映画を製作し、ヴェネツィア国際映画祭でムッソリーニ杯を受賞した。これらの作品は、当時のイタリアの政治的プロパガンダの一環として機能し、政権のイデオロギーを広める上で重要な役割を果たした。彼の作品は、映画が持つ社会的・政治的影響力を示す一例として、歴史的に検証されるべき対象となっている。

4.3. 映画界への影響
ジェニーナはイタリア映画の草創期から活動し、映画製作の技術的進歩にも貢献した。特に、フランスやドイツでの経験を通じて学んだサウンド技術や、複数の言語版を同時に製作する手法は、国際的な映画製作の発展に影響を与えた。彼の作品は、サイレントからトーキーへの移行期における映画製作の挑戦と、戦後のイタリア映画における新たな表現の模索を示しており、後世の映画製作者にもその足跡を残した。
5. 死去
アウグスト・ジェニーナは、その生涯を映画製作に捧げた後、1957年に死去した。
5.1. 死去の詳細
ジェニーナは1957年9月18日に死去した。彼の死は、イタリア映画界における一つの時代の終わりを告げるものであった。